あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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87話-1、寝起きが弱い女天狗

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 活気に溢れた温泉街が、暖かな陽気に包まれて満たされた、朝の九時過ぎ頃。
 花梨、ゴーニャ、まといの三姉妹にとって、休日では早めの朝食を終え、三人揃って心地よい余韻に浸っていた。

「はぁ~、美味しかったぁ~」

「納豆ご飯も好きだけど、生卵を加えてもおいしいかったわっ」

「飲める勢いで食べられた」

 朝食の味を各々振り返っては、至福なため息を同時に吐き出し、顔をだらしなく緩めていく。
 誰も次なる言葉を発さず、暖かみを帯びた静寂が漂い出した中。天井をボーッと眺めていたゴーニャが「あっ」と声を出し、あくびをしている花梨に顔をやった。

「花梨っ、今日はどこに行くのっ?」

「今日は、どうしようかな? 『のっぺら温泉卵』は~……、とんでもない大行列が出来てるや」

 特に予定を組んでいなかった花梨が、窓から顔を出し、第一候補に考えた『のっぺら温泉卵』がある方面を覗いてみる。
 永秋えいしゅうの壁沿いには、入口まで迫る大行列を成しており。花梨の下から潜ってきたゴーニャと、背中に乗った纏も窓から顔を出し、その長蛇の列を視界に入れた。

「今から並ぶと、お昼までかかっちゃいそうねっ」

「しかも、まだまだ客が来てる」

「うわっ。とうとう最後尾が折れ曲がって、二列目が出来ちゃった」

 初日とはまるで規模が違う列に、ただただ圧倒された三人は、諦め気味に顔を引っ込め、ベッドの上に座り直した。

「開店前から大繁盛だったわねっ」

「だねぇ。あの調子だと、今日は入れないかもなぁ」

「全乗せスペシャルしたかった」

「それ、絶対気に入ってますよね……?」

 まだ『のっぺら温泉卵』の店が完成したばかりで、のっぺらぼうの無古都むこと主催により、店に出すメニューを考えている最中。
 花梨が欲望を全開にし、思い付いた限りの食材と好物を山のように積み重ね、ほぼ本気でメニューに採用したかった『全乗せスペシャル』。
 そんな、その場に居た全員の総意でボツとなった懐かしいメニュー名を、再び耳にした花梨が苦笑いをした。

「いつか絶対やる」

「マジっスか……。でも、セルフなら似たような物が作れるし、私もやっちゃ───」

「かり~ん、入ってもいいか~?」

 纏の熱意に後押しされ、かつての欲望を叶えるべく、花梨もその気になってきた矢先。
 扉から数回のノック音と共に、どこか眠たげな女天狗のクロの声が聞こえてきて、その声を聴いた花梨達の注目が扉に集まっていった。

「クロさんの声だ。どうぞー」

 この時間帯には珍しい訪問者に、花梨が入室の許可を与えると、扉がひとりでに開いていく。
 開き切ると、私服ともいえる黄色の修験装束しゅげんしょうぞくを身に纏った、大あくびをしているクロが姿を現し、部屋に入りながら扉を閉めた。
 やはり、声と仕草からして寝起きなようで。寝ぼけ眼なクロが、「よ~、みんなぁ」と気だるそうな挨拶をしてきた。

「おはようございます、クロさん」
「おはようっ、クロっ」
「おはよう。目が閉じたままだよ」

「んー、起きたばかりだからなぁ。布団に入ればすぐ眠れるぞー……」

 いつもの凛とした風貌は欠片も無く、完全にだらけ切っているクロが、のそのそと花梨達が居るベッドに歩み寄っていく。
 目の前まで来ると、脱力したように座り込み、空いてるスペースに突っ伏していった。

「ああ~、日差しが暖かくて気持ちいいなぁ~。まるで天然の羽毛布団、ぐぅ……」

「クロさん? そこで寝たら風邪ひいちゃいますよ?」

「ん~……」

 部屋に来て早々、目的も告げぬまま寝落ちしそうなクロに、花梨はクロのはだけた肩に手を置き、控え気味に体を揺する。
 数回揺すると、突っ伏していた顔がのっそりと動き出し、顎をベッドに置いた。

「今日のクロ、なんだかだらしないね」

「寝起きの私は、いつも大体こんな感じだぁ……」

「クロのほっぺ、すごく柔らかい」

 ここぞとばかりに、纏は隙だらけなクロの頬をいじって遊んでは、摘んで引っ張っていく。

「やめろぉー……」

「本当だわっ。モチモチしてるっ」

「ああ~、私の顔で遊ぶなぁー……」

 お構い無しにいじられている様を見て、うずうずとし出したゴーニャも耐えられなくなり、空いているクロの頬を触り出した。

「あっははは。クロさんも、今日は休みなんですか?」

 二人に顔をいじり倒されても尚、眠気に負けそうなクロが大あくびをし、口をむにゃむにゃとさせる。

「ああ、そうだ。特にやる事も無いし、今日はお前達と一緒に居てもいいか?」

「あっ、そうなんですね。私は全然構いませんし、むしろ一緒に居たいです!」

「私もっ。クロが居たら、絶対に楽しくなるわっ」

「温泉街に行ったら抱っこして」

 突然の来訪にも関わらず、皆して歓迎してくれた事に、クロは嬉しくなって表情をほころばせ、わがままを言ってきた纏の頭に手を置いた。

「後でな。それと、皆ありがとな。いきなり邪魔しちまったのに、快く受け入れてくれて」

「クロさんとは、毎日一緒に居たいですからね。今日はいっぱい遊びましょう!」

「ああ、そうだな。それで、どこか行く予定とかはあるのか?」

「それがですね、まだ……、ん?」

 予定が無い事を告げようとする前に、花梨の携帯電話から着信音が鳴り出し、二人の会話を遮った。花梨が携帯電話を手に取り、画面を確認してみると、牛鬼の『馬之木ばのきさん』と表示されており。
 今だと救世主からの救いとも言える電話に、花梨は「おっ、馬之木さんからだ! もしかして」と声を弾ませ、着信ボタンを押して携帯電話を耳に当てた。

「もしもし、秋風です」

『お、出た出た。秋風さん、馬之木だぁ。朝から電話してすまんなぁ』

「いえいえ、全然大丈夫です。それで、どうしたんですか?」

『いやなぁ? また昼にバーベキューやっから、一緒にどうかって思って電話したんだぁ』

「バーベキュー! 今日もいいんですか?」

『ああ~。秋風さん達の食いっぷりを、つい見たくてなぁ。どうだぁ、来るか?』

「えと。すみません。ちょっと待ってて下さい」

『ええどぉ』

 牛の鳴き声と重なる馬之木の許可を得ると、花梨は携帯電話を耳から離し、二人のやり取りを聞いていたゴーニャ達に顔をやった。

「みんな、馬之木さんからバーベキューのお誘いが来たんだけど、行く?」

「行くっ!」

「無論」

「私も構わないけど。なあ、花梨。今日もって事は、結構な頻度で行ってるのか?」

 ゴーニャと纏が即答し、上体を起こして、その場に座り直したクロも行く旨を伝えてから質問を足す。

「はい。大体二週間置きぐらいにお誘いが来て、みんなが休みでしたら必ず行ってます」

「へえ~、そんな頻度で行ってたのか。そりゃ知らなかった。もうすっかり『牛鬼牧場うしおにぼくしょう』の常連だな」

「えへへ。もちろんその都度、牧場体験をしたり、ソフトクリームやウィンナー、ビーフジャーキーも買ったりしてます」

「あそこで売ってる食べ物、本当に美味いからな。っと、悪い、電話の途中だったな。会話に戻ってくれ」

 会話に花を咲かせようとするも、花梨が電話の最中だった事を思い出し。クロが促すと、花梨もほくそ笑みつつうなずき、携帯電話を耳に当て直す。

「すみません、お待たせしました。それでは、今日もお邪魔させて頂きます!」

『そうかぁ。んだば、昼の十二時に始めるから、待っとるどぉ』

「はい、分かりました! それでは!」

 バーベキューの開始時刻を覚え、話を纏めた花梨が通話を切ると、携帯電話をベッドに置き、皆が居る方へと顔を移した。

「よし! それじゃあ今日は、牛鬼牧場に入り浸ろっか」

「やったっ! ねえ花梨っ。私、ソフトクリームも食べたいわっ!」

「私も。ついでに羊に埋もれたい」

「私も久々に、そこでのんびりしてるかな」

 空白だった今日の予定が埋まると、各々やりたい事が見つかり、思い思いの事を述べていく。
 先ほどまでの、のんびりとしていた空気が嘘のように賑わい出すと、花梨もだんだんその気になり、口がバーベキュー色に染まっていった。

「もちろん、食べたい物は全部食べるよ。けど食べるのは、バーベキューが終わってからね」

「まだ九時半ぐらいだけど、どうやって行く?」

「『一反木綿タクシー』を使うのもアリだけど。今日はクロさんが居るし、天狗に変化へんげして飛んでいくのもいいよね」

「私はやっぱり、皆と飛んで行きたいかな」

 天狗の性ゆえか。己の翼を駆使し、皆と空の旅を楽しみたいという意見を述べたクロが、くだけた笑顔を花梨へ送る。

「花梨っ。私も久々に天狗に変化へんげして、空を飛んで行きたいわっ」

「ならクロ、抱っこして」

 クロの意見に感化されたゴーニャも催促し、是か非でも抱っこされたい纏も、クロに小さな両手を差し伸べる。
 その、最早逃れられそうにもない仕草に、クロは応えるべく纏を持ち上げ、体を抱きしめてから太ももの上に座らせた。

「わーい」

「ふふっ。纏姉さん、嬉しそうにしてますね」

「うん、嬉しい」

「お前って、こういう時は素直になるよな」

 クロに頭を優しく撫でられ、ぽやっとした表情をした纏を認めると、花梨は微笑んでから体をグイッと伸ばし、のんびりしていた気持ちを切り替えた。

「さってと。んじゃ、ゴーニャ。私達も天狗になろっか」

「そうね、そうしましょっ」

 ゴーニャも花梨の真似をするように、体を大きく伸ばし、共にベッドから下りていく。
 そして、二人は天狗の姿になる為に、花梨はリュックサックから。ゴーニャは赤いショルダーポーチから、天狗に変化出来る紫色の兜巾ときんを取り出した。
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