あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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85話-5、壊れた次女と、なされるがままの長女

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「あれっ? 花梨が消えちゃったわっ」

「ここ~……」

 その場に居た全員が、花梨の顔があった場所を注目していた最中。意気消沈し切った花梨の低い声が、視界の下から聞こえてきたので、ゴーニャとまといが顔を下げていく。

 視界が天井から畳へ移っていくと、そこには身の丈に合った見慣れた赤いパーカーと、ジーパンを履いている一匹の猫らしき生き物が、こうべを垂れて座っていた。
 人としての名残か。髪型はオレンジ色のポニーテールで、頭からは毛先が白く、ピンと立った猫の耳が生えている。
 衣服から出ている前足や後ろ足、萎びたように畳に置かれた二本の尻尾先も、同じく白く。露出した部分の毛並みは、全て髪色と同じオレンジ色をしていた。
 そんな、どこか花梨の雰囲気を隠し切れていない猫又が、己の前足にある肉球を認め、「ははっ……」と乾いた笑いを発した。

「……せめて、耳と尻尾ぐらいで留まってほしかったのに……。ガチの猫になっちゃってるじゃんか。ピンク色の肉球まであって、まぁ」

「尻尾をよく見てみろニャ。猫じゃニャくて猫又ニャ」

「いや、もうほとんど一緒っスよ……」

 不貞腐れ気味でいる花梨が、重いため息を吐いた後。猫とほぼ相違ない顔を上げ、目がまん丸になり、口があんぐりと開いているゴーニャと纏を見返していく。

「うわぁ~。猫の目線って、こんなに低いんだ。ゴーニャと纏姉さんが、すごく大きく見えるや」

「花梨って、姿が変わってもまったく驚かないよね」

「秋国に来てから、だいぶ鍛えられましたので……」

 一旦は驚いたものの。すぐ無表情に戻った纏が、その場にしゃがみ込み、猫又の姿になった花梨をまじまじと眺め出す。

「目が猫っぽいし、ヒゲもちゃんとある。ピンク色の鼻が可愛い」

「そうか、顔まで猫になっちゃってるんだ。鼻の先は見えてるんだけど、どんな顔になってるのか見てみたいなぁ。纏姉さん。すみませんが、手鏡を―――」

「……かっ」

「―――んっ?」

 まだ全体像を拝めていない花梨が、纏にお願いをしようとした矢先。息を吐くように薄いゴーニャの一言が、二人の会話に割って入った。
 纏には聞こえてなかったのか。話すのを途中でやめてしまった花梨に、首をかしげていたが。
 猫の聴力を手に入れた花梨には、ゴーニャの薄い声が聞こえていたようで。様子がおかしいと思い、纏に合わせていた顔をゴーニャへやった。

「……か、かっ、カワイイーーーっ!!」

「ぐほっ!?」

 花梨の視線が、ゴーニャに移った直後。ゴーニャがロケットの如く垂直で飛び、油断し切っていた花梨に衝突。
 そのまま花梨は、綺麗なくの字を描きつつ入口付近まで吹っ飛んでいき、ゴーニャに抱きつかれながら畳へ落ちていった。

「猫、猫っ! 花梨がっ! モフモフの猫にっ、きゃぁあああああーーーっ!!」

「ア"ア"ア"ア"ア"……」

「ゴーニャが壊れた」

 力の弱いゴーニャにガッチリと掴まれた花梨は、抵抗を試みようとも抜け出せず。
 無抵抗のまま、腹部を高速で頬ずりされ。熱がたっぷりこもると、今度は肉球をプニプニ押されて、なされるがままにされていく。

「ちょっと纏っ! 花梨の肉球、すっごく柔らかくてプニプニしてるわっ!」

「それは聞き捨てならない」

 既に理性が崩壊しているゴーニャの情報に、そそのかされた纏もピクンと反応してしまい。駆け足で二人の元へ向かい、空いている花梨の前足を持ち、無心で肉球を押し始めた。

「何これ、たまらん」

「でしょでしょっ! 一生触ってられるわっ!」

「なんだか、マッサージされてるみたいで気持ちいいかも……」

「ふふ。ニャンだか、昔のわっちを見てるみたいだニャ」

 妹達にいじくり倒されている花梨を見て、莱鈴らいりんは、昔はわっちも、赤ん坊だった頃の花梨に、あんな事をされてたっけかニャ。と、過去の自分に思いを馳せていく。
 二十年以上前の己を、客観的視点で楽しんでいると、だんだんゴーニャ達が落ち着きを取り戻していき。今度は、花梨の顔を触り始めた。

「うわぁ~っ、毛並みがサラサラしてるわっ」

「花梨。試したい事があるから、猫じゃらし持ってきてもいい?」

「たぶん猫の本能に負けちゃうと思うので、やめてもらえると助かります……」

 やる前から負けを認めが花梨が、ゴーニャに喉周りを撫でられるや否や。ぽやっと緩んだ表情になり、喉をゴロゴロを鳴らし出す。

「どうやって喉を鳴らしてるの?」

「私にも分かりません……」

「花梨っ、抱っこしてもいいかしらっ?」

 一通り暴れて大満足したゴーニャが、あまりにも遅い質問をすると。されたい放題にされて疲れた花梨が、ペタンと寝かせていた耳をピンと立たせ、上体を起こした。

「抱っこってされた事がないから、ちょっと興味あるなぁ。うん、いいよ」

「やったっ! それじゃあ、ちょっと待ってて!」

 二本の尻尾を大きく揺らしている花梨から許可を得られると、ゴーニャは肩に掛けていた赤いショルダーポーチを漁り、特別製の葉っぱの髪飾りを取り出す。
 それを頭に付けると、ゴーニャは瞬く間に螺旋を描いた白い煙に包まれていき、清楚な巫女服を身に纏った、大人の妖狐へと姿を変えた。
 いきなり妖狐に変化へんげしたせいか。花梨の揺れていた尻尾が、波を打つように畳を静かに叩き始めた。

「ゴーニャ、なんで妖狐に変化したの?」

「えへへっ。こっちの方が、花梨を抱っこしやすいと思って」

「ああ、なるほどね。それじゃあ、……って、あれっ?」

 ゴーニャが抱っこしやすいようにと、花梨が立ち上がるも。あまりのバランスの良さに、思わず顔を畳に向け、己の後ろ足を視界に入れた。

「へぇ~。猫の体って、案外普通に立てるもんなんだ」

「あくまで猫又だからニャ。ちょっと訓練すれば、箸も持てるようにニャるニャよ」

「えっ? 私の手、完全に猫の手になっちゃってますけど、一体どうやって持つんですか?」

「気合いでニャ」

「き、気合いで……」

 どこか努力が垣間見える莱鈴の根性論に、猫又初心者である花梨の耳と尻尾、前足が元気を無くしたように垂れていく。

「ま、まあ、食事をする時までに元の姿に戻ればいいんだし。あまり気にしなくてもいいか」

「ああ、すまんニャ。一つ、言い忘れてた事があったニャ」

「へっ? 言い忘れてた事?」

「その首輪、ほんのりと曰く付きでニャ。夜の十二時にニャらないと、外せニャい仕様ニャんだニャ」

「えっ!? 自分で外せないの、この首輪!? 嘘でしょ!?」

 まさか、曰く付きだったとは思いもよらず。大声を上げた花梨の二本の尻尾が、ボッと音を立たせながら膨らんだ。

「……えっ? マジで言ってます? それ」

「大マジニャ。とは言っても、夜の十二時にニャれば勝手に外れるニャ。その間、猫又ライフを気ままに楽しむといいニャー」

「あっ、いや~、そのぉ~……。それは、非常にマズイ事でして……」

「ニャんでニャ?」

 相当ばつが悪そうにしている花梨に、莱鈴が首をかしげて問い返すと、いつの間にか駅員の服を来た大人姿に変化していた纏が、帽子を外しつつ「ちょっと訳あって」と割って入る。

「訳?」

「うん。実は、ぬらりひょん様には内緒でここに来たんだ」

「ぬらりひょん様にはニャい緒で? ぬらりひょん様にバレると、ニャにマズイんかニャ?」

「……少し前なんですが、ぬらりひょん様から骨董店招き猫には、別に行かなくていいと言われた事があったんです。一応、言いつけを守ってたんですけど、好奇心に負けてしまいまして……。それで今日、ぬらりひょん様には内緒で、こっそりここへ来ちゃったんです」

 纏の訳を代弁した花梨の声色には、ぬらりひょんに再び説教を食らう未来しか見えておらず、あからさまに曇っていた。

「ふむ、そんな事を言われてたのかニャ。それはわっちも聞いてニャかったニャ」

 好奇心に負けてここへ来た花梨を、同じく好奇心に負けて猫又にしてしまった莱鈴は、前足で顎を叩き、思案し出した糸目を天井へ移す。
 そのまま「う~む」と考え始めてから、約十秒後。「ニャら」と口にした莱鈴が、糸目を花梨達へ戻した。

「ぬらりひょん様には、わっちから言っておくニャ。たまたまここを通り掛かったお前さん達を、わっちが声を掛けて招き。イタズラで猫又にしてしまったと言っておけば、お前さんが叱られる事はニャいだろうニャ」

「えっ? いやいや。それですと、莱鈴さんが叱られる可能性があるじゃないですか。それは悪いので、素直に私が言っておきますよ」

「いいニャいいニャ。今回は全てわっちが悪い。ニャか間のよしみで、わっちが罪を被っておくニャ」

 今回の出来事において、全て己に非がある事を認めた莱鈴が、ヒゲの先を整えるように指で挟み、横に伸ばしていく。
 今日初めて会ったのに対し、ここまで良くしてくれる莱鈴に、花梨はほとんど納得していないものの。とある別の興味が湧いてきてしまい、オレンジ色の猫目をぱちくりとさせた。

「なんで、そこまでしてくれるんですか? それに、仲間の好って?」

「ここでは言えんニャ。お前さんが一人の時に、わっちと会ったら話してやるニャ」

「はぁ……」

 本当は、雹華ひょうか釜巳かまみ達みたく、再会を分かち合いたかった莱鈴であったが。
 現在、この場にゴーニャと纏が居る事から、口にしたかった言葉をグッと飲み込み。話題をすり替えるべく、話を続ける。

「それよりも、そろそろ日向ぼっこを楽しんで来いニャ。その体だと、陽の光が何倍も気持ち良く感じるニャよ」

「う~ん……。すごく気になるけど、とりあえず分かりました。でも、後日またここへ来ますから、必ず教えて下さいね」

「ああ、いつでも待ってるニャ。もし寝てたら、気兼ねなく起こしてくれニャ」

「はい、分かりました。それじゃあ、この姿を楽しんできますね」

 互いにモヤモヤが晴れない約束を交わすと、花梨はある程度の元気を取り戻し、口角を上げて静かにほくそ笑む。
 そして猫又の姿を楽しむ前に、少し前から待たせていたゴーニャに顔を合わせ、再び器用に立ち上がった。
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