あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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75話-4、怪域の底にある人魚の里へ

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 花梨と酒天しゅてんが、人魚の元へ近づいて行くに連れ。等間隔に聞こえてくるさざ波の他に、耳を通り抜けていく透き通った歌声が混ざり込んできた。
 その心が洗われる透明の旋律に、歩んでいた歩幅が自然と狭まっていき、思わず足を止めて聞き惚れる二人。
 太陽の光を反射させ、時折、虹色に煌めく深緑に染まった下半身の尾びれ。砂浜に付いている両手は、人間の女性のように細くて華奢な物であり、背中は翡翠ひすい色をしたロングヘアーで隠れている。

「綺麗な歌声だなぁ」

「そっスねえ~」

 歌の邪魔をせぬべく、二人はさざ波の音に飲み込まれる声で感想を言い合うも、人魚の耳には届いてしまったのか。
 不意に歌声は波の音と共に消え、海を見据えていた人魚が振り向くと、二人の気配にすら気が付いていなかったせいで、白魚のような肩をビクッと波立たせた。

「わっ!? ……だ、誰ですか、あなた方は?」

「あっ、すみません! 歌の邪魔をしちゃいまして……。私は秋風 花梨と言いまして、こちらは―――」

「茨木童子の酒天しゅてんっス」

「秋風さんと、酒天さん……?」

 流れるように始まった自己紹介に、顔をきょとんとさせていた人魚は、途端に「あっ!」と弾んだ声を発し、両手を嬉しそうに合わせた。

「という事は、ぬらりひょんさんが寄こしてくれた人達ですね! 初めまして、人魚の翡翠ひすいと申します。今日はよろしくお願い致します」

「やっぱり翡翠さんでしたか。今日一日よろしくお願いします!」

「よろしくっス!」

 互いに合流すべき人物だと認識し、自己紹介と挨拶を済ませる三人。軽く会釈した後、エメラルドを彷彿とさせる瞳を微笑ました翡翠が、「では」と続ける。

「早速ですが、私が住む里へご案内致します」

「分かりました。でも……」

 了承するも、すぐに言葉を濁した花梨が、目の前に広がる大海原に視線を移す。
 案内しますと言われても、周りには船一隻の姿形すら一切見当たらず、乗り物を探していた瞳を翡翠に戻した。

「一体、どうやって行くんでしょうか?」

「里は怪域かいいきの底にありますので、泳いで行きます」

「泳いで、ですか」

 翡翠の不安がのしかかる説明に、花梨は、もしかして、竜宮城に行くみたいに、亀とかに乗って行くのかな……? と童話染みた発想をし、眉間に浅いシワを寄せていく。

「はい。それでは準備を致しますので、波打ち際まで来てもらってもよろしいでしょうか?」

「はい、分かりました」
「はいっス」

 翡翠の言葉足らずな指示に従い、波が押し寄せてくる場所まで歩む二人。
 つま先が波にギリギリ触れない距離まで来ると、翡翠が「そこで大丈夫です」と制止し、二人の足を止めた。

「では、始めますね」

 場の主導権を握りつつ、話をどんどん進めていく翡翠が、右手の指で輪っかを作り、そこに向かって息を吹きかける。すると、輪っかの先から透明なシャボン玉が膨らみ始め、みるみる内に大きく育っていく。
 そして、人二人が余裕を持って入れる程の大きさまでに育つと、翡翠は巨大な泡を指の輪っかから切り離し、棒立ちしている二人に向けて飛ばしていった。

「わっ、ちょっ!?」
「ぬわっ!?」

 突然の事に驚き、避ける暇も無く泡に囚われる花梨と酒天。そのまま泡はふわりと浮き、海の上へと移動していく。
 翡翠の隣辺りで止まると、泡に両手を添えていた花梨が、「もしかしてっ」と無邪気に反響する声を出した。

「このまま私達を、怪域まで運んでくれるんですか?」

「いえ。それですと、流石に泡が持ちません。なので、私と一緒に泳いで行きましょう」

「えっ? やっぱり、泳いで、ですか?」

 泡に囚われた状態から、一体どうやって泳ぐ状況になるのか分からず、花梨は翡翠が言った言葉を困惑気味に繰り返す。

「はい。それでは仕上げをしますね」

 相変わらず内容を詳しく伝えない翡翠が、潤った指をパチンと鳴らす。その弾けた音と同時に、花梨達を包み込んでいた泡が、音も無く弾けた。

「―――っ!」

 予想していなかった展開に、二人は声を出す隙すら与えられず落下し、受身を取れないまま海に着水した。
 やや温かさを感じる海水の温度を肌で感じ取り、全身がずぶ濡れになっている事を確信した花梨は、瞳を閉じたまま呆れたため息を吐いた。

「……あの~、翡翠さん? さっきから、一体何がしたいんで―――」

「のわぁぁあああっ!? どうなってんスか、この姿はっ!?」

「へっ?」

 やる気を失いつつある花梨が、翡翠に問いかけようとしている最中。突然背後から飛んで来た、酒天の珍しい絶叫が花梨の暗い声をかき消した。
 その絶叫に、花梨は閉じていた瞳を一気に開き、おっとりとしている翡翠の顔を視界に入れた後。恐る恐る背後に視線を移していく。
 するとそこには、下半身がうぐいす色をした尾びれに変わっていて、どこからどう見ても人魚にしか見えない酒天が、驚愕した表情をしながら己の姿を見渡していた。

「ちょっ、酒天さん!? 人魚になっちゃってますよ!?」

「一体何がどうなって……、って、花梨さん!? 花梨さんもバッチリなっちゃってますよ!?」

 錯乱している人魚姿の酒天が、花梨に目を合わせるや否や。不穏な事を叫び、花梨に向かってビッと指を差す。
 嫌な予感がする叫び声に、花梨は「はいっ?」と抜けた声を漏らし、酒天に合わせていた視線を自分の体へと持っていく。

 そこには酒天と同じく、足の代わりにオレンジ色の尾びれがついており、無意識の内に動かしいて、緩やかな波をパシャパシャと乱していた。
 私服や私物は全て消え去り、いつの間にかCカップにまで成長していた胸には、下半身と同じくオレンジ色の鱗が覆い隠している。
 一通り、人魚の姿になった自分の体を認めるも、花梨は脳の処理が追いつかず呆然とし、黙り込んでから数秒後。現状をやっと理解出来たようで、遅れて「ええーーーっ!?」と絶叫した。

「私まで人魚になっちゃってるじゃん! ……あっ、酒天さん、見て見て! 私の胸がすごく大きくなってる!」

「んえっ? む、胸っスか?」

「これ、Cカップはあるんじゃないかな~? おおっ、揺れる揺れる~。うぇっへっへっへっへ……」

 妖怪変化に慣れていたせいか。人魚の姿になった事よりも、胸が大きくなっている事に気を惹かれ、体を上下に揺らしてCカップの揺れに酔いしれる花梨。
 が、ある程度堪能すると、やっぱり私って、何かしらに変化へんげしないと、胸が大きくならない運命なのかな……? と抗う事の出来ない現実を直視してしまい、ガックリとこうべを垂らした。
 そんな情緒不安定な花梨を見て、両手を器用に駆使して近づいてきた酒天が、プルプルと小刻みに震えている花梨の顔をそっと覗く。

「か、花梨さん? なんか、色々と大丈夫っスか?」

「酒天さん……。私、これから一生、人魚として生きていきます……」

「花梨さん? この数秒で、どんな凄まじい心境の変化があったんスか? 何か困ってる事があったら、あたしが相談に乗るッスよ?」

「すみません、全部冗談です……」

 抗えない現実のせいで自暴自棄になるも、酒天に心の底から心配されている事を察した花梨が、静かな嗚咽おえつを吐きつつ、苦し紛れの嘘をつく。
 元の姿に戻ると、Aカップに戻ってしまうという現実を嫌々受け止めると、しょぼくれている表情をしている花梨は、尾びれになった下半身へ顔を向けた。

「しっかし、人魚かぁ。子供の頃はなってみたいなぁ~って思った事はあるけど……。まさか、大人になってから叶うとは」

 幼少期の頃の夢を語り出した花梨は、オレンジ色の尾びれをしなやかに動かし、静かな海面を叩く。

「へえ~。花梨さん、人魚になってみたかったんスね。なんでなってみたかったんスか?」

「絵本とか映画で、よく出てきてましたからね。それに感化されて、ちょっと憧れていたんです。自由に海を泳いだり、歌ったりしたら楽しいだろうなぁ~、なんて」

「あ~、そういうのってあるっスよねえ。あたしも、空を飛んでみたいって思ってた時期があったっス」

 互いに些細な夢を打ち明けると、空を飛べるようになれる道具を持っている花梨が、「ならっ」と続ける。

「天狗になれる兜巾ときんを持っているんですが、今度身に付けてみます? 背中に翼が生えて、空を飛べるようになるんですよ」

「ほんとっスか? 嬉しいっスねえ、是非お願いします!」

「分かりました! じゃあ今度、休みが重なった時にでもやりましょうね」

「はいっス!」

 酒天の夢を叶えるべく、さり気なく会う約束を交わすと、二人の無邪気な会話を聞いていた翡翠が、「ふふっ」とほくそ笑む。

「二人共、その姿似合ってますよ」

 割り込んできた翡翠の言葉に、二人は顔を見合わせ、現状を楽しむように微笑んだ。

「ありがとうございます、翡翠さん。それにしても、私達を人魚の姿にするのであれば、先に言ってくれればよかったですのに」

「すみません、ちょっと先走ってしまいましたね。でも、喜んでくれたようでなによりです」

「最初は驚いちゃいましたけど、慣れてくると人魚の姿も案外いいっスねえ」

 変化《へんげ》慣れしていない酒天も、改めて自分の姿を確認してみて、体の一部となった尾びれを動かして遊んでみる。

「気に入ってくれてよかったです。それでは、そろそろ里の方へ案内しますね。泳ぎ方も一緒に教えますので、私に付いて来て下さい」

「おっ、ついにこの姿で泳げるぞー! 分かりました!」

「了解っス!」

 花梨と酒天が元気よく返事をすると、翡翠は海に身を沈め、先導するように沖へと泳いでいく。
 そして人魚の姿になった二人も、翡翠の後を追うべく、体を海の中に沈め、ぎこちなく泳ぎ始めていった。
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