あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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49話、優しくていじわるなお客様

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 温泉街全体が重い体を起こし、のそのそと活動を始めた、朝八時五十分頃。

 接客対応の仕方を完全にマスターした、大人の妖狐に変化へんげしているゴーニャは、ぽつぽつと店に入ってきた店員達と顔合わせをした後。開店に向けて準備を進めていく。
 巫女服の袖を捲り上げ、テーブルの拭き掃除をしていると、厨房で仕込みをしていた八咫烏の八吉やきちが、ゴーニャに向かい手招きをしてきた。

 その手招きに気がついたゴーニャは、タオルを置いて厨房に駆け足で向かって行くと、シャッターが開いている焼き鳥台の前で、八吉が腕を組んで立っていた。
 ゴーニャが厨房に着くや否や、八吉は不敵な笑みを浮かべ、「ふふん」と軽い声を漏らす。

「ゴーニャ、いいもんを見せてやる」

「いいもの?」

 ゴーニャが狐の耳を揺らしつつ首をかしげると、八吉は自信ありげにうなずき、前のシャッターが開いている焼き鳥台に体を向ける。
 組んでいた腕をダランと垂らし、右手だけ手の平が見える様に上げると、五本の指先からビー玉大の火が一斉にともった。

「ゆ、指から火が出たっ!」

まばたきしねえで、よーく見てろよ。そらっ!」

 そう叫んだ八吉は、焼き鳥台の中で束になっている炭を狙い、くうを引っ掻くように腕を横に振り抜く。
 すると振り抜いた軌跡には、五つの赤みを帯びた火の線が伸びていて、空中に留まっていたかと思うと、遅れて炭に向かい飛んでいった。

 火の線が全て炭に当たると、天井まで届きそうな五本のけたたましい火柱が上がり、白い壁や天井を瞬間的に赤く照らしつける。
 そして火柱の勢いが無くなり、焼き鳥台に収まっていくと、火を吸い込んだ炭が暴れながら真っ赤に燃え始めた。

 その魔法染みた光景にゴーニャは目を奪われ、金色の瞳をギンギンに輝かせ、止まない興奮で狐の尻尾をはち切れんばかりに振り回す。

「すごいすごいっ! ものすごくカッコイイっ!」

 ゴーニャの率直な称賛の声に、八吉は照れ笑いしながら鼻の下を指で擦る。

「へっへーん。ゴーニャならそう言ってくれると思ったぜ」

「もう一回っ! もう一回見せてっ!」

「ダメダメ。今のは一日一回だけのパフォーマンスなんだ。もう一回見たければ、明日またこの時間辺りに来てくれ」

「ええーっ、そんなぁ~……。残念だわっ……」

 余程見たかったのか。今日はもう見れないと分かった途端、ゴーニャの狐の耳と尻尾から力が無くなり、弱々しく垂れ下がっていく。
 その姿を見て、意地悪そうな笑みを浮かべている八吉が、壁に掛けられている時計にふと目を向ける。
 時計は開店時間の九時に迫っており、「おっと、もうこんな時間か」と呟くと、顔をうなだれているゴーニャに戻し、音を立たせながら手を叩いた。

「ほれ、そろそろ開店時間だ。店の入口の前に、のれんを掛けてきてくれ」

「えっ、もう開店するのっ!? わ、わかったわっ」

 開店と聞き、緊張感のある表情になったゴーニャは、耳と尻尾をピンと立たせつつ店内へ戻り、レジに立て掛けられているのれんを手に取り、店から出て入口の上に引っ掛ける。
 すぐさま店の中に入り、扉を閉めと、そのままレジの前に立ち、背筋を伸ばして精一杯の真面目な顔をし、いつでも接客ができるよう客を待ち構えた。

 そんな健気でいるゴーニャを、テーブルの拭き掃除をしながら様子を見ていた八咫烏の神音かぐねが、苦笑いしつつ調味料を綺麗に並べていく。

「ゴーニャー。そうやって緊張してると、午後まで持たないぞー」

「で、でもっ! いつでもお客様が来てもいいように待機してないとっ!」

「大丈夫だって。午前中はほとんど店の中に入ってこないよ。忙しくなるのは午後から夕方にかけてだから、それまでリラックスしてな」

「そ、そうなの? わかった―――」

 神音にそう言われて安堵し、体の緊張が解けていく最中。不意に背後から、引き戸の開く音が耳に入り込む。
 客が来店した事を知らせる音に、ゴーニャの体全体に極度の緊張が走り、慌てて扉の方に体を向けて頭を下げた。

「い、いらっしゃいませっ! 何名様でしょう……、あらっ? ぬらりひょん、様?」

 早朝の研修で八吉から教わった通りに喋り、下げていた頭を上げると、扉の前にはニヤニヤしているぬらりひょんが立っており、引き戸を閉めてから口を開いた。

「やっとるな。そう緊張するでない」

「は、はいっ……」

 開店から珍しい声が流れてきたせいか、厨房にいた八吉が店内を覗き込み、ぬらりひょんの姿を目視すると、やや驚いた表情をするも、親しげな口調で喋り始める。

「ぬらりひょん様じゃないですか。開店と同時に来るなんて珍しいですね」

「ちょっとな、ゴーニャの初陣を見に来たんだ」

「なるほどですねえ。ほらゴーニャ、お客様が来たぞ。成果を見せてやれ」

 キョトンとした表情でいるゴーニャが、八吉に顔をやると、ふわっと微笑んで「わかったわっ!」と自信満々に返答し、ぬらりひょんに顔を戻してから再び一礼をする。

「いらっしゃいませっ! 何名様でしょうかっ」

「一人だ」

 ぬらりひょんが、優しい口調で喋りつつ人差し指を立てると、ゴーニャは落ち着いた様子でカウンター席に向かって手をかざす。

「一名様ですねっ! それではカウンター席にご案内しますっ」

「うむ」

 そう言われてカウンター席に案内されると、三番のカウンター席を選び、自分の身長と同じぐらいの高さがある椅子に飛び乗り、腰を下ろす。
 その間にゴーニャは厨房へ向かい、おしぼりとお冷を用意してからお盆に乗せ、ぬらりひょんの元へ戻っていく。

「おしぼりとお冷ですっ」

「うむ、ありがとう」

「ご注文が決まりましたら、お声を掛けてくださいっ!」

 接客の対応を完璧にこなし、満面の笑みで一礼すると、その様子をずっと眺めていた八吉が、ニヤリと口角を上げる。

「どうですか、ぬらりひょん様。ゴーニャの対応は?」

「ああ、そうだな。お前さんの教え方が上手いのか、それともゴーニャの物覚えがいいのか。どちらにせよ、良くやっていると思うぞ」

 高評価な感想を述べたぬらりひょんが、温かいおしぼりで顔をぬぐい、コップに入っている水を一口飲み、喉を潤わせている中。八吉が得意げに話を続ける。

「ゴーニャの成長ぶりはすごいですよ。俺が教えた事を一回で全部覚えましたからね」

「ほう、それは本当か? すごいじゃないか。それなら花梨と共に働かせても、なんら問題は無いかもしれんな」

「えっ、花梨と一緒に働けるのっ!? やったぁっ!!」

 ぬらりひょんから嬉しいお墨付きを手に入れたゴーニャは、耳と尻尾を嬉々と暴れさせ、ニコニコしながらその場で飛び跳ねた。
 もう一度コップの水を飲んだぬらりひょんが、カウンター席に肘を突き、和やかな表情をしつつ咳払いをする。

「油断するのはまだ早いぞ。今日一日、しっかりとお前さんの働きぶりを見ているからな」

「は、はいっ!」

 ゴーニャの緩んだ気持ちを再度引き締めらせると、ぬらりひょんは小さくうなずき、目の前にあるメニュー表を手に取る。

「どれ、それじゃあ注文でもしてみようか」

 注文と聞いたゴーニャは、袖に入れておいた伝票と鉛筆を素早く取り出し、いつでも注文を書ける態勢を取った。
 メニュー表を眺めているぬらりひょんは。現在のゴーニャの能力を測るべく、とある悪巧みを思いつき、そのまま早口で喋り始める。

「ネギマ、なんこつ、ぼんじり、皮、ハツ、熱燗。レバー、つくね、皮。熱燗の前に言った物は塩、それ以降はタレで全部一つずつ頼む」

「熱燗の前は塩……、後はタレ……。席番号はカ-三……。わかりましたっ、少々お待ちくださいっ!

「むっ、待たんかゴーニャ」

 あえて面倒臭い注文の仕方をしたぬらりひょんは、頼んだメニューを復唱しなかったゴーニャに対して不安を抱き、思わず止めに入る。
 呼ばれて何事かと思ったのか、ゴーニャは慌てて振り返り、おどおどした顔をぬらりひょんに合わせた。

「な、なにかしら?」

「すまんが、今ワシが頼んだ物を言ってもらってもいいかの?」

 その質問にキョトンしたゴーニャは、先ほど自分が書いた伝票に目を向ける。

「えと……、ネギマ、なんこつ、ぼんじり、皮、ハツが塩。レバー、つくね、二つ目の皮、これらがタレ。それと熱燗、それらを全部一つずつ。……合ってる、わよね?」

「おお、合っとる」

 多少は間違えているだろうと予想していたぬらりひょんは、頼んだメニューを正確に復唱してきたゴーニャに驚くも、同時に大きな信頼感を抱き、静かにほくそ笑んだ。

「すまんすまん、それじゃあ頼んだぞ」

「わかりましたっ!」

 安心した表情で厨房に向かっていたゴーニャを見送ると、天井で一部始終を見ていた座敷童子の纏《まとい》が、ぬらりひょんの真横に下りてきて、不満げに口を開く。

「ぬらりひょん様いじわる」

「ふっふっふっ、そう言うな。ちょっと試してみたが、思っていたよりもすごいじゃないか。これなら、何も心配は要らないな」

 ぬらりひょんがゴーニャを認めたように呟くと、その言葉を聞いた纏も安心し、自然と口元を緩ませていく。
 そして、コップに入っている水を飲み干し、頼んだメニューを心待ちにしながら袖からキセルを取り出した。
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