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★38話-8、命乞いの本音を受け止める者
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音も無く地面に降り立った女天狗のクロが、大きく広げていた漆黒の翼をたたむ。慌てて花梨達の元へ向かおうとするも、酒羅凶と楓がいる事を思い出し、その場に踏み止まった。
そして、血の泡を吹いて気絶しているガタイのいい鬼と、その体の影に隠れている細身の鬼に目を移し、口を開く。
「楓、あいつらがそうか?」
「そうじゃ、間違いない」
三人に目を向けられた細身の鬼が「しゅ、酒呑童子と天狐!? それに、ぬらりひょんの右腕である女天狗一族の長までが、なんでここに……」と、名を馳せた妖怪達の出現に愕然とし、体を縮こませる。
黒い輝きを放つ眼光で二人を捉えていたクロが、漆黒の翼を広げて宙に飛び、ガタイのいい鬼の体の上に着地した。
妖々しく光る満月を背に、カタカタと震えている細身の鬼を見下し、テングノウチワを仰いで自分の顔に風を送っていく。
その黒く鋭い眼光は冷静を装っているものの、瞳の奥底で渦巻いている嵐のような殺意が、細身の鬼に向かって流れていった。
「よお、覚悟は出来てんだろうな?」
「か、覚悟ぉ? いったい俺があんたに、何をしたっていうんだ……?」
身に覚えがまったくない細身の鬼が、とぼけた様子も無く言葉を返す。しかしクロは目を細め、殺意を更に高めていく。
「ほ~う? 私とぬらりひょん様の愛娘に手ぇ出しといて、しらばっくれるか。ずいぶんと見上げた根性してんじゃねえか」
クロの発言に「えっ、えっ?」とワケが分からぬまま声を漏らし、遠くにいる花梨とゴーニャ、目の前で静かに憤慨しているクロを交互に見返し、目をパチクチとさせた。
「ま、まさか……、あの二人が……?」
「そのまさかさ。これから、まともな人生歩めると思うなよ?」
クロが怒りを露わに瞬間、瞳が赤黒く変色する。それと同時に、瞳の奥底で留まっていた殺意が全身から噴き出し、細身の鬼に目掛けて吹き荒れていく。
暴風の殺意に囲まれ、逃げ場を完全に失い、事の重大に気がつかされた細身の鬼は、遅すぎる後悔の念に駆られて放心状態になり、受け入れられない現実から逃れるように白目を剥いて気絶した。
その細身の鬼の醜態な姿を見たクロは怒りを鎮め、翼をはためかせて宙に飛び、酒羅凶の前に降り立つ。そして、テングノウチワで二人組の鬼を差した。
「悪い、酒羅凶。あいつらを居酒屋浴び飲みに運んで、私が行くまで見張っといてくれ」
「あっ? ここで殺るんじゃねえのか?」
既に、二人組の鬼を殺すつもりでいた酒羅凶が不満を漏らすも、クロは否定するように首を横に振る。
「ここでの殺しや暴力はご法度だってのを忘れたのか? 散々破ってるクセに、まだ破るってか?」
蔑みを含んだクロの説教に、酒羅凶は大きく舌打ちを鳴らす。
「ったく、嫌味ったらしく言ってくれるぜ」
渋々クロの指示に従った酒羅凶は、着ている赤い甲冑を音立たせつつ、血の泡を吹いているガタイのいい鬼と、情けない表情で気絶している細身の鬼の体を両脇に抱えた。
「おい、こいつらを俺の店に連れて行ってどうするつもりだ?」
「そいつらは人柱だ、私なりに脅してから帰す。裏の世界の奴らに、ここにいる人間に手を出したら、黒四季とぬらりひょん様の怒りを買う事になるぞって、知らしめてやるんだ」
「はっ! てめえ自らが嫌悪してる本名まで使うのか、そりゃいい! 脅すのは勝手だが、封印していたそのテングノウチワは使うんじゃねえぞ? 五分も経たない内に温泉街が更地になっちまうからな」
その忠告を聞いたクロは、妖しく口角を吊り上げ、遠ざかっていく酒羅凶の背中を睨みつけた。
「五分? ずいぶんと舐められたもんだな、二十秒ありゃ充分さ」
「おい、マジでやめろよ」
酒羅凶の念を押す言葉に、クロは何も言わずに鼻で笑う。楓を肩に乗せた酒羅凶がススキ畑に消えていくのを確認すると、花梨達がいる方向に目を向け、長いため息を漏らた。
そして、凛とした表情を一気に崩し、我が子を心配する母親のような眼差しになると、花梨達の元へ向かい走り始めた。
「花梨! ゴーニャ! 大丈夫か!?」
「ち、近寄るなぁっ!!」
「……えっ?」
地面に倒れ込んでいた花梨の敵意を剥き出しにした叫び声が、クロが足を止める。そのまま呆気に取られて棒立ちしている中。
肩で呼吸をしている花梨が、ガクガクと震えている足でゴーニャの前に立ちはだかり、殺意の濃い龍眼でクロを睨みつけた。
その体からは白い湯気が立ち昇り、再び妖怪の血に取り込まれる寸前まで追い込まれており、威嚇の唸り声を上げている。
「お前も二人組の鬼の仲間だろ! まだゴーニャを攫う気でいるんだな!?」
予想だにしていなかった花梨の発言に対し、クロは困惑するも、自分の胸に手を置いて叫び返す。
「落ち着け花梨! 私だ、お前の世話役を任されているクロだ! 見て分からないのか!?」
「嘘だ!! そうやって私を油断させようとしても無駄だ! 後ろに居た大きい奴が、二人の鬼を助けて逃げていっただろ!? そいつがいい証拠だ!」
的外れな発言にクロは、ダメだ、完全に疑心暗鬼になってやがる。その上、目があまり見えていないみたいだな。妖怪の血に取り込まれる前に、なんとかしてやらないと……。と、冷静に思案する。
更に思考を張り巡らさせていくと、……ここはやはり、花梨の目の前まで行くしかないな。という結論に至り、歩き始めた。
白く霞んでいる視界の中で佇んでいた黒い影が動き出すと、花梨は慌てて地面に落ちている石を探しては拾い上げ、力の限りに握り締めた。
「そ、それ以上近づくな! 石を投げてお前の体に風穴を開けるぞ!?」
精一杯の脅しを叫ぶも、意に介していない黒い影は歩みと止めず、黙り込んだまま距離を詰めていく。
得体の知れぬ者に追い詰められ、焦り始めた花梨は、ギザギザな奥歯をギリッと噛み締め、覚悟を決めて持っていた石を放り投げる。
力なく投げられた石は、小さく弧を描いて地面に落ちていき、コロコロと転がってクロの横を通り過ぎていく。
「全然届いてないぞ。もう立ってるのがやっとなんじゃないか?」
「い、今のは威嚇だ! 次は本当に当てるぞ!?」
花梨が落ちている石を拾って再び投げるも、今度は見当違いの方向に飛んでいった。
クロがその石を目で追い、視線を前に戻すと、花梨は為す術を無くしてしまったのか、龍眼に涙を溜めながらクロを睨みつけていた。
「どうした、もう終わりか?」
「う、うるさいっ! それ以上こっちに来るな!」
懇願にも取れる花梨の必死な訴えに、聞く耳を持たないクロは、更に花梨との距離を詰めていく。
残りの距離二十メートル。花梨の表情に余裕が一切無くなり、龍眼に溜まっていた涙が零れ始める。
「来るなっ! 来るなってば!」
残り十五メートル。花梨が流している涙が大粒に変わり、哀れに崩れた表情が絶望色に染まっていく。
「お願いだから……、それ以上近づいてこないで!」
残り十メートル。最早叫び声すら上げられなくなった花梨は、後ろに隠れていたゴーニャを守るように抱きしめ、隙だらけの背中をクロに見せつける。
「やだ……、来ないで、来ないでってばぁ……」
残り五メートル。花梨の背中は家族が居なくなるという恐怖から、見るも無残に震えていた。
「イヤだ、イヤだ……、イヤだ、イヤだよぉ……」
残り一メートル。夜風が止み、花梨の弱々しく泣いている声だけが耳に入り込んでくる。更に距離を詰めたクロは、黙ったままその場にしゃがみ込んだ。
ただひたすらに泣いていた花梨が、黒い影が背後まで迫って来たのを察したのか、許しを乞うような口振りで喋り始める。
「私達が、いったい何をしたっていうのさ……。私はただ、大好きなゴーニャと一緒に居たいだけなのに、それすらダメだって言うの……?」
「……」
「私のお父さんとお母さんは、私が赤ちゃんだった頃に火事で死んじゃって……、家族はおじいちゃんしかいないんだ……。火事で何もかも燃えちゃったから、お父さんとお母さんの声も顔も名前も知らないまま、今まで生きてきたんだ……」
「……」
「今まで寂しいって思ってた……。ずっとずっと、お父さんとお母さんに会いたいって思ってた……」
「……」
「そんな中、ゴーニャが家族になってくれた時は、心の底から喜んだんだ……。こんな私にも家族が出来たんだって、泣くほど嬉しかったんだ……。でも、それなのにお前らは、私の大切な家族であるゴーニャを攫おうとするんだ……」
「……」
「イヤなんだ……。もう家族がいなくなるのは、イヤなんだよ!!」
「花梨……」
「お願いだから……、これ以上私の大切な家族を、奪わないでよぉ……」
人には決して明かさなかった本音を洗いざらい吐くと、花梨は抱きしめているゴーニャの頭に顔を乗せ、大きく泣き叫び始める。
初めて目にした、花梨の泣き叫ぶ姿。初めて耳にした花梨の本音に対し、クロは己の不甲斐なさを呪うかのように唇を噛み締め、どの感情のせいで震えているのか分からない手を握り締めた。
その握り締めた手を解くと、漆黒の翼を大きく広げ、泣き叫ぶ花梨と抱きしめられているゴーニャを包み込み、背中越しから花梨の体を強く抱きしめた。
「すまん花梨……! 私達がずっとそばに居たのに、お前のその辛い気持ちに気がついてやれなくて……!」
「……く、クロ、さん?」
不意に抱きつかれた花梨の鼻に、懐かしくも安心する匂いが、耳には温かくも震えたクロの声が入り込んできた。
背後にいるせいで本物のクロかは確認出来なかったが、今の花梨には、この二つで背後にいるのは本物のクロだと確信が持てた。
「でも、もう大丈夫だ、安心しろ! お前の本音は、この私がしかと受け止めた! これからもずっと、ずっと、お前の事を守ってやるからな!」
「クロ、さん……。うっ、ううっ……、うわぁぁぁぁああんっ!!」
クロの固い決意により、今まで背負っていた悲しみから解放された花梨は、救ってくれたクロの温かな体温を感じつつ、夜空に向かって号泣し始める。
茨木童子の姿から人間の姿に戻っていく中。心の中に残っていた最後の闇の花びらが、跡形も無く消えていく。
そして、第二の満月から始まった悪夢のような長い夜は、ススキ畑に木霊する花梨の泣き叫ぶ声を聞きながら更けていった。
そして、血の泡を吹いて気絶しているガタイのいい鬼と、その体の影に隠れている細身の鬼に目を移し、口を開く。
「楓、あいつらがそうか?」
「そうじゃ、間違いない」
三人に目を向けられた細身の鬼が「しゅ、酒呑童子と天狐!? それに、ぬらりひょんの右腕である女天狗一族の長までが、なんでここに……」と、名を馳せた妖怪達の出現に愕然とし、体を縮こませる。
黒い輝きを放つ眼光で二人を捉えていたクロが、漆黒の翼を広げて宙に飛び、ガタイのいい鬼の体の上に着地した。
妖々しく光る満月を背に、カタカタと震えている細身の鬼を見下し、テングノウチワを仰いで自分の顔に風を送っていく。
その黒く鋭い眼光は冷静を装っているものの、瞳の奥底で渦巻いている嵐のような殺意が、細身の鬼に向かって流れていった。
「よお、覚悟は出来てんだろうな?」
「か、覚悟ぉ? いったい俺があんたに、何をしたっていうんだ……?」
身に覚えがまったくない細身の鬼が、とぼけた様子も無く言葉を返す。しかしクロは目を細め、殺意を更に高めていく。
「ほ~う? 私とぬらりひょん様の愛娘に手ぇ出しといて、しらばっくれるか。ずいぶんと見上げた根性してんじゃねえか」
クロの発言に「えっ、えっ?」とワケが分からぬまま声を漏らし、遠くにいる花梨とゴーニャ、目の前で静かに憤慨しているクロを交互に見返し、目をパチクチとさせた。
「ま、まさか……、あの二人が……?」
「そのまさかさ。これから、まともな人生歩めると思うなよ?」
クロが怒りを露わに瞬間、瞳が赤黒く変色する。それと同時に、瞳の奥底で留まっていた殺意が全身から噴き出し、細身の鬼に目掛けて吹き荒れていく。
暴風の殺意に囲まれ、逃げ場を完全に失い、事の重大に気がつかされた細身の鬼は、遅すぎる後悔の念に駆られて放心状態になり、受け入れられない現実から逃れるように白目を剥いて気絶した。
その細身の鬼の醜態な姿を見たクロは怒りを鎮め、翼をはためかせて宙に飛び、酒羅凶の前に降り立つ。そして、テングノウチワで二人組の鬼を差した。
「悪い、酒羅凶。あいつらを居酒屋浴び飲みに運んで、私が行くまで見張っといてくれ」
「あっ? ここで殺るんじゃねえのか?」
既に、二人組の鬼を殺すつもりでいた酒羅凶が不満を漏らすも、クロは否定するように首を横に振る。
「ここでの殺しや暴力はご法度だってのを忘れたのか? 散々破ってるクセに、まだ破るってか?」
蔑みを含んだクロの説教に、酒羅凶は大きく舌打ちを鳴らす。
「ったく、嫌味ったらしく言ってくれるぜ」
渋々クロの指示に従った酒羅凶は、着ている赤い甲冑を音立たせつつ、血の泡を吹いているガタイのいい鬼と、情けない表情で気絶している細身の鬼の体を両脇に抱えた。
「おい、こいつらを俺の店に連れて行ってどうするつもりだ?」
「そいつらは人柱だ、私なりに脅してから帰す。裏の世界の奴らに、ここにいる人間に手を出したら、黒四季とぬらりひょん様の怒りを買う事になるぞって、知らしめてやるんだ」
「はっ! てめえ自らが嫌悪してる本名まで使うのか、そりゃいい! 脅すのは勝手だが、封印していたそのテングノウチワは使うんじゃねえぞ? 五分も経たない内に温泉街が更地になっちまうからな」
その忠告を聞いたクロは、妖しく口角を吊り上げ、遠ざかっていく酒羅凶の背中を睨みつけた。
「五分? ずいぶんと舐められたもんだな、二十秒ありゃ充分さ」
「おい、マジでやめろよ」
酒羅凶の念を押す言葉に、クロは何も言わずに鼻で笑う。楓を肩に乗せた酒羅凶がススキ畑に消えていくのを確認すると、花梨達がいる方向に目を向け、長いため息を漏らた。
そして、凛とした表情を一気に崩し、我が子を心配する母親のような眼差しになると、花梨達の元へ向かい走り始めた。
「花梨! ゴーニャ! 大丈夫か!?」
「ち、近寄るなぁっ!!」
「……えっ?」
地面に倒れ込んでいた花梨の敵意を剥き出しにした叫び声が、クロが足を止める。そのまま呆気に取られて棒立ちしている中。
肩で呼吸をしている花梨が、ガクガクと震えている足でゴーニャの前に立ちはだかり、殺意の濃い龍眼でクロを睨みつけた。
その体からは白い湯気が立ち昇り、再び妖怪の血に取り込まれる寸前まで追い込まれており、威嚇の唸り声を上げている。
「お前も二人組の鬼の仲間だろ! まだゴーニャを攫う気でいるんだな!?」
予想だにしていなかった花梨の発言に対し、クロは困惑するも、自分の胸に手を置いて叫び返す。
「落ち着け花梨! 私だ、お前の世話役を任されているクロだ! 見て分からないのか!?」
「嘘だ!! そうやって私を油断させようとしても無駄だ! 後ろに居た大きい奴が、二人の鬼を助けて逃げていっただろ!? そいつがいい証拠だ!」
的外れな発言にクロは、ダメだ、完全に疑心暗鬼になってやがる。その上、目があまり見えていないみたいだな。妖怪の血に取り込まれる前に、なんとかしてやらないと……。と、冷静に思案する。
更に思考を張り巡らさせていくと、……ここはやはり、花梨の目の前まで行くしかないな。という結論に至り、歩き始めた。
白く霞んでいる視界の中で佇んでいた黒い影が動き出すと、花梨は慌てて地面に落ちている石を探しては拾い上げ、力の限りに握り締めた。
「そ、それ以上近づくな! 石を投げてお前の体に風穴を開けるぞ!?」
精一杯の脅しを叫ぶも、意に介していない黒い影は歩みと止めず、黙り込んだまま距離を詰めていく。
得体の知れぬ者に追い詰められ、焦り始めた花梨は、ギザギザな奥歯をギリッと噛み締め、覚悟を決めて持っていた石を放り投げる。
力なく投げられた石は、小さく弧を描いて地面に落ちていき、コロコロと転がってクロの横を通り過ぎていく。
「全然届いてないぞ。もう立ってるのがやっとなんじゃないか?」
「い、今のは威嚇だ! 次は本当に当てるぞ!?」
花梨が落ちている石を拾って再び投げるも、今度は見当違いの方向に飛んでいった。
クロがその石を目で追い、視線を前に戻すと、花梨は為す術を無くしてしまったのか、龍眼に涙を溜めながらクロを睨みつけていた。
「どうした、もう終わりか?」
「う、うるさいっ! それ以上こっちに来るな!」
懇願にも取れる花梨の必死な訴えに、聞く耳を持たないクロは、更に花梨との距離を詰めていく。
残りの距離二十メートル。花梨の表情に余裕が一切無くなり、龍眼に溜まっていた涙が零れ始める。
「来るなっ! 来るなってば!」
残り十五メートル。花梨が流している涙が大粒に変わり、哀れに崩れた表情が絶望色に染まっていく。
「お願いだから……、それ以上近づいてこないで!」
残り十メートル。最早叫び声すら上げられなくなった花梨は、後ろに隠れていたゴーニャを守るように抱きしめ、隙だらけの背中をクロに見せつける。
「やだ……、来ないで、来ないでってばぁ……」
残り五メートル。花梨の背中は家族が居なくなるという恐怖から、見るも無残に震えていた。
「イヤだ、イヤだ……、イヤだ、イヤだよぉ……」
残り一メートル。夜風が止み、花梨の弱々しく泣いている声だけが耳に入り込んでくる。更に距離を詰めたクロは、黙ったままその場にしゃがみ込んだ。
ただひたすらに泣いていた花梨が、黒い影が背後まで迫って来たのを察したのか、許しを乞うような口振りで喋り始める。
「私達が、いったい何をしたっていうのさ……。私はただ、大好きなゴーニャと一緒に居たいだけなのに、それすらダメだって言うの……?」
「……」
「私のお父さんとお母さんは、私が赤ちゃんだった頃に火事で死んじゃって……、家族はおじいちゃんしかいないんだ……。火事で何もかも燃えちゃったから、お父さんとお母さんの声も顔も名前も知らないまま、今まで生きてきたんだ……」
「……」
「今まで寂しいって思ってた……。ずっとずっと、お父さんとお母さんに会いたいって思ってた……」
「……」
「そんな中、ゴーニャが家族になってくれた時は、心の底から喜んだんだ……。こんな私にも家族が出来たんだって、泣くほど嬉しかったんだ……。でも、それなのにお前らは、私の大切な家族であるゴーニャを攫おうとするんだ……」
「……」
「イヤなんだ……。もう家族がいなくなるのは、イヤなんだよ!!」
「花梨……」
「お願いだから……、これ以上私の大切な家族を、奪わないでよぉ……」
人には決して明かさなかった本音を洗いざらい吐くと、花梨は抱きしめているゴーニャの頭に顔を乗せ、大きく泣き叫び始める。
初めて目にした、花梨の泣き叫ぶ姿。初めて耳にした花梨の本音に対し、クロは己の不甲斐なさを呪うかのように唇を噛み締め、どの感情のせいで震えているのか分からない手を握り締めた。
その握り締めた手を解くと、漆黒の翼を大きく広げ、泣き叫ぶ花梨と抱きしめられているゴーニャを包み込み、背中越しから花梨の体を強く抱きしめた。
「すまん花梨……! 私達がずっとそばに居たのに、お前のその辛い気持ちに気がついてやれなくて……!」
「……く、クロ、さん?」
不意に抱きつかれた花梨の鼻に、懐かしくも安心する匂いが、耳には温かくも震えたクロの声が入り込んできた。
背後にいるせいで本物のクロかは確認出来なかったが、今の花梨には、この二つで背後にいるのは本物のクロだと確信が持てた。
「でも、もう大丈夫だ、安心しろ! お前の本音は、この私がしかと受け止めた! これからもずっと、ずっと、お前の事を守ってやるからな!」
「クロ、さん……。うっ、ううっ……、うわぁぁぁぁああんっ!!」
クロの固い決意により、今まで背負っていた悲しみから解放された花梨は、救ってくれたクロの温かな体温を感じつつ、夜空に向かって号泣し始める。
茨木童子の姿から人間の姿に戻っていく中。心の中に残っていた最後の闇の花びらが、跡形も無く消えていく。
そして、第二の満月から始まった悪夢のような長い夜は、ススキ畑に木霊する花梨の泣き叫ぶ声を聞きながら更けていった。
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