あやかし温泉街、秋国

桜乱捕り

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30話-3、人間の為に破った約束

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 街に戻って献花と食べ物を買い揃え、とある場所に添えてきたその日の夜八時頃。

 ぬらりひょんから、花梨ととある二人の過去について聞かされた鵺は、永秋えいしゅうにある露天風呂の一つである『炭酸泉の湯』に浸かり、熱燗が注がれたおちょこを片手に月を眺めていた。
 月の周りでまたたいている星々に目を移すと、あの二人もこの夜空のどこかで、相変わらずバカやってんのかねぇ……。と心の中で黄昏て、冷め始めている熱燗を口に含んだ。
 しばらく頭の中を空っぽにして夜空を眺めていると、不意に背後から「あっ、鵺さんだ!」と、花梨の明るい声が聞こえてきて、湯を波立たせつつ鵺の隣まで歩み寄ってきた。

「お疲れ様です。隣に座ってもいいですか?」

「秋風か、好きにしな」

「それじゃあお言葉に甘えて、お邪魔しま~す」

 そう言った花梨は、にんまりとしながら足を伸ばして座り込むと、太ももの上にゴーニャがちょこんと座る。
 その様子を横目で覗いていた鵺は、初めて目にする花梨と親しく接している金髪の少女を見て、眉をひそめながら口を開く。

「秋風、そのちっこい奴は誰だ?」

「んっ? あっ、そうか。鵺さんは初対面でしたよね。ほらゴーニャ、鵺さんに自己紹介しな」

「あ、秋風 ゴーニャ……、です。よろしく」

 おどおどと自己紹介を済ませたゴーニャが、頭をペコリと下げると、名前に『秋風』と付いている事に違和感を覚えた鵺が、「……はっ? 秋風、ゴーニャ?」と質問を返す。

「はいっ、この子は私の妹です」

「い、妹っ!?」

「そうですっ、とってもカワイイでしょ~」

 自慢げに言った花梨が、微笑みながらゴーニャの顔に頬ずりをすると、突然の出来事に嬉しくなったゴーニャも、花梨に抱きついて満面の笑みで頬ずり返した。
 その仲の良い光景を黙って見ていた鵺は、ゴーニャとか言う奴、どう見ても人間じゃねえな。色々とワケがありそうだが……、ここで聞くのは野暮だろうし、話を合わせてやっか。と思案してから話を続ける。

「カワイイじゃねえか、妹っつうんならお前の家族なんだろう? 大事にしてやれよ」

「ええ、もちろんですっ!」

 花梨が嬉々として返事をすると、口元を緩ませた鵺は視線を逸らし、おちょこに熱燗を注いで一口飲んだ。そこからは特に会話が弾むことはなく、弾ける泡の音だけが耳に入り込んでくる。
 飽きる事なく夜空をボーッと眺めていると、昼頃にぬらりひょんに説明された話の内容を、ふっと思い出す。
 すぐさま忘れようとするも脳が勝手に反芻を始め、だんだんと現在の花梨の心境が知りたくなってきてしまい、大きく膨れ上がった好奇心に打ち負けると、閉じていた口をゆっくりと開いた。

「秋風」

「はいっ」

「今、楽しいか?」

「……今、ですか?」

 花梨がオウム返しで質問を返すと、おちょこに入っている熱燗を回していた鵺が「あっ」と声を漏らす。

「すまん、言葉が足りなかったな。秋国に来てから毎日は楽しいか?」

「あぁ~。はいっ、とても楽しいですよ。ここでしか味わえない素敵で刺激的な出来事の連続で、楽しすぎて毎日が早く終わっちゃいます」

「……そうか、それを聞いて安心したよ」

 花梨の心境を聞けて胸を撫で下ろした鵺は、おちょこに熱燗を注ごうとするも、空になっているのか一向に出てこず、片目でとっくりの中を覗き込んだ。
 ゆっくり垂れてきた一滴を口の中に入れると、隣から刺すような視線を感じ始め、その視線を感じる方向に目をやると、花梨が鵺の胸をじっと睨みつけていた。

「……なんだ?」

「鵺さんの胸、すごく大きいですねぇ」

 急に胸の事を言われた鵺は唖然とするも、自分の豊満な胸と花梨の絶壁を思わせる胸を見比べ、何かを察したのかニヤリと口角を上げる。

「ああ、Dカップあんぞ。羨ましいかぁ?」

「なっ……! で、Dカップ!? めちゃくちゃ羨ましいっ……!」

「もっと大きくできんぞぉ? なんせ、胸の大きさを自由自在に変えられるからな」

「えっ、なにそれ!? ずるいっ! ちょっと、私の胸を鵺にしてくだ、あだっ!」

 酷く錯乱し、勢いよく間合いを詰めてきた花梨に対して鵺は、頭にめがけて鋭いチョップを放ち、呆れながら話を続ける。

「胸を鵺にしてくださいって意味わかんねぇよ」

「だからっ! 胸だけ鵺にしてくれれば、私もバストのサイズを変えられるようになって夢のDカップ以上に、いだっ!」

 錯乱が加速している花梨に、鵺は現実に引き戻す重いデコピンをひたいに放ち、胸を隠すように湯の中に沈めた。

「バーカ、嘘だよ。死ぬほど牛乳飲め」

「……そ、そうか、牛乳を飲めばいいんだな。こりゃあ毎日牛鬼牧場うしおにぼくしょうに通うしかないようだなぁ、へっへっへっ……」

 希望の光が見えてきたのか、虚ろな目をしながらニヤニヤし始めるも、それを面白くないと感じた鵺が追い打ちをかけるように話を続ける。

「そういや、お前は今何歳だっけか?」

「へっ? えっと、今二十三歳で、あと三日で二十四歳になります」

「そっか、めでたいな。人間は思春期が過ぎたら、もう胸は大きくならなくなるらしいぞ。残念だったなあ~」

 鵺のねったりとした口調の説明を聞いた途端、耳を疑い、唖然とした花梨の顔から急激に血の気が引いていき、痙攣染みた震えをしている両手を鵺に伸ばしていった。

「う、嘘……、でしょ? それも嘘、なんです、よね……?」

「いんや~、これは本当だぞ~。胸の事は諦めるんだなあ」

「そ、そんなっ……、ブクブクブク……」

 唯一である希望の光を遮られ、心底絶望して正気を失った花梨は、みるみる体から力が抜けていき、湯の中に顔を沈めていった。
 肺の中にある闇に染まった空気を絞り出した後、湯から顔を上げ、光の無い虚ろな瞳を鵺に向けると、そのまま硬直したように動かなくなった。

「どうした、目が死んでるぞ」

「……鵺さん、胸が大きいと何かと不便でしょ? 少し分けてくださいよ……」

「今度は私がお前の顔を湯の中に沈めてやろうか?」

「すみません、勘弁してください……」

 最後の抵抗も虚しく終わると、うなだれた花梨は夜空に向かい、星が光を失ってしまいそうな黒いため息をついた。
 その絶望のふちに立たされている花梨をよそに、鵺がボーッとしながら星の数を数えていると、落ち着きを取り戻して正常になった花梨が「ふふっ」と笑う。

「そういえば、鵺さんがここにいるって事は、鵺さんも妖怪なんですよね」

「ん~? そうだけど」

「やっぱりっ! 鵺さんと出会ってから、何かと妖怪さん達と縁が出来るようになって、私の人生観がグルリと変わっちゃいましたよ」

 花梨の何気ない言葉に鵺は、そうか、こいつ本当に何も分かっちゃいねぇのか……。ぬらさんは何で話してやらねぇんだ? 可哀想に。……あー、我慢できねぇ。すまんぬらさん、少し約束破るわ。と考え、花梨に横目を向ける。

「私と出会ってから、か。違う、それは違うぞ秋風」

「えっ?」

「お前は私と出会った時よりもずーっと前から、妖怪達と深い縁があるんだよ」

「それって、どういう……?」

「それはまだ教えらんねぇな。さぁってと、そろそろのぼせそうだし上がるかな」

 ぬらりひょんとの約束を破った鵺は、ニヤニヤしながらとっくりとおちょこを持って立ち上がり、風呂場を立ち去ろうとし始める。
 その姿を見た花梨が慌てて「待って下さい鵺さん! それってどういう意味ですか!?」と、声を上げて引き止めようとするも、鵺は足を止めずに出口へと向かっていった。

「言っただろ、まだ教えらんねぇって。あ~ばよ」

「鵺さんっ! 少しだけでもいいですから教えてくだ……、行っちゃった……」

 後ろを振り返らぬまま鵺が去っていくと、取り残された花梨は、脱力するように湯の中に体を沈めていく。そして再び夜空を見上げると、今度は短くて悩みを抱えたため息をついた。
 鵺からの突然の告白に頭の中が混乱し、いつもより鼓動は早まっている中、鵺さんと出会うずっと前から私は、妖怪さん達と縁があったの……? いつからだろう、分かんないなぁ……。と、更に頭を悩ませていく。
 先ほどまで明るかった花梨が急に黙り込み、心配になったゴーニャが花梨の頬をぺちぺちと触れるも反応が無く、余計に心配になって首をかしげた。

「花梨っ、急に元気が無くなったみたいだけど大丈夫?」

「……えっ? あっ、ああ、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけちゃって」

 人に心配されるのが苦手で嫌いな花梨は、精一杯の笑みを浮かべると、キョトンとしているゴーニャの頭を優しく撫で始める。
 いつもの元気ある花梨の表情を見たゴーニャは、安心したのか、微笑み返してから花梨の太ももの上に座り直し、体に寄りかかって顔を見上げた。

「何かあったら私に言ってよっ、一人で抱え込んじゃダメだからねっ」

「ふふっ、ありがと。頼りになるなぁゴーニャは」

 頼りにされて嬉しくなったゴーニャは、鼻をふんっと鳴らして胸を叩き、「いつでも相談してねっ!」と、花梨に念を押すように声を上げた。
 その言葉に少しだけ元気を分けてもらった花梨は、両手でゴーニャの柔らかい頬を包み、プニプニと突っついたり優しくつまんでいじくり始める。

「花梨っ、くすぐったいわっ」

「もう少しだけこうさせて。ゴーニャの柔らかいほっぺたを触っていると、なんだか元気が出てくるんだ」

「そうなの? じゃあ、どんどん触ってちょうだいっ」

「うん、ありがと」

 微笑んでいるゴーニャの頬を触り続けていると、花梨は自然と笑みをこぼし、モヤモヤとしている頭の中が少しずつではあるが、だんだんと軽減して晴れていく。
 そして、ゴーニャからありったけの元気を分けて貰うと、すっかりと本調子に戻り、炭酸泉の湯を満喫しつつ夜空を見上げ、月や星の光よりも明るい鼻歌を歌い始めた。
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