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19話-1、妖怪の血を呼び覚ます、満月の光。その1
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ぬらりひょんが念を押し、必ず支配人室に来るようにと言われた夕方の五時前。
温泉街で食べ歩きをして時間を潰していた三人は、永秋の前で座敷童子の纏と別れた。残った花梨とゴーニャは、今日食べた料理の感想を和気あいあいと話し合い、目的の支配人室へと向かっていく。
いつものように、キセルの白い煙が充満している支配人室に入るや否や。書斎机の上に座り、待ち構えていたぬらりひょんが「うんうん」と感心し、キセルの煙をふかした。
「ちゃんと時間通りに来たな、よろしい」
「あれだけ念を押されたら、イヤでも来ちゃいますよ。それで、今日はこの後なにかあるんですかね?」
「うむ、説明に入ろう。今宵は妖怪達にとって非常に厄介である、満月が出る夜だ」
「満月? ……あっ」
満月という単語を耳にした花梨は、かつて薬屋つむじ風でカマイタチの辻風から聞いた忠告を、ハッキリとかつ鮮明に思い出し、愕然とした。
キセルの煙を吸ったぬらりひょんが、口から白い煙を漏らしながら説明を続ける。
「満月の光を浴びた妖怪は、気が荒ぶって凶暴性が増し、己を抑制できなくなるんだ。温泉街で店を構えている妖怪達は、ある程度耐えられるが一般客はそうもいかん。この温泉街では殺しはもちろん、殴り合いなどの喧嘩もご法度だが……。一斉に暴動が始まるもんだから、そうは言ってられんのだ」
「はあ……。だから、今日は早めの帰宅というワケですね」
「いや、正直ここ永秋も危ないっちゃあ危ない。だから、お前さん達に金を渡すから避難所に行ってこい」
そう説明したぬらりひょんは、和服の袖から剥き出しの一万円札を二枚取り出した。花梨とゴーニャにそれぞれ一万円ずつ渡すと、花梨が、貰った一万円札をじっと眺めてからぬらりひょんに視線を移す。
「避難所、ですか。どこですかね?」
「居酒屋浴び呑みだ。酒羅凶と酒天がいるだろう? あのコンビは、腕っぷしだけなら温泉街随一の強さを誇る。既にあいつらには話をつけてあるから、護ってもらってこい。一晩そこで泊まるもよし。収拾がついてから永秋に帰ってくるもよし、だ」
「居酒屋浴び呑みかぁ、了解です! それじゃあゴーニャ、夜ご飯食べに行こっか」
ぬらりひょんからの不穏な説明が終わり、二人は早々に支配人室を後にする。外に出ると、オレンジ色に燃えている夕焼け空が、薄っすらと紫色に色づき始めていた。
タイムリミットが迫っている空を見上げた花梨が、「まずいなぁ。ゴーニャ、抱っこしてあげるね」と、本人の意思を聞く前に抱え上げ、駆け足で人通りが疎らな大通りを走り抜けていく。
せっかちな一番星が顔を出し、紫色に染まる空が徐々に濃さを帯びていく中。息を荒げている花梨が居酒屋浴びの前に着くと、急いで建物の中へと入る。
安心したようにため息をつくと、目の前に、太い棘が無数に付いた金棒を、肩に置いて立っている酒天の姿があり、二人の姿を確認すると、ニッと笑みを浮かべて口を開いた。
「いらっしゃーい、待ってたっスよー」
「酒天さん、こんばんは。今日はよろしくお願いします」
「はいっス! 抱っこされてる小さい子がゴーニャちゃんっスね。初めまして、茨木童子の酒天っス! どうぞよろしくっスー」
酒天が、ゴーニャに目を向けて自己紹介をするも、獣染みた黄金色の瞳に臆してしまったゴーニャが、一瞬だけ小さな体をビクッと波立たせる。
「は、はじめまして……。ゴーニャ、です」
「花梨さんの体に引っ付いちゃってー、カワイイっスねー。それじゃあ奥のカウンター席に案内しま―――、イダッ!」
二人をカウンター席に案内しようとした酒天が、前を向いた瞬間。酒に飲まれてすっかりと出来上がり、不可思議な踊りをしていた客とぶつかり、その場に倒れて強く尻餅をついた。
その姿を見た花梨は、慌ててゴーニャを下ろしてから酒天の元に駆け寄り、しゃがみ込んで手をあたふたをさせる。
「大丈夫ですか? かなり派手に転びましたけど……」
「こんなの全然平気っス。店長の蹴りやパンチに比べりゃ、屁でもないっスよー」
「そ、それと比べられると、確かにそうですね……」
「ご心配ありがとうございます。んじゃ、改めてカウンター席に案内するっス。着いてきてください」
そう言ってから酒天が立ち上がり、尻に付いたホコリを手で払うと、二人を改めて一番奥のカウンター席へと案内する。
ゴーニャの体を抱えて席に座らせると、花梨も一つ奥の席に腰を下ろす。そして、お冷とおしぼりを持ってきてテーブルに並べた酒天が、金棒を肩に置いてからにんまりと笑った。
「それじゃあ、あたしは入口の見張りに戻るっス。メニューが決まったら、厨房にいる人に声を掛けてくださいっス」
「入口の見張り、ですか」
「ええ。店長が禍々しい殺気を放ってるんで、満月の光を浴びた妖怪が店内に入り込んでくることはないと思うんスけど、念には念をっス」
「げっ……。厨房にいる酒羅凶さんに声を掛けるのが怖いなぁ……」
「安心して下さいっス、店長も二人の味方っスから! それでは、ごゆっくりどうぞー」
酒天が説明を終えると、背を向けて店の入口へと向かっていく。肩に置いていた金棒の先を床に叩きつけると、何の危機感も無く鼻歌を歌い始めた。
横目で酒天を見送った花梨がおしぼりで手を拭き、お冷を飲んで乾いた喉を潤すと、ゴーニャと共にメニュー表を眺め始める。
居酒屋とあってか一ページ目から酒の欄があり、そこにはかつてここの仕事の手伝いをした際、試し飲みをした超特濃本醸造酒が載っており、『店長オススメ』と大きな赤文字でアピールされていた。
「おっ、超特濃本醸造酒がある! あまりお酒は飲まないんだけど、これだけは飲んじゃおうかなぁ?」
「ねえ花梨っ、どれがおいしい物なのかしら?」
「ああ、そっか。ゴーニャは初めて見る料理ばかりだから、全然分からないよねぇ。私が選んだ料理でもいい?」
「いいわっ! 花梨が選んだ物は、絶対においしいから!」
「ぜ、絶大なる信頼度よ……。よーし、どんどん頼むぞー!」
料理の管理を託された花梨は、手始めに飲み物を選び始める。やはり酒を飲むのはやめたのか、花梨はウーロン茶。ゴーニャにはオレンジジュースに決めて店員に注文し、そこから一品料理の欄に目を移す。
若鶏の唐揚げ、鶏のなんこつ、手羽先、フライドポテト、一口餃子。ホッケやししゃもに、ワカサギの天ぷら。シーザーサラダ、サーモンのマリネやキャベツのゴマ油和え。
その他もろもろある膨大な量のメニューを、目を泳がしながら見ていた花梨は、ヨダレを垂らしつつ「……全部食べたいな」と、選ぶ事が出来ずにボソッと呟く。
あまりゴーニャを待たせるワケにもいかないと思い、無難に唐揚げ、フライドポテト、トマトサラダ、キャベツのゴマ油和えをチョイスし、ちょうど飲み物を持ってきた店員に再度注文すると、ゴーニャにオレンジジュースを差し出した。
「うーむ、オニオンリングやほうれん草のベーコンバター、何でもあるなぁ……。やはり全部食べたい……」
「見て花梨っ、いろんな色のアイスクリームがあるわっ」
「そうか、デザートもあるんだったな……。こりゃあ、入り浸るしかないじゃないか! ぬらりひょん様から貰った二万円だけで足りるかなぁ?」
既に飢え切っている花梨は、もはや値段は目に入っておらず、メニュー表にある料理の写真しか見えていなかった。
そして、「いっそのこと、メニュー表にある料理を全部頼むか……?」と、暴走し始めた瞬間。入口にある扉を通し、外から普段は決して耳にする事のない狂った言動や、罵声や奇声の嵐、断末魔のような叫び声が上がり始めた。
その物騒な単語羅列が耳に入ると、花梨は咄嗟に「ゴーニャ、私と席を交換しよう」と言いながら立ち上がり、有無を言わさずにゴーニャを抱きかかえ、自分が座っていた一つ奥の席へと座らせた。
不意の出来事に呆気を取られ、不思議に思ったゴーニャが目をパチクリとさせると、首を傾げながら花梨に目を向ける。
「花梨っ、急にどうしたの?」
「いやー、特に意味はないよ。料理まだかなー」
「……? 変な花梨っ」
適当に誤魔化した花梨は、ゴーニャが元いた席へと腰を下ろす。音を一切立てず、リュックサックから剛力酒が入った赤いひょうたんを取り出すと、ゴーニャの死角にそっと置いた。
入口にいた酒天も「おっ、始まったっスねー!」と声を弾ませつつ、金棒を振り回して体を温め、ウォーミングアップを始める。
酒天の後ろ姿を睨みつけた花梨は、酒天さんと酒羅凶さんがいるし……、大丈夫かな。とりあえず、いつでも剛力酒を飲める準備をしておいて、ゴーニャを必ず守らないと。と、一人静かに心の中で覚悟を決めた。
最悪の場面を想定している中。しばらくすると、花梨が頼んだ料理が目の前にどんどん運ばれて来て、その数多の匂いが混ざった湯気を浴びると、二人は一斉に腹の虫を鳴らす。
待ちわびていたゴーニャが、割り箸をパッと手に取ると、キラキラと輝かせた目を花梨に向けた。
「花梨っ、どれがおいしい食べ物かしら!?」
「ふふっ、どれも全部美味しいよ。それじゃあ、いただきまーす!」
「いただきますっ!」
外から流れてくる不穏な騒音を吹き飛ばすように、夜飯の号令を高らかに叫ぶと、二人だけの楽しい宴が幕を開ける。
既に料理は二の次三の次にしている花梨は、外から流れてくる罵詈雑言や阿鼻叫喚がゴーニャの耳に入り込まぬよう、わざと大きな声で味の感想を大袈裟に述べたり、間髪を入れずにゴーニャに語り掛けた。
普段よりもやたら話しかけてくる花梨に、ゴーニャは違和感を覚えつつも「おいしいわっ!」と微笑み、出来立てで中が熱々の唐揚げに息を吹きかけ、ゆっくりと頬張っていく。
その間にも花梨は入口の警戒を怠らず、会話も絶やさぬようメニュー表を見ては料理をすぐ頼み、明るい雰囲気を壊さずに保ったまま、賑やかな宴を続けていった。
温泉街で食べ歩きをして時間を潰していた三人は、永秋の前で座敷童子の纏と別れた。残った花梨とゴーニャは、今日食べた料理の感想を和気あいあいと話し合い、目的の支配人室へと向かっていく。
いつものように、キセルの白い煙が充満している支配人室に入るや否や。書斎机の上に座り、待ち構えていたぬらりひょんが「うんうん」と感心し、キセルの煙をふかした。
「ちゃんと時間通りに来たな、よろしい」
「あれだけ念を押されたら、イヤでも来ちゃいますよ。それで、今日はこの後なにかあるんですかね?」
「うむ、説明に入ろう。今宵は妖怪達にとって非常に厄介である、満月が出る夜だ」
「満月? ……あっ」
満月という単語を耳にした花梨は、かつて薬屋つむじ風でカマイタチの辻風から聞いた忠告を、ハッキリとかつ鮮明に思い出し、愕然とした。
キセルの煙を吸ったぬらりひょんが、口から白い煙を漏らしながら説明を続ける。
「満月の光を浴びた妖怪は、気が荒ぶって凶暴性が増し、己を抑制できなくなるんだ。温泉街で店を構えている妖怪達は、ある程度耐えられるが一般客はそうもいかん。この温泉街では殺しはもちろん、殴り合いなどの喧嘩もご法度だが……。一斉に暴動が始まるもんだから、そうは言ってられんのだ」
「はあ……。だから、今日は早めの帰宅というワケですね」
「いや、正直ここ永秋も危ないっちゃあ危ない。だから、お前さん達に金を渡すから避難所に行ってこい」
そう説明したぬらりひょんは、和服の袖から剥き出しの一万円札を二枚取り出した。花梨とゴーニャにそれぞれ一万円ずつ渡すと、花梨が、貰った一万円札をじっと眺めてからぬらりひょんに視線を移す。
「避難所、ですか。どこですかね?」
「居酒屋浴び呑みだ。酒羅凶と酒天がいるだろう? あのコンビは、腕っぷしだけなら温泉街随一の強さを誇る。既にあいつらには話をつけてあるから、護ってもらってこい。一晩そこで泊まるもよし。収拾がついてから永秋に帰ってくるもよし、だ」
「居酒屋浴び呑みかぁ、了解です! それじゃあゴーニャ、夜ご飯食べに行こっか」
ぬらりひょんからの不穏な説明が終わり、二人は早々に支配人室を後にする。外に出ると、オレンジ色に燃えている夕焼け空が、薄っすらと紫色に色づき始めていた。
タイムリミットが迫っている空を見上げた花梨が、「まずいなぁ。ゴーニャ、抱っこしてあげるね」と、本人の意思を聞く前に抱え上げ、駆け足で人通りが疎らな大通りを走り抜けていく。
せっかちな一番星が顔を出し、紫色に染まる空が徐々に濃さを帯びていく中。息を荒げている花梨が居酒屋浴びの前に着くと、急いで建物の中へと入る。
安心したようにため息をつくと、目の前に、太い棘が無数に付いた金棒を、肩に置いて立っている酒天の姿があり、二人の姿を確認すると、ニッと笑みを浮かべて口を開いた。
「いらっしゃーい、待ってたっスよー」
「酒天さん、こんばんは。今日はよろしくお願いします」
「はいっス! 抱っこされてる小さい子がゴーニャちゃんっスね。初めまして、茨木童子の酒天っス! どうぞよろしくっスー」
酒天が、ゴーニャに目を向けて自己紹介をするも、獣染みた黄金色の瞳に臆してしまったゴーニャが、一瞬だけ小さな体をビクッと波立たせる。
「は、はじめまして……。ゴーニャ、です」
「花梨さんの体に引っ付いちゃってー、カワイイっスねー。それじゃあ奥のカウンター席に案内しま―――、イダッ!」
二人をカウンター席に案内しようとした酒天が、前を向いた瞬間。酒に飲まれてすっかりと出来上がり、不可思議な踊りをしていた客とぶつかり、その場に倒れて強く尻餅をついた。
その姿を見た花梨は、慌ててゴーニャを下ろしてから酒天の元に駆け寄り、しゃがみ込んで手をあたふたをさせる。
「大丈夫ですか? かなり派手に転びましたけど……」
「こんなの全然平気っス。店長の蹴りやパンチに比べりゃ、屁でもないっスよー」
「そ、それと比べられると、確かにそうですね……」
「ご心配ありがとうございます。んじゃ、改めてカウンター席に案内するっス。着いてきてください」
そう言ってから酒天が立ち上がり、尻に付いたホコリを手で払うと、二人を改めて一番奥のカウンター席へと案内する。
ゴーニャの体を抱えて席に座らせると、花梨も一つ奥の席に腰を下ろす。そして、お冷とおしぼりを持ってきてテーブルに並べた酒天が、金棒を肩に置いてからにんまりと笑った。
「それじゃあ、あたしは入口の見張りに戻るっス。メニューが決まったら、厨房にいる人に声を掛けてくださいっス」
「入口の見張り、ですか」
「ええ。店長が禍々しい殺気を放ってるんで、満月の光を浴びた妖怪が店内に入り込んでくることはないと思うんスけど、念には念をっス」
「げっ……。厨房にいる酒羅凶さんに声を掛けるのが怖いなぁ……」
「安心して下さいっス、店長も二人の味方っスから! それでは、ごゆっくりどうぞー」
酒天が説明を終えると、背を向けて店の入口へと向かっていく。肩に置いていた金棒の先を床に叩きつけると、何の危機感も無く鼻歌を歌い始めた。
横目で酒天を見送った花梨がおしぼりで手を拭き、お冷を飲んで乾いた喉を潤すと、ゴーニャと共にメニュー表を眺め始める。
居酒屋とあってか一ページ目から酒の欄があり、そこにはかつてここの仕事の手伝いをした際、試し飲みをした超特濃本醸造酒が載っており、『店長オススメ』と大きな赤文字でアピールされていた。
「おっ、超特濃本醸造酒がある! あまりお酒は飲まないんだけど、これだけは飲んじゃおうかなぁ?」
「ねえ花梨っ、どれがおいしい物なのかしら?」
「ああ、そっか。ゴーニャは初めて見る料理ばかりだから、全然分からないよねぇ。私が選んだ料理でもいい?」
「いいわっ! 花梨が選んだ物は、絶対においしいから!」
「ぜ、絶大なる信頼度よ……。よーし、どんどん頼むぞー!」
料理の管理を託された花梨は、手始めに飲み物を選び始める。やはり酒を飲むのはやめたのか、花梨はウーロン茶。ゴーニャにはオレンジジュースに決めて店員に注文し、そこから一品料理の欄に目を移す。
若鶏の唐揚げ、鶏のなんこつ、手羽先、フライドポテト、一口餃子。ホッケやししゃもに、ワカサギの天ぷら。シーザーサラダ、サーモンのマリネやキャベツのゴマ油和え。
その他もろもろある膨大な量のメニューを、目を泳がしながら見ていた花梨は、ヨダレを垂らしつつ「……全部食べたいな」と、選ぶ事が出来ずにボソッと呟く。
あまりゴーニャを待たせるワケにもいかないと思い、無難に唐揚げ、フライドポテト、トマトサラダ、キャベツのゴマ油和えをチョイスし、ちょうど飲み物を持ってきた店員に再度注文すると、ゴーニャにオレンジジュースを差し出した。
「うーむ、オニオンリングやほうれん草のベーコンバター、何でもあるなぁ……。やはり全部食べたい……」
「見て花梨っ、いろんな色のアイスクリームがあるわっ」
「そうか、デザートもあるんだったな……。こりゃあ、入り浸るしかないじゃないか! ぬらりひょん様から貰った二万円だけで足りるかなぁ?」
既に飢え切っている花梨は、もはや値段は目に入っておらず、メニュー表にある料理の写真しか見えていなかった。
そして、「いっそのこと、メニュー表にある料理を全部頼むか……?」と、暴走し始めた瞬間。入口にある扉を通し、外から普段は決して耳にする事のない狂った言動や、罵声や奇声の嵐、断末魔のような叫び声が上がり始めた。
その物騒な単語羅列が耳に入ると、花梨は咄嗟に「ゴーニャ、私と席を交換しよう」と言いながら立ち上がり、有無を言わさずにゴーニャを抱きかかえ、自分が座っていた一つ奥の席へと座らせた。
不意の出来事に呆気を取られ、不思議に思ったゴーニャが目をパチクリとさせると、首を傾げながら花梨に目を向ける。
「花梨っ、急にどうしたの?」
「いやー、特に意味はないよ。料理まだかなー」
「……? 変な花梨っ」
適当に誤魔化した花梨は、ゴーニャが元いた席へと腰を下ろす。音を一切立てず、リュックサックから剛力酒が入った赤いひょうたんを取り出すと、ゴーニャの死角にそっと置いた。
入口にいた酒天も「おっ、始まったっスねー!」と声を弾ませつつ、金棒を振り回して体を温め、ウォーミングアップを始める。
酒天の後ろ姿を睨みつけた花梨は、酒天さんと酒羅凶さんがいるし……、大丈夫かな。とりあえず、いつでも剛力酒を飲める準備をしておいて、ゴーニャを必ず守らないと。と、一人静かに心の中で覚悟を決めた。
最悪の場面を想定している中。しばらくすると、花梨が頼んだ料理が目の前にどんどん運ばれて来て、その数多の匂いが混ざった湯気を浴びると、二人は一斉に腹の虫を鳴らす。
待ちわびていたゴーニャが、割り箸をパッと手に取ると、キラキラと輝かせた目を花梨に向けた。
「花梨っ、どれがおいしい食べ物かしら!?」
「ふふっ、どれも全部美味しいよ。それじゃあ、いただきまーす!」
「いただきますっ!」
外から流れてくる不穏な騒音を吹き飛ばすように、夜飯の号令を高らかに叫ぶと、二人だけの楽しい宴が幕を開ける。
既に料理は二の次三の次にしている花梨は、外から流れてくる罵詈雑言や阿鼻叫喚がゴーニャの耳に入り込まぬよう、わざと大きな声で味の感想を大袈裟に述べたり、間髪を入れずにゴーニャに語り掛けた。
普段よりもやたら話しかけてくる花梨に、ゴーニャは違和感を覚えつつも「おいしいわっ!」と微笑み、出来立てで中が熱々の唐揚げに息を吹きかけ、ゆっくりと頬張っていく。
その間にも花梨は入口の警戒を怠らず、会話も絶やさぬようメニュー表を見ては料理をすぐ頼み、明るい雰囲気を壊さずに保ったまま、賑やかな宴を続けていった。
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