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 今朝はなんだか全体的にふわふわしている。
 起きてから回復魔法をかけてもらったので、唇の腫れも引いて、疲弊していた体力も大分マシになったと思う。起きるのに問題はないけれど、昨日の余韻を引きずっているのかもしれない。

 昨夜のことを思い出し、顔が熱くなる。紅潮した顔を隠すように、僕は抱えていた枕に顔を埋めた。

 あの後、ユーリは沢山マーキングとキスをしてくれた。仲直りして、ちゃんと告白出来たことで僕も舞い上がってしまい、最後に余計なことを言っちゃった気がする。そこから先はまともに会話も出来ずに、ずーっとユーリから執拗なキスを受けていた。でも、普段は冷静で落ち着いた彼が、切羽詰まった表情でしてくるキスは、正直言ってすごく良かったな……。受け入れるのに精一杯で、自分からキスを返せなかったのは少し心残りかもしれない。
 思い出す記憶が鮮明ではなく、少しぼんやりしているのは、きっと夢のような時間だったからだろう。


「おはよう、イネス。体調は大丈夫?」

 低くて優しい声が耳元で響き、僕は驚いて枕から顔を上げた。
 制服に着替えたユーリが、朝の光に照らされて一段と輝いて見える笑顔で、自分を見つめている。思わずぽーっとして見返していると、ユーリは僕の頬をそっと撫でてきた。

「まだ夢見心地って感じだな。どうする? 今日は休むか?」
「ううん、大丈夫。休むと勉強が遅れて困るから、授業にはちゃんと出なきゃ……」
「そうか。いーちゃんは真面目だからそう言うと思ってたが、そろそろ着替えないと遅刻するぞ? いや……俺が手伝えば良いのか。よし、そうしよう」

 ユーリはご機嫌そうに、僕の制服を手に取る。朝はいつもいたずらしてきて、時間がないからって魔法で着替えさせるのに。
 なんだか恋人というよりは、自分が子供になったようで少しおかしい。くすりと笑うと、ユーリがネクタイを結んでいた手を止め、小首を傾げた。

「ふふっ、なんでもないよ。着替えを手伝ってくれて、ありがとう」
「……お代はキスで良いぞ?」
「ユーリが自主的にしてくれたのに?」
「着替えさせてやりたかったが、今キスもしたくなった」
「んー……」

 僕の返事を待たずに、キスをされてしまった。軽いキスだと思ったら、すぐに舌が滑り込んできて、僕はびくりと体を震わせる。逃げようにも、後頭部をがっしり掴まれていては難しい。僕が気を失わないよう、一応手加減をしてくれているみたいだけれど、強引さに異議を申し立てようと、絡まるユーリの舌を甘噛みしてみた。

 ユーリは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべると、逆に僕の唇を甘噛みし返してくる。腕を突っぱねて止めようとしたのに、今度は舌を絡めて吸い上げてくるものだから、僕は頭が真っ白になった。
 気付いた時には、ユーリのシャツを力なく握りしめていた。

 漸く唇が離され、僕は力が抜けて前に倒れそうになるところを、ユーリがすかさず抱き止めてくれた。

「ゆーりぃ……」

 息を整えながら、恨めしそうに彼を見る。怒ろうとしたのに、舌足らずな声しか出ず、なんだか間抜けな感じになってしまい、台無しだ。
 ユーリも反省はしていないようで「続きはまた夜にやろうね」と耳元で囁いてきて、僕は完全に腰が抜けてしまった。


 おかげで、食堂まではユーリに腰を抱かれて支えられながら移動する羽目になった。横抱きされるのは何とか断ったものの、この体勢も十分に恥ずかしい。それに彼との距離が近くて、周囲からの視線が痛いほど突き刺さってくるのが分かる。

「えっ……信じられない」
「どうしてユリウス様があんな奴に……」
「これは悪い夢に違いない!」
「嘘でしょう、嘘だって言ってよぉ」
「でもさ、あれは……」
「確かに……そうかも……」
「嫌だ、認めたくない……!」

 遠巻きにこちらを見ている生徒達が、ひそひそと何かを話している。なんだろう。いつもの悪口や嫌味とは違い、どちらかといえば、戸惑いや驚きが混ざっているような……?
 それが気になり、僕は周囲を見渡すと、食器返却口の辺りで、友人のベンがぼんやりとこちらを見つめているのに気付いた。こんな時間に珍しい。今日は寝坊でもしたのかな。目が合ったので、小さく手を振って挨拶してみると、彼はぎょっとした表情を浮かべた。

 おかしいな、と首を傾げたのと同時に、ユーリが結界魔法をかけた。周囲からの視線と声がふっと消え、静寂に包まれた。



 ──そうだ! ユーリが僕を支えていたから、いつもより距離が近く、まるで恋人みたいに見えたから、みんな驚いていたんだ。
 いつもならすぐに思い当たる筈なのに、どうやら僕の思考はふわふわし過ぎていたらしい。まさか授業が終わって帰り支度をするまで気付かないなんて……。

 僕たちが恋人になったことは、他の人には隠しておかないと。ユーリが記憶を取り戻した時、困るだろうしね。よし、帰ったらすぐに相談しよう。

 そう思っていた矢先に、ユーリは救護のマチュア先生に呼ばれ、今から医務室へ向かうという。なんでも症状の進捗について聞きたいことがあるとか。
 先に寮へ送ると言うユーリに「課題で必要な本を借りに図書室へ寄りたいから」と僕は首を振った。

「イネスを一人にするのは心配だな……。すぐ戻るから教室で待っていてくれるか?」
「えっ? いや、心配しなくても図書室ぐらい一人で行けるよ。いつも利用してるんだし」
「大人しく待ってろ。ちなみに勝手に教室を出たら、お仕置きするぞ」
「えっ、あっ……」

 そう言い残して、ユーリは瞬間移動で教室から姿を消した。
 呆気に取られつつも、心配性だなぁと内心苦笑していると、ベンが興奮した様子で駆け寄ってきた。

「おいおい! ユリウス様と昨日何があったんだよ!」
「な、何って……?」
「取り敢えずおめでとうで良いのか? あっ、でも今のユリウス様、記憶がないんだよな。それなのに、こんなことして大丈夫なのか……。つかお前もソレ隠さないとヤバいだろ!」
「ソレって?」
「これ見よがしに首に付けてもらったキスマークのことだ、平凡」
「うげぇっ!」

 僕達の会話に割り込んできたのは、美しい顔立ちを怒りに歪ませたルベルだった。いつの間に来たんだろうか。ぶるぶると肩を震わせながら、チョコレート色の目で鋭く睨む姿に、僕は思わず息を呑み後ずさる。

「許せない……。記憶を失ったユリウス様を騙して、私を遠ざけさせた上に、自分のモノにするなんて……! 才能も美貌もないただの幼馴染みが! 嫌われてる癖に、調子に乗りやがって!!」
「まっ……待てよ、落ち着けってルベル。お前、目がちょっとヤベェぞ?」
「うるさい! 邪魔をするなっ!!」
「うわっ!」
「ベン!」

 興奮するルベルを宥めようと間に入ったベンが蹴り飛ばされ、床に転がる。背中から倒れたので、怪我がないか確認しに駆け寄ろうとしたが、ルベルが僕の腕を掴んで引き留めた。爪が服越しに食い込み、痛みが走る。

「い、痛っ……!」
「嘘つきめ! 貴様なんかにユリウス様は渡さない! 早く元に戻せよ! あの方に相応しいのは私だけだ!!」
「ちょっ、暴力はまずいって!」
「ヤバい、ルベルを取り押さえろ!」
「せ、先生を呼べっ!!」

 薄桃色の髪を振り乱し、掴みかかってくるルベルを、彼の仲間やクラスメート達が慌てて止めに入った。心臓がバクバクと音を立て、冷や汗が背中を伝う。早く逃げないといけないのに、怖くて足が動かない。伸ばされた手が目の前に迫り、僕は思わず目を瞑り、腕で顔を庇った。

 その瞬間、びしっという音がして、ルベルは木の枝のようなもので上半身を拘束され、床に膝をついていた。助けてくれたのは、タイミング良く戻ってきたユーリだった。

「何をしている?」

 冷ややかなユーリの声に、教室内はしんと静まり返る。周囲にはひんやりとした空気が漂い、大気中のマナがざわついていた。ユーリが怒っているのは明らかで、ルベルは青ざめた顔をしている。そんな彼をユーリは冷たく一瞥し、もう一度尋ねた。

「何をしている、と聞いているんだ」
「わ、私はただ……こいつが、貴方を騙しているのが許せなくて……!」
「……いい加減にしろ。誰がお前にそんなことを頼んだ? 俺はお前に『付きまとうな』とハッキリ言った筈だが覚えていないのか?」
「覚えてます……。ですが、貴方は記憶を失っていて、まともな判断が出来てないじゃないですか! だって、私たちの仲を引き裂こうとするこの男は、貴方に嫌われずっと疎まれていたんですよ! それなのに、こいつは恋人面して貴方に近付く卑怯者なんです!!」

 ユーリの視線がこちらに移り、僕は制服の裾をぎゅっと握りしめる。
 確かに、自分がユーリに嫌われていたことをまだ伝えられていなかった。騙していると言われても仕方がない。昨日、ちゃんと言えば良かった……。

「……あの、ユーリにはまだ言えてなかったけれど、昨日、僕たちが仲違いして疎遠になった話はしたよね? 実は続きがあって、僕はその時からユーリに嫌われていたんだ……。伝えるのが遅くなってごめん……」

 情けなくも声が震える。嘘をついていた訳ではないけれど、わざと隠していたように感じたらどうしよう。
 でも、ユーリは僕の言葉を静かに聞いて受け止めてくれた。彼は深く息を吐く。

「違う……俺は嫌ってなかった」
「えっ?」
「…………いや、嫌いだと思ったことなんて、一度もない。だって俺は……」

 続けようとしたユーリの言葉は、ルベルにより遮られた。

「そんな筈ない! ユリウス様は記憶がないから……こいつに操られてるから、そう思わされてるだけです!!」

 そう叫んだルベルの瞳には、嫉妬と憤怒が渦巻いていている。ユーリは冷ややかな視線をルベルに向け、毅然とした態度で言い放つ。

「だとしてもお前には関係ない。俺の恋人は今も昔もイネスだけだ。俺は子供の頃からイネスだけを愛していたし、結婚しようと約束もしていた。誰が何を言おうと、俺の気持ちは変わらない。だからもし、お前がイネスに何かしようとするなら、絶対に許さない。楽に死ねると思うな」

 ユーリの宣言に圧され、ルベルはショックで言葉を失ったようだ。僕も皆も、何も言えずにただ黙っていた。

 パタパタと、遠くから足音と声が聞こえる。先生を連れて、誰かが戻ってきたらしい。

「イネス、行こう」

 立ち尽くす僕の手を引き、ユーリは歩き出す。教室を出る直前、振り返って見たルベルの顔は怒りに歪み、ぎりりと歯ぎしりしながら何かを呟いていた。


「絶対に……許さない!」


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