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 あの日以降、ユーリは隙あらば僕の唇を奪ってくるようになった。
 一応、遠慮をしてくれてはいるのか場所はユーリの部屋だけで、貪るような激しいキスをされるのは、僕が気絶してご飯を食べ損なわないように夕食後以降だ。

 軽く唇を合わせるキスや、おでこや頬にされるキスは胸がドキドキするものの、幸せな気持ちになる。特にキスをしながらぎゅっと抱きしめられると、僕達が恋人同士だと錯覚してしまいそう。でも、大人のキスは頭が真っ白になって絶対に抵抗出来ないし、身体を触られてえっちな気分になるので苦手だな。恋人でもないのに、はしたなくユーリにもっと触って欲しいとせがんでしまいそうになるから。

 記憶が戻った際、ユーリの今の記憶がどうなるかは分からない。全部忘れてしまうかもしれないし、覚えているなら僕とした行為を思い出してきっと不快な気持ちになるだろう。
 幸いにも、僕が良い仲だと思っていたルベルとは恋人同士ではなかったようなので、浮気にはならないけれど。いつか本当にユーリが好きな人と結ばれる時に、僕なんかとキスをした事がトラウマになってしまい、二人の関係がギクシャクしてしまったら?
 だから、ハッキリと断らないといけない。



「……断らないといけないのに。うぅっ、僕はなんて卑怯で最低な人間なんだろう」

 あれから一週間が経ち、ずっとキスやスキンシップを拒もうとしているのに、断りきれずにいる。理由は簡単、僕の意志が弱いからだ。
 好きな人ユーリの幸せを願っているのに、好きな人に求められると拒絶出来ない。触られたら手を払いのけ、抱き締められたら突き飛ばす、そんな意志が……僕にはなかった。

「はぁ。早くユーリの記憶が戻らないかな。じゃないと僕……ダメなのに……うーっ」

 頭を抱えて苦悩する僕の背後から、聞き覚えのある声を耳にし、僕は振り返った。

「おっ。うんうん唸って腹でも壊してる奴がいるのかと思ったら、イネスじゃん。トイレの洗面台こんな所で何を悩んでんだ?」
「……………ベン?」
「おう、久しぶりだな!」

 片手を上げて屈託のない笑顔を見せる友人の姿に、なんだかホッとして肩の力が抜けた。



「いやぁ、ともかくイネスがユリウス様と仲良く生活できてるようで良かったよ」
「あっ、うん。ありがとう」
「ユリウス様の記憶、まだ戻らないんだろう?」
「うん。入学した辺りまで思い出せたみたいだけれど、他は全然。ユーリってば記憶を取り戻そうとする意欲があまりないんだよ。僕以外の人と会話したがらなくて、ちょっと困ってる……」
「ふーん、ユリウス様でも人見知りするんだな。あー、だからか。お前と話したいことあったのに、ユリウス様から話しかけるなオーラが出てて、近寄れなかったんだよ。目を離すといつの間にか消えてるしさぁ。今は珍しくお前一人じゃん。おかげで久々に話せたけどな」
「流石にトイレには一人で行ってるから……」

 着いてきたそうにしていたけれど、トイレまで一緒なのは落ち着かないし、恥ずかしいから無理だ。必死に説得をしてもぎ取った唯一の一人の時間だったりする。トイレは安らぎの一時。
 でも、廊下で待っているんだけどね……。

「そういえばベンと喋ったの、確かに久しぶりかも」
「おぅ、二週間ぶりな」
「そ、そうだったっけ……」

 思い返してみると確かに。ベンと目が合えば片手を上げて挨拶はしていたけれど、会話はしてなかったな。僕もずっとユーリとしか喋ってなかったようだ。

「そうそう。いつもお前と組んでいたから、授業の時にペアを組む奴がいなくてどうしようかと焦ってたんだぞ。ま、ハブられちゃったラグウェルと組めるようになったから大丈夫だけど、やっぱ実力の差がなぁ……。あいつ強いし……」
「あぁ、そうか。彼は大丈夫そう?」

 高い背を丸めながら、泣いて謝っていた姿を思い出す。
 ラグウェルは事故が起きた魔法実技の模擬戦で、ユーリの対戦相手をしていたクラスメートだ。勤勉で魔力も高いため、度々ユーリと授業中にペアを組むことがあった。
 その能力を買われて、ユーリの取り巻き達から彼らのグループに所属することを許されていた筈。陰で、夜空のような濃い藍色の髪とそばかすが地味でぱっとしないのはマイナス点だとは言われていたけれど。
 彼自身はクラスメートとも普通に仲良く接していたし、嫌がらせに加担せず、僕にも挨拶をしてくれる優しい人だった。

「ラグウェルの所為でユリウス様が記憶を失ってイネスお前に盗られてしまった! って取り巻きの連中達から敵視されてるぞ。今まで一緒につるんでたのに仲間外れにしやがって、あいつらほんっと幼稚だよな!」
「そんなことになっていたんだ……。ユーリにやめてもらうよう言っても……火に油を注ぐ形になっちゃうよね」
「だろうな。ユリウス様に嫌われた! って騒ぎそう。そんで結局チクったお前にヘイト向かって、全部イネスが悪いってことになるぜ」
「うん、容易に想像がつくね」

 ただでさえ、ユーリに近付けなくて爆発寸前なのに。チョコレート色の目を三角にしながら、怒涛の勢いで貶してくる……だけでは済まなさそう。医務室の前で胸元を掴まれたことがあったけれど、あれよりもっと手荒くされる可能性が?
 うぅっ、想像するだけで恐ろしい。

「あとはユリウス様を手に入れようとしたお前がラグウェルを唆して今回の事件を起こした、なんてのも思われそう」
「うぅ、余計に巻き込みそうで何も出来ない……。ごめん」
「謝んなよ。あれはただの事故だろ、しゃーないって。裏ではサリを始めとしたまともな奴やラグウェルの友人がサポートしてくれてるっぽいから、そんなに心配しなくて大丈夫だぞ」
「サリ達が……。彼ら、優しいよね」
「小心者だけど、いい奴らには変わりねぇもんな」

 僕もユーリの取り巻き達から嫌がらせを受けた時に、サリ達がそれとなく助けてくれた。
 失くし物を探してくれたり、見づらくなった教科書をこっそりと見せてくれたり。ぷくぷくした赤いほっぺでサリが申し訳なさそうに「こんなことしか出来なくてごめん」と謝ってくれたけれど、嬉しかったんだよなぁ。
 もし僕じゃなくて違う人が幼馴染みで、その子が嫌がらせを受けていても、取り巻き達が怖くて僕も表だって庇えないだろうから。

 そうだ。そろそろベンとラグウェルみたいな、熱心なユーリのファンじゃないクラスメート達とも一緒に食事をしたり授業の移動を出来たりしないかな?
 取り巻き達の輪に混ざるのは僕にはちょっと難しいけれど、クラスメート達彼らとなら僕も話しやすい。むやみに追い出したりもしないから、きっと問題なくユーリと一緒に行動できる。ユーリも流石に今のクラスメートの顔を覚えてきただろうし、記憶が戻るきっかけにもなるだろう。
 これならユーリの願いである『離れず傍にいる、他の奴らと共にいるのを強制しない』をクリア出来るから怒らせずに済むよね?
 戻ったら、一緒に交流を深めてみないかと提案してみよう。

 ……それともう一つユーリに伝えないといけないことがある。
 僕はまだ、自分が嫌われていたことを言えていなかった。
 正直、キスとかしちゃってるからとっても言いづらい。ダメな理由を説明する前に食べ物やキスとかで黙らされるからって、流されてばかりじゃいけない。これも今日は絶対に言うぞ!

「ベン! 僕、頑張るから!」
「ん? おう、ラグウェルのことはお前の分まで俺もサポートしておくから、ユリウス様のサポートは任せたぜ。つってもいるか? ってレベルで何していいのか分かんないだろうけど」
「うん、本当にそれ。僕、常に一緒にいる意味はあるのかなって思うもん」
「現状、イチャイチャしてるだけだもんな」
「へっ?」

 悪戯っぽくニヤリと笑われて、顔に熱が集まる。

「しっ、してない……けれど、ベンにはそう見えたんだ?」
「俺は後ろでばっちり見てたぞ~。隣に座りながらユリウス様の腕がお前の腰を抱いていたのをな。あっ、その時ルベルの奴は反対側にいたから見えてなかったと思うんで安心してもいいぜ」

 教室での座学はユーリの隣で一緒に受けていたんだけれど、確かに腰を抱かれた記憶がある。部屋にいる時もされるし。ユーリ曰く手を置きやすいそうで。
 まさかベンに見られていたとは……恥ずかしい。

「あれは、その……授業がどこまで進んだのかを教科書を一緒に確認してて……それで距離が……」
「腰を抱く必要あるかぁ?」
「うっ。…………そうだよね、僕もそう思う。記憶喪失になってからのユーリは甘えん坊で意地悪なんだ。でも、それも記憶が戻るまでだと思うから……」
「そっか。記憶が戻ってもさ、お前が面倒見てくれたことをきっかけに仲直り出来るといいな」
「うん、ちょっと望みは薄いけれど……。ありがとう」

 ベンには僕とユーリが仲の良い幼馴染みだったということを話していた。僕がユーリに冷たい言葉をかけられていたり、取り巻き達からの嫌がらせを目撃するといつも気にかけ、声をかけてくれている。

「ふふっ。僕、ベンのそういう所好きだよ」
「えっ、なんだよ。へへっ、そんなん照れるじゃんよ。俺もー、イネスのこと愛してるぜい!」
「はいはい、ありがとう」
「おい雑に受け止めんなよ。……っと、話しすぎたな。これから部活だからもう行くわ」
「頑張ってね」
「じゃ、またな!」


 太陽のような笑顔を向けて、ベンはパタパタとトイレから駆け出して行く。
 友人との会話から元気を貰った僕も、思わず口元が緩んだまま外の廊下へ出ると、笑顔を張りつけたユーリが目の前に立っていた。



「随分と楽しそうだったな、イネス」


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