7 / 7
末路
全てが終わってから
しおりを挟む
「もしも、俺があの時に幸せだって、俺たちは正しいんだって思えていたら。なにか変わったのかな」
お決まりのようにしてカフェラテが注がれたコーヒーカップの縁を、意味もなく撫でる。俺の前に座る青年は難しそうな顔をしながら、顎を撫でた。その様がまるでどこぞの名探偵のようで、ついつい笑ってしまう。
まるで、俺が何年経ってもだせそうにない答えをくれそうに見えたからだ。
二十年以上経っても、大学生時代から通っていたこの喫茶店は色褪せることなく、相変わらずなレトロ感を漂わせていた。店主を交代してもなお、ここのフロランタンの味は変わらない。
焼きたての香りをいつかのように楽しみながら、さくりとフォークを刺し込む。
向かい側には、まだ手のつけられていないフロランタンとコーヒーカップが同じようにして並んでいる。彼のコーヒーカップの中身は、子供らしくない苦い液体だが。
「ここの店はフロランタンがおすすめなんだ」と言うと、流れるようにして彼はフロランタンを頼んだ。それからずっと、彼の食べた瞬間の反応を待っているが、なかなかそれは訪れそうにない。
今は真剣な面持ちで考え込む彼も、きっと目を輝かせるのだろうなと思う。そして、俺の好きな満面の笑みを浮かべるんだろう。憎たらしいほどにそっくりな、アイツの笑みを。
目の前の青年は、俺と出会ったときのアイツを少し若くしたような顔だった。
もぐもぐとキャラメルで包まれたアーモンドと生地を食べる。やっぱり俺のなかでのフロランタンと言えばこの喫茶店のもので、何度か作ってみた過去の自作フロランタンは遠く及ばないものだと痛感した。
「少なくとも僕は…」
長い間沈黙を抱えていた青年が口を開く。その間に、俺のフロランタンはもう半分以上消えていた。
「シュウさんのことを、愛していたんだと思います。最初から、最後まで」
アイツによく似た顔で、彼は大切そうに言葉を紡ぐ。無責任だと切り捨ててしまえる言葉だったのに、俺はなにも言い返せずにいた。
アイツが俺のことを愛していた?
そんなわけないだろう。お互い、中途半端な関係になっていたから、俺が解放してあげたのに。
「それで、きっとシュウさんも愛していたんですよ」
「うちの父を」
一瞬だけ、世界が揺れた。
ハッと顔を上げる。彼は少し寂しそうに笑いながら、言葉を続けた。
「お互い愛し合っていたけど、うまく噛み合わなかっただけなんです。そりゃ、浮気に走るのは悪いんですけどね…」
そう頬を掻く彼をじっと見る。
この喫茶店の前で待ち合わせして初めて会ったときから、ハジメに瓜二つだと思っていた顔。よく見てみれば、笑うと少し下がる目尻だとか、そういうところは違った。
きっと彼の母親―――ハジメの妻に似た部分なんだろう。
「シュウさんが言っていた、正しい人生っていうのもあながち間違っていないとは思います」
「……」
「でも、二人の幸せ以上に大切なものなんてないとも思いますよ」
俺と別れた後、噂でハジメは結婚したと聞いた。大学時代の後輩がたまたま入社してきて、彼女の教育係になったのだと。そこから時を重ね、二人は結ばれることとなったらしい。連絡をとる手段すら捨てたから、ハジメ本人から色々聞くことはなかったが、子供も産まれてきっと正しい幸せな人生を送っているのだろうと思っていた。
実際こうして俺の目の前にいる彼は、ハジメの息子だ。
よく似ているけど、些細な相違点を俺の懐かしい記憶がやんわりと否定する。
「最期まで、父はシュウさんのことを言っていました。『お前も母さんももちろん大切だ。でも、もう一人俺には大切にしたかった人がいるんだ』って。母も知ってたみたいです」
ハジメは、病魔におかされ半年前に亡くなったのだと言う。
今はもう、ここにはいない。
「どうか、これを受け取ってもらえませんか」
この世界には、もうどこにもいないのだと言う。
彼は鞄から紙を取り出し、俯く俺に差し出した。
それは写真で、中には俺とハジメが映っていた。ケーキを前に、笑顔を浮かべる二人。幸せだと、思い合えていた二人。
震える手でそれを受け取る。ペラっと裏返すと、後ろに見なくなって久しいハジメの字が刻まれていた。
黒いマッキーらしきペンで書かれたそれが、ぼんやりと滲んでいく。
『俺もまた、ケーキを食べたい』
別に、まだハジメが好きだとか、そういう訳じゃない。
それでもどうしても、溢れてくる涙を止めることができなかった。
伝えたい言葉は、沢山溢れてくる。
でも、それを伝える相手がもういないのだ。
俺はそっと後悔を飲み込んだ。
この場には、甘いフロランタンの香りが漂うだけだった。
お決まりのようにしてカフェラテが注がれたコーヒーカップの縁を、意味もなく撫でる。俺の前に座る青年は難しそうな顔をしながら、顎を撫でた。その様がまるでどこぞの名探偵のようで、ついつい笑ってしまう。
まるで、俺が何年経ってもだせそうにない答えをくれそうに見えたからだ。
二十年以上経っても、大学生時代から通っていたこの喫茶店は色褪せることなく、相変わらずなレトロ感を漂わせていた。店主を交代してもなお、ここのフロランタンの味は変わらない。
焼きたての香りをいつかのように楽しみながら、さくりとフォークを刺し込む。
向かい側には、まだ手のつけられていないフロランタンとコーヒーカップが同じようにして並んでいる。彼のコーヒーカップの中身は、子供らしくない苦い液体だが。
「ここの店はフロランタンがおすすめなんだ」と言うと、流れるようにして彼はフロランタンを頼んだ。それからずっと、彼の食べた瞬間の反応を待っているが、なかなかそれは訪れそうにない。
今は真剣な面持ちで考え込む彼も、きっと目を輝かせるのだろうなと思う。そして、俺の好きな満面の笑みを浮かべるんだろう。憎たらしいほどにそっくりな、アイツの笑みを。
目の前の青年は、俺と出会ったときのアイツを少し若くしたような顔だった。
もぐもぐとキャラメルで包まれたアーモンドと生地を食べる。やっぱり俺のなかでのフロランタンと言えばこの喫茶店のもので、何度か作ってみた過去の自作フロランタンは遠く及ばないものだと痛感した。
「少なくとも僕は…」
長い間沈黙を抱えていた青年が口を開く。その間に、俺のフロランタンはもう半分以上消えていた。
「シュウさんのことを、愛していたんだと思います。最初から、最後まで」
アイツによく似た顔で、彼は大切そうに言葉を紡ぐ。無責任だと切り捨ててしまえる言葉だったのに、俺はなにも言い返せずにいた。
アイツが俺のことを愛していた?
そんなわけないだろう。お互い、中途半端な関係になっていたから、俺が解放してあげたのに。
「それで、きっとシュウさんも愛していたんですよ」
「うちの父を」
一瞬だけ、世界が揺れた。
ハッと顔を上げる。彼は少し寂しそうに笑いながら、言葉を続けた。
「お互い愛し合っていたけど、うまく噛み合わなかっただけなんです。そりゃ、浮気に走るのは悪いんですけどね…」
そう頬を掻く彼をじっと見る。
この喫茶店の前で待ち合わせして初めて会ったときから、ハジメに瓜二つだと思っていた顔。よく見てみれば、笑うと少し下がる目尻だとか、そういうところは違った。
きっと彼の母親―――ハジメの妻に似た部分なんだろう。
「シュウさんが言っていた、正しい人生っていうのもあながち間違っていないとは思います」
「……」
「でも、二人の幸せ以上に大切なものなんてないとも思いますよ」
俺と別れた後、噂でハジメは結婚したと聞いた。大学時代の後輩がたまたま入社してきて、彼女の教育係になったのだと。そこから時を重ね、二人は結ばれることとなったらしい。連絡をとる手段すら捨てたから、ハジメ本人から色々聞くことはなかったが、子供も産まれてきっと正しい幸せな人生を送っているのだろうと思っていた。
実際こうして俺の目の前にいる彼は、ハジメの息子だ。
よく似ているけど、些細な相違点を俺の懐かしい記憶がやんわりと否定する。
「最期まで、父はシュウさんのことを言っていました。『お前も母さんももちろん大切だ。でも、もう一人俺には大切にしたかった人がいるんだ』って。母も知ってたみたいです」
ハジメは、病魔におかされ半年前に亡くなったのだと言う。
今はもう、ここにはいない。
「どうか、これを受け取ってもらえませんか」
この世界には、もうどこにもいないのだと言う。
彼は鞄から紙を取り出し、俯く俺に差し出した。
それは写真で、中には俺とハジメが映っていた。ケーキを前に、笑顔を浮かべる二人。幸せだと、思い合えていた二人。
震える手でそれを受け取る。ペラっと裏返すと、後ろに見なくなって久しいハジメの字が刻まれていた。
黒いマッキーらしきペンで書かれたそれが、ぼんやりと滲んでいく。
『俺もまた、ケーキを食べたい』
別に、まだハジメが好きだとか、そういう訳じゃない。
それでもどうしても、溢れてくる涙を止めることができなかった。
伝えたい言葉は、沢山溢れてくる。
でも、それを伝える相手がもういないのだ。
俺はそっと後悔を飲み込んだ。
この場には、甘いフロランタンの香りが漂うだけだった。
283
お気に入りに追加
131
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
息の仕方を教えてよ。
15
BL
コポコポ、コポコポ。
海の中から空を見上げる。
ああ、やっと終わるんだと思っていた。
人間は酸素がないと生きていけないのに、どうしてか僕はこの海の中にいる方が苦しくない。
そうか、もしかしたら僕は人魚だったのかもしれない。
いや、人魚なんて大それたものではなくただの魚?
そんなことを沈みながら考えていた。
そしてそのまま目を閉じる。
次に目が覚めた時、そこはふわふわのベッドの上だった。
話自体は書き終えています。
12日まで一日一話短いですが更新されます。
ぎゅっと詰め込んでしまったので駆け足です。
キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
みどりとあおとあお
うりぼう
BL
明るく元気な双子の弟とは真逆の性格の兄、碧。
ある日、とある男に付き合ってくれないかと言われる。
モテる弟の身代わりだと思っていたけれど、いつからか惹かれてしまっていた。
そんな碧の物語です。
短編。
学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】
罰ゲームって楽しいね♪
あああ
BL
「好きだ…付き合ってくれ。」
おれ七海 直也(ななみ なおや)は
告白された。
クールでかっこいいと言われている
鈴木 海(すずき かい)に、告白、
さ、れ、た。さ、れ、た!のだ。
なのにブスッと不機嫌な顔をしておれの
告白の答えを待つ…。
おれは、わかっていた────これは
罰ゲームだ。
きっと罰ゲームで『男に告白しろ』
とでも言われたのだろう…。
いいよ、なら──楽しんでやろう!!
てめぇの嫌そうなゴミを見ている顔が
こっちは好みなんだよ!どーだ、キモイだろ!
ひょんなことで海とつき合ったおれ…。
だが、それが…とんでもないことになる。
────あぁ、罰ゲームって楽しいね♪
この作品はpixivにも記載されています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
初めまして。
こちらの作品がおすすめに出てきたので読んでみました。
ハッピーエンドでは無いかもしれませんが、しっとり優しい終わり方で好きな雰囲気です♡
次は「林檎を並べても、」を読んでみようと思います!
【誤字報告です】
3話目、フロランタンを食べる瞬間のみタルトタタンになっていました