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ちゃんと、幸を思っているのです!

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(あぁ、あと10分か。)

自分の左手首に巻き付いた銀色の腕時計の針が、開始までの時間を告げている。一刻一刻と時を進めるそれは私にとって、死へのカウントダウンとさして変わりはなかった。
握りしめた小ぶりのかわいらしい青のブーケが熱い私の手をじんわりと冷やして、気持ちよかった。あまり力を入れてしまうとそのか細い茎なんて容易く折れてしまうことなんて、分かってはいるのになかなか私の八つ当たりは治まりそうにない。

今日をむかえるまで、ずっと胸の中にはムカムカが住み着いていた。
どうやってもそれは私から離れることはなく、汚物としてみなしてもいいほどのその感情は私の脳内を支配し続けた。人と接しているときはまだマシだが、電車を待つ時間だとか中々来そうにない睡魔を引き寄せているときだとか。何気なく見上げた空がただただ綺麗で謎の敗北感を感じたときだとかに、そいつは現れて私の狭い脳内をどっぷりと占領した。腹が立つ。けれど、そいつを生んだ原因を産んだのは紛れもなく私である。

私の中で今もまだ息をしている、恋心ってやつだ。
私の恋心が、忌々しいそいつの母。

(できるだけ早く。この場まで持っていた時点でもう手遅れかもしれないけど、とにかくこの想いを早く捨てないと。)

―――親友の人生のめでたい門出に、硬い笑顔で並ぶなんて最低だ。

ふぅ、と息を吐く。私しかいない、高級感の漂う足の長いカーペットで覆われた廊下の静寂が、ほんの少しだけ破壊された。後を追うようにして、どこか遠くから人の笑い声がしてより一層惨めな気分になった。

息を吐くことで一瞬だけ私のドロドロしたヘドロのような想いが抜けた気がしたが、あくまで気にすぎなかったようだ。ため息は、いつもこうして私を騙す。

私の肋骨の中でドクドクと音をたてる心臓を止められたらいいなと、どことなく自暴自棄に陥りながら思った。嫌な鳴り方をしている。
きっと、胸に耳を当てると鼓膜が裂けるほどの酷い叫び声が聞こえるのだろう。今すぐ、ここで鼓動を止めてあげたい。
そうじゃないと、私が私でなくなってしまいそうだ。

(君と君の大好きな人が運命を誓い合う瞬間なんて、心底見たくない。ただの生地獄じゃん。)

なぜ、西洋の結婚式は誓いのキスだなんて純粋の化けの皮を被った行為をプログラムにいれたのだろう。結婚式に、主役のことを好きな奴が出席している可能性を考えたことはないのだろうか。まあ、清く祝福に溢れた式なんかにそんな邪念を持ったやつが参加することがおかしいだけかもしれないけれど。
恨み言をつらつら並べていると、君が私の肩を叩いた。

いつの間にか、準備は終わっていたようだ。自分のやるせない感情を抑え込んでいたせいで、君が扉を開けたことに気づかなかった私に驚いた。扉に背を向けるようにして立っていたのもあって、予想外のアクションにびっくりする。

いつもとは少し違って露出された私の肩に、丁寧に編み込まれたレースで覆われている君の手が触れる。ほんの少しだけ、化学繊維がちくりと肌を刺した。ほんの僅かな刺激が、脳に伝達される。ふんわりと、粉っぽい化粧品の香りが私の鼻腔をくすぐった。

一瞬、一瞬だけ息ができなくなる。

だけれど、気づけば私の口は自然とまわっていた。習慣とは恐ろしい。君の前では、好かれる自分でありたいと下心を隠して接していたのが裏目に出てしまった。

「あ!さっちゃん、着替え終わったの~?」

いつも通りの聞き慣れた声色が耳に響いて、自分で話していてどこか他人事のように感じた。耳を誰かに塞がれているような、不思議な感覚である。口元に浮かべられた笑みと、テンションの高いいつもの声が怖い。多分全部、私という存在に染み付いてしまったものだった。無意識に手に力を込めると、カサと胸の下から花たちの擦れる音が聞こえた。私は、少しの間忘れていたプレゼントのことを思い出す。

挙式の前に、少しだけ時間をとってもらっていたのだ。忙しいだろうし、おそらく断られるだろうなと思いながらも頼んだお願いが、案外すんなり通って驚いた。君がその時発した「親友だから!」という言葉は、それだけの信頼感を私に寄せてくれていた喜びと共に、別の意味を成して私の心を抉った。
別に、君は何も悪くないのだけれど。
勝手に私が傷ついただけである。

「うん…変じゃ…ないかな?」

恥ずかしそうに頬を染めながら、不安げに問いかける君を噛み締めながら、嫉妬に仮面を被せてとびっきりの笑顔を贈る。この言葉が、君に届きますようにと願いを込めながら。

婚姻届は今日、式が終わってから二人で役所に届けに行くと言っていた。だから、戸籍上まだ君は誰のものでもない。
心はすでに、あの人のものだろうけどさ。
その時点で私はすでに負けているわけだが、少しぐらい足掻かせてくれてもいいんじゃないか。

「もーさっちゃん!大丈夫だよ、とびっきり可愛いから!あとは、さっちゃんの笑顔だけ!」

私の言葉に、君は溢れそうなほどに大きく目を見開く。
君のこちらを覗き込んでくるような大きな瞳。私が好きな君の要素のひとつ。何度、その瞳に私の想いが見透かされていないかと怯えたことか。
最後の準備を意味する薄いベールを通してでも、それだけが見えた。はっきりと。

花嫁がベールを被るのには、悪意や好奇の目から身を守る意味があるらしい。邪悪なものに連れ去られないようにするんだとか。
この場合、私が君の悪魔になってしまうのかな。
別に、君を攫っちゃおうかなんて考えてないけど。

君は瞳を溢れんばかりに大きくしたあと、今までに見たことがないような素晴らしく美しい、言葉じゃ足りないほどの笑顔を浮かべてみせてくれた。それだけできっと、固く閉じている蕾も花を咲かせてしまうと思った。
それほどの、頬を淡く染めた、綺麗なはにかみ。

それを見ただけで、私の視界は彩度が四十パーセントほど上がったような気がする。自分の中に存在する、醜いものが全て肯定されてしまったような錯覚に陥ってしまうのだ。

(ほら、君の笑顔だけでこんなにも私の世界は綺麗になる。)

なぜか、涙が溢れそうな感覚になった。
もしかすると、涙ではないなにかが溢れそうな感覚。

きっと、気づいちゃダメなものだったのかもしれない。
何かが零れ落ちそうな、今までのとは違う、
不思議な、ふしぎな。

「本当…?もねちゃん大好き!ありがとう!」

私の口は言葉を紡がず、ただ開いている。側から見れば、たいそう間抜けな顔をしているだろう。
視界が涙で揺らめいた。ゆらゆらと君の艶のある髪とベールの境界線が曖昧になる。

懐かしい、あの時が脳内を爆ぜた。

『私、そんなもねちゃんも大好きだよ!』

「っ…………。」


ただ、ただただきみがだいすきなんだ。
こいしてたんだ。ほんとうに、ぜったいに。

信じてはくれないだろうけど。

君の幸せを壊さないように、喉元まで迫り上がってきた言葉を噛み砕く。腹の中へと帰っていったそれらは、ひどく重たかった。私がその言葉を言ってしまえば、今まで詰み上げてきたものが崩れ落ちてしまう。
それ以上に、君が綺麗な気持ちで温かな新婚生活に足を踏み入れることができなくなってしまうことが怖かった。

ぐっと堪えて涙が溢れないようにしたところで、私の紅色のシフォン生地に恐ろしく映えていないであろう、君から隠すように背中側にまわしていた花束の存在を思い出した。

「じゃあさっちゃん!まだ式始まる前だけど、これ私からのプレゼントね!」

手の中で今もなお、瑞々しく艶やかな色彩を浮かべるブルースターを君に差し出す。少し強引に押し付けるようにした花束を、君は受け取ってくれた。私の大好きな笑顔を添えながら。

君の動くたびに柔らかい光を生み出す潔白に、森の奥で見上げた空を切り取ったような青とも水色とも言えない独特な色が加わる。
その姿は、やっぱりどこからどうみても可愛い、ただの普通の花嫁だった。

「わぁかわいい!サムシングブルー…だよね?嬉しいな!」

その言葉を聞いて、全てがピタッと治まったような気がした。

サムシングブルー。花嫁の幸福を願う、青いもの。

今の私の心を振ると、きっとカラカラと空虚な音がなるだろう。あまりの軽さに、笑い飛ばせてしまうほどの。
誰からはウソっぽいと言われたけれど、私にとっては一番の心からの笑顔が顔に浮かぶ。

君には幸せでいてほしい。
ずっと、心の底から願ってきたこと。

名前の通り、君だけの幸せを掴んで、笑っていてほしい。君の幸せは、きっと。

キラキラとした瞳でブルースターを見つめる君が視界いっぱいに映る。
ブーケ用のたくさんの綺麗な花たちの中から、その色だけが目に留まった。花屋さんで一番贈りたいと思ったのは、それだった。

いつだって、私の茹だるような嫉妬以前に、一番大切な想いが溢れてやまなかったんだ。


君の人生に、たくさんの有り余るほどの幸福が訪れますように。君が、いつまでも笑っていられますように。


君があの人のものになる前に、これだけは言わせてくれないかな。

「幸、結婚おめでとう。」

私、君が大好きだったんだ。
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