77 / 77
77.静かな鐘の音(完)
しおりを挟む
「……そろそろ、次の子が欲しいかな」
サラの腰を抱き寄せながら、アドリアンはそっとサラの耳元で囁く。腰に回された手が、探るように優しく蠢いた。
顔に血が上るのを感じながらも、サラは押し留めるように、アドリアンの手に自らの手を重ねる。
「……夜に、ね」
甘えるように囁くと、アドリアンは少々名残惜しそうではあったが、手の動きを止めた。
さらにアドリアンは何か言おうと口を開きかけるが、開け放たれたままの扉から何かが入ってきて、口をつぐんだ。
「ぱーぱー」
小さな息子が、よたよたと歩いてきた。すぐ側には、サラの母が孫を見守るように微笑みながら寄り添っている。
「おお、どうした?」
とろけるような笑顔を浮かべて、アドリアンが息子を抱き上げる。視線が高くなったことで、きゃっきゃっとはしゃぐ可愛らしい声が響く。
微笑ましい父と息子の肖像ともいうべき姿を眺めて、サラも自然と口元がほころんだ。
「もうすぐ、夕暮れの時間ですものね。お父様とお母様のお仕事は終わりかな、と思ってそわそわしていたようなの」
サラの母が、軽やかに笑う。孫を見つめる瞳は優しく、幸せに満たされていた。
「あら、もうそんな時間なのね」
いつの間にか、結構な時間が過ぎてしまっていたようだ。幸せな時間というのは、あっという間に流れていくのだと、サラはわずかに目を細める。
「そうか、寂しかったのか? ……って、痛っ! こら! 髪を引っ張るのはやめなさい!」
息子を抱いたままのアドリアンが、悲鳴をあげた。
何事かと思ってサラが目を向けると、息子が厳かな表情で、アドリアンの赤い髪をむんずと握り締めていたのだ。アドリアンが小さな手を押し開き、髪の毛を手放させることに成功したが、叱り付けられても息子の表情は変わらない。
サラは母と二人で顔を見合わせ、つい笑ってしまった。他愛もない日常が、何よりも愛おしい。
やがて、夕暮れを告げる祈りの鐘が鳴り始めた。
サラは母と寄り添って、共に祈りを捧げる。
かつて失っていた祈りも、今は毎日欠かさず行うようになっていた。祈るのは、家族の健康や領民の幸福、そして日々の感謝である。
今は、鐘の音に名前をのせなくても、すぐに呼びかけられる場所に親しい人たちがいる。
後宮にいたときのような、優雅で贅沢な暮らしはないが、あの頃にはなかった幸福がサラを満たしていた。
誰もが憧れるような、国の頂点に立つ女性としての座は失ったが、その代わりに欲しいものがすべて手に入ったのだ。
将来を誓い合った少年は成長し、愛しい夫として側に寄り添ってくれている。可愛い息子にも恵まれた。
いっときは捨てられたと思っていた母は、いつも娘を見守ってくれていた。
やわらかい鐘の音が、サラと愛しい家族を包み込む。
もう、鐘の音が心をかき乱すことはなく、静かな音色は穏やかな温もりを届けてくれるようだった。
サラの腰を抱き寄せながら、アドリアンはそっとサラの耳元で囁く。腰に回された手が、探るように優しく蠢いた。
顔に血が上るのを感じながらも、サラは押し留めるように、アドリアンの手に自らの手を重ねる。
「……夜に、ね」
甘えるように囁くと、アドリアンは少々名残惜しそうではあったが、手の動きを止めた。
さらにアドリアンは何か言おうと口を開きかけるが、開け放たれたままの扉から何かが入ってきて、口をつぐんだ。
「ぱーぱー」
小さな息子が、よたよたと歩いてきた。すぐ側には、サラの母が孫を見守るように微笑みながら寄り添っている。
「おお、どうした?」
とろけるような笑顔を浮かべて、アドリアンが息子を抱き上げる。視線が高くなったことで、きゃっきゃっとはしゃぐ可愛らしい声が響く。
微笑ましい父と息子の肖像ともいうべき姿を眺めて、サラも自然と口元がほころんだ。
「もうすぐ、夕暮れの時間ですものね。お父様とお母様のお仕事は終わりかな、と思ってそわそわしていたようなの」
サラの母が、軽やかに笑う。孫を見つめる瞳は優しく、幸せに満たされていた。
「あら、もうそんな時間なのね」
いつの間にか、結構な時間が過ぎてしまっていたようだ。幸せな時間というのは、あっという間に流れていくのだと、サラはわずかに目を細める。
「そうか、寂しかったのか? ……って、痛っ! こら! 髪を引っ張るのはやめなさい!」
息子を抱いたままのアドリアンが、悲鳴をあげた。
何事かと思ってサラが目を向けると、息子が厳かな表情で、アドリアンの赤い髪をむんずと握り締めていたのだ。アドリアンが小さな手を押し開き、髪の毛を手放させることに成功したが、叱り付けられても息子の表情は変わらない。
サラは母と二人で顔を見合わせ、つい笑ってしまった。他愛もない日常が、何よりも愛おしい。
やがて、夕暮れを告げる祈りの鐘が鳴り始めた。
サラは母と寄り添って、共に祈りを捧げる。
かつて失っていた祈りも、今は毎日欠かさず行うようになっていた。祈るのは、家族の健康や領民の幸福、そして日々の感謝である。
今は、鐘の音に名前をのせなくても、すぐに呼びかけられる場所に親しい人たちがいる。
後宮にいたときのような、優雅で贅沢な暮らしはないが、あの頃にはなかった幸福がサラを満たしていた。
誰もが憧れるような、国の頂点に立つ女性としての座は失ったが、その代わりに欲しいものがすべて手に入ったのだ。
将来を誓い合った少年は成長し、愛しい夫として側に寄り添ってくれている。可愛い息子にも恵まれた。
いっときは捨てられたと思っていた母は、いつも娘を見守ってくれていた。
やわらかい鐘の音が、サラと愛しい家族を包み込む。
もう、鐘の音が心をかき乱すことはなく、静かな音色は穏やかな温もりを届けてくれるようだった。
0
お気に入りに追加
71
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約破棄された令嬢は騎士団長に溺愛される
狭山雪菜
恋愛
マリアは学園卒業後の社交場で、王太子から婚約破棄を言い渡されるがそもそも婚約者候補であり、まだ正式な婚約者じゃなかった
公の場で婚約破棄されたマリアは縁談の話が来なくなり、このままじゃ一生独身と落ち込む
すると、友人のエリカが気分転換に騎士団員への慰労会へ誘ってくれて…
全編甘々を目指しています。
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる
奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。
両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。
それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。
夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。

隻眼の騎士王の歪な溺愛に亡国の王女は囚われる
玉響
恋愛
平和だったカヴァニス王国が、隣国イザイアの突然の侵攻により一夜にして滅亡した。
カヴァニスの王女アリーチェは、逃げ遅れたところを何者かに助けられるが、意識を失ってしまう。
目覚めたアリーチェの前に現れたのは、祖国を滅ぼしたイザイアの『隻眼の騎士王』ルドヴィクだった。
憎しみと侮蔑を感情のままにルドヴィクを罵倒するが、ルドヴィクは何も言わずにアリーチェに治療を施し、傷が癒えた後も城に留まらせる。
ルドヴィクに対して憎しみを募らせるアリーチェだが、時折彼の見せる悲しげな表情に別の感情が芽生え始めるのに気がついたアリーチェの心は揺れるが………。
※内容の一部に残酷描写が含まれます。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
疲れを摂る方法
湯ぶねに入って身体中に湿布を貼る
痛い所に貼る
お風呂でゆっくりすると疲れが取れますね。