純潔の寵姫と傀儡の騎士

四葉 翠花

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75.旅立ち

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 王の最後の子を身ごもったステファニアが、突然病死したという知らせが流れたのは、それから数日後のことだった。
 宮廷のみならず、国中に衝撃が走るような出来事だった。
 それとほぼ同時に、王弟であるバルトロも重篤な病により、保養地で療養することが決定する。

 宮廷の自称事情通の中には、ステファニアの病死とバルトロの病を結びつけて語るものもいた。
 実はバルトロがステファニアに懸想して迫ったものの、拒絶されたために勢い余って殺してしまったというのだ。しかし、そのような醜聞を明らかにするわけにもいかないので、今回のような沙汰が下されたのだ、と。
 この噂はかなりの信憑性を持って流れたのだが、公に問題となることはなく、長い間に渡ってひっそりと語られるに留まった。

 最愛の第一寵姫を失ったゴドフレードの心痛は余りあるもので、げっそりとやつれてしまったと取り沙汰された。
 それを支えたのが、結果的に王の最後の子を産むことになった、ドロテアである。
 月足らずで生まれた女子は、育たないかもしれないという宣告を受けたものの、それを覆すように元気に育っていた。
 いずれ、ドロテアが正妃になるかもしれないという評判だ。

 また、ある近衛騎士が僻地に飛ばされることになったのだが、それはさほど人々の関心を得ることはなかった。
 彼は若く、逞しく、顔立ちも整った優良物件として、一時期は侍女たちの話題にも頻繁に登場したものの、都落ちとなってしまっては、彼女らの関心も一気に失せたのだ。
 いくら小さな領地を与えられたとはいえ、王都から僻地に移されるなど、左遷以外の何ものでもないだろう。
 何が王の不興を買ったのかと、少しだけ囁かれたものの、すぐに噂は立ち消えていった。

 王都を離れる彼の側に、サラという名の美しい妻が寄り添っていたことも、人々にとってはどうでもよいことだった。

「サラ、大丈夫か? 気分が悪くなったら、すぐに言えよ」

 馬車に揺られながら、アドリアンが心配そうにサラの様子をうかがう。身重の妻を気遣っているのだ。

「ええ、大丈夫よ。ありがとう。お母様は大丈夫? 傷は痛まない?」

「もうほとんど良くなったわ、大丈夫よ」

 サラが隣に座る母に尋ねると、穏やかな声が返ってきた。
 バルトロに殴られた母だったが、幸いにも命に別状はなかった。まだ身体には痛々しい打撲の跡が残っているが、大きな怪我もなく、支障なく動けるようになっている。

 母は、ずっと近くでサラを見守ってきたのだという。
 サラが後宮入りしてからは、運よくルチアの庭師となることができたそうだ。だが、第一寵姫となった娘の邪魔をしてはならないと、顔を隠し、口も不自由であることにして、そっと幸せを祈るだけに留めていたという。
 膝が悪いのは本当で、祈りを捧げるときに硬い床の上で跪いていたことが原因であるらしい。

 サラが裏切られたと思った、母の新しい夫というのは嘘だった。
 エルドナート侯爵家の養女となれば、上級貴族の娘として幸せになれるだろうと、涙をのんでサラを手放したのは本当だが、新しい夫などいないとのことだ。
 いつか実家のある町で見た、男と寄り添う母の姿は、サラの近況を聞いて手紙を受け取っていたところだったらしい。
 これも、エルドナート侯爵が仕組んだことだったのだと、サラは悔しさと母に対する罪悪感でいっぱいになってしまう。

 しかし、やっと誤解も解けて、これからは母と共に暮らすことができるのだ。
 サラがアドリアンに母のことを話すと、彼はぜひ一緒に暮らそうと言ってくれた。これから、新しい地で新たな生活が始まるのだ。

「……王都が、遠ざかっていくわね」

 感慨深く呟きながら、サラは窓の外に視線を移す。
 第一寵姫ステファニアとして国王の寵愛を受けた後宮での日々、そして傀儡の術をかけられたアドリアンとの予期せぬ出会いと、断ち切れない糸に苦しんだことが思い出される。
 甘い行為に溺れた日々が浮かんできて、少しだけ頬に熱がこもるのを感じながら、サラはごまかすように自らの腹をさすった。

 王都から遠く離れた地で、アドリアンと共に暮らせるように計らってくれたのは、ゴドフレードだ。
 ステファニアではなく、サラという娘として、幸せになるがよいと言ってくれた。
 バルトロのことも、人々の目をそらすために利用したようだったが、腹の子を殺されそうになってしまった恐怖を思い返せば、サラが同情することもない。

 アドリアンの妻として、母の娘として、かつて失ってしまったと思われていたものを取り戻して、これからは『サラ』として生きていく。

「……さようなら、ステファニア」

 ぼそりと、誰にも聞こえないほど小さな声で呟くと、サラは窓から視線を戻した。
 どこかから、祝福の鐘の音が鳴り響いている。
 まるで、サラの新たな旅立ちを祝福するように響く音を聞きながら、サラは夫と母に向けて微笑んだ。
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