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01.うるさい鐘の音
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遠くで、鐘の音が鳴り響く。
ひとつの音が鳴り終わりそうになると、次の音が響き、次第にいくつもの音が重なって波のように広がっていく。
祝い事があるときに鳴らされる、祝福の鐘の音だった。
ノーゼラン王国国王の第一寵姫であるステファニアは、蒼玉の瞳を曇らせてそっと息を吐き出した。
ステファニアは並み居る寵姫たちを押しのけ、国王の寵愛を一身に受けている。正妃の座が空の今、この国の女性として頂点に立っているといっても過言ではない。後宮のだれもが憧れる地位だ。
数え切れないほどのドレスと宝石が衣装部屋を飾り、身につけるのが追いつかずに埋もれていく。
午後のひとときを彩るのは、可憐な花を器のなかで咲かせる花茶だ。他国の使者が国王に献上したという、貴重で高価な品である。特別にと、国王からステファニアに贈られたのだった。
何をとっても、国王の寵愛の深さが思い知れる。
それなのに、最上の品に埋め尽くされながら、ステファニアは満たされずにいた。
高らかに響く祝福の鐘の音が、ステファニアの心に懐かしさを呼び起こす。ふと、幼い頃に将来を誓い合った少年の姿が蘇ってきて、ステファニアは苦笑しながら頭を振った。
ステファニアがまだ違う名で呼ばれていた頃の、もう決して手の届かない、遠い日の思い出だ。
乱れてしまった心を静めるため、ステファニアは刺繍を始める。そのときの思いを布に描く糸模様に託すことで、心を切り離せるような気がした。
ただひたすら、ステファニアは縫い続ける。いつしか鐘の音は遠ざかり、ステファニアは縫うことに没頭していた。
やがてステファニアが刺繍を終える頃、今度は祈りの鐘が鳴り響いた。
祈りの鐘は、夕暮れの時を知らせる鐘でもある。
ステファニアは一輪の花が刺繍された布を置き、立ち上がる。窓からは見える空は赤く染まっていた。
鐘の音がやけにうるさく耳に響く。
時間によって鐘の鳴らし方は違うが、本来、祈りの鐘は穏やかな音のはずだ。今日に限っていつもと違う音ということもない。
それなのに、鐘の音はステファニアの心を不快に引っ掻いていく。
『鐘が鳴ったら、あなたの名を呼ぶわ。あなたも、お母様、と呼んでちょうだい』
ずっと忘れていた声が聞こえてきたようで、ステファニアは窓に背を向けて苛立たしげに足を踏み出す。
もう一度座りなおしたところで、侍女がやってきた。
「ステファニア様、今宵も陛下がお渡りになるとのことです。お支度を」
「そう……わかったわ」
ステファニアは頷いて、湯浴みの支度を命じる。
寵姫として国王を迎えるべく、鐘の音を心から締め出した。
将来を誓い合った少年の姿も、娘を捨てた母の声も、今は遠い昔のこと。
もう、鐘の音は届かない。
ひとつの音が鳴り終わりそうになると、次の音が響き、次第にいくつもの音が重なって波のように広がっていく。
祝い事があるときに鳴らされる、祝福の鐘の音だった。
ノーゼラン王国国王の第一寵姫であるステファニアは、蒼玉の瞳を曇らせてそっと息を吐き出した。
ステファニアは並み居る寵姫たちを押しのけ、国王の寵愛を一身に受けている。正妃の座が空の今、この国の女性として頂点に立っているといっても過言ではない。後宮のだれもが憧れる地位だ。
数え切れないほどのドレスと宝石が衣装部屋を飾り、身につけるのが追いつかずに埋もれていく。
午後のひとときを彩るのは、可憐な花を器のなかで咲かせる花茶だ。他国の使者が国王に献上したという、貴重で高価な品である。特別にと、国王からステファニアに贈られたのだった。
何をとっても、国王の寵愛の深さが思い知れる。
それなのに、最上の品に埋め尽くされながら、ステファニアは満たされずにいた。
高らかに響く祝福の鐘の音が、ステファニアの心に懐かしさを呼び起こす。ふと、幼い頃に将来を誓い合った少年の姿が蘇ってきて、ステファニアは苦笑しながら頭を振った。
ステファニアがまだ違う名で呼ばれていた頃の、もう決して手の届かない、遠い日の思い出だ。
乱れてしまった心を静めるため、ステファニアは刺繍を始める。そのときの思いを布に描く糸模様に託すことで、心を切り離せるような気がした。
ただひたすら、ステファニアは縫い続ける。いつしか鐘の音は遠ざかり、ステファニアは縫うことに没頭していた。
やがてステファニアが刺繍を終える頃、今度は祈りの鐘が鳴り響いた。
祈りの鐘は、夕暮れの時を知らせる鐘でもある。
ステファニアは一輪の花が刺繍された布を置き、立ち上がる。窓からは見える空は赤く染まっていた。
鐘の音がやけにうるさく耳に響く。
時間によって鐘の鳴らし方は違うが、本来、祈りの鐘は穏やかな音のはずだ。今日に限っていつもと違う音ということもない。
それなのに、鐘の音はステファニアの心を不快に引っ掻いていく。
『鐘が鳴ったら、あなたの名を呼ぶわ。あなたも、お母様、と呼んでちょうだい』
ずっと忘れていた声が聞こえてきたようで、ステファニアは窓に背を向けて苛立たしげに足を踏み出す。
もう一度座りなおしたところで、侍女がやってきた。
「ステファニア様、今宵も陛下がお渡りになるとのことです。お支度を」
「そう……わかったわ」
ステファニアは頷いて、湯浴みの支度を命じる。
寵姫として国王を迎えるべく、鐘の音を心から締め出した。
将来を誓い合った少年の姿も、娘を捨てた母の声も、今は遠い昔のこと。
もう、鐘の音は届かない。
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