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60.悪魔の囁き2
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「ハルト! 魔物の言葉を鵜呑みにしてはいけない。世界が魔素に満たされれば、人間は無事ではいられないんだ。幸せになることなんてないんだよ」
凛としたセイの声が響き、晴人ははっとする。
確かに、インプの言葉には疑問点もあった。すべて間違っているわけではないが、すべて正しいわけでもない。
魔素が満たされれば、問題点だって多いはずだ。少なくとも、みんなが幸せになれるということはないだろう。
晴人は浮かんでしまった幸福な逃避への思いを打ち消す。
インプの言葉こそ、晴人の心が弱っているところにつけこんだ、悪魔の囁きなのかもしれない。晴人を陥れようとしている可能性だってあるのだ。
かつて町の神殿で、聖娼という仕事に誇りを持って臨んでいた少年を思い出す。彼は自らの足でしっかりと立ち、凛とした態度を貫いていた。
神殿長だとて、やり方に多少の問題はあったものの、聖娼たちを思う心は本当だった。都の神殿を見た今なら、余計にその思いは募る。
彼らは自分の役割をしっかり果たそうと努力していた。すべての人々が何もしていないということはないのだ。
晴人は頭を振り、沈んでいた気持ちを浮上させようとする。
「あぁ……堕ちるかと思ったけど、持ち直したか。残念」
楽しそうにインプがケラケラと笑う。ちっとも残念そうではなかった。
「でも、心が動いただろう? オレは嘘なんて言っていないしね。それに、あんたはまだ迷っている。そうだろう?」
インプ目を細めてねっとりとした声を紡ぐ。確かに、晴人の心はすっきりと晴れたわけではない。まだ人々への不信は消えなかった。
「別に、すぐ答えを出さなくてもいいよ。放っておけば魔素は増えていくし。何もしないことが、結果的に答えになる。楽でいいと思わない? ゆっくり考えてね」
明るく言い放つと、インプは軽い足取りで通路の奥へと消えていった。
じっとインプの後ろ姿を眺めていた晴人だったが、インプの姿が見えなくなってしばらく経つと、ようやく思い出したかのように深い息を吐いた。軽く頭を振ると、晴人はセイに向き直る。
「セイ、さっきの話って本当なの? 魔素を満たしても帰れるっていうやつ……」
「……かつて、そうなったことがあるとは聞いていないから、わからない。ただ、理論的には可能だといえる」
やはりインプが言った最も大きな内容は間違ってはいないようだった。すべての言葉が真実ではないにせよ、インプが語った主観を交えない事柄はおそらく本当なのだろう。
「そっか……セイはどうしたらいいと思う?」
「僕がどうこう言おうと、肉体を持たない僕には実行できない。決めるのも、実行するのもきみだよ」
期待せずに問いかけてみるが、晴人の予想どおりセイは答えを出してはくれない。
「うん、そうだよね……もし、俺がここで投げ出したら、セイは怒る?」
叱られることを覚悟の上で、晴人は弱音を吐いた。もう投げ出してしまいたい、平凡な日々に戻りたいという思いで心が埋め尽くされる。
ところがセイはやわらかな微笑みを浮かべて首を左右に振った。
「……どうだろうね。僕も、きみの気持ちはそれなりにわかるからなあ。人間なんて、大半はさっきのような身勝手な連中さ。でも、そうでない人たちもいる」
「うん……」
晴人にすべてを押し付けようとする者だけではない。むしろ晴人にとって眩しく思える人だっていた。
素晴らしいと思う者、唾棄すべき者、どちらか一方しかいないのならば簡単に答えは出せるのに、そうはいかない。両方を天秤にかけても、ぐらぐらと揺れるだけだ。
「わずかな正しい人たちのため、全体を許そうというのは神の言葉だけれど、きみがどうするかはきみが決めなくちゃいけない。今回の決断者はきみだ」
凛としたセイの声が響き、晴人ははっとする。
確かに、インプの言葉には疑問点もあった。すべて間違っているわけではないが、すべて正しいわけでもない。
魔素が満たされれば、問題点だって多いはずだ。少なくとも、みんなが幸せになれるということはないだろう。
晴人は浮かんでしまった幸福な逃避への思いを打ち消す。
インプの言葉こそ、晴人の心が弱っているところにつけこんだ、悪魔の囁きなのかもしれない。晴人を陥れようとしている可能性だってあるのだ。
かつて町の神殿で、聖娼という仕事に誇りを持って臨んでいた少年を思い出す。彼は自らの足でしっかりと立ち、凛とした態度を貫いていた。
神殿長だとて、やり方に多少の問題はあったものの、聖娼たちを思う心は本当だった。都の神殿を見た今なら、余計にその思いは募る。
彼らは自分の役割をしっかり果たそうと努力していた。すべての人々が何もしていないということはないのだ。
晴人は頭を振り、沈んでいた気持ちを浮上させようとする。
「あぁ……堕ちるかと思ったけど、持ち直したか。残念」
楽しそうにインプがケラケラと笑う。ちっとも残念そうではなかった。
「でも、心が動いただろう? オレは嘘なんて言っていないしね。それに、あんたはまだ迷っている。そうだろう?」
インプ目を細めてねっとりとした声を紡ぐ。確かに、晴人の心はすっきりと晴れたわけではない。まだ人々への不信は消えなかった。
「別に、すぐ答えを出さなくてもいいよ。放っておけば魔素は増えていくし。何もしないことが、結果的に答えになる。楽でいいと思わない? ゆっくり考えてね」
明るく言い放つと、インプは軽い足取りで通路の奥へと消えていった。
じっとインプの後ろ姿を眺めていた晴人だったが、インプの姿が見えなくなってしばらく経つと、ようやく思い出したかのように深い息を吐いた。軽く頭を振ると、晴人はセイに向き直る。
「セイ、さっきの話って本当なの? 魔素を満たしても帰れるっていうやつ……」
「……かつて、そうなったことがあるとは聞いていないから、わからない。ただ、理論的には可能だといえる」
やはりインプが言った最も大きな内容は間違ってはいないようだった。すべての言葉が真実ではないにせよ、インプが語った主観を交えない事柄はおそらく本当なのだろう。
「そっか……セイはどうしたらいいと思う?」
「僕がどうこう言おうと、肉体を持たない僕には実行できない。決めるのも、実行するのもきみだよ」
期待せずに問いかけてみるが、晴人の予想どおりセイは答えを出してはくれない。
「うん、そうだよね……もし、俺がここで投げ出したら、セイは怒る?」
叱られることを覚悟の上で、晴人は弱音を吐いた。もう投げ出してしまいたい、平凡な日々に戻りたいという思いで心が埋め尽くされる。
ところがセイはやわらかな微笑みを浮かべて首を左右に振った。
「……どうだろうね。僕も、きみの気持ちはそれなりにわかるからなあ。人間なんて、大半はさっきのような身勝手な連中さ。でも、そうでない人たちもいる」
「うん……」
晴人にすべてを押し付けようとする者だけではない。むしろ晴人にとって眩しく思える人だっていた。
素晴らしいと思う者、唾棄すべき者、どちらか一方しかいないのならば簡単に答えは出せるのに、そうはいかない。両方を天秤にかけても、ぐらぐらと揺れるだけだ。
「わずかな正しい人たちのため、全体を許そうというのは神の言葉だけれど、きみがどうするかはきみが決めなくちゃいけない。今回の決断者はきみだ」
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