60 / 90
60.悪魔の囁き2
しおりを挟む
「ハルト! 魔物の言葉を鵜呑みにしてはいけない。世界が魔素に満たされれば、人間は無事ではいられないんだ。幸せになることなんてないんだよ」
凛としたセイの声が響き、晴人ははっとする。
確かに、インプの言葉には疑問点もあった。すべて間違っているわけではないが、すべて正しいわけでもない。
魔素が満たされれば、問題点だって多いはずだ。少なくとも、みんなが幸せになれるということはないだろう。
晴人は浮かんでしまった幸福な逃避への思いを打ち消す。
インプの言葉こそ、晴人の心が弱っているところにつけこんだ、悪魔の囁きなのかもしれない。晴人を陥れようとしている可能性だってあるのだ。
かつて町の神殿で、聖娼という仕事に誇りを持って臨んでいた少年を思い出す。彼は自らの足でしっかりと立ち、凛とした態度を貫いていた。
神殿長だとて、やり方に多少の問題はあったものの、聖娼たちを思う心は本当だった。都の神殿を見た今なら、余計にその思いは募る。
彼らは自分の役割をしっかり果たそうと努力していた。すべての人々が何もしていないということはないのだ。
晴人は頭を振り、沈んでいた気持ちを浮上させようとする。
「あぁ……堕ちるかと思ったけど、持ち直したか。残念」
楽しそうにインプがケラケラと笑う。ちっとも残念そうではなかった。
「でも、心が動いただろう? オレは嘘なんて言っていないしね。それに、あんたはまだ迷っている。そうだろう?」
インプ目を細めてねっとりとした声を紡ぐ。確かに、晴人の心はすっきりと晴れたわけではない。まだ人々への不信は消えなかった。
「別に、すぐ答えを出さなくてもいいよ。放っておけば魔素は増えていくし。何もしないことが、結果的に答えになる。楽でいいと思わない? ゆっくり考えてね」
明るく言い放つと、インプは軽い足取りで通路の奥へと消えていった。
じっとインプの後ろ姿を眺めていた晴人だったが、インプの姿が見えなくなってしばらく経つと、ようやく思い出したかのように深い息を吐いた。軽く頭を振ると、晴人はセイに向き直る。
「セイ、さっきの話って本当なの? 魔素を満たしても帰れるっていうやつ……」
「……かつて、そうなったことがあるとは聞いていないから、わからない。ただ、理論的には可能だといえる」
やはりインプが言った最も大きな内容は間違ってはいないようだった。すべての言葉が真実ではないにせよ、インプが語った主観を交えない事柄はおそらく本当なのだろう。
「そっか……セイはどうしたらいいと思う?」
「僕がどうこう言おうと、肉体を持たない僕には実行できない。決めるのも、実行するのもきみだよ」
期待せずに問いかけてみるが、晴人の予想どおりセイは答えを出してはくれない。
「うん、そうだよね……もし、俺がここで投げ出したら、セイは怒る?」
叱られることを覚悟の上で、晴人は弱音を吐いた。もう投げ出してしまいたい、平凡な日々に戻りたいという思いで心が埋め尽くされる。
ところがセイはやわらかな微笑みを浮かべて首を左右に振った。
「……どうだろうね。僕も、きみの気持ちはそれなりにわかるからなあ。人間なんて、大半はさっきのような身勝手な連中さ。でも、そうでない人たちもいる」
「うん……」
晴人にすべてを押し付けようとする者だけではない。むしろ晴人にとって眩しく思える人だっていた。
素晴らしいと思う者、唾棄すべき者、どちらか一方しかいないのならば簡単に答えは出せるのに、そうはいかない。両方を天秤にかけても、ぐらぐらと揺れるだけだ。
「わずかな正しい人たちのため、全体を許そうというのは神の言葉だけれど、きみがどうするかはきみが決めなくちゃいけない。今回の決断者はきみだ」
凛としたセイの声が響き、晴人ははっとする。
確かに、インプの言葉には疑問点もあった。すべて間違っているわけではないが、すべて正しいわけでもない。
魔素が満たされれば、問題点だって多いはずだ。少なくとも、みんなが幸せになれるということはないだろう。
晴人は浮かんでしまった幸福な逃避への思いを打ち消す。
インプの言葉こそ、晴人の心が弱っているところにつけこんだ、悪魔の囁きなのかもしれない。晴人を陥れようとしている可能性だってあるのだ。
かつて町の神殿で、聖娼という仕事に誇りを持って臨んでいた少年を思い出す。彼は自らの足でしっかりと立ち、凛とした態度を貫いていた。
神殿長だとて、やり方に多少の問題はあったものの、聖娼たちを思う心は本当だった。都の神殿を見た今なら、余計にその思いは募る。
彼らは自分の役割をしっかり果たそうと努力していた。すべての人々が何もしていないということはないのだ。
晴人は頭を振り、沈んでいた気持ちを浮上させようとする。
「あぁ……堕ちるかと思ったけど、持ち直したか。残念」
楽しそうにインプがケラケラと笑う。ちっとも残念そうではなかった。
「でも、心が動いただろう? オレは嘘なんて言っていないしね。それに、あんたはまだ迷っている。そうだろう?」
インプ目を細めてねっとりとした声を紡ぐ。確かに、晴人の心はすっきりと晴れたわけではない。まだ人々への不信は消えなかった。
「別に、すぐ答えを出さなくてもいいよ。放っておけば魔素は増えていくし。何もしないことが、結果的に答えになる。楽でいいと思わない? ゆっくり考えてね」
明るく言い放つと、インプは軽い足取りで通路の奥へと消えていった。
じっとインプの後ろ姿を眺めていた晴人だったが、インプの姿が見えなくなってしばらく経つと、ようやく思い出したかのように深い息を吐いた。軽く頭を振ると、晴人はセイに向き直る。
「セイ、さっきの話って本当なの? 魔素を満たしても帰れるっていうやつ……」
「……かつて、そうなったことがあるとは聞いていないから、わからない。ただ、理論的には可能だといえる」
やはりインプが言った最も大きな内容は間違ってはいないようだった。すべての言葉が真実ではないにせよ、インプが語った主観を交えない事柄はおそらく本当なのだろう。
「そっか……セイはどうしたらいいと思う?」
「僕がどうこう言おうと、肉体を持たない僕には実行できない。決めるのも、実行するのもきみだよ」
期待せずに問いかけてみるが、晴人の予想どおりセイは答えを出してはくれない。
「うん、そうだよね……もし、俺がここで投げ出したら、セイは怒る?」
叱られることを覚悟の上で、晴人は弱音を吐いた。もう投げ出してしまいたい、平凡な日々に戻りたいという思いで心が埋め尽くされる。
ところがセイはやわらかな微笑みを浮かべて首を左右に振った。
「……どうだろうね。僕も、きみの気持ちはそれなりにわかるからなあ。人間なんて、大半はさっきのような身勝手な連中さ。でも、そうでない人たちもいる」
「うん……」
晴人にすべてを押し付けようとする者だけではない。むしろ晴人にとって眩しく思える人だっていた。
素晴らしいと思う者、唾棄すべき者、どちらか一方しかいないのならば簡単に答えは出せるのに、そうはいかない。両方を天秤にかけても、ぐらぐらと揺れるだけだ。
「わずかな正しい人たちのため、全体を許そうというのは神の言葉だけれど、きみがどうするかはきみが決めなくちゃいけない。今回の決断者はきみだ」
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)
藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!?
手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで
キザキ ケイ
BL
親を亡くしたアルビノの小さなトラは、異世界へ渡った────……
気がつくと知らない場所にいた真っ白な子トラのタビトは、子ライオンのレグルスと出会い、彼が「獣人」であることを知る。
獣人はケモノとヒト両方の姿を持っていて、でも獣人は恐ろしい人間とは違うらしい。
故郷に帰りたいけれど、方法が分からず途方に暮れるタビトは、レグルスとふれあい、傷ついた心を癒やされながら共に成長していく。
しかし、珍しい見た目のタビトを狙うものが現れて────?
食べて欲しいの
夏芽玉
BL
見世物小屋から誘拐された僕は、夜の森の中、フェンリルと呼ばれる大狼に捕まってしまう。
きっと、今から僕は食べられちゃうんだ。
だけど不思議と恐怖心はなく、むしろ彼に食べられたいと僕は願ってしまって……
Tectorum様主催、「夏だ!! 産卵!! 獣BL」企画参加作品です。
【大狼獣人】×【小鳥獣人】
他サイトにも掲載しています。
【1/完結】ノンケだった俺が男と初体験〜ツンデレ君には甘いハチミツを〜
綺羅 メキ
BL
男同士の純愛、そこには数々のドラマがある!
事件や事故や試練に巻き込まれながら、泣いたり、笑ったり、切なかったり、ドキドキしたり、ワクワクしたり、雄介と望の波瀾万丈な心温まるような話を読んでみませんか?
ある日の夜中、吉良望(きらのぞむ)が働く病院に緊急で運ばれて来た桜井雄介(さくらいゆうすけ)。 雄介は怪我をして運ばれて来た、雄介は望の事を女医さんだと思っていたのだが、望は女医ではなく男性の外科医。しかも、まだ目覚めたばっかりの雄介は望の事を一目惚れだったようだ。 そして、一般病棟へと移されてから雄介は望に告白をするのだが……望は全くもって男性に興味がなかった人間。 だから、直ぐに答えられる訳もなく答えは待ってくれ。 と雄介に告げ、望は一人考える日々。 最初はただ雄介と付き合ってみるか……というだけで、付き合うって事を告げようとしていたのだが、これが、なかなか色々な事が起きてしまい、なかなか返事が出来ない日々。 しかも、親友である梅沢和也(うめざわかずや)からも望に告白されてしまう。 それから、色々な試練等にぶつかりながら様々な成長をしていく望達。 色々な人と出会い、仲間の絆をも深めていく。
また、あくまでこれはお話なので、現実とは違うかもしれませんが、そこは、小説の世界は想像の世界ということで、お許し下さいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる