不夜島の少年 小話集

ヴァレンの決意 １

「やぁーっ！　いやぁーっ！」

　悲痛なヴァレンの叫び声が響く。客の男に抱えられたヴァレンは逃れようと暴れるが、がっしりとした体躯の男の前では、まだ見習いの子供であるヴァレンのあがきなど、無駄な抵抗でしかない。

「はっはっは、逃げるな逃げるな。ほれ、すーりすーり」

「すりすりじゃないー！　じょりじょりー！」

「細かいことは気にするな。ほれほれー」

「やぁー！　ちくちくー！　痛いー！」

　目の前で繰り広げられる、客とヴァレンとの緊張感のない滑稽な姿を眺めて、ミゼアスは軽く息を吐いた。助けようという気は、かけらもない。
　見習いへの手出しはご法度だが、軽い戯れ程度であれば許される。まして、客がヴァレンに対して行っているのは無精ひげの生えた顔を擦り付けるという、単なる頬擦りだ。戯れのうちにすら入らない。

　そのうち、暴れても抜け出せないとあきらめたのか、ヴァレンはもがくのをやめると、背中を反らせて顔を遠ざけようとする。
　背骨の存在を感じさせないほど滑らかで、見事な反りっぷりだ。

「おお！　すごいな！　のけ反る毛虫のようだ！」

　ヴァレンの狙いどおりに頬擦りはできなくなったが、客は感心した叫び声をあげて笑うだけである。
　しばらくヴァレンが背中を反らせ続けていると、ようやく客も満足したのかヴァレンを床に降ろした。
　やっと解放されたヴァレンは、小動物を思わせるような素早さでミゼアスに突進していき、ミゼアスの後ろに隠れる。
　ぷるぷると震えながらミゼアスにしがみつくヴァレンを、ミゼアスはそっとため息を漏らしながら抱き寄せ、頭を撫でてやった。

「おや、嫌われてしまったかな。ほれほれ、もっと遊ぼう」

「やぁーっ！」

　からかうように客はヴァレンに声をかけるが、ヴァレンは毛を逆立てて威嚇する猫のように、ミゼアスの後ろから拒絶の叫びをあげるだけだ。
　二人のやり取りについていけないまま、ミゼアスはそっとため息を漏らす。
　そもそも客はいったい何がしたいのだろうか。白花第一位であるミゼアスを買っておきながら、見習いに構うだけという、何とも贅沢な時間の使い方だ。
　ヴァレンが隠れる壁としての役割しか果たしていない自分の存在意義は何だろうと、ミゼアスはさらに大きなため息を吐き出した。