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第27章 現在(1)
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第27章 現在
――藤代、ごめん。
――ごめんな。
あの夜、最後に茂が何度も謝っていたのを、その時はキスのことだと思っていた。
本当は高志を切り捨てることを意味していたのだと、今なら分かる。今自分が辛いのと同じくらい、きっと茂も辛かったのだろう。そう思って、あの日から何度も自分を納得させようとしていた。
「――藤代くん」
あかりの声が聞こえる。意識が現実に引き戻され、片手で顔を覆ったまま、高志はゆっくりと目を開けた。
「多分、藤代くんは誤解していると思うんです」
俯く高志に、あかりが静かにそう言う。高志は少しだけ顔を上げた。
「……何?」
「私もあまり詳しくは知らないんですけど……ゼミ生の誰かが、藤代くんが男の人とキスしているのを偶然見てしまったって聞きました。あってますか?」
「……あってる」
誰か、ではなく複数だった。最後に茂とキスするところを、通りがかった彼らに見られていたのだろう。もう何度も思い出していたあの夜のことをまた思い出す。目に涙を溜めていた茂の顔を思い出す。
「それで、自分がゲイだとばれてみんなに避けられていると思っていませんか」
あかりの言葉に、高志は淡々と返す。
「俺はゲイじゃないけど、そう見えても仕方ないのは分かってる」
「それが多分誤解なんです」
「……何が」
問い返すと、あかりは少し困った顔で口を開いた。
「話を聞く限り、みんな、藤代くんがその時に失恋か何かしたんじゃないかと思ってる感じでした。実際、藤代くんはその後ずっと辛そうで……だから、何を言っていいのか分からないんだと思います」
「……失恋なんかしてない」
あかりの言葉を聞いて、高志は忘年会の時の周りの人間の様子を思い出そうとする。しかし自分から距離を置いていたせいで、あまり記憶に残っていなかった。
失恋なんかじゃない。友達に切り捨てられただけだ。それを避けるためなら何だってしたのに。そして、俺は友達でいたいと伝えた時、あいつは黙ったまま、確かに頷いたのに。
あの夜の光景がまたフラッシュバックのように脳裏に浮かぶ。横になったまま腕で顔を覆っていた、あの姿。
あの時、俺の言葉に頷きながら、お前は本当は何を思っていたんだ。無神経なやつだと苛立ちでもしていたのか。もし俺がまたお前の気持ちを無視してしまっていたのなら、いつもみたいに隠さずに、その場で言ってくれたら良かったのに。そうしたら。
「その相手って、細谷くんですよね」
あかりが口から出した名前に、びくりと体が反応する。
――そうしたら。
でも、あの時お前は俺に言えたんだろうか。
『辛いから友達をやめたい』、と。
「ゼミでずっと一緒でしたし、みんなお二人が仲が良かったのも知っていますし、藤代くんがどんな人なのかも知っています。その後すぐ細谷くんがいなくなって、それで藤代くんがとても傷付いているみたいだから、何かあったんだなとはみんな思ってますけど、ゲイだから避けているということではないと思います」
そう言うあかりの言葉は、しかし半分以上、高志の耳をすり抜けるだけだった。
いつだって自分の気持ちを隠して俺に笑顔だけを見せていたお前が、あの時、俺に言うことができたんだろうか。お前は。
俺の気持ちを考えて、言えなかったのか。
俺のために、言わなかったのか。
「――大丈夫ですか?」
心配そうなあかりの声音が聞こえて、高志は顔を伏せたまま答える。
「……何が」
「今も、すごく辛そうなので」
「別に……誤解だったのなら良かったと思ってる」
「そうですね。みんな、藤代くんの今みたいな顔を見て、心配していました」
「……」
あかりがこちらの表情を伺っている気配がする。それから静かに問うてきた。
「細谷くんのこと、好きだったんですか」
「――好きじゃない」
否定した瞬間、また茂の最後の泣き顔が、自分の元に走り寄ってきた姿が頭に浮かんだ。見下ろす自分を下からじっと見上げていた表情を思い出した。自分にしがみついて泣いていた声を思い出した。何があっても教室で会えば自分に向けてくれた笑顔を思い出した。それら全てを、今の言葉で自ら踏みにじったような気がした。高志は俯いて目を覆う。
そうして自分の口から出た言葉は、いつか耳にした言葉だった。
「……好きって何だよ」
あの日、あの部屋で。お前が口にした言葉。
俺がお前のことを好きじゃないなら、この気持ちは何と言えばいいのだろう。この辛さはどうしてだと説明すればいい。お前が突然いなくなって、どうしたらいいのか分からなくてただ苦しくて辛い。後悔ばかりで辛い。あの時同じ台詞を口にした後、お前はどうやって気持ちを整理したのか教えてほしい。こんな時どうしたらいいか。あの時お前は俺に相談しようとしていたじゃないか。
俺だって、こんな時、こんなことを相談できるのはお前しかいないのに。
最後の泣き顔。その裏にあった決意。俺が気付けなかった決意。
――そんなに、お前は辛かったのか。俺と友達でいることが。
更に両手で顔を覆う。上手く息ができず、あかりに気付かれないように声を殺していたが、ついに嗚咽が洩れた。
「……っ」
ずっと我慢していた涙が、次々とにじみ出ては頬を伝って落ちた。
――藤代、ごめん。
――ごめんな。
あの夜、最後に茂が何度も謝っていたのを、その時はキスのことだと思っていた。
本当は高志を切り捨てることを意味していたのだと、今なら分かる。今自分が辛いのと同じくらい、きっと茂も辛かったのだろう。そう思って、あの日から何度も自分を納得させようとしていた。
「――藤代くん」
あかりの声が聞こえる。意識が現実に引き戻され、片手で顔を覆ったまま、高志はゆっくりと目を開けた。
「多分、藤代くんは誤解していると思うんです」
俯く高志に、あかりが静かにそう言う。高志は少しだけ顔を上げた。
「……何?」
「私もあまり詳しくは知らないんですけど……ゼミ生の誰かが、藤代くんが男の人とキスしているのを偶然見てしまったって聞きました。あってますか?」
「……あってる」
誰か、ではなく複数だった。最後に茂とキスするところを、通りがかった彼らに見られていたのだろう。もう何度も思い出していたあの夜のことをまた思い出す。目に涙を溜めていた茂の顔を思い出す。
「それで、自分がゲイだとばれてみんなに避けられていると思っていませんか」
あかりの言葉に、高志は淡々と返す。
「俺はゲイじゃないけど、そう見えても仕方ないのは分かってる」
「それが多分誤解なんです」
「……何が」
問い返すと、あかりは少し困った顔で口を開いた。
「話を聞く限り、みんな、藤代くんがその時に失恋か何かしたんじゃないかと思ってる感じでした。実際、藤代くんはその後ずっと辛そうで……だから、何を言っていいのか分からないんだと思います」
「……失恋なんかしてない」
あかりの言葉を聞いて、高志は忘年会の時の周りの人間の様子を思い出そうとする。しかし自分から距離を置いていたせいで、あまり記憶に残っていなかった。
失恋なんかじゃない。友達に切り捨てられただけだ。それを避けるためなら何だってしたのに。そして、俺は友達でいたいと伝えた時、あいつは黙ったまま、確かに頷いたのに。
あの夜の光景がまたフラッシュバックのように脳裏に浮かぶ。横になったまま腕で顔を覆っていた、あの姿。
あの時、俺の言葉に頷きながら、お前は本当は何を思っていたんだ。無神経なやつだと苛立ちでもしていたのか。もし俺がまたお前の気持ちを無視してしまっていたのなら、いつもみたいに隠さずに、その場で言ってくれたら良かったのに。そうしたら。
「その相手って、細谷くんですよね」
あかりが口から出した名前に、びくりと体が反応する。
――そうしたら。
でも、あの時お前は俺に言えたんだろうか。
『辛いから友達をやめたい』、と。
「ゼミでずっと一緒でしたし、みんなお二人が仲が良かったのも知っていますし、藤代くんがどんな人なのかも知っています。その後すぐ細谷くんがいなくなって、それで藤代くんがとても傷付いているみたいだから、何かあったんだなとはみんな思ってますけど、ゲイだから避けているということではないと思います」
そう言うあかりの言葉は、しかし半分以上、高志の耳をすり抜けるだけだった。
いつだって自分の気持ちを隠して俺に笑顔だけを見せていたお前が、あの時、俺に言うことができたんだろうか。お前は。
俺の気持ちを考えて、言えなかったのか。
俺のために、言わなかったのか。
「――大丈夫ですか?」
心配そうなあかりの声音が聞こえて、高志は顔を伏せたまま答える。
「……何が」
「今も、すごく辛そうなので」
「別に……誤解だったのなら良かったと思ってる」
「そうですね。みんな、藤代くんの今みたいな顔を見て、心配していました」
「……」
あかりがこちらの表情を伺っている気配がする。それから静かに問うてきた。
「細谷くんのこと、好きだったんですか」
「――好きじゃない」
否定した瞬間、また茂の最後の泣き顔が、自分の元に走り寄ってきた姿が頭に浮かんだ。見下ろす自分を下からじっと見上げていた表情を思い出した。自分にしがみついて泣いていた声を思い出した。何があっても教室で会えば自分に向けてくれた笑顔を思い出した。それら全てを、今の言葉で自ら踏みにじったような気がした。高志は俯いて目を覆う。
そうして自分の口から出た言葉は、いつか耳にした言葉だった。
「……好きって何だよ」
あの日、あの部屋で。お前が口にした言葉。
俺がお前のことを好きじゃないなら、この気持ちは何と言えばいいのだろう。この辛さはどうしてだと説明すればいい。お前が突然いなくなって、どうしたらいいのか分からなくてただ苦しくて辛い。後悔ばかりで辛い。あの時同じ台詞を口にした後、お前はどうやって気持ちを整理したのか教えてほしい。こんな時どうしたらいいか。あの時お前は俺に相談しようとしていたじゃないか。
俺だって、こんな時、こんなことを相談できるのはお前しかいないのに。
最後の泣き顔。その裏にあった決意。俺が気付けなかった決意。
――そんなに、お前は辛かったのか。俺と友達でいることが。
更に両手で顔を覆う。上手く息ができず、あかりに気付かれないように声を殺していたが、ついに嗚咽が洩れた。
「……っ」
ずっと我慢していた涙が、次々とにじみ出ては頬を伝って落ちた。
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