続・偽りとためらい

立石 雫

文字の大きさ
上 下
38 / 54

第8章 12月(5)

しおりを挟む
 大学院の学費もその間の生活費も、長い目で見れば先行投資だろう。茂なら将来的に独立しても多分成功するだろうし、そうなればその分は充分回収できる。だから、理屈では時間的なメリットの方を選ぶ方がいいと思う。しかし、現実的な問題も無視する訳にはいかない。
「その辺、今の事務所は協力してくれたりするのか」
「分からないけど……二年後にまた戻ってくるって約束したら、その間にバイトくらいはさせてくれるかも」
 経営者が恋人なのだから、何か融通が利いたりしないのか、と一瞬思う。しかし口に出すのは躊躇われた。
「……お前の彼女は何て言ってんの」
「あ、もともと、大学院に行けばって勧めてくれたのが諒子さんなんだ」
「そっか」
「生活費のこともさ、それなら一緒に住めばって言われたんだけどさ。さすがにな」
「え?」
 茂は冗談めかして言ったが、高志は思わず声を上げた。
「……同棲するってこと?」
「いや、だからしないって」
――嫌だ。
 目の前の茂の顔を見ながら、高志は一瞬の強い嫉妬心にかられた。見たこともない女にどんどん茂を独占されていく。思わず腹筋に力がこもる。
 しかし、すぐに諦念を思い出した。茂が誰と何をしても、どちらにせよ自分には何を言う権利もない。今の自分はただの友達としてここにいるのだ。
 単なる友達であれば何を言うだろう。何を言えばいいのだろう。
「……何で。もしそれで問題が一つ解決するなら、考えてみればいいだろ」
「しないよ。そんな簡単なことじゃないし」
 本心とは裏腹の提案に茂がそう言い切ったので、高志は少しだけ安堵を覚えた。
「じゃあ、足りなくなったときだけ、そこも親に甘えられないのか。資格さえ取れれば、後からいくらでも返せるだろ」
「まあ、いざとなったらそうなるかもだけど」
 茂は頷いた後、一拍の間を置いてから、言葉を繋いだ。
「そういう風に考えていくとさ、何か……どうせ仕事辞めてバイトするなら、わざわざこっちで独り暮らしを続けなくても、いったん実家に帰って向こうで大学院に通う方が合理的なのかなって気もしてきてさ」
「――」
 高志が口を開いた時、再び店員が料理を運んできた。
 ほとんど中身の減っていない皿を茂が奥に寄せて、空いたスペースに店員が新しい料理を置いていく。店員越しの茂は、高志の方を見ていない。見ようとしない。
――もしかして、今日はそれを言うつもりだったのか。
 茂が実家に帰る。その言葉は、高志に古傷をえぐるような打撃をもたらした。一年前のあの時も、茂は実家に帰ると高志に告げ、そしてそれきり音信不通になった。
 それは、もう自分と会わないということだろうか。会えなくなっても構わないということだろうか。
 その時、高志はふと、前に茂が発した言葉を思い出した。
 一つを思い出せば、次々と思い出していった。その全てに意味があった。その時の自分が気付かなかった意味が。
――そうか。そういうことだったのか。
 ただの友達でいられればいいと、そう思おうとした自分の努力は、それ自体が的外れなものだった。茂にはそんなつもりはなかったのだ。今になって茂の本心が理解できた。友達としてなら一緒にいられると思い込んでいた自分を嗤う。
――ばかばかしい。
 全部、違ったんだ。茂の中では。
「……いつ実家に帰るんだ」
 店員が立ち去った後、そう問う高志の声に、茂が顔を上げる。
「え? いや、まだ全然決めてないけど」
「そうか」
 高志は鞄の中から財布を取り出すと、一万円札をテーブルの上に置いた。
「悪い。これで払っといて」
「え?」
「……帰る」
 高志は上着と鞄を手に取ると、そのまま席を立った。
「え? ちょっと、藤代!」
 慌てたような茂の声を無視して、狭い通路を走るように通り抜け、高志は店を出た。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ハルとアキ

花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』 双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。 しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!? 「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。 だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。 〝俺〟を愛してーー どうか気づいて。お願い、気づかないで」 ---------------------------------------- 【目次】 ・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉 ・各キャラクターの今後について ・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉 ・リクエスト編 ・番外編 ・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉 ・番外編 ---------------------------------------- *表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) * ※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。 ※心理描写を大切に書いてます。 ※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

処理中です...