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第8章 12月(5)
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大学院の学費もその間の生活費も、長い目で見れば先行投資だろう。茂なら将来的に独立しても多分成功するだろうし、そうなればその分は充分回収できる。だから、理屈では時間的なメリットの方を選ぶ方がいいと思う。しかし、現実的な問題も無視する訳にはいかない。
「その辺、今の事務所は協力してくれたりするのか」
「分からないけど……二年後にまた戻ってくるって約束したら、その間にバイトくらいはさせてくれるかも」
経営者が恋人なのだから、何か融通が利いたりしないのか、と一瞬思う。しかし口に出すのは躊躇われた。
「……お前の彼女は何て言ってんの」
「あ、もともと、大学院に行けばって勧めてくれたのが諒子さんなんだ」
「そっか」
「生活費のこともさ、それなら一緒に住めばって言われたんだけどさ。さすがにな」
「え?」
茂は冗談めかして言ったが、高志は思わず声を上げた。
「……同棲するってこと?」
「いや、だからしないって」
――嫌だ。
目の前の茂の顔を見ながら、高志は一瞬の強い嫉妬心にかられた。見たこともない女にどんどん茂を独占されていく。思わず腹筋に力がこもる。
しかし、すぐに諦念を思い出した。茂が誰と何をしても、どちらにせよ自分には何を言う権利もない。今の自分はただの友達としてここにいるのだ。
単なる友達であれば何を言うだろう。何を言えばいいのだろう。
「……何で。もしそれで問題が一つ解決するなら、考えてみればいいだろ」
「しないよ。そんな簡単なことじゃないし」
本心とは裏腹の提案に茂がそう言い切ったので、高志は少しだけ安堵を覚えた。
「じゃあ、足りなくなったときだけ、そこも親に甘えられないのか。資格さえ取れれば、後からいくらでも返せるだろ」
「まあ、いざとなったらそうなるかもだけど」
茂は頷いた後、一拍の間を置いてから、言葉を繋いだ。
「そういう風に考えていくとさ、何か……どうせ仕事辞めてバイトするなら、わざわざこっちで独り暮らしを続けなくても、いったん実家に帰って向こうで大学院に通う方が合理的なのかなって気もしてきてさ」
「――」
高志が口を開いた時、再び店員が料理を運んできた。
ほとんど中身の減っていない皿を茂が奥に寄せて、空いたスペースに店員が新しい料理を置いていく。店員越しの茂は、高志の方を見ていない。見ようとしない。
――もしかして、今日はそれを言うつもりだったのか。
茂が実家に帰る。その言葉は、高志に古傷をえぐるような打撃をもたらした。一年前のあの時も、茂は実家に帰ると高志に告げ、そしてそれきり音信不通になった。
それは、もう自分と会わないということだろうか。会えなくなっても構わないということだろうか。
その時、高志はふと、前に茂が発した言葉を思い出した。
一つを思い出せば、次々と思い出していった。その全てに意味があった。その時の自分が気付かなかった意味が。
――そうか。そういうことだったのか。
ただの友達でいられればいいと、そう思おうとした自分の努力は、それ自体が的外れなものだった。茂にはそんなつもりはなかったのだ。今になって茂の本心が理解できた。友達としてなら一緒にいられると思い込んでいた自分を嗤う。
――ばかばかしい。
全部、違ったんだ。茂の中では。
「……いつ実家に帰るんだ」
店員が立ち去った後、そう問う高志の声に、茂が顔を上げる。
「え? いや、まだ全然決めてないけど」
「そうか」
高志は鞄の中から財布を取り出すと、一万円札をテーブルの上に置いた。
「悪い。これで払っといて」
「え?」
「……帰る」
高志は上着と鞄を手に取ると、そのまま席を立った。
「え? ちょっと、藤代!」
慌てたような茂の声を無視して、狭い通路を走るように通り抜け、高志は店を出た。
「その辺、今の事務所は協力してくれたりするのか」
「分からないけど……二年後にまた戻ってくるって約束したら、その間にバイトくらいはさせてくれるかも」
経営者が恋人なのだから、何か融通が利いたりしないのか、と一瞬思う。しかし口に出すのは躊躇われた。
「……お前の彼女は何て言ってんの」
「あ、もともと、大学院に行けばって勧めてくれたのが諒子さんなんだ」
「そっか」
「生活費のこともさ、それなら一緒に住めばって言われたんだけどさ。さすがにな」
「え?」
茂は冗談めかして言ったが、高志は思わず声を上げた。
「……同棲するってこと?」
「いや、だからしないって」
――嫌だ。
目の前の茂の顔を見ながら、高志は一瞬の強い嫉妬心にかられた。見たこともない女にどんどん茂を独占されていく。思わず腹筋に力がこもる。
しかし、すぐに諦念を思い出した。茂が誰と何をしても、どちらにせよ自分には何を言う権利もない。今の自分はただの友達としてここにいるのだ。
単なる友達であれば何を言うだろう。何を言えばいいのだろう。
「……何で。もしそれで問題が一つ解決するなら、考えてみればいいだろ」
「しないよ。そんな簡単なことじゃないし」
本心とは裏腹の提案に茂がそう言い切ったので、高志は少しだけ安堵を覚えた。
「じゃあ、足りなくなったときだけ、そこも親に甘えられないのか。資格さえ取れれば、後からいくらでも返せるだろ」
「まあ、いざとなったらそうなるかもだけど」
茂は頷いた後、一拍の間を置いてから、言葉を繋いだ。
「そういう風に考えていくとさ、何か……どうせ仕事辞めてバイトするなら、わざわざこっちで独り暮らしを続けなくても、いったん実家に帰って向こうで大学院に通う方が合理的なのかなって気もしてきてさ」
「――」
高志が口を開いた時、再び店員が料理を運んできた。
ほとんど中身の減っていない皿を茂が奥に寄せて、空いたスペースに店員が新しい料理を置いていく。店員越しの茂は、高志の方を見ていない。見ようとしない。
――もしかして、今日はそれを言うつもりだったのか。
茂が実家に帰る。その言葉は、高志に古傷をえぐるような打撃をもたらした。一年前のあの時も、茂は実家に帰ると高志に告げ、そしてそれきり音信不通になった。
それは、もう自分と会わないということだろうか。会えなくなっても構わないということだろうか。
その時、高志はふと、前に茂が発した言葉を思い出した。
一つを思い出せば、次々と思い出していった。その全てに意味があった。その時の自分が気付かなかった意味が。
――そうか。そういうことだったのか。
ただの友達でいられればいいと、そう思おうとした自分の努力は、それ自体が的外れなものだった。茂にはそんなつもりはなかったのだ。今になって茂の本心が理解できた。友達としてなら一緒にいられると思い込んでいた自分を嗤う。
――ばかばかしい。
全部、違ったんだ。茂の中では。
「……いつ実家に帰るんだ」
店員が立ち去った後、そう問う高志の声に、茂が顔を上げる。
「え? いや、まだ全然決めてないけど」
「そうか」
高志は鞄の中から財布を取り出すと、一万円札をテーブルの上に置いた。
「悪い。これで払っといて」
「え?」
「……帰る」
高志は上着と鞄を手に取ると、そのまま席を立った。
「え? ちょっと、藤代!」
慌てたような茂の声を無視して、狭い通路を走るように通り抜け、高志は店を出た。
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