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第4章 ぐるぐると
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圭一と、付き合う。
数時間前に触れた圭一の唇と舌の感触を何度も思い出しながら、旭は自室のベッドの上に寝転がって天井を見上げていた。圭一に言われたとおり、というより言われるまでもなく、帰宅してからも旭はそのことについてずっと考えて続けていた。夕食のメニューが何だったか、既に覚えていない。
正直に言えば、旭にとっては付き合っていた元カノよりも圭一の方がずっと親密で大切な存在だった。今までと何も変わらずに、ただ圭一ともっと多くの時間を過ごすというだけなら、全然嫌じゃない。
でも、男と付き合うってことは、自分はゲイだということになるのだろうか。少なくとも、他人にはそう思われるのだろうか。
そう考えた途端、ひやっとするような恐怖を覚える。
試しにではあっても、圭一と付き合うことになった旭は、知らない間にものすごく高い壁を越えてしまったんじゃないのか。戻れない道を選んでしまったんじゃないのか。
――どうしよう。
そもそも圭一は本当にそういう意味で旭が好きなのか? 何か思い違いしてるんじゃないだろうか。だって本当に、今までそんな素振りは全くなかった。演技ができるようなやつでもないし。例えば近くに柏崎という人間がいるから、変に勘違いしているだけとか……。
でも、それが推測というよりは単なる自身の願望であることを、旭は分かっていた。思い違いであって欲しいと思っても、さっき自分を抱き締めていた圭一の体温を思い出せば、圭一の気持ちがそこにがあることを否定し続けることは難しかった。自分の頬に触れ、唇に触れた圭一の唇。旭がそこにいることを確かめるように少しずつ動いていた唇。そして、旭が咄嗟に振り払った時の後悔したような表情。多分、本当に好きじゃなければああいう風にはならない。
元カノとは、あまりキスはしなかった。女子が唇に塗るリップだかグロスだかのぬるっとした感触が好きになれず、多分、今日みたいに、終わった後にはいつも無意識に手で拭っていたと思う。向こうからキスしてくるのを避けはしなかったけど、きっとそういう旭の冷めた態度も相手には伝わっていたのだろう。
そして――セックス。12月に付き合い始め、年が明けてから元カノに誘われて何度かホテルに行った。軍資金は当然お正月にもらったお年玉で、田舎の祖父母の顔を思い出して罪悪感を覚えたりもした。旭はラブホテルは初めてだったけど向こうははそうではなかったようで、だから旭も必死に動じないふりをしていた。多分ばれていただろうけど。
別に好きじゃなくても、相手がベッドの上で半裸になれば、旭の体は痛いくらいに反応した。それからは夢中だった。好意なんてなくてもできたし、すごく気持ち良かった。ただ終わった後の気分が最悪だっただけだ。
あれを、圭一と、するのか?
再び圭一を思い浮かべたが、想像はその時点でもう旭の許容範囲を超えていた。圭一と何をするっていうんだ。そんなの無理に決まってる。
でも、圭一は旭とそういうこともしたいのだろうか。
『黒崎が変えたくなかったら、変えなくていい』。あの台詞は、多分こういう意味だったんだろうな、と思い返す。旭が嫌だと言えば、圭一はしないんだろう。とは言え、早速今日、断りもなくキスしてきたけど。
付き合うか。断るか。……どうしたらいい。
考えれば考えるほど、旭は混乱して判断力を失っていった。
今になって、圭一の言葉の意図が理解できた。女だったら知らない人間とでも付き合えたのに、男だったら圭一でも駄目なのかと、旭自身も頭ではそう思う。でもそんなの当然そうじゃないかと自分に反論する一方で、圭一や柏崎のことを思い出せば、常識と言えるはずの価値観が揺らいでくる。
やっぱり無理だと伝えたら、圭一は離れて行くんだろうか。ゲイになるくらいだったら、圭一と疎遠になっても仕方がないのかもしれない、けど……圭一が本当にいなくなってしまったら、自分は後悔するだろうか。
――何で俺なんか好きになるんだよ。
解決策の見えない状況に追い込まれて、ついには圭一に対する怒りさえこみ上げてくる。今までどおり友達のままで良かったじゃないか。何なんだよ。友達のままじゃ駄目だってことは、それってつまり、要するに、やりたいってことじゃないか。
「……何だよ」
天井を見上げながら無意識に独り言を口にすると、ちょうど同じタイミングで、「お風呂入っちゃいなさーい」と階下から母親の声が聞こえてきた。旭は膠着した思考を振り切るように勢いよく起き上がり、部屋を出てバスルームへと向かった。
脱衣所で服を脱いで、ふと鏡に映った自分の体を見る。丸く膨らんだ胸もない、何の面白みもない平らな体。ホテルで見た元カノの――女の子の裸とは全然違う。
そもそも圭一とは中学の時に修学旅行や林間学校で一緒に風呂にも入ったはずだ。体育の着替えならつい去年までしょっちゅう一緒だった。だから圭一は旭の体なんて何度も見ているはずだけど、その時に興奮してる様子なんてもちろんなかったし、不自然さを感じたことだって一度もない。
旭はそのまま扉を開けて浴室に入り、何度か掛け湯してから湯船に入った。肩まで体を沈めて心地良い熱に包まれる。お湯をすくった手で顔を洗う。
――もういいや。
考え続けるのに少し疲れて、旭はそこで堂々巡りの思考を止めた。後頭部を浴槽のへりに載せて、体の力を抜いて浮力に任せる。
圭一が何を考えているのか分からないけど、もしかしたらそこにエロい意味はないのかもしれない。単なる独占欲の延長みたいな感じなのなら、しばらくはそれに付き合ってもいいし、とりあえずもう少し様子を見てみよう。無理だと思ったら断るし、そうでないならわざわざ圭一に嫌な思いをさせる必要もない。そうだ。男友達とか男女交際とか、そういう型にはまった関係だけじゃなくて、何か新しい感じの付き合い方だと思っておけばいいじゃないか。
そう考えて今この場で結論を出すのを諦めたら、少し気分が浮上したのが分かった。
旭は顔以外のすべてをお湯に沈め、目を閉じて深く溜息をついた。
数時間前に触れた圭一の唇と舌の感触を何度も思い出しながら、旭は自室のベッドの上に寝転がって天井を見上げていた。圭一に言われたとおり、というより言われるまでもなく、帰宅してからも旭はそのことについてずっと考えて続けていた。夕食のメニューが何だったか、既に覚えていない。
正直に言えば、旭にとっては付き合っていた元カノよりも圭一の方がずっと親密で大切な存在だった。今までと何も変わらずに、ただ圭一ともっと多くの時間を過ごすというだけなら、全然嫌じゃない。
でも、男と付き合うってことは、自分はゲイだということになるのだろうか。少なくとも、他人にはそう思われるのだろうか。
そう考えた途端、ひやっとするような恐怖を覚える。
試しにではあっても、圭一と付き合うことになった旭は、知らない間にものすごく高い壁を越えてしまったんじゃないのか。戻れない道を選んでしまったんじゃないのか。
――どうしよう。
そもそも圭一は本当にそういう意味で旭が好きなのか? 何か思い違いしてるんじゃないだろうか。だって本当に、今までそんな素振りは全くなかった。演技ができるようなやつでもないし。例えば近くに柏崎という人間がいるから、変に勘違いしているだけとか……。
でも、それが推測というよりは単なる自身の願望であることを、旭は分かっていた。思い違いであって欲しいと思っても、さっき自分を抱き締めていた圭一の体温を思い出せば、圭一の気持ちがそこにがあることを否定し続けることは難しかった。自分の頬に触れ、唇に触れた圭一の唇。旭がそこにいることを確かめるように少しずつ動いていた唇。そして、旭が咄嗟に振り払った時の後悔したような表情。多分、本当に好きじゃなければああいう風にはならない。
元カノとは、あまりキスはしなかった。女子が唇に塗るリップだかグロスだかのぬるっとした感触が好きになれず、多分、今日みたいに、終わった後にはいつも無意識に手で拭っていたと思う。向こうからキスしてくるのを避けはしなかったけど、きっとそういう旭の冷めた態度も相手には伝わっていたのだろう。
そして――セックス。12月に付き合い始め、年が明けてから元カノに誘われて何度かホテルに行った。軍資金は当然お正月にもらったお年玉で、田舎の祖父母の顔を思い出して罪悪感を覚えたりもした。旭はラブホテルは初めてだったけど向こうははそうではなかったようで、だから旭も必死に動じないふりをしていた。多分ばれていただろうけど。
別に好きじゃなくても、相手がベッドの上で半裸になれば、旭の体は痛いくらいに反応した。それからは夢中だった。好意なんてなくてもできたし、すごく気持ち良かった。ただ終わった後の気分が最悪だっただけだ。
あれを、圭一と、するのか?
再び圭一を思い浮かべたが、想像はその時点でもう旭の許容範囲を超えていた。圭一と何をするっていうんだ。そんなの無理に決まってる。
でも、圭一は旭とそういうこともしたいのだろうか。
『黒崎が変えたくなかったら、変えなくていい』。あの台詞は、多分こういう意味だったんだろうな、と思い返す。旭が嫌だと言えば、圭一はしないんだろう。とは言え、早速今日、断りもなくキスしてきたけど。
付き合うか。断るか。……どうしたらいい。
考えれば考えるほど、旭は混乱して判断力を失っていった。
今になって、圭一の言葉の意図が理解できた。女だったら知らない人間とでも付き合えたのに、男だったら圭一でも駄目なのかと、旭自身も頭ではそう思う。でもそんなの当然そうじゃないかと自分に反論する一方で、圭一や柏崎のことを思い出せば、常識と言えるはずの価値観が揺らいでくる。
やっぱり無理だと伝えたら、圭一は離れて行くんだろうか。ゲイになるくらいだったら、圭一と疎遠になっても仕方がないのかもしれない、けど……圭一が本当にいなくなってしまったら、自分は後悔するだろうか。
――何で俺なんか好きになるんだよ。
解決策の見えない状況に追い込まれて、ついには圭一に対する怒りさえこみ上げてくる。今までどおり友達のままで良かったじゃないか。何なんだよ。友達のままじゃ駄目だってことは、それってつまり、要するに、やりたいってことじゃないか。
「……何だよ」
天井を見上げながら無意識に独り言を口にすると、ちょうど同じタイミングで、「お風呂入っちゃいなさーい」と階下から母親の声が聞こえてきた。旭は膠着した思考を振り切るように勢いよく起き上がり、部屋を出てバスルームへと向かった。
脱衣所で服を脱いで、ふと鏡に映った自分の体を見る。丸く膨らんだ胸もない、何の面白みもない平らな体。ホテルで見た元カノの――女の子の裸とは全然違う。
そもそも圭一とは中学の時に修学旅行や林間学校で一緒に風呂にも入ったはずだ。体育の着替えならつい去年までしょっちゅう一緒だった。だから圭一は旭の体なんて何度も見ているはずだけど、その時に興奮してる様子なんてもちろんなかったし、不自然さを感じたことだって一度もない。
旭はそのまま扉を開けて浴室に入り、何度か掛け湯してから湯船に入った。肩まで体を沈めて心地良い熱に包まれる。お湯をすくった手で顔を洗う。
――もういいや。
考え続けるのに少し疲れて、旭はそこで堂々巡りの思考を止めた。後頭部を浴槽のへりに載せて、体の力を抜いて浮力に任せる。
圭一が何を考えているのか分からないけど、もしかしたらそこにエロい意味はないのかもしれない。単なる独占欲の延長みたいな感じなのなら、しばらくはそれに付き合ってもいいし、とりあえずもう少し様子を見てみよう。無理だと思ったら断るし、そうでないならわざわざ圭一に嫌な思いをさせる必要もない。そうだ。男友達とか男女交際とか、そういう型にはまった関係だけじゃなくて、何か新しい感じの付き合い方だと思っておけばいいじゃないか。
そう考えて今この場で結論を出すのを諦めたら、少し気分が浮上したのが分かった。
旭は顔以外のすべてをお湯に沈め、目を閉じて深く溜息をついた。
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