上 下
1 / 1

1

しおりを挟む
「もう少し美味そうに育ったら食ってやろうとは思ってるんだがな」

 そう言ったのが自分を保護してくれた上司で、その対象が自分であることに愕然とした。
 まさか私、非常食だったなんて!


 上司は黒豹の獣人で、私はこのファンタジーな異世界に紛れ込んだ、この世界で言うところの「紛れ人」だ。
 突然の異世界転移とかいうものに動転していた私を、彼は親切に保護してくれた。会社からの帰り道、いつの間にか迷い込みさまよっていたのが今私がいる街の近くにある森で、そこを巡回警備していた警備兵の小隊長さんである彼が見つけてくれたのだ。
 彼は、元の世界に帰る術もわからず、とりあえずこの街で暮らすしかなかった私の身元引受人となり、職まで世話をしてくれた。今、私は彼の所属する警備隊で住み込みのハウスキーパーとして働かせてもらっている。


 多くの隊員たちが朝食の最中で騒がしい食堂だというのに、何故か偶然耳に入った上司の言葉を聞いた後、何も聞こえなかった素振りで調理場へ戻った私は、休憩用の丸椅子にへたりと腰かけた。
 思ってもいなかった事実に、胸はまだドキドキしている。元いた世界には存在しなかった獣人という種族について、正直突き詰めて考えたことはなかった。親切な上司の態度にまさか自分が捕食対象だなんて考えてもみなかったのだ。

 改めて、先程の上司の言葉を思い出してみて、思うところがあった。彼は、「もう少し育ったら」と言っていた。そもそも彼も周りの人たちも、私の年齢を誤解しているのだと思う。小さいのに偉いね、と言われるのは身長についてだけではないはずだ。
 確かに、この世界の人たちは概ね大柄で、私くらいの背丈の成人女性は、ほとんど見かけない。どちらかというと、子どもたちの目の高さの方が近い。つまり、私は成長期の子どもでまだ大きく育つと思われているのだ。
 だから、既に成人していてこれ以上は育つ予定がない(まあ、横に育つことはあるだろうけれど)という事実を伝えれば、小さくて食べ応えがなさそうということで非常食扱いからは解放されるんじゃないかな。と、そう思ったわけなのだが。

「そしたら、もうここには置いてもらえないのかなあ」

 ポツリと零れた自分の言葉にショックを受ける。親切にしてくれたのは、いつか食べるつもりだったから。そう思うと、とても悲しい気持ちになった。


 今の関係が明らかに変わるのが怖くて、自分がもう既に大人なのだとなかなか言い出せないでいた私は、挙動不審だったのだろう。

「何か困っていることがあるのか?」

 いつのまにか音もなくハウスキーパーの休憩室にやってきた上司に、突然顔を覗き込まれてそう問われた。目の前にある端正な顔に動揺せずにいられるほど、私の心臓は強くなかった。
 獣人は普段ほとんど人と同じ姿をしていて、その多くがとても美しい。上司もその例に漏れず、とても見目麗しい男性だった。黒豹を想起させるしなやかで獰猛な美しさ。人とは異なる頭に生えた黒い三角の耳と金色の瞳はさらにそれを際立たせる。視界の端に、黒くて長い尾が揺れている。

 狼狽えるばかりの私に、彼は自らの顎に手をやり思案した。その間数秒。

「もしかして、今朝の食堂での会話、聞かれてた?」

 流石、できる男は察する能力も高いのだな。なんて、感心している場合ではない。こうなったら、腹を括って伝えるしかない!

「あの、私これでももう成人してるので、これ以上大きくならないです!」
「え? そうなんだ」
 いつも過分に冷静なのであまり見たことのない驚いた顔には、大きくならない非常食に対するガッカリ感は浮かんでいないように見えた。それに少し安心した私は言葉を継ぐ。

「だから、非常食にするのは諦めてもらえませんか?!」

 一拍の後、ぶはっと大きな息が吐き出された。何かと思ったら、上司は大爆笑していた。初めて見るその姿に唖然としていると、顔が間近に近づいてくる。にっと笑う口の端から尖った歯が見えた。

「獣人は人を食べたりしない」

 頭の中で反芻して、酷い勘違いをしていたことに気付く。羞恥で顔が熱くなるのを自覚しながら、謝罪の言葉を発しようとした喉がひゅっと鳴った。
 「食べたりしない」と言い切ったのに、彼の目には私の背筋をゾッとさせるような不穏な色が浮かんでいる。いや、違う。彼の目に浮かぶのは。

「でも、獣人の男は人の女を食べる」

 壮絶な色気に充てられて力が入らなくなった私の腰に、いつのまにか彼の腕が回っている。

「子どもに手を出しちゃいけないと思ってたんだけど、もう成人してるんだ」
「あ、あの、私、まだ、お、美味しそう、じゃない、んですよね……」
 何とか絞り出した言葉に、上司は笑みを深める。

「んー?いや、もう充分美味しそう、かな」

 返す言葉も出てこないほど、私は混乱している。私にできるのは、ただ目の前にある上司の顔を睨みつけるくらいの勢いで見返すくらい。彼の表情が少し和らぐ。
「怖がらないでいい。無理強いをするつもりはない」
 その言葉とは裏腹に腰に回された腕は引き寄せられ、細められた瞳にはまた色気が漂い出した。信用していいやつじゃない、これ。
「……では、適正な距離感に戻していただけると」
「無理強いはしないけれど」
 満面の笑み。

「でも、君、俺のこと好きだろう?」
「!!」

 驚き過ぎて声にならない。え?私、好きなの?だからここにいられないかもと思った時あんなに悲しい気持ちになった?
「なんだ、違うの?」
 困ったように笑う上司の顔に、私の胸がぎゅうっとなる。
「ち、違い、ません」
 何とかそれだけ言うと、彼の笑顔は嬉しそうなものに変わった。
「そっか、良かった」


 そして私は、彼の非常食ではなく、彼の奥さんになったのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

参謀殿と私

鳴哉
恋愛
文官女子 と 始終睨みつけてくる上司(参謀) の話 短いのでサクッと読んでいただけると思います。 読みやすいように、6話に分けました。 今日は1話、2日目と3日目は2話、最終日は1話を予約投稿します。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

皇帝陛下は身ごもった寵姫を再愛する

真木
恋愛
燐砂宮が雪景色に覆われる頃、佳南は紫貴帝の御子を身ごもった。子の未来に不安を抱く佳南だったが、皇帝の溺愛は日に日に増して……。※「燐砂宮の秘めごと」のエピローグですが、単体でも読めます。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

お母様が国王陛下に見染められて再婚することになったら、美麗だけど残念な義兄の王太子殿下に婚姻を迫られました!

奏音 美都
恋愛
 まだ夜の冷気が残る早朝、焼かれたパンを店に並べていると、いつもは慌ただしく動き回っている母さんが、私の後ろに立っていた。 「エリー、実は……国王陛下に見染められて、婚姻を交わすことになったんだけど、貴女も王宮に入ってくれるかしら?」  国王陛下に見染められて……って。国王陛下が母さんを好きになって、求婚したってこと!? え、で……私も王宮にって、王室の一員になれってこと!?  国王陛下に挨拶に伺うと、そこには美しい顔立ちの王太子殿下がいた。 「エリー、どうか僕と結婚してくれ! 君こそ、僕の妻に相応しい!」  え……私、貴方の妹になるんですけど?  どこから突っ込んでいいのか分かんない。

夫が大変和やかに俺の事嫌い?と聞いてきた件について〜成金一族の娘が公爵家に嫁いで愛される話

はくまいキャベツ
恋愛
父親の事業が成功し、一気に貴族の仲間入りとなったローズマリー。 父親は地位を更に確固たるものにするため、長女のローズマリーを歴史ある貴族と政略結婚させようとしていた。 成金一族と揶揄されながらも社交界に出向き、公爵家の次男、マイケルと出会ったが、本物の貴族の血というものを見せつけられ、ローズマリーは怯んでしまう。 しかも相手も値踏みする様な目で見てきて苦手意識を持ったが、ローズマリーの思いも虚しくその家に嫁ぐ事となった。 それでも妻としての役目は果たそうと無難な日々を過ごしていたある日、「君、もしかして俺の事嫌い?」と、まるで食べ物の好き嫌いを聞く様に夫に尋ねられた。 (……なぜ、分かったの) 格差婚に悩む、素直になれない妻と、何を考えているのか掴みにくい不思議な夫が育む恋愛ストーリー。

ブラック企業を退職したら、極上マッサージに蕩ける日々が待ってました。

イセヤ レキ
恋愛
ブラック企業に勤める赤羽(あかばね)陽葵(ひまり)は、ある夜、退職を決意する。 きっかけは、雑居ビルのとあるマッサージ店。 そのマッサージ店の恰幅が良く朗らかな女性オーナーに新たな職場を紹介されるが、そこには無口で無表情な男の店長がいて……? ※ストーリー構成上、導入部だけシリアスです。 ※他サイトにも掲載しています。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...