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「もう少し美味そうに育ったら食ってやろうとは思ってるんだがな」
そう言ったのが自分を保護してくれた上司で、その対象が自分であることに愕然とした。
まさか私、非常食だったなんて!
上司は黒豹の獣人で、私はこのファンタジーな異世界に紛れ込んだ、この世界で言うところの「紛れ人」だ。
突然の異世界転移とかいうものに動転していた私を、彼は親切に保護してくれた。会社からの帰り道、いつの間にか迷い込みさまよっていたのが今私がいる街の近くにある森で、そこを巡回警備していた警備兵の小隊長さんである彼が見つけてくれたのだ。
彼は、元の世界に帰る術もわからず、とりあえずこの街で暮らすしかなかった私の身元引受人となり、職まで世話をしてくれた。今、私は彼の所属する警備隊で住み込みのハウスキーパーとして働かせてもらっている。
多くの隊員たちが朝食の最中で騒がしい食堂だというのに、何故か偶然耳に入った上司の言葉を聞いた後、何も聞こえなかった素振りで調理場へ戻った私は、休憩用の丸椅子にへたりと腰かけた。
思ってもいなかった事実に、胸はまだドキドキしている。元いた世界には存在しなかった獣人という種族について、正直突き詰めて考えたことはなかった。親切な上司の態度にまさか自分が捕食対象だなんて考えてもみなかったのだ。
改めて、先程の上司の言葉を思い出してみて、思うところがあった。彼は、「もう少し育ったら」と言っていた。そもそも彼も周りの人たちも、私の年齢を誤解しているのだと思う。小さいのに偉いね、と言われるのは身長についてだけではないはずだ。
確かに、この世界の人たちは概ね大柄で、私くらいの背丈の成人女性は、ほとんど見かけない。どちらかというと、子どもたちの目の高さの方が近い。つまり、私は成長期の子どもでまだ大きく育つと思われているのだ。
だから、既に成人していてこれ以上は育つ予定がない(まあ、横に育つことはあるだろうけれど)という事実を伝えれば、小さくて食べ応えがなさそうということで非常食扱いからは解放されるんじゃないかな。と、そう思ったわけなのだが。
「そしたら、もうここには置いてもらえないのかなあ」
ポツリと零れた自分の言葉にショックを受ける。親切にしてくれたのは、いつか食べるつもりだったから。そう思うと、とても悲しい気持ちになった。
今の関係が明らかに変わるのが怖くて、自分がもう既に大人なのだとなかなか言い出せないでいた私は、挙動不審だったのだろう。
「何か困っていることがあるのか?」
いつのまにか音もなくハウスキーパーの休憩室にやってきた上司に、突然顔を覗き込まれてそう問われた。目の前にある端正な顔に動揺せずにいられるほど、私の心臓は強くなかった。
獣人は普段ほとんど人と同じ姿をしていて、その多くがとても美しい。上司もその例に漏れず、とても見目麗しい男性だった。黒豹を想起させるしなやかで獰猛な美しさ。人とは異なる頭に生えた黒い三角の耳と金色の瞳はさらにそれを際立たせる。視界の端に、黒くて長い尾が揺れている。
狼狽えるばかりの私に、彼は自らの顎に手をやり思案した。その間数秒。
「もしかして、今朝の食堂での会話、聞かれてた?」
流石、できる男は察する能力も高いのだな。なんて、感心している場合ではない。こうなったら、腹を括って伝えるしかない!
「あの、私これでももう成人してるので、これ以上大きくならないです!」
「え? そうなんだ」
いつも過分に冷静なのであまり見たことのない驚いた顔には、大きくならない非常食に対するガッカリ感は浮かんでいないように見えた。それに少し安心した私は言葉を継ぐ。
「だから、非常食にするのは諦めてもらえませんか?!」
一拍の後、ぶはっと大きな息が吐き出された。何かと思ったら、上司は大爆笑していた。初めて見るその姿に唖然としていると、顔が間近に近づいてくる。にっと笑う口の端から尖った歯が見えた。
「獣人は人を食べたりしない」
頭の中で反芻して、酷い勘違いをしていたことに気付く。羞恥で顔が熱くなるのを自覚しながら、謝罪の言葉を発しようとした喉がひゅっと鳴った。
「食べたりしない」と言い切ったのに、彼の目には私の背筋をゾッとさせるような不穏な色が浮かんでいる。いや、違う。彼の目に浮かぶのは。
「でも、獣人の男は人の女を食べる」
壮絶な色気に充てられて力が入らなくなった私の腰に、いつのまにか彼の腕が回っている。
「子どもに手を出しちゃいけないと思ってたんだけど、もう成人してるんだ」
「あ、あの、私、まだ、お、美味しそう、じゃない、んですよね……」
何とか絞り出した言葉に、上司は笑みを深める。
「んー?いや、もう充分美味しそう、かな」
返す言葉も出てこないほど、私は混乱している。私にできるのは、ただ目の前にある上司の顔を睨みつけるくらいの勢いで見返すくらい。彼の表情が少し和らぐ。
「怖がらないでいい。無理強いをするつもりはない」
その言葉とは裏腹に腰に回された腕は引き寄せられ、細められた瞳にはまた色気が漂い出した。信用していいやつじゃない、これ。
「……では、適正な距離感に戻していただけると」
「無理強いはしないけれど」
満面の笑み。
「でも、君、俺のこと好きだろう?」
「!!」
驚き過ぎて声にならない。え?私、好きなの?だからここにいられないかもと思った時あんなに悲しい気持ちになった?
「なんだ、違うの?」
困ったように笑う上司の顔に、私の胸がぎゅうっとなる。
「ち、違い、ません」
何とかそれだけ言うと、彼の笑顔は嬉しそうなものに変わった。
「そっか、良かった」
そして私は、彼の非常食ではなく、彼の奥さんになったのだった。
そう言ったのが自分を保護してくれた上司で、その対象が自分であることに愕然とした。
まさか私、非常食だったなんて!
上司は黒豹の獣人で、私はこのファンタジーな異世界に紛れ込んだ、この世界で言うところの「紛れ人」だ。
突然の異世界転移とかいうものに動転していた私を、彼は親切に保護してくれた。会社からの帰り道、いつの間にか迷い込みさまよっていたのが今私がいる街の近くにある森で、そこを巡回警備していた警備兵の小隊長さんである彼が見つけてくれたのだ。
彼は、元の世界に帰る術もわからず、とりあえずこの街で暮らすしかなかった私の身元引受人となり、職まで世話をしてくれた。今、私は彼の所属する警備隊で住み込みのハウスキーパーとして働かせてもらっている。
多くの隊員たちが朝食の最中で騒がしい食堂だというのに、何故か偶然耳に入った上司の言葉を聞いた後、何も聞こえなかった素振りで調理場へ戻った私は、休憩用の丸椅子にへたりと腰かけた。
思ってもいなかった事実に、胸はまだドキドキしている。元いた世界には存在しなかった獣人という種族について、正直突き詰めて考えたことはなかった。親切な上司の態度にまさか自分が捕食対象だなんて考えてもみなかったのだ。
改めて、先程の上司の言葉を思い出してみて、思うところがあった。彼は、「もう少し育ったら」と言っていた。そもそも彼も周りの人たちも、私の年齢を誤解しているのだと思う。小さいのに偉いね、と言われるのは身長についてだけではないはずだ。
確かに、この世界の人たちは概ね大柄で、私くらいの背丈の成人女性は、ほとんど見かけない。どちらかというと、子どもたちの目の高さの方が近い。つまり、私は成長期の子どもでまだ大きく育つと思われているのだ。
だから、既に成人していてこれ以上は育つ予定がない(まあ、横に育つことはあるだろうけれど)という事実を伝えれば、小さくて食べ応えがなさそうということで非常食扱いからは解放されるんじゃないかな。と、そう思ったわけなのだが。
「そしたら、もうここには置いてもらえないのかなあ」
ポツリと零れた自分の言葉にショックを受ける。親切にしてくれたのは、いつか食べるつもりだったから。そう思うと、とても悲しい気持ちになった。
今の関係が明らかに変わるのが怖くて、自分がもう既に大人なのだとなかなか言い出せないでいた私は、挙動不審だったのだろう。
「何か困っていることがあるのか?」
いつのまにか音もなくハウスキーパーの休憩室にやってきた上司に、突然顔を覗き込まれてそう問われた。目の前にある端正な顔に動揺せずにいられるほど、私の心臓は強くなかった。
獣人は普段ほとんど人と同じ姿をしていて、その多くがとても美しい。上司もその例に漏れず、とても見目麗しい男性だった。黒豹を想起させるしなやかで獰猛な美しさ。人とは異なる頭に生えた黒い三角の耳と金色の瞳はさらにそれを際立たせる。視界の端に、黒くて長い尾が揺れている。
狼狽えるばかりの私に、彼は自らの顎に手をやり思案した。その間数秒。
「もしかして、今朝の食堂での会話、聞かれてた?」
流石、できる男は察する能力も高いのだな。なんて、感心している場合ではない。こうなったら、腹を括って伝えるしかない!
「あの、私これでももう成人してるので、これ以上大きくならないです!」
「え? そうなんだ」
いつも過分に冷静なのであまり見たことのない驚いた顔には、大きくならない非常食に対するガッカリ感は浮かんでいないように見えた。それに少し安心した私は言葉を継ぐ。
「だから、非常食にするのは諦めてもらえませんか?!」
一拍の後、ぶはっと大きな息が吐き出された。何かと思ったら、上司は大爆笑していた。初めて見るその姿に唖然としていると、顔が間近に近づいてくる。にっと笑う口の端から尖った歯が見えた。
「獣人は人を食べたりしない」
頭の中で反芻して、酷い勘違いをしていたことに気付く。羞恥で顔が熱くなるのを自覚しながら、謝罪の言葉を発しようとした喉がひゅっと鳴った。
「食べたりしない」と言い切ったのに、彼の目には私の背筋をゾッとさせるような不穏な色が浮かんでいる。いや、違う。彼の目に浮かぶのは。
「でも、獣人の男は人の女を食べる」
壮絶な色気に充てられて力が入らなくなった私の腰に、いつのまにか彼の腕が回っている。
「子どもに手を出しちゃいけないと思ってたんだけど、もう成人してるんだ」
「あ、あの、私、まだ、お、美味しそう、じゃない、んですよね……」
何とか絞り出した言葉に、上司は笑みを深める。
「んー?いや、もう充分美味しそう、かな」
返す言葉も出てこないほど、私は混乱している。私にできるのは、ただ目の前にある上司の顔を睨みつけるくらいの勢いで見返すくらい。彼の表情が少し和らぐ。
「怖がらないでいい。無理強いをするつもりはない」
その言葉とは裏腹に腰に回された腕は引き寄せられ、細められた瞳にはまた色気が漂い出した。信用していいやつじゃない、これ。
「……では、適正な距離感に戻していただけると」
「無理強いはしないけれど」
満面の笑み。
「でも、君、俺のこと好きだろう?」
「!!」
驚き過ぎて声にならない。え?私、好きなの?だからここにいられないかもと思った時あんなに悲しい気持ちになった?
「なんだ、違うの?」
困ったように笑う上司の顔に、私の胸がぎゅうっとなる。
「ち、違い、ません」
何とかそれだけ言うと、彼の笑顔は嬉しそうなものに変わった。
「そっか、良かった」
そして私は、彼の非常食ではなく、彼の奥さんになったのだった。
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