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第3章
10話 夢の目覚め
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スマホのアラームの音で葵は目が覚めた。
長い間、夢を見ていたのだろうか。
ドアのない真っ白な空間に座り、何年も、何10年も、時間の感覚がなくなるくらい、ただひたすら何かをじっと待っていたような気がした。それが何なのか、何も思い出せなかった。
目覚めが悪く、ぼーっとしていた葵だったが、車内に響き渡る自分のアラーム音に気付き慌てて止めた。通路を挟んだ座席に座る恰幅のいいおじさんが、迷惑そうな顔をして、葵を見ていた。葵が頭を下げて謝ると、おじさんは頷いて、手に持っていた新聞を畳み始めた。
しばらくすると新幹線は東京駅のホームに着いた。葵は左腕に身に着けている腕時計を見た。12時ジャストを指している。
葵は新幹線から下りると、新宿行きの中央線2番線ホームを目指して歩いた。
東京の駅は田舎とは違い、人でごった返している。まして、東京駅はそこらの駅とは比べ物にならないくらい人で溢れている。よそ見をしていたら、肩がぶつかってしまうくらいだ。
葵は東京に来る度、地元福島との人の数に圧倒されていた。そして、駅構内にはデパート並みのお店が入っている。そんなことにも驚きを隠せなかった。地元では買えないモノがたくさんここにはある。東京に来るのはそれも楽しみの一つであった。
葵は中央線のホームへ行くために長いエスカレーターに乗った。手提げバッグからスマホを取り出す。電源ボタンを押すとディスプレイには7月15日の文字が表示され、さらに透哉からメールが届いていた。葵はメールを開いた。
「もう東京駅に着いた? 昨日はごめん。会った時に話すから」
葵は首を傾げた。少しだけ考えたが、謝られる理由が一つも思い出せなかった。何て返信していいのかわからなかったので、そのままスマホを手提げバッグにしまった。会った時に聞けばいい。葵は楽観的に考えていた。長いエスカレーターがようやく終わり、葵は中央線のホームに着いた。
ホームを歩いていると、電車が到着するアナウンスが入った。葵は近くの乗り場を見つけるとそこで待った。まもなくすると東京駅着の電車が到着した。電車の窓に葵の身体が映る。青色がだいぶ薄くなったダメージジーンズ。英語の文字がプリントされた、白の少し大きめのTシャツ。首から下がる半月のネックレスがキラリと光っている。視線を足元に移した。今日の為に購入した紺のパンプス。まだ慣れていないせいか、ちょっと足が痛かった。
人が降りるのを待ち、葵は電車に乗った。電車の中はすぐ人で埋め尽くされた。
ホームの案内放送が鳴った。そろそろ新宿行きが発車されるようだ。まもなく、12時10分東京駅発八王子行の中央線快速電車が発車した。
葵は手すりを掴み、窓から景色を眺めていた。車窓からは高層ビルが立ち並ぶ。私も大人になったらこういう場所で働いてみたい。葵はそう思っていた。
大学進学を考えてはいるが、これと言ってやりたいことはまだ見つかっていない。願望だけが先走り、漠然とした考えだった。
新宿駅に着くまで、田舎では考えられないビルの数を見たかもしれない。田舎の電車の車窓では森や田んぼや畑を嫌なほど見る。しかし、それはそれで、葵は好きだった。
自然に溢れるその光景は見ていて飽きることはなかった。新幹線で東京駅に行くときも、都会に近づくにつれ、高度成長期を凝縮させたかのように、街並みがみるみる変わっていく。
電車の窓に自分の姿が映った。ちょっと緊張のせいか強張った表情の自分がいた。何度も来ているが、中々慣れる気がしないこの東京という街。葵は口角を上げて、少し、表情を和ませた。
葵の表情に勘違いをしたのだろうか、隣にいる学生服を着た高校生が、照れたように鏡越しに視線を外した。葵は困ったなぁと小さなため息をついた。
車掌さんのアナウンスが車内に流れる。そろそろ新宿駅に着きそうだ。葵は腕時計を見た。12時25分を指していた。
八王子行きの中央線快速電車は新宿駅に着いた。
ドアの向こうのホームには人が二列縦隊で並んでいる。東京駅でもそうであったが、地元では中々見られない光景だった。
ドアが開くと同時に雪崩でも起きたかのように、車内の人がホームに降りる。葵も巻き込まれるようにしてホームに降りた。人いすぎだろと突っ込みたくなるくらい、そこには人が溢れている。左右見渡しても人だらけだった。
葵はキョロキョロしながら案内板を頼りに東口を目指して歩いた。待ち合わせは当初の予定通り、東口のスタジオアルタの巨大スクリーンの前だ。
東京はどこの駅で下車をしても、こんなに人という人で混雑しているのだろうか。葵は東京に来るたびにこの疑問が浮かんだ。しかし、全ての駅に行ってみようとか、調べてみようとか、そういう事は思わなかった。空想にふけるわけではないが、そんな風に考え事をしているうちに、目的地へ着く。ただの暇つぶしになるからだった。
葵は東口の改札を出た。左に進み、右斜め前に見える階段を上がった。階段を上がった先にはドアが開いており、そこから外に出られる。
外に出ると、葵と同じように待ち合わせなのか多くの人がガードレールに寄りかかったり、座ったりしていた。その人たちを横目に葵はアルタの巨大スクリーンの前まで歩いた。
葵が巨大スクリーンの前に着くと、ちょうど話題のニュースが流れた。
「本日7月15日はスーパームーンの日です! 今年は今世紀最大の大きさで見えるようです。夜も曇りなく晴れますので、全国的に月はよく見える模様です」
女性キャスターが言う。葵も連日のニュースでこの話題は知っていた。最終の新幹線に乗ることにすれば、透哉と一緒にスーパームーンは見れるはずだ。
コメンテーターが何か言っていたが、葵はもう聞いていなかった。12時45分をお知らせするニュースが流れた。葵も同時に時計を見て時刻を確認した。
「まだ時間あるか」
葵はぼそっと独り言を言うと、その場を離れた。
ちょっとその辺のお店を見て回ろうと軽い気持ちだった。新宿御苑に向かう方へ歩き出し、ちょうどABCマートを目印に歌舞伎町へと向かう左の道へ曲がった。
建ち並ぶお店を外から眺めて回る。紳士服のお店や、飲み屋が見えた。目線を前に移そうとしたとき、突然肩に衝撃が走った。
「いたっ」
葵は尻餅をついた。
「ごめんなさい」
女の子の声だ。葵は顔を上げた。
女の子は黒いキャミソールにロゴ入りの白いタンクトップを重ね着し、デニムのショートパンツをはいている。女の子はすらっとした細い手を葵に差し伸べた。葵はその手をぎゅっと握った。
女の子は力いっぱい葵の手を引っ張り、葵はそれを利用して立ち上がった。葵はお尻に着いた砂利を両手で払った。
「大丈夫ですか?」
女の子は心配そうに言った。
「うん。大丈夫。私の方こそよそ見してごめんなさい」
葵は女の子を見た。自分と同じくらいの歳だろうか。
「それじゃ」
女の子はそう言うと、歩いて行ってしまった。葵も歩こうと一歩右足を出した所で、スマホの着信が鳴った。透哉からだ。葵は電話に出た。
「今どこにいる? もう新宿にいるんだろ?」
「いるけど。透哉君はどこにいるの?」
その声に反応したのか先ほどぶつかった女の子が振り向いた。葵と目が合った。葵はその女の子に向けてニコッと笑顔を見せた。
「俺も新宿だよ。アルタ前に着いた」
葵は時計を見た。13時を回っていた。
「葵、今どこにいるんだよ。とりあえず早く来てくれ!」
「今、歌舞伎町の近くだからちょっと待ってて」
葵が視線を時計から戻すと、先ほどの女の子が目の前に立っていた。
「透哉君ですか?」
いきなり何を言っているの。名前も知らない。肩がぶつかっただけの女の子の一声に葵は当惑した。
「え? 何? そ、そうですが」
「それじゃ、あなたが」
女の子が葵のパーソナルスペースに踏み込んだ。葵は一歩後ずさりした。
「なんだ? 誰かといるのか? 早くしない……」
透哉の声が突然途切れた。葵はスマホを確認した。電話は既に切れており、電波もなぜか圏外になっている。
「え、なに? なにこれ」
葵が呟くと、女の子もスマホを確認していた。どうやら女の子のスマホもダメみたいだった。
突然、ズンっと靴底を持ち上げられるような衝撃が葵を襲った。周りから一斉に悲鳴が上がる。地震だった。
じ、地震!?
葵は周りを見渡した。
次第に強くなる地震。強固なコンクリートは波を打っていた。葵は立っていることがままならなかった。重力に任せる様に地面に座り込んだ。
まだ揺れている。舗装された道路に亀裂が入る。遠くの方では道路が陥没しているのか、段差が出来ている。
「……本当にきた」
葵の目の前にいる女の子はそう呟いた。葵にはその言葉の意味が理解できなかった。
強い揺れはまだ続いている。ビルの窓が割れる音が聞こえた。さらに、街灯が倒れた。その下敷きになったのか、叫びとも聞こえる悲鳴が聞こえた。葵は耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、揺れが酷く、地面から手を離すことが出来なかった。
また、葵は必死に立とうと試みたが、地震の揺れで足が地面に定まらず、両手をついていなければ、その場に留まることができなかった。
葵の進行方向、歌舞伎町の方のビルが一気に崩れ去るのが見えた。また悲鳴が聞こえた。さらに葵を取り囲むように両端にそびえ立っているビル群も大きな地響きにも聞こえる音を立てて崩れ落ちた。
葵のすぐ近くにいた人たちが、悲鳴すら上げることもできず瓦礫に飲みこまれていった。
強い揺れの地震は次第に弱くなると、葵もようやく立つことができた。辺りを見渡すと、先ほどまで賑やかだった都会の街は、ただの瓦礫の山に変わり果てしまった。警報機がやたらめったら鳴り響いている。
呆然と立ち尽くす葵。うずくまる様にして地面に丸まっている女の子。周りには、何人か無事な人もいたが、周囲の人たちはビルの崩壊によって生き埋めにされたか、道路の陥没により、地下に落とされてしまっているようだった。
「大丈夫?」
葵は跪いて女の子に声をかけた。女の子の肩に手を当てると、女の子がガクガクと全身を震わせているのがわかった。女の子はゆっくりと顔を上げると、2度頷いた。
「おい! 誰か助けてくれ!」
男性の声だ。葵は振り向いた。声のする方には誰もいない。恐らく瓦礫の中にいるのだろうか。葵は躊躇った。周りの人たちも聞こえないふりをしていた。
私に助けられるのか。自問自答が続く中、男性は声を上げている。しかし、あの瓦礫を取り除くなんてことは、か弱い女の子1人でどうこうできるレベルじゃない。困っている人を放っておけない葵でも、到底無理な事だった。
透哉君となら……
葵は大地震により、気が動転していたが、透哉から電話が来た時のことを思い出した。
「私、行かなくちゃ」
葵は、女の子にそう言うと、スタジオアルタを目指して走り出した。
背中越しに助けを求める声がするが、振り向くことはしなかった。
見捨てたわけではない。そう言い聞かせることで、平常を装った。先ほどまで繁盛していたABCマートも今は見る影もない。
葵はT字路を右に曲がった。曲がった先、およそ数メートル先にあるはずの地面がそこにはなかった。黒い空間が顔を覗かせている。葵は足を止めた。恐らく、地下街の空間に全て崩落したのだろう。これでは迂回しなければ、当初の待ち合わせ場所に行けない。
葵は踝を返した。その時、背後から葵を呼ぶ声が聞こえた。
「葵か?」
透哉の声だった。
「透哉君無事だったんだ」
葵はホッとしたのか、目が潤んだ。
「まぁ、何とか」
透哉は足を怪我しているようだった。
「足大丈夫?」
「ああ。ちょっと捻った」
「そう。ここからじゃそっちに行けないから、私、あっちから回っていくね」
葵が言うと、透哉はニコッと笑った。
「わかった。やっとお前に会うことができた」
「うん。ちょっと待ってて」
葵がそう言って透哉に手を振って別れを告げた矢先の事だった。
今まで崩れなかったのが奇跡だったともいえる、建設途中のビルが音を立てて崩壊した。
葵は頭上を見た。足場がゆっくりと崩れてくる。葵はそれを眺める事しかできなかった。透哉が何か叫んでいるが全く聞こえなかった。スローモーションで落ちてくる鉄の塊が目の前に迫ってくる。
ああ、これが死ぬってことなのかな。
葵は目を閉じた。
直後、葵の全身にドンっと重い衝撃が走った。
長い間、夢を見ていたのだろうか。
ドアのない真っ白な空間に座り、何年も、何10年も、時間の感覚がなくなるくらい、ただひたすら何かをじっと待っていたような気がした。それが何なのか、何も思い出せなかった。
目覚めが悪く、ぼーっとしていた葵だったが、車内に響き渡る自分のアラーム音に気付き慌てて止めた。通路を挟んだ座席に座る恰幅のいいおじさんが、迷惑そうな顔をして、葵を見ていた。葵が頭を下げて謝ると、おじさんは頷いて、手に持っていた新聞を畳み始めた。
しばらくすると新幹線は東京駅のホームに着いた。葵は左腕に身に着けている腕時計を見た。12時ジャストを指している。
葵は新幹線から下りると、新宿行きの中央線2番線ホームを目指して歩いた。
東京の駅は田舎とは違い、人でごった返している。まして、東京駅はそこらの駅とは比べ物にならないくらい人で溢れている。よそ見をしていたら、肩がぶつかってしまうくらいだ。
葵は東京に来る度、地元福島との人の数に圧倒されていた。そして、駅構内にはデパート並みのお店が入っている。そんなことにも驚きを隠せなかった。地元では買えないモノがたくさんここにはある。東京に来るのはそれも楽しみの一つであった。
葵は中央線のホームへ行くために長いエスカレーターに乗った。手提げバッグからスマホを取り出す。電源ボタンを押すとディスプレイには7月15日の文字が表示され、さらに透哉からメールが届いていた。葵はメールを開いた。
「もう東京駅に着いた? 昨日はごめん。会った時に話すから」
葵は首を傾げた。少しだけ考えたが、謝られる理由が一つも思い出せなかった。何て返信していいのかわからなかったので、そのままスマホを手提げバッグにしまった。会った時に聞けばいい。葵は楽観的に考えていた。長いエスカレーターがようやく終わり、葵は中央線のホームに着いた。
ホームを歩いていると、電車が到着するアナウンスが入った。葵は近くの乗り場を見つけるとそこで待った。まもなくすると東京駅着の電車が到着した。電車の窓に葵の身体が映る。青色がだいぶ薄くなったダメージジーンズ。英語の文字がプリントされた、白の少し大きめのTシャツ。首から下がる半月のネックレスがキラリと光っている。視線を足元に移した。今日の為に購入した紺のパンプス。まだ慣れていないせいか、ちょっと足が痛かった。
人が降りるのを待ち、葵は電車に乗った。電車の中はすぐ人で埋め尽くされた。
ホームの案内放送が鳴った。そろそろ新宿行きが発車されるようだ。まもなく、12時10分東京駅発八王子行の中央線快速電車が発車した。
葵は手すりを掴み、窓から景色を眺めていた。車窓からは高層ビルが立ち並ぶ。私も大人になったらこういう場所で働いてみたい。葵はそう思っていた。
大学進学を考えてはいるが、これと言ってやりたいことはまだ見つかっていない。願望だけが先走り、漠然とした考えだった。
新宿駅に着くまで、田舎では考えられないビルの数を見たかもしれない。田舎の電車の車窓では森や田んぼや畑を嫌なほど見る。しかし、それはそれで、葵は好きだった。
自然に溢れるその光景は見ていて飽きることはなかった。新幹線で東京駅に行くときも、都会に近づくにつれ、高度成長期を凝縮させたかのように、街並みがみるみる変わっていく。
電車の窓に自分の姿が映った。ちょっと緊張のせいか強張った表情の自分がいた。何度も来ているが、中々慣れる気がしないこの東京という街。葵は口角を上げて、少し、表情を和ませた。
葵の表情に勘違いをしたのだろうか、隣にいる学生服を着た高校生が、照れたように鏡越しに視線を外した。葵は困ったなぁと小さなため息をついた。
車掌さんのアナウンスが車内に流れる。そろそろ新宿駅に着きそうだ。葵は腕時計を見た。12時25分を指していた。
八王子行きの中央線快速電車は新宿駅に着いた。
ドアの向こうのホームには人が二列縦隊で並んでいる。東京駅でもそうであったが、地元では中々見られない光景だった。
ドアが開くと同時に雪崩でも起きたかのように、車内の人がホームに降りる。葵も巻き込まれるようにしてホームに降りた。人いすぎだろと突っ込みたくなるくらい、そこには人が溢れている。左右見渡しても人だらけだった。
葵はキョロキョロしながら案内板を頼りに東口を目指して歩いた。待ち合わせは当初の予定通り、東口のスタジオアルタの巨大スクリーンの前だ。
東京はどこの駅で下車をしても、こんなに人という人で混雑しているのだろうか。葵は東京に来るたびにこの疑問が浮かんだ。しかし、全ての駅に行ってみようとか、調べてみようとか、そういう事は思わなかった。空想にふけるわけではないが、そんな風に考え事をしているうちに、目的地へ着く。ただの暇つぶしになるからだった。
葵は東口の改札を出た。左に進み、右斜め前に見える階段を上がった。階段を上がった先にはドアが開いており、そこから外に出られる。
外に出ると、葵と同じように待ち合わせなのか多くの人がガードレールに寄りかかったり、座ったりしていた。その人たちを横目に葵はアルタの巨大スクリーンの前まで歩いた。
葵が巨大スクリーンの前に着くと、ちょうど話題のニュースが流れた。
「本日7月15日はスーパームーンの日です! 今年は今世紀最大の大きさで見えるようです。夜も曇りなく晴れますので、全国的に月はよく見える模様です」
女性キャスターが言う。葵も連日のニュースでこの話題は知っていた。最終の新幹線に乗ることにすれば、透哉と一緒にスーパームーンは見れるはずだ。
コメンテーターが何か言っていたが、葵はもう聞いていなかった。12時45分をお知らせするニュースが流れた。葵も同時に時計を見て時刻を確認した。
「まだ時間あるか」
葵はぼそっと独り言を言うと、その場を離れた。
ちょっとその辺のお店を見て回ろうと軽い気持ちだった。新宿御苑に向かう方へ歩き出し、ちょうどABCマートを目印に歌舞伎町へと向かう左の道へ曲がった。
建ち並ぶお店を外から眺めて回る。紳士服のお店や、飲み屋が見えた。目線を前に移そうとしたとき、突然肩に衝撃が走った。
「いたっ」
葵は尻餅をついた。
「ごめんなさい」
女の子の声だ。葵は顔を上げた。
女の子は黒いキャミソールにロゴ入りの白いタンクトップを重ね着し、デニムのショートパンツをはいている。女の子はすらっとした細い手を葵に差し伸べた。葵はその手をぎゅっと握った。
女の子は力いっぱい葵の手を引っ張り、葵はそれを利用して立ち上がった。葵はお尻に着いた砂利を両手で払った。
「大丈夫ですか?」
女の子は心配そうに言った。
「うん。大丈夫。私の方こそよそ見してごめんなさい」
葵は女の子を見た。自分と同じくらいの歳だろうか。
「それじゃ」
女の子はそう言うと、歩いて行ってしまった。葵も歩こうと一歩右足を出した所で、スマホの着信が鳴った。透哉からだ。葵は電話に出た。
「今どこにいる? もう新宿にいるんだろ?」
「いるけど。透哉君はどこにいるの?」
その声に反応したのか先ほどぶつかった女の子が振り向いた。葵と目が合った。葵はその女の子に向けてニコッと笑顔を見せた。
「俺も新宿だよ。アルタ前に着いた」
葵は時計を見た。13時を回っていた。
「葵、今どこにいるんだよ。とりあえず早く来てくれ!」
「今、歌舞伎町の近くだからちょっと待ってて」
葵が視線を時計から戻すと、先ほどの女の子が目の前に立っていた。
「透哉君ですか?」
いきなり何を言っているの。名前も知らない。肩がぶつかっただけの女の子の一声に葵は当惑した。
「え? 何? そ、そうですが」
「それじゃ、あなたが」
女の子が葵のパーソナルスペースに踏み込んだ。葵は一歩後ずさりした。
「なんだ? 誰かといるのか? 早くしない……」
透哉の声が突然途切れた。葵はスマホを確認した。電話は既に切れており、電波もなぜか圏外になっている。
「え、なに? なにこれ」
葵が呟くと、女の子もスマホを確認していた。どうやら女の子のスマホもダメみたいだった。
突然、ズンっと靴底を持ち上げられるような衝撃が葵を襲った。周りから一斉に悲鳴が上がる。地震だった。
じ、地震!?
葵は周りを見渡した。
次第に強くなる地震。強固なコンクリートは波を打っていた。葵は立っていることがままならなかった。重力に任せる様に地面に座り込んだ。
まだ揺れている。舗装された道路に亀裂が入る。遠くの方では道路が陥没しているのか、段差が出来ている。
「……本当にきた」
葵の目の前にいる女の子はそう呟いた。葵にはその言葉の意味が理解できなかった。
強い揺れはまだ続いている。ビルの窓が割れる音が聞こえた。さらに、街灯が倒れた。その下敷きになったのか、叫びとも聞こえる悲鳴が聞こえた。葵は耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、揺れが酷く、地面から手を離すことが出来なかった。
また、葵は必死に立とうと試みたが、地震の揺れで足が地面に定まらず、両手をついていなければ、その場に留まることができなかった。
葵の進行方向、歌舞伎町の方のビルが一気に崩れ去るのが見えた。また悲鳴が聞こえた。さらに葵を取り囲むように両端にそびえ立っているビル群も大きな地響きにも聞こえる音を立てて崩れ落ちた。
葵のすぐ近くにいた人たちが、悲鳴すら上げることもできず瓦礫に飲みこまれていった。
強い揺れの地震は次第に弱くなると、葵もようやく立つことができた。辺りを見渡すと、先ほどまで賑やかだった都会の街は、ただの瓦礫の山に変わり果てしまった。警報機がやたらめったら鳴り響いている。
呆然と立ち尽くす葵。うずくまる様にして地面に丸まっている女の子。周りには、何人か無事な人もいたが、周囲の人たちはビルの崩壊によって生き埋めにされたか、道路の陥没により、地下に落とされてしまっているようだった。
「大丈夫?」
葵は跪いて女の子に声をかけた。女の子の肩に手を当てると、女の子がガクガクと全身を震わせているのがわかった。女の子はゆっくりと顔を上げると、2度頷いた。
「おい! 誰か助けてくれ!」
男性の声だ。葵は振り向いた。声のする方には誰もいない。恐らく瓦礫の中にいるのだろうか。葵は躊躇った。周りの人たちも聞こえないふりをしていた。
私に助けられるのか。自問自答が続く中、男性は声を上げている。しかし、あの瓦礫を取り除くなんてことは、か弱い女の子1人でどうこうできるレベルじゃない。困っている人を放っておけない葵でも、到底無理な事だった。
透哉君となら……
葵は大地震により、気が動転していたが、透哉から電話が来た時のことを思い出した。
「私、行かなくちゃ」
葵は、女の子にそう言うと、スタジオアルタを目指して走り出した。
背中越しに助けを求める声がするが、振り向くことはしなかった。
見捨てたわけではない。そう言い聞かせることで、平常を装った。先ほどまで繁盛していたABCマートも今は見る影もない。
葵はT字路を右に曲がった。曲がった先、およそ数メートル先にあるはずの地面がそこにはなかった。黒い空間が顔を覗かせている。葵は足を止めた。恐らく、地下街の空間に全て崩落したのだろう。これでは迂回しなければ、当初の待ち合わせ場所に行けない。
葵は踝を返した。その時、背後から葵を呼ぶ声が聞こえた。
「葵か?」
透哉の声だった。
「透哉君無事だったんだ」
葵はホッとしたのか、目が潤んだ。
「まぁ、何とか」
透哉は足を怪我しているようだった。
「足大丈夫?」
「ああ。ちょっと捻った」
「そう。ここからじゃそっちに行けないから、私、あっちから回っていくね」
葵が言うと、透哉はニコッと笑った。
「わかった。やっとお前に会うことができた」
「うん。ちょっと待ってて」
葵がそう言って透哉に手を振って別れを告げた矢先の事だった。
今まで崩れなかったのが奇跡だったともいえる、建設途中のビルが音を立てて崩壊した。
葵は頭上を見た。足場がゆっくりと崩れてくる。葵はそれを眺める事しかできなかった。透哉が何か叫んでいるが全く聞こえなかった。スローモーションで落ちてくる鉄の塊が目の前に迫ってくる。
ああ、これが死ぬってことなのかな。
葵は目を閉じた。
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