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8,小学校、オフライン強化とマルチエイジングシステム
しおりを挟むその日、小学校の体育館に首相が映されていた。
大学や高校の説明時もそうだったのだが、同時にネット配信がされており、多くの親たちもまた同じ映像を見ていた。
姪っ子がこれから(数年後だが)行く小学校が気になるへんくつ研究者掛井嘉人もまたその一人。
最初のあいさつののち、画面の中の首相が言った。
「インドの天才数学者は、なぜそんなにも次々と完璧な数式を思いつくのかと聞かれて、神が教えてくれるのだと答えました。高名な数学者ほど感性の重要性を説きます。
天才とは左脳でできているのではありません。
右脳の感性、心と、左脳の知識、合理性が両方揃ってはじめて天才は生み出されるのです。
オンライン世界は左脳優勢の世界といえます。バランスを取るには現実世界を感じる経験が、特に幼少期に必要です。風が肌をなで、鳥が鳴き、電車が走り去っていく景色の中で花の香りを感じること、近隣の店から流れてくる食べ物の匂い、親とつなぐ手のぬくもり、頼もしさ、人への愛情や優しさもまた実体験なくば育ちません。そういった体感覚がオンラインで消失するのは大いなる危機です」
よく分かっているじゃないか。と掛井は思った。
イングランドはケンブリッジ大学の周辺環境は美しく整えられている。周辺に住む普通の翁が、美しいものに育まれた感性が新しい発想を生み出すのだと、にこにこ微笑んで言うくらい、そこでは当たり前に感性の重要性が理解されている。
そういえば大正ロマンと言われたように、高度成長期を支えた世代の育った時代は美意識も高かったのかも知れないと、ふと思った。
「よって小学生のデジタル教育は最小限にし、今後もノートに鉛筆で字を書くスタイルを続行します。
小学校高学年からはシャープペンシルも可とするなど細かな調整は致しますが。鉛筆を削る経験も、木のぬくもりを当たり前に感じる経験も、芯が折れてイラつく経験も、すべてが心を育むものとなるでしょう。
ご家庭においてデジタル教材を使用するのはかまいません。デジタル社会ですので、そうなるのは自然なことです。しかしならばこそ学校ではあえて体感覚を養う経験をさせるのが、学び場としての役割でありましょう」
逆に言えば、学校がデジタル化していくなら家庭では体感覚を重視した教育をすると良いともいえる。
美術方面の知人は、とにかく多くの芸術に触れる経験をすることが大事だと言う。分からなくても良いからとにかく良いものを見ろと。その経験が無意識のうちで役に立つから。
「また読解力は小学生までに決まるともいわれ、なにをおいてもまずは国語力が大切だともいわれます。他の教科を学ぶにも理解できる国語力の有無で成長速度が変わります。よって小学校では国語の授業を増やします。
また中学英語が急に難解になる原因として小学校でのフォニックス学習がないことがあげられています。ゆえに小学英語にフォニックス学習を加えます。
フォニックスはエービーシーとは違う読み方の学習ですが、これは漢字の音読みと訓読みのようなもので、片方だけ学ばないと片手落ちなのは日本の皆様ならおわかりいただけるでしょう。
さらに小学校の各校に一人、英語ネイティブの外国人教師を導入。担任ではなく外国人教師による英語学習に移行します」
「ははは、次々行くなぁ」
教育界の改革がありすぎていっそ笑えてくる。
ついてこれないやつもいるだろうな、とも思う。
「さらに、デジタルの導入がないことで小学校教諭の仕事量が多いままになりますので、小学校教諭の数を倍にし、授業は担任と副担任の持ち回り式にします。そして今後の採用における最重要項目は道義心とします。
子供の感性を養おうという場で、教える教師の感性が死んでいてはいけません。
小学校教諭を増やすことは、高校および中学の改革によりあぶれた教師の受け皿としての機能も期待しますが、採用されるかは教師自身がこれまで己の人柄を育んできたかどうかにかかっているでしょう。
また今後は教員の採用条件に教職以外の社会人経験三年以上を追加します。社会で生きていくことを教えるには社会で生きた経験が必要です。今の教師の再雇用においても40歳以下はこの条件に当てはめます。
若い先生方は社会に出る経験をしていただき、子どもたちのために社会を学んできてください」
「そこまでするのか」
「元教員の一般企業への就職が難航することのないよう、今より10年の間、政府より各企業へ採用補助を行います。その後の対応については状況を見て適宜検討いたします」
勉強だけ教えれば良いなら経験などいらないが。そうでもないのが学校というところ。
最近は海外に習って子供の心のケアはカウンセラーがするというような分業が進められてもいるが。
教師に社会経験があって人徳があるにこしたことはない。直接交流する時間が長い大人の影響は大きいのだから。
「リーダーシップというものは、鍛えるなら早いほどよいとも思います。ゆえに小学校からの必修授業と致します」
後はマルチエイジングシステムについての細かな説明がつづく。
マルチエイジングシステムは、要するに得意教科だけの飛び級制度だ。マルチにエイジ(年齢)を変えていくシステム。
全てが得意ならすべてが飛び級でどんどん進んでいける。
「そもそもなんで飛び級が今まで無かったんだ?」
天才だけ特別な学校に集めるとかしていたわけでもない。旧教育を作った者は天才の活用を考えてもいなかったのだろうか。
聞こえていないはずなのに、答えは首相から返ってきた。
「飛び級制度は戦前、日本にありました。無くなったのはGHQが廃止したからです。
天才を殺し日本の国力を低下させるためなのは明らかです。
飛び級は日本本来のシステムです。取り戻します」
「なんだ、そんな理由だったのか」
知らなかったな、と少し恥じる。
いじめは狭いところで起きやすいというのは今では知れ渡っていることであるけれど。天才をその狭い教室に押し込めることで、勝手に潰れるようにしたのか。なるほど敵国を滅ぼす戦術としてすぐれている。
ため息をついて言う。
「今の日本も戦後ではなかったんだな。進行形でずっと攻め込まれている戦時中だったのか」
首を左右に揺る。過去は仕方がない。嘆いたところではじまらない。
今、林田総理によって国家の主権を取り戻しているのだ。まずはそれを喜ぼう。
林田総理の話はマルチエイジングシステムの細かな説明の後、終了した。
画面が停止してからも、掛井は腕を組んで動けなかった。
「天才を育てない教育システムは、一律の企業戦士を育てるためだとばかり言われていたが、それもミスリードだったか」
気がつけなかったことが悔しくもある。気がついたところでどうにかできたか分からないが。
ともかく教育が変わったのは良いことだ。
もはや企業奴隷教育は誰の目で見ても不要となったし、これからは才能を育てる時代だろう。これといった好きがなくても鍛え上げればそれは得意になる。IT技術など、時代に求められた能力を意識してあげるのも生き抜きサバイバル戦術だ。
ITの他はなんだろう。
これからは、AIにはできない判断をする人品のよさと管理能力も求められるだろう。もちろん新しいものを生み出す天才のアイディアも。そのアイディアを実現化する実行力がある者も必要だし、アイディアをいいねと気づいてみんなに伝え広めるという、才能に気づいて応援する宣伝能力も必要だ。
それぞれの働きは大きいが、一人の人間のなかに収めることはできない。多くの協力が必要だ。
掛井は、協力とは愛だと思う。やさしさとも言えるが、やさしさは形だけ真似することができても愛は違う。愛は持っている人からあふれるものだ。
力になりたい、助けてやりたい、世界をよりよくしたい、自分も役立ちたい、目の前にいる人は何をしたら喜ぶだろうかと考える。
その心は愛だろう。
掛井に野良講師の情報を持ってきた人達にあったのは愛だ。
掛井はかつて袂を別った旧友を思い出した。
あいつはアイディアはないが実行力があるやつだった。だが愛がなかった。だから人をけなし、奪おうとする。
「天才を助けるのも才能だ。アイディアだけが才能ではない。変な嫉妬する奴ばかりいるが、嫉妬するほど良いと気づけるのも才能なんだって分かってほしいね」
林田革命でそれが浸透すれば良いなと、掛井は画面を切り替え仕事に戻ったのだった。
PC画面には、これから彼が准教授となる大学の名前が出ている。
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