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本編
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しおりを挟む夏休みまでの残りの期間を、暮羽は武田と品川のアパートに泊まって過ごす事にした。
2人の都合がどうしても付かない時だけ自分のアパートに戻るという事にして。
武田は「そういう時は広瀬さんに泊めてもらえよ」などと言っていたのだが、さすがにそれはためらわれた。
そんなある日。
暮羽は武田のアパートに来ていた。
ごく普通のワンルーム。
暮羽のアパートとそう変わらなかった。
「最近、高杉の奴どうしたんだろな。全然寄って来なくなったよな」
ベッドにごろりと寝転んだ武田は不思議そうに言う。
「どうせ何か企んでるんだろ。諦めたとは思えないから」
テレビから視線を外さないまま、暮羽は答えた。
「暮羽さぁ、ちょっと護身術とかやってみねえ?」
ベッドから半身を起こして武田が訊く。
暮羽はようやく武田を振り返った。
「護身術?」
「ああ。簡単な護身術だよ。高杉が何か行動を起こした時にさ、身を守れるだろ?」
「そうだな」
確かに武田の言う通りだった。
護身術の心得があれば、いざという時に身を守れる。
自分に自信もつくだろう。
「やってみねー?暮羽がやるなら俺と品川も付き合うし」
「どこでやるんだ?」
「大学だよ。空手サークルの連中が主催して週3回くらいやってるよ」
「そうだな。やってみるか」
暮羽は頷いた。
その反応を見た武田が嬉しそうな顔をする。
「じゃ、明日にでも空手サークルの奴に言っとくよ」
それから週に3日、暮羽は武田、品川と共に護身術を習い始めた。
それほどハードでもなく難しくもなく、体力のない暮羽でもどうにか続ける事ができそうだった。
今日も3人はキャンパス内の道場で護身術を習っている。
休憩をしている時だった。
「雪村が護身術やるなんて意外だよな~」
空手サークルに入っている同級生が言った。
「意外って何がだよ」
暮羽はムッとして黙り込む。
自分が他人にどんな印象を持たれているのか、暮羽は知らないし興味もなかった。
「だってさぁ、見た感じ、運動とは無縁な感じするしさー。武田とかとツルんでるけど合コンとかは全然参加しないじゃん?コミュ障って程でもないけど、無味乾燥なつまんない奴なんだと思ってたよ」
「おいおい。無味乾燥って意味わかって言ってんのか~?」
武田が笑いながら言う。
「だってさー。パッと見は冷たい感じするからスカしてんのかよ、とか思ってたし」
「まあ、一見そんな雰囲気だよな」
品川が頷く。
「お前ら好き勝手言うな」
暮羽は少し楽しそうに笑いながら3人を睨んだ。
すると空手サークルの同級生の金井は、嬉しそうに暮羽を見る。
「無口で無愛想な奴だと思ってたけど、意外とそうでもないんだな。雪村、笑顔だとすげー美人だぞ。笑顔のほうが絶対いいって」
「あのなぁ、男に対して美人って褒め言葉じゃないだろ⋯⋯」
暮羽は呆れた。
自分はそんなに無口で無愛想に見えるのだろうか。
そんなつもりは全くないのだが。
「暮羽は人見知りだからな。親しくない奴が見ると無口で無愛想に見えるのさ」
武田が金井に説明する。
「へえ」
「それよりさぁ、早く再開しようぜ」
話を終わらせたくて、暮羽は3人に促した。
へいへいと返事をして3人は立ち上がる。
暮羽たちだけは他の参加メンバーと時間をずらして練習していた。
空手は男が多いが、護身術になると女性が多い。
女性の視線が集まるのが嫌だったので暮羽が頼んだのだ。
しかし暮羽は、自分の容姿のせいで視線が集まるとは思っていない。
女性の中で自分たちだけが男だから、そのせいで視線が集まるんだと思って恥ずかしかったからだ。
自分たちに女の視線が集まるのは暮羽の外見のせいなんだけどな、と武田と品川は思っている。
もちろん暮羽はそんな事は知らない。
暮羽は、男らしくない外見の自分が女性の視線を集めるとは夢にも思っていないのだ。
そしてあと数日で夏休みというある日。
護身術を習い始めた頃から暮羽は、自分に自信がついたのか前ほど高杉を怖がる事もなくなって、武田や品川のアパートに泊まる事もなくなっていた。
今日は写真サークルのメンバーに飲み会に誘われ、暮羽は何となく参加した。
合コンは嫌いだが、友達や仲の良い仲間との飲み会は嫌いではない。
広瀬も参加していた。
暮羽は広瀬の隣りで飲んでいる。
何故か、広瀬の隣りは居心地が良かった。
訳もなく安心できる雰囲気があるのだ。
護身術を習った事やその他、色々と話を弾ませていた。
そして飲み会もそろそろ終了、という時だった。
「そうだ、この前の写真がまだうちにあるんだけどいるかい?」
広瀬が訊いてきた。
いつかサークルの部室に置いてあった封筒の事だろう。
「あー⋯⋯欲しくはないけど」
暮羽は考えた。
見たくもないし欲しくもなかったが、サークルの方で管理されるよりは自分で持っている方が、第三者の目に入らなくていいかも知れない。
「でも、自分で持っときたいんで、もらいます」
そう言うと、広瀬は楽しそうに笑った。
「じゃ、僕のマンションに取りに来てくれないかな。ここから近いから」
「お邪魔していいんですか?」
「構わないよ」
「それじゃ、お邪魔します」
暮羽は頭をさげた。
広瀬のマンションは、予想通りの高級マンションだった。
25階建てのそこそこ高層マンション。
壁は淡いブルー系の色で、広いエントランスはいかにもお金持ちが住んでいるといった感じだ。
出入り口のドアは高級ホテルを思わせる。
広瀬はドアの脇にあるリーダーにカードキーを通すと、その下にある0から9までの数字のキーを叩いて暗証番号を入力した。
ドアのロックが解除され、2人で中に入る。
広瀬の部屋は最上階の25階だった。
エレベーターホールも高級ホテルのようだ。
やがて広瀬の部屋に到着する。
「すっげー」
部屋に通された暮羽は、つい感嘆の声をあげた。
最上階のフロア半分が広瀬の部屋だった。
24階以下は1フロアに4~6世帯が暮らしているらしい。
それでもかなり広いので、広瀬のこの部屋は一体、どれほどの広さだろう。
「親父よりも祖父が金持ちでね。孫を甘やかす事に生きがいを感じてるらしいんだよ。嬉しいけど僕ひとりじゃ広すぎてね」
広瀬はそう言って肩をすくめる。
一体、どれほどの金持ちなんだろうと暮羽は思った。
このマンションのオーナーは広瀬の祖父だそうだ。
「俺の実家より数倍広いよ」
暮羽はリビングに通されて、大きなソファに腰掛けた。
リビングにはこの高級そうなソファの他に、大理石のようなローテーブル、大型のテレビが置いてあった。
「はい、写真だよ。どれも良く撮れてる」
広瀬は、座ってきょろきょろしている暮羽に微笑みながら封筒を渡した。
そしてテーブルにココアを置く。
「実は部室でちらっと見たんだけど」
そう言いながら写真を取り出した。
ココア片手にそれを見る。
「そうだったのか」
「何だかどれも俺じゃないみたいで変な気分」
写真を見ながら暮羽はつぶやいた。
「中性的で綺麗だよ」
「俺、自分の顔が良いとか綺麗だとか思った事ないから」
暮羽は困ったようにうつむく。
高校時代からずっと顔の事は気にしていた。
いつまで経っても男らしくならない顔。
中学の頃までは女に間違えられる事が多かった。
写真のモデルを頼まれた時も、最初は困惑したのだ。
自惚れはないしましてやナルシストではない。
中性的イコール「男らしくない」という事なのだから、男らしい外見に憧れる身としては少しも嬉しくなかった。
しかし。
親友の武田に言われても嫌な気分になるのに、相手が広瀬だと不思議と嫌な気がしなかった。
どうしてなのかはわからない。
モデルを承諾したのも、実際に会ってみて広瀬がいい人そうだと感じたからだ。
決してモデルに興味があった訳ではない。
「僕は君の顔好きだな。綺麗だと思うよ」
ぽつりと広瀬が言った。
「え⋯⋯」
暮羽は思わず広瀬を見つめる。
「ああ、ごめん。気分悪くした?」
暮羽の視線に気付いて、広瀬は少し慌てた。
「そんな事ないです。ただ男の人からそんなふうに言われた事なかったから」
「女の子からは言われた事ある?」
「あるけど、何か羨ましがられてばっかりで。だから綺麗とか言われるのって好きじゃなかったんですよ。今はもう慣れましたけど」
「そうか。何も知らないで無神経な事言ってごめん」
「いいですよ。そんなに気にしてないから」
「以後、気をつけるよ」
広瀬はにっこり笑った。
暮羽は、広瀬の笑顔が好きだと思った。
人見知りをする自分にさえ最初から穏やかな笑顔を見せてくれる。
広瀬の笑顔を見ると安心できた。
この人なら信用できると思えてくる。
「広瀬さん、恋人とかいないの?」
暮羽はふと思った事を訊いてみた。
広瀬は少し困ったような顔をしたが。
「残念ながらいないよ。まあ、気になる人くらいはいるけどね」
そう言って肩をすくめる。
「気になる人⋯⋯」
広瀬にそんな人がいるとは思わなかった。
何故か胸がつきんと痛んだ。
「あ、俺、そろそろ帰ります」
暮羽は急いで立ち上がる。
「もう帰るの?送って行こうか」
「いえ、いいですよ。1人で帰れます」
「そうかい。じゃあ下まで送るよ」
広瀬も立ち上がった。
やがてエントランスに着き、扉の所で広瀬に別れを告げる。
歩きながら時計を見ると、既に夜11時を過ぎていた。
胸は相変わらずちくちくと痛んでいる。
しかしそれが何故なのかわからないままだった。
そして明日から夏休み、という日だった。
暮羽は高杉が接触して来なくなった事で少し油断していた。
久しぶりに武田や品川と飲みに行って、ひとりでアパートに向かっている時だ。
不意に人の気配がして振り向くと、高杉が立っていたのだ。
「!!」
声も出ないくらい驚いた。
油断している時を見計らったかのようなタイミングだった。
「久しぶりだね、雪村君。君を迎える準備がやっと出来たよ」
高杉は相変わらず嫌な笑みを浮かべてそう言った。
「準備って何だよっ⋯⋯」
暮羽の頭に武田がいつか言っていた言葉が浮かぶ。
“拉致って監禁するつもりなんじゃ”
その言葉は高杉を目の前にして、にわかに現実感を持ち始めていた。
「来るな!!」
暮羽は高杉に怒鳴って走り出した。
携帯を取りだし、メモリーを呼び出す余裕がなかったためとっさに暗記していた広瀬の番号を押す。
早く繋がってくれ、と祈りながら走り続けた。
高杉が追って来ているかどうか確かめる余裕はなかった。
『広瀬です』
ようやく繋がった。
「広瀬さんっ、俺です、雪村っ」
暮羽は怒鳴るように名前を呼ぶ。
広瀬は暮羽の口調に異常を察知したようだ。
『雪村君!?何があったんだい!?』
「たか、すぎにっ」
追われている、と言おうとした時。
後ろから腕を掴まれ、携帯を落としてしまった。
「くそっ、離せよ!!」
何とかして振り払おうとするが、掴まれた腕はびくともしない。
せっかく習った護身術も、突然の出来事にパニックを起こしてしまった暮羽には使える筈もなかった。
力いっぱい暴れても、高杉もなかなか力があった。
「僕と一緒に来るんだ」
「一体何する気だよ!離せってばっ!」
何とかして、携帯を拾いたかった。
しかし腕を掴まれたまま動けない。
必死で暴れるが腕は離れない。
段々と抵抗する力もなくなってきた頃。
腕が離れた瞬間に全身に電気が走ったような衝撃を感じた。
何が起きたのか理解する間もなく意識がなくなる。
そして、ぐったりと高杉の腕のなかに倒れ込んでしまった。
「これでやっと僕のものになる。誰にも渡さないからね」
高杉は意識のない暮羽に向かってそう言うと、嬉しそうに笑った。
その場には、広瀬と繋がったままの携帯電話だけが残されていた。
軽い頭痛と共に暮羽が目覚めた場所は、見覚えのない部屋だった。
「⋯⋯どこだよここ」
ここが自分の部屋ならばあれは夢だった、で済むのにと思う。
上半身を起こしてみると、自分が横たわっていたベッド以外は何もない部屋だった。
ベッドから降りてみて右足の違和感に気付いた。
右足首に、頑丈そうな皮製の首輪が嵌められていた。
首輪からは細い鎖が伸び、ベッドの柵のパイプに繋がっている。
がしがしと引っ張ってみるが、細い割りには鎖は丈夫で首輪も頑丈な金具で留めてあり、簡単には外せそうになかった。
言いようのない絶望感と不安に襲われながら、窓の方を見る。
だるい体を引きずって窓の側に近付いて外を見ると、マンションの上層階のようだった。
普通の窓だが、南京錠が取りつけてあり、開ける事は出来そうになかった。
ふと、高杉が言った言葉を思い出した。
“準備がやっと出来たよ”
「このための準備だったのかよ⋯⋯」
悔しさに唇を噛みながら、力任せに窓を叩いた。
少々の事では割れそうになかった。
広瀬は気付いてくれただろうか。
あの時、電話は繋がったままだった筈だ。
暮羽と高杉の遣り取りは聞こえていただろう。
きっと何とかしてくれる。
今はそう思うしかなかった。
でなければ自分がどうにかなってしまいそうだ。
ドアに近付いて、向こうの様子をうかがってみる。
物音ひとつしなかった。
「開くかな」
ノブに手をかけ回してみると、ドアは簡単に開いた。
そっと開けて覗いてみると、どうやらダイニングらしかった。
向こうにキッチンも見える。
鎖がどの程度の長さか調べるために、歩いてみた。
ダイニングで何かするには問題なかったが、キッチンまでは届かなかった。
ダイニングの右側のバスルームとトイレへは辛うじて届く。
電話などを探してみたが、どこにも見当たらなかった。
何かないかと戸棚や引き出しの中を探って見るが、役に立ちそうな物はなかった。
仕方なく、部屋に戻る。
高杉の姿は見えないが、ここが高杉の部屋である事は間違いない。
わかっていれば常に身構えていられる。
せっかく習った護身術を、今度は無駄にはしないと思った。
しかし、絶望感だけは拭えない。
自分はこのまま、ここで監禁され続けるのだろうか。
これがただの夢であってほしいと祈らずにはいられなかったが、残念ながらこれは紛れもない現実だった。
何があっても高杉の思い通りにだけはならないと心に誓って、暮羽は再びベッドに横になる。
外はまだ明るかったが、起きているとつい嫌な方に思考が向かうので寝る事にした。
何故か無性に広瀬に会いたかった。
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