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隠鬼
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あと100メートルも歩くと、あの場所に着く。
昨日、彼に新しい服を買ってあげた。
これから先、何もしてあげることのできない私のせめてもの罪ほろぼしに。
デパートだ。いつもの子供用品安売り店ではない。
明るい照明、広い店内、何かと話しかけてくる店員に、初めはたじろいでいた彼だが、何とか気に入った服を選ぶことができたようだ。
大好きな消防車の絵がついたTシャツ。
今、着ている。
手触りのいいデニムの半ズボンと、特撮のキャラクターの絵がついたスニーカーも一緒に。
服に予想以上に金がかかってしまったため、この町までの交通費を払うと残りの金はほとんどなくなってしまった。
何かおいしいものでも食べさせてあげたかったが、結局いつものハンバーガー。
許してくれ。
最後の食事なのに。
彼は見知らぬ土地を歩いているにもかかわらず、不安そうな顔色を見せない。
むしろ、遠出した事が楽しいらしく、私の手を握り、時折顔を上げ、ニッコリと微笑みかける。
この笑顔を見るたびに、私は堪らない、どうしようもなく堪らない気持ちになる。
だが、彼には、ニッコリと微笑を返すしかない。そうすることしかできない。
あの場所が見えてきた。
あと100メートル。
もう何も、考えることはよそう。
何もかも、もう手遅れなのだから。
扉の前に立つ。
テレビで見たとおりの鳥の絵に、そっと触れる。
祈る思いでそっと触れる。
「かくれんぼ、しようか」
腰をかがめ、彼に問う。
「かくれんぼ?」
「そうだよ、かくれんぼ。お父さんが鬼だ。ほら、ここに隠れて」
扉を開けた。
思ったより狭い。彼は入ることができるのだろうか?
「ここに?」
と尋ねる彼を抱き上げ、中に入れる。
彼の重たさが、腕に通して私に伝わる。
覚えておこう
覚えておこう
覚えておこう
この重たさを
この匂いを
私は覚えておきたい。
最後の一瞬まで、覚えておくんだ。
彼の体は、何とか中におさまった。
窮屈そうに身をかがめ、そのことが楽しいらしく、クツクツと笑う彼。
「いいかい?始めるよ?」
「うん」
扉を、閉めた。
「もーいーかい」
「まーだーだよ」
すぐに中から彼の声が聞こえ始めた。
念のために、一度扉を引いてみた。開かない。
もう、開かない。
扉の前に数秒佇む。
さようなら。
踵を返し、来た道を戻る。一人で。
今頃、ナースステーションではアラームが鳴り、人が彼の元へ向かっている事だろう。
扉を開けた人は驚くだろうか。
赤ん坊がいるとばかり思っていたところに、彼のような子供が入っていることに。
しかも彼は、かくれんぼの最中だ。
明日か、それとも数日後か、彼のことは新聞等で報道されることだろう。
しかしその頃、私はもう存在しない。
その前に消えてしまおう。
彼が「かわいそうな子供」として取り沙汰されるところを見たくない。
私は弱く、そして無力だった。
こんな形でしか君を守る事ができなかった、非道い父親。
このような父親など、もう思い出さなくていい。忘れて欲しい。
私は、一人で、消えていく。
昨日、彼に新しい服を買ってあげた。
これから先、何もしてあげることのできない私のせめてもの罪ほろぼしに。
デパートだ。いつもの子供用品安売り店ではない。
明るい照明、広い店内、何かと話しかけてくる店員に、初めはたじろいでいた彼だが、何とか気に入った服を選ぶことができたようだ。
大好きな消防車の絵がついたTシャツ。
今、着ている。
手触りのいいデニムの半ズボンと、特撮のキャラクターの絵がついたスニーカーも一緒に。
服に予想以上に金がかかってしまったため、この町までの交通費を払うと残りの金はほとんどなくなってしまった。
何かおいしいものでも食べさせてあげたかったが、結局いつものハンバーガー。
許してくれ。
最後の食事なのに。
彼は見知らぬ土地を歩いているにもかかわらず、不安そうな顔色を見せない。
むしろ、遠出した事が楽しいらしく、私の手を握り、時折顔を上げ、ニッコリと微笑みかける。
この笑顔を見るたびに、私は堪らない、どうしようもなく堪らない気持ちになる。
だが、彼には、ニッコリと微笑を返すしかない。そうすることしかできない。
あの場所が見えてきた。
あと100メートル。
もう何も、考えることはよそう。
何もかも、もう手遅れなのだから。
扉の前に立つ。
テレビで見たとおりの鳥の絵に、そっと触れる。
祈る思いでそっと触れる。
「かくれんぼ、しようか」
腰をかがめ、彼に問う。
「かくれんぼ?」
「そうだよ、かくれんぼ。お父さんが鬼だ。ほら、ここに隠れて」
扉を開けた。
思ったより狭い。彼は入ることができるのだろうか?
「ここに?」
と尋ねる彼を抱き上げ、中に入れる。
彼の重たさが、腕に通して私に伝わる。
覚えておこう
覚えておこう
覚えておこう
この重たさを
この匂いを
私は覚えておきたい。
最後の一瞬まで、覚えておくんだ。
彼の体は、何とか中におさまった。
窮屈そうに身をかがめ、そのことが楽しいらしく、クツクツと笑う彼。
「いいかい?始めるよ?」
「うん」
扉を、閉めた。
「もーいーかい」
「まーだーだよ」
すぐに中から彼の声が聞こえ始めた。
念のために、一度扉を引いてみた。開かない。
もう、開かない。
扉の前に数秒佇む。
さようなら。
踵を返し、来た道を戻る。一人で。
今頃、ナースステーションではアラームが鳴り、人が彼の元へ向かっている事だろう。
扉を開けた人は驚くだろうか。
赤ん坊がいるとばかり思っていたところに、彼のような子供が入っていることに。
しかも彼は、かくれんぼの最中だ。
明日か、それとも数日後か、彼のことは新聞等で報道されることだろう。
しかしその頃、私はもう存在しない。
その前に消えてしまおう。
彼が「かわいそうな子供」として取り沙汰されるところを見たくない。
私は弱く、そして無力だった。
こんな形でしか君を守る事ができなかった、非道い父親。
このような父親など、もう思い出さなくていい。忘れて欲しい。
私は、一人で、消えていく。
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