時計台がある街の中で

山本 英生

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僕たちはずっと同じ時間の中で、ずっと同じ幸せを感じることができる

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「僕たちは、常に同じ時間の流れの中にいられるわけじゃないんだ」

 彼が、私に向けてそう言ったことは、これまでに2回あった。

 1回目は、ディナーの帰り、冬の冷たい小雨の中、小さな傘の下で、ワインとタバコの苦い味のするキスの後で。私にそう告げて、「それでも、できる限り、君と一緒の時間の中にいたい」と愛を口にしてくれた。深く被ったハットのツバの奥に見える瞳には、彼の見ている世界が、外灯の光に照らされ、克明に映し出されていた。氷が溶けていくように徐々に広がる瞳の中には、私しかいなかった。

「ねえ、今何時?」

「待ってね。えっと、夜の10時15分になったところだよ」

「ちょっと、その懐中時計、私にも見せて」

「ああ、どうぞ」

「10時15分。よかったわね、今のところ、私たち同じ時間の中よ」

 懐中時計を握った手を、彼のコートの内ポケットに滑り込ませながら、私は背伸びをして、彼に唇を重ねた。それに彼が驚いて、目を見開くと、持っていた傘を落とした。それでも、私たちは、すぐに傘の下に隠れることはしなかった。顔を近づけた状態のまま、ゆっくり夜空を見上げると、降り続けていた細かい雨が、雪に変わり始めていたことに気づいた。それに私が、見惚れていると、今度は、私が彼の懐中時計を落としてしまった。地面に落ちたそれは、何よりも確かな存在感を、私たち二人の間に戛然と示した。

「あ、ごめんなさい。本当に、そんなつもりじゃなかったの」

 膝を曲げて、懐中時計を拾う彼に、私は手で口元を覆いながら謝罪した。その懐中時計が、彼の父親の形見だと知っていたために、私は非常に申し訳ない気持ちになった。壊してしまっていたらどうしよう、と不安になった。どうかこれまで通り時間を刻んでいておくれ、と願うばかりだった。そう私が時計の無事を祈る先で、彼は、静かに立ち上がり、それをこちらに向けて、「今何時かな?」と言った。私は、隅が涙でぼやけた視界の中央に、その文字盤を見た。時刻は、10時15分。あれから何も進んでいなかった。そして、それは、しばらく待っても(確実に1分が過ぎたとしても)、針を動かすことはなかった。

「アイリン、もう謝らなくていいよ。泣かなくたっていいよ。僕は全然怒っていないし、傷ついてもいない」

「本当?」

「ああ。むしろ、感謝しているよ」

 私は、潤んだ目で、それはどうして、と彼に訴えかけた。彼は、私の頭を撫でながら、あるいは、頭に積もった雪を払いながら、微笑み、こう言った。

「これで、僕たちはずっと同じ時間の中で、ずっと同じ幸せを感じることができる」

 その日がきっかけで、私たちにとって10時15分という時間が、大切な記念時間となった。それから、私たちは、その10時15分を盛大に祝ったり、細やかに祝ったり、ときには何もすることなく、日々を暮らしていった。
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