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第3章 星に願いを

第34話 ひとりぼっち

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ネクロ野郎と呼ばれている男がマンションにたどり着く。
玄関のドアが吹き飛ばされているのを見て、腸が煮えくり返る想いが湧いてくる。
怒りで震える足を、一歩、また一歩と、廊下を進ませる。
進行方向の先から、千鶴と宮本の話し声が聞こえてくるが、愛の声は聞こえない。
数秒も要せずリビングに入ってみれば、壁にもたれながら千鶴に愛を囁く宮本、宮本にヒステリックに叫ぶ千鶴、そして、床に伏せてぴくりとも動かない愛……。

その光景を見て、動かない愛を見て、髪の毛が漫画のように逆立っていくのがわかる。

「みやもとぉおおおおお!!」

俺が叫ぶと、宮本が殺意のこもった目で俺を睨みながらゆっくりと起き上がって、こちらに歩み寄ってくる。
人間、怒りが限界を超えると、妙に静かに、そしてゆっくりと堂々と動いてしまうらしい。
俺もまた、宮本を殺意のこまった目で睨みながら、ゆっくりと歩み寄った。
俺のククリナイフの射程圏内ギリギリのところで、宮本は止まり叫んだ。

「ネクロやろぉおおおおお!!!! お前だけは殺す!!! 邪魔だ! 僕の居場所だ!! ここはぁ!!!」
「そうかい!!」

俺がククリナイフを宮本に向かって振り下ろすが、失敗した。
怒りに任せて大きく振りかぶりすぎた、宮本がタックルよろしく俺に突っ込んできてナイフを持っている手を抑え、床に転がしマウントして抑えつける。その際に、ククリナイフが明後日の方向へすーっと床を滑っていった。
すぐさま、宮本の拳が俺の顔面を一発殴り、バンッとした衝撃と後からじわじわとした熱を持ったヒリヒリ感が襲ってくる。
しかし、最初に戦ったときに比べれば、あまり圧は感じない。
こいつ自身も随分とダメージがあるようだ。

「そんなヘロヘロなパンチ!!!」

俺は宮本のシャツの襟の後ろを握りこみ、自分の身体に密着させようと引き込むと、脚と左腕の力で宮本とポジションを入れ替わる。
一発、二発と宮本の顔を殴りつけたところで、宮本の膝を両者の身体の間に入れられるを許してしまい、生まれた隙間から蹴り飛ばされてしまう。
すぐに立ち上がり、にらみ合いながら、すぐに取っ組み合い、部屋中を転がったり、お互い、蹴ったり、殴ったり、その度に、家具や調度品があらゆる方向へ散らばっていく。
視界の端でちらりととらえられたのは、息をのむ様子で俺たちの戦いを見つめる千鶴と、千鶴の前で守るように立っているふーこが、これまた感情の無い赤い瞳で見つめていた。

宮本が叫ぶ。

「女の陰でしか……! しかも、ゾンビにしか抱けない男がぁああああ!」
「何が悪い!!」
「そんな男が千鶴とぉおおおお!」
「黙れ! 気持ち悪い! 自分の都合でしか生きられないようなやつが偉そうに!」
「それは、お前もだろうが!」
「だから、俺はこの街に一人で残ったんだ! 好き勝手するために!」
「だったら、千鶴と一緒に生きる資格は余計にないだろう!!」
「あぁ、俺にとって千鶴は大切な……でも、お前の思いとは違う! それに、俺は、ふーこと向き合うって決めたんだ!! やるんだ! お前とは違うんだ!!!」

俺と宮本が互いに攻撃をするたびに、何か物が吹き飛んでいく。
揉み合いながら、やがてダイニングの部分にまでその攻防が及ぶと、シンクやカウンターに置いてあったお玉や鍋、皿、果物ナイフ、箸、様々なものが吹き飛んで、床に散乱した。

俺は叫ぶ。心から。

「千鶴はお前は選ばない! いい加減諦めろ! 男だろうが!!!」
「その千鶴が多田を殺せば、俺を愛してくれるって約束してくれたんだ!!」
「はぁ?」

思わぬ話に、与太話と思いつつも、千鶴なら言いそうという妙な信頼感によって、俺は一瞬力が抜けてしまった。
その隙を、宮本はついて俺を殴り飛ばす。
俺は無様に床に尻もちをついて、すぐさま起き上がらなくてはと腰に力を入れたところで、千鶴の悲痛な叫び声が聞こえた。

「あんた!!! ふーこちゃんがぁ!!!!」

叫び声に、俺も宮本も視線が千鶴に集まる。

その先では、ふーこが床に崩れ落ちていた。

まさか?!
澪との戦闘でエネルギーが尽きたか!?
ふーこが死んでしまう!?

そんな想いが俺の頭をかすめたとき、恐ろしく俺の身体は正確に素早く、床に落ちていた果物ナイフを手に持つと、同じように千鶴に視線を送っていた宮本が、再びこちらに視線を戻す一瞬の間で、俺はやつの右眼を貫いた。

「あぁあああああああああああ!?!?!?」

宮本が顔を手で覆って、後ずさりしたところで、俺は果物ナイフを投げ捨て、更に冷静にシンクの下にある戸を開けると包丁ラックから包丁を取り出し手に持ち、宮本に腹を一回刺してびくっとして、宮本の手がどいた首元を横一線に斬り裂いた。

ぴゅーっと首から血を噴出させる宮本。
声が出せないのか、口をぱくぱくとさせながらその場に座り込み、足元の床に血だまりをつくった。
しかし、俺にはそんな宮本の姿なぞ既に目に入っていない。

「ふーこ!!!!!」

すぐさま宮本に背を向けて、床に崩れ落ちているふーこに縋りつく。

「ふーこ! ふーこ! どうしよう!? 千鶴!? ふーこが!! 俺のせいだ! 戦いなのに! ふーこを頼っちゃったから!! 千鶴! 千鶴!!」

後から振り返れば、なんて情けない光景だろうとは思う。
しかし、俺は自分でも驚くくらい、狼狽した。
こんなに狼狽したことは、人生で恐らく一度もない。これが生まれて初めての出来事だ。
まるで、自分の足元に床が、地面が、何もないようなぐらついた感覚。
胃からすっぱいものが口にこみ上げてきて、考えるより先に口からふーこの名前をひたすら呼んでいる。

「あんたぁ!! しっかりしなさいよ!!!」

千鶴が俺の頬に平手打ちを喰らわせる。
なんで今、俺は殴られているんだろう?
俺は、平手の衝撃で頭がぽわんとしたまま、熱くじんじんする頬を手で押さえて、その場にへたり込んだ。
千鶴は、そんな俺を、目に涙を一杯ため込んで、平手打ちして痛めたのか、右手首を左手で押さえながら言った。

「落ち着いてよ。お願いだから。私だってどうしたらいいかわからなくなるじゃない」
「ごめん……」
「ふーこちゃんは、死ぬような状態なの?」
「えっと……」

そこで、俺は落ち着いてふーこの姿を見ることが出来た。
ゾンビがエネルギー切れで死ぬとき、体組織は崩れていき、穴という穴から出血して、眼球は眼窩から零れて落ちて、皮膚は崩れてボロボロと落ちていく。
しかし、男ゾンビは戦闘中にぱたっと兆候なく餓死することもあるので、必ずしもそのような症状が見受けられるわけじゃない。

しかし……。

ふーこの顔を触ってみれば、鼻からは吐息が漏れ、いつもはひんやりとしている肌は、どこか生暖かい。
肌の張りも瑞々しく、血がついているところはあるものの、千鶴が持ってきた濡れタオルで拭いてみれば、ただの返り血だった。
背中を確認してみれば、俺を庇って出来た傷は既に止血されていて、痛々しい切り傷がくっつこうとしている。
瞼を指で開けさせてみれば、照らされた光に反応して、赤い瞳の瞳孔はきゅっとしまった。

「ふーこ……。大丈夫なのか?」
「今すぐ死ぬようには見えないけど」
「でもでもでも、ゾンビが眠るなんて聞いたことが無い」
「休眠状態ってやつじゃないの?」
「目を閉じることはないじゃない!」
「だから、落ち着いてよ。あんた。おたおたしてるくらいなら、ベッドにでも寝かせたらどうなの?」
「そ、そうだな……」

俺は、ふーこをお姫様抱っこで抱え上げる。
スレンダーな見た目と違うずしりとした重さで腰が悲鳴を上げながらも、寝室へ連れて行く。
宮本のことは全く頭になかった。




宮本はネクロ野郎と呼ばれる男に包丁で首を割かれ、呼吸ができない息苦しさと、出血と共に身体から抜けていく力を感じたとき、千鶴は心配そうな顔で自分を見てくれていると思った。
しかし、残った片目で千鶴に視線を送ってみれば、千鶴は自分に背を向けて、床に崩れ落ちているふーこと呼ばれる女ゾンビに必死に声をかけている。

そんな……。僕は、君が全てだったのに……。
こんなときも、僕を見てくれないのかい?

僕が床に崩れ落ちていくなか、僕を殺した男もまた、僕に目をくれず、ふーこというゾンビに駆け寄っていき、まるで恋人が死ぬんじゃないかという勢いで、すがりついている。
情けない姿だ。
誰も僕のことを見ていない……。
あぁ……最期まで僕は、ひとりぼっちだったのか……。
いや、わかっている。
ずっと、ずっと、僕はひとりぼっちだったから……。
だから、千鶴で自分の中を一杯にして、僕は希望を繋いだんだ……。

その時、僕の脳裏に、千鶴の首を絞めて殺す映像が流れる。
なんだこの記憶は?
千夏?
あぁ、そうか……。千鶴の妹か……。
なんで、こんなこと忘れていたんだろう。
それでも、僕は……。
千夏が千鶴とすり替わっていたとしても、僕は愛していたんだ。
どっちを愛していたって?
両方を愛していたに違いないじゃないか。
自分勝手で都合の良い愛だって?
いいじゃないか。
これは、僕のマニアなんだから……。

出血と共に、僕の身体はとてもとても重くなっていて、重力に引っ張られて魂まで地獄の底に引っ張られそうだ。
死ぬのか……。僕は……。

霞んできた視界の中に、澪の顔が映る。
澪は口から血を吐きながら、僕の横にいつの間にかいて、顔を覗き込んでいる。
無表情に見えるけど、僕がそういう心情だからだろうか?
澪の表情は、今にも泣きそうに見える。

「ご……めん……な……。道具のように……使って……きみ……のことは……なにもしらないし……なにもわからないけど……ごめんな……」

視界が端から真ん中にかけてきゅーっと狭まっていき、やがて全てが闇に閉ざされる瞬間……。

澪とご飯を食べている時、僕の口元についていたご飯粒を舐めとったこと。
頭を撫でると大人しくなること。
性欲をぶつけるための口づけなのに、口づけをすればするほど言うことを聞くようになったこと。
眠る時、一肌寂しくて、抱きしめて眠ったら、同じように抱きしめてくれたこと。

一つ一つは大したことじゃないのに、まるでその記憶一つ一つが、宝石箱にしまわれたダイヤのように感じて……。
でも、最後の最後は、千鶴の笑顔が浮かんで、きっと僕の口元は微笑んで死んだ。
その浮かんだ千鶴がどっちなのかは、わからない。

良いんだ。
これが僕の愛さ。

微笑んだまま血だまりの中で死んだ宮本の身体を、澪は抱きかかえるとそのまま玄関から外に出た。
千鶴もあの男も、ふーこという女ゾンビにかかりっきりで、澪を気にする様子はなかった。
宮本をお姫様抱っこしたまま、マンションの3階から、地面に降り立つ。
その衝撃で、澪の右足首は折れたが、気にせずびっこを引きながら歩いて行く。
途中、宮本の右腕を食べた。
どうしてそこに向かったのかは誰にもわからない。
金森駅のホームまで宮本を抱いたまま歩いて、ホームで宮本を食べた。
そして、澪は天に向かって大声で叫ぶ。
ゾンビを呼び寄せた叫び声をこれでもかと叫ぶ。
どこかで、この叫びに呼応したゾンビ達がこの町に押し寄せるのだろうか。
一しきり叫ぶと、澪は口元についた血をぐいっと手で拭うと、完全に回復した身体で、レールに降りて歩きはじめる。

東京へ向かって……。
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