黒猫の復讐はチョコレートの味

神夜帳

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第11話 ゆかりの想い

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お母さん。
大好きなお母さん。
どこに行くのにも一緒で、二人でお腹が空いてもお母さんは我慢して、私にご飯を分けてくれた。

ある日、道路を渡っていると、お母さんが車に撥ねられてしまった。
ドンという鈍い音、車の急ブレーキをかけたけたたましい高い音。

車から降りてきた運転手はバツの悪いような表情で、しぶしぶといった様子でお母さんを道の端の草むらに寝かせると、足早に車に乗り込むとそのままどこかに行ってしまった。
わたしは、突然のことに呆然としてしまって、寝かされたお母さんの元へたどたどしく歩み寄ると、お母さんは口から少し血を吐いて、ぐったりと動かなくなってしまった。胸がわずかに上下していてまだ生きているとは思ったけど、大好きだったお母さんから、お母さんとは違う匂いが徐々に強くなって立ち込めた。

わたしは、それがとてもとても怖くて怖くて、お母さんの近くの草むらにその身を潜めて、じっと見つめていた。
鳴きわめきたかったけど、鳴くとその匂いが自分を襲ってくるようで、恐怖のあまり身をすくめてしまった。
 
たくさんの人が通り過ぎた。
みんな、忙しそうにせかせかと歩いている。
お母さんに気がついても、ちらりと見るだけで立ち止まることはなかった。

やがて、背の高い男が、お母さんを優しく抱きかかえると息を切らして走り始める。
わたしは、必死に後ろからついていったが、男は私には気づかなかった様子だった。

やがて、お母さんの匂いは消えて、背筋が凍るような真っ黒い匂いが立ち込めた。

お母さんが死んでしまった。
哀しみが胸を内側から叩いて、ズンズンとした鈍痛を味合わせてくる。
しかし、それ以上に真っ黒い匂いがどんどんと強くなって、お母さんだったものを包み込み、それでも飽き足らず膨れ上がっていくその様子に私は怯え切ってしまい、また物陰に隠れた。

天気は雲一つもない快晴で、わたしがこんなにも哀しくて苦しい想いをしているというのに、なんて無神経な世界だろうと憎くて仕方がなかった。

男がお母さんだったものをどこかに連れて行くので、遠くから距離をとってついていった。
男は公園にお母さんを埋めていた。

あぁ、独りぼっちになってしまった。

男が去ってしばらくして、お腹が空いたので、よろよろと、お母さんと毎日一緒に歩いた場所を彷徨った。
 
鴉に追い回されて
知らない猫に叩かれて威嚇されて
必死に歩き回って
やがて、知らないお婆ちゃんがご飯と水をくれて、飢えを満たすと、また、知らない猫に追いかけられて逃げ回った。
 
日が沈んだ頃、大きな駐車場の車の陰に隠れる。
寒さが身に染みる。お母さんの温もりが懐かしい。
車のタイヤの陰からじっと人を観る。
 
一見優しそうなお姉さんが足早に道を横切っていく。
優しそうだから、助けてと鳴いてみようかと思ったけど、ふわりと匂うとても怒ったような匂いは、わたしの足をすくませた。
 
それから、たくさんの人が足早に目の前を横切っていく。
 
おじさん
子供
おじいさん
おねえさん
カップル
 
でも、わたしの足はピクリとも動かない。
 
死んだような匂い
イライラした匂い
何かが腐ったような匂い
お酒の匂い
タバコの匂い
淀んだ下り物のような匂い
逆に、全く何も匂わない人
 
時折吹く風が、冷たい手となって毛を逆撫でていく。
あぁ……。誰かに優しく撫でてもらいたい……。
ぎゅっと抱きしめて欲しい……。
このまま全身が凍って、わたしも死んでしまうんだ。
そう思った時、あいつが現れた。
 
目をぎゅっとつぶって死の恐れからじっと耐えていた時、ふわりと匂ったお日様のような匂い。
 
優しくて。
それでいながら、わたしと同じように寂しさを感じさせる切ない匂い。
ぎゅっとつぶっていた目を開いて、あいつを観る。

お母さんを抱きしめて走ってくれた男だった。

疲れて、それでいて寂しそうな表情ながら、その優しそうな目にひきつけられる。
わたしは、考えるより先に身体が動いていた。
 
あいつの前に飛び出して鳴いた。たくさん泣いた。
 
寒いよぉ!
抱きしめてよぉ!
身体撫でてよぉ!
お腹空いたよぉ!
ねぇ?
わたし、かわいいでしょ?
あなたも寂しいんでしょ?
連れ帰ってくれたら、わたしも一杯慰めるよ?
撫でてくれたら、わたしも全身であなたを撫でてあげるよ?
だから、連れて行ってよぉ。
ここは嫌だよぉ。
ほら、抱きしめてよ。
 
わたしは懸命に鳴いて、男に抱きしめてもらおうとズボンに爪をひっかけて、よじ登ろうとするがうまくいかず、こてんと地面に転がった。
 
嫌だよぉ。
連れて行ってよぉ。
ここは嫌だよぉ。
なんで?
なんで?
わたし、かわいいでしょ?
わたしは、あなたの寂しさもわかってあげられるよ?
なんで、抱きしめてくれないの?
なんで、見てるだけなの?
わたしが、いくら鳴いても、あいつは困ったような目で上から見下ろすだけで身体はぴくりとも動かず、しばらくしたら足早に立ち去ってしまった。
 
なんでだよぉ?
わたしと同じ匂いがしたのに。
優しそうな匂いがしたのに。
せめて、抱きしめてくれても良いじゃない!
わたしは、しばらくあいつの背中を見つめた後、また、車のタイヤの陰に隠れてうずくまった。
あぁ、寒いなぁ。
あぁ、風が憎たらしいなぁ。
 
それから、どれくらい時間が経ったのかわからない。
 
気がついたら、ベッドに寝かされていて、周りを見たこともない顔の老若男女が囲んでいいた。
まるで病院のような印象を受ける、白い殺風景な部屋のベッドで、全裸に薄いシーツのようなものをかけられただけの状態で横になっている。
 
「まさか、令和の世でも猫が人間になるとはな……」
 
ぱっと見は老人だが、その身体はゴツゴツとしていてまるで岩のような、剛健な男の低い声が響く。
なんのことかと思っていると、身体に随分と違和感がある。
寒い。
あれ? 毛がない。
あれ? 足が……すらりと細い指が5本……まるで人間みたい。
 
「お前には、今から社会常識を叩きこんでやる。サポートしてやるのは……そうだな、300年ぶりの猫だ。3カ月はサポートしてやる。だが、その先はしらん。行く当てがあるなら、聞いてやる」
 
ごつごつとした老人がそう言うと、死んだ目をした女の人が言い返した。
 
「翁……。獣に行く当てがあるわけないじゃないですか。どうせ好事家に売るんでしょ? また、仕込むんですか? アッチも」
 
一体何の話をしているのか……あれ? なんか人間の話わかるようになってる?
わたしは、上体を起こすと、鈍痛に苦しめられた胸から重たい感触が2つ。
そう。わたしは、人間の女の身体になっていた。
頭に手をやると、そこには猫のような耳が確かにあった。
 
そうか。獣ってそういうこと――。
 
人間のようで人間ではない。獣と呼ばれる、猫ではない猫になったわたし。
行く当てはあるのか? と問われて、わたしの頭に浮かんだのは、必死に助けを鳴いたのに容赦なく見捨てて行ったあいつの顔だった。
 
あいつに仕返ししてやろう。
 
この新しい身体で誘惑して、わたし色に染めてやる。
わたししか考えられなくなった時、わたしがあの時のあいつのように見捨ててやるのだ。
そこまで想いが馳せられたのは、今思い返してみれば、人間の脳を手に入れたからだと思う。
身体は大人の女。
魂がこの世に存在するのかは今でもわからない。
でも、あきらかに、わたしの少なくとも心は、この身体に引っ張られている。
子猫だった時に、ぼんやりとしたこの世のモノの滲んだような見え方は、この身体になった途端、急にクリアになった。
子猫の時に感じなかった感情が、嵐のように頭の中を駆け巡る。
わたしの中身が急速に人間の大人の女性になろうと、何かが駆け回っている。
薄暗くも明るいこの気持ちを、あいつに早くぶつけたくて仕方がなくなった。
どろどろにあいつの心を溶かして、それから捨ててやる時の喜びを想像すると楽しくて仕方がなかった。
 
だというのに!
あぁ!
なんということ!?
 
あいつの匂いが、お日様のような暖かな優しい匂いが鼻腔をくすぐるたびに、わたしはそんなことどうでも良くなってしまう。
心をどろどろに溶かしてから、正体を明かして捨ててやるつもりだったのに、あいつの身体からほかの女の匂いが香ることが許せなくて許せなくて、思わず正体を晒してしまった。
 
失敗した。
失敗した。
失敗した。
 
あぁ、なんて憎らしい。
この憎らしさに身を任せて、あいつを八つ裂きにしてやろうと思ってもみたけれど、あいつがかすんで見えなくなるくらいにボロボロとこぼれる涙。
 
こいつの匂いが好きだ。
こいつの手が好きだ。
こいつの温もりが好きだ。
 
あぁ……あぁ……!!
 
いまいましい!
なんていまいましい!
 
あなたを八つ裂きにしてやりたい想いと共に、どうしたらあなたがわたしを愛してくれるのか――。
 
二つの算段が頭を駆け巡るのよ。
 
これが、愛憎ってやつなの?
 
ねぇ?
大地?



わたし、可愛いでしょ?
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