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第3話 異類婚姻譚 ①
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①
2カ月前。
真冬の寒さに震えながら出勤していたあの日。
斎藤大地は、眠りまなこをこすりながら、いつもの駅までの道を歩いていた。
その時、なんでそこが気になったのか。
大地の無意識が敏感にいつもと少しだけ違う風景をとらえたのか、はたまた、そういう匂いを嗅ぎ取ったのか。
歩道の外の草むらに目が行った。
寒さをものともしない力強い雑草の伸びた葉が、まるで緑色のクッションのようであったが、その真ん中がへこんでいた。
通りがかり、視線をそこに滑らせて覗いてみる。
猫。
ぼさぼさの毛並みの黒猫が横たわっていた。
口元にはわずかな血がついていて、死にそうなのか呼吸は浅く、わずかに胸が動くだけだ。
近づいても目が開く様子もなく、今まさに死のうとしている。
(車に撥ねられたか?)
大地は頭をガリガリと掻きむしった後、腕時計をのぞく。
時間は7時30分を指している。
動物病院はまだ開いてる時間ではないが、チャイムを鳴らしたら準備をしているスタッフがいて対応してくれるかもしれない。
(仕事は……えぇーい! 皆勤賞なのだ! たまには遅刻してもいいんだろう。腹が痛かったとか適当に理由をつけよう)
大地は、優しく黒猫を抱きかかえると、スーツに血がつくのも構わず、動物病院へと向かった。
家から駅までの道、いつも歩いているルートとは別のルートを辿れば、途中にあったはずだ。
しかし、歩くたび、どんどんと冷たくなっていく黒猫。
(あぁ……。だめか。死んでしまう……)
気がついたら走っていた。
はぁはぁと息をきらしながら、黒猫を胸に抱えて、全力で走ったのなんて何年ぶりだろうか?
しかし、動物病院が遠くに見え始めたところで、黒猫の呼吸は止まってしまった。
黒猫から何かが抜け落ちた感覚がした。
すっと、黒猫の体が急に重くなったように感じる。
抜け落ちたのに重くなるとはどういうことか。しかし、大地にはそう感じられた。
確かに生きていた者が、ただの物に――物体になってしまった。
ボサボサの毛並みに首輪もしていないそれは、野良猫だったことがうかがいしれる。
動物病院にたどり着いたとき、念のためにチャイムを鳴らしてみるが反応はない。
大地は、動物病院をあとにして、更に先にある公園へと向かう。
公園の片隅に誰か子供が忘れて行ったのか、小さなスコップがあったため、それをつかって穴を掘って埋めてやった。本来は、やってはいけないことなのかもしれないが、そのまま放っておくこともなんだか気が引けた。
その日、大地は社会人人生で初めて遅刻をした。
②
「結局、君は誰なんだい? いや、ごめん! 聞いたのかもしれないが、覚えてないんだ……言い訳はしない。最低だろう。だが、すまないとしか言いようがない」
リビングのテーブルを挟んで、大地と女の子が食席についている。
目の前には、女の子が作ってくれた朝食、ご飯、目玉焼き、たこさんウィンナー、そして味噌汁が置かれている。
全て美味しそうな匂いを放っている。
「そんな……初めてを捧げて……一晩中旦那様の求めに応じたというのに……」
女の子はわざとらしく、その細い指で目の涙をぬぐうような仕草をするが、特段零れるものもないため嘘泣きである。
「あ、いや。その、ごめん。申し訳ございません!」
「はぁ。覚えてないのはとても残念です。大事な大事な初夜だったのに」
「……」
「それは、さておき」
女の子は姿勢を正しその愛らしい目で、大地の狼狽える目を真っすぐに見た。
「私の名前は、三宅 縁(みやけ ゆかり)です。あの時の黒猫でございます」
「あの時の黒猫?」
「あの時、旦那様は優しく抱きかかえて助けてくれようと力を尽くしてくださいましたね」
「2カ月前の黒猫のことを言っているのか? だとしたら、俺は何もできなかったよ。埋めてあげたのが精々だ。それに……死んだ猫が人間になる?」
「異類婚姻譚という言葉をご存じですか?」
「いや、聞いたことがないが」
「あれです。鶴の恩返しや、雪女、狐が人間に嫁ぐといった話です」
「はぁ」
「恩を感じた獣が、人間に化けて恩返しのためにお嫁さんになるというものです」
「いやいや、この場合、俺は何も出来ていないし、君は一度? 死んでしまったし」
「私は猫から人間になりました。旦那様の優しい匂いに一目ぼれして押しかけてしまいましたが……ダメですか? 私は旦那様の好みに合わないでしょうか?」
ゆかりはうるうると瞳に涙をためて、懇願するように大地を見つめる。
大地は、あらためてゆかりを見る。
頭の上の猫耳はあるものの、正直、可愛い。とても綺麗で可愛い女の子だ。
幼さを少し残した可愛い愛らしい顔立ち、優しそうな目、小さな口、スレンダーな体つきながら、ワンピース越しにもしっかり主張する胸、きゅっとしまった腰は、正直、劣情を抑えるのが大変だ。
「正直、可愛い。それも、とても……。まて、君は一体今何歳になるんだ?」
「ゆかりと呼んでください。歳ですか? 何分、2カ月前までは猫でしたので……ただ、翁は身体はちゃんと大人だと言っていました!」
「翁?」
「はい。私に人間社会で暮らしていく最低限の教育をしてくれた方です」
「はぁ。そういう存在がいるのか」
「なんでも、猫が人間になるのは300年ぶりと言っていましたね」
「え。過去に事例があるの!?」
「異類婚姻譚は、実際にあったことも混じっているみたいです。その子孫もいるみたいですよ」
「えぇ……にわかには信じられない……」
「私の猫耳、また撫でますか?」
「うっ。信じられないが、その耳は本物としか思えない」
「もちろん、本物です」
ゆかりが自慢げに胸を張る。
「えっと、その翁というのが、君……」
大地が君と言いかけたところで、ゆかりがキッと怖い顔で視線を飛ばしたので大地は言い直した。
「ゆかりに、白無垢と今着ている服を与えて、俺の住所を君……ゆかりに教えたということか?」
「そうですね。行く当てがないと私は好事家に売られてしまうんだそうです」
2カ月前。
真冬の寒さに震えながら出勤していたあの日。
斎藤大地は、眠りまなこをこすりながら、いつもの駅までの道を歩いていた。
その時、なんでそこが気になったのか。
大地の無意識が敏感にいつもと少しだけ違う風景をとらえたのか、はたまた、そういう匂いを嗅ぎ取ったのか。
歩道の外の草むらに目が行った。
寒さをものともしない力強い雑草の伸びた葉が、まるで緑色のクッションのようであったが、その真ん中がへこんでいた。
通りがかり、視線をそこに滑らせて覗いてみる。
猫。
ぼさぼさの毛並みの黒猫が横たわっていた。
口元にはわずかな血がついていて、死にそうなのか呼吸は浅く、わずかに胸が動くだけだ。
近づいても目が開く様子もなく、今まさに死のうとしている。
(車に撥ねられたか?)
大地は頭をガリガリと掻きむしった後、腕時計をのぞく。
時間は7時30分を指している。
動物病院はまだ開いてる時間ではないが、チャイムを鳴らしたら準備をしているスタッフがいて対応してくれるかもしれない。
(仕事は……えぇーい! 皆勤賞なのだ! たまには遅刻してもいいんだろう。腹が痛かったとか適当に理由をつけよう)
大地は、優しく黒猫を抱きかかえると、スーツに血がつくのも構わず、動物病院へと向かった。
家から駅までの道、いつも歩いているルートとは別のルートを辿れば、途中にあったはずだ。
しかし、歩くたび、どんどんと冷たくなっていく黒猫。
(あぁ……。だめか。死んでしまう……)
気がついたら走っていた。
はぁはぁと息をきらしながら、黒猫を胸に抱えて、全力で走ったのなんて何年ぶりだろうか?
しかし、動物病院が遠くに見え始めたところで、黒猫の呼吸は止まってしまった。
黒猫から何かが抜け落ちた感覚がした。
すっと、黒猫の体が急に重くなったように感じる。
抜け落ちたのに重くなるとはどういうことか。しかし、大地にはそう感じられた。
確かに生きていた者が、ただの物に――物体になってしまった。
ボサボサの毛並みに首輪もしていないそれは、野良猫だったことがうかがいしれる。
動物病院にたどり着いたとき、念のためにチャイムを鳴らしてみるが反応はない。
大地は、動物病院をあとにして、更に先にある公園へと向かう。
公園の片隅に誰か子供が忘れて行ったのか、小さなスコップがあったため、それをつかって穴を掘って埋めてやった。本来は、やってはいけないことなのかもしれないが、そのまま放っておくこともなんだか気が引けた。
その日、大地は社会人人生で初めて遅刻をした。
②
「結局、君は誰なんだい? いや、ごめん! 聞いたのかもしれないが、覚えてないんだ……言い訳はしない。最低だろう。だが、すまないとしか言いようがない」
リビングのテーブルを挟んで、大地と女の子が食席についている。
目の前には、女の子が作ってくれた朝食、ご飯、目玉焼き、たこさんウィンナー、そして味噌汁が置かれている。
全て美味しそうな匂いを放っている。
「そんな……初めてを捧げて……一晩中旦那様の求めに応じたというのに……」
女の子はわざとらしく、その細い指で目の涙をぬぐうような仕草をするが、特段零れるものもないため嘘泣きである。
「あ、いや。その、ごめん。申し訳ございません!」
「はぁ。覚えてないのはとても残念です。大事な大事な初夜だったのに」
「……」
「それは、さておき」
女の子は姿勢を正しその愛らしい目で、大地の狼狽える目を真っすぐに見た。
「私の名前は、三宅 縁(みやけ ゆかり)です。あの時の黒猫でございます」
「あの時の黒猫?」
「あの時、旦那様は優しく抱きかかえて助けてくれようと力を尽くしてくださいましたね」
「2カ月前の黒猫のことを言っているのか? だとしたら、俺は何もできなかったよ。埋めてあげたのが精々だ。それに……死んだ猫が人間になる?」
「異類婚姻譚という言葉をご存じですか?」
「いや、聞いたことがないが」
「あれです。鶴の恩返しや、雪女、狐が人間に嫁ぐといった話です」
「はぁ」
「恩を感じた獣が、人間に化けて恩返しのためにお嫁さんになるというものです」
「いやいや、この場合、俺は何も出来ていないし、君は一度? 死んでしまったし」
「私は猫から人間になりました。旦那様の優しい匂いに一目ぼれして押しかけてしまいましたが……ダメですか? 私は旦那様の好みに合わないでしょうか?」
ゆかりはうるうると瞳に涙をためて、懇願するように大地を見つめる。
大地は、あらためてゆかりを見る。
頭の上の猫耳はあるものの、正直、可愛い。とても綺麗で可愛い女の子だ。
幼さを少し残した可愛い愛らしい顔立ち、優しそうな目、小さな口、スレンダーな体つきながら、ワンピース越しにもしっかり主張する胸、きゅっとしまった腰は、正直、劣情を抑えるのが大変だ。
「正直、可愛い。それも、とても……。まて、君は一体今何歳になるんだ?」
「ゆかりと呼んでください。歳ですか? 何分、2カ月前までは猫でしたので……ただ、翁は身体はちゃんと大人だと言っていました!」
「翁?」
「はい。私に人間社会で暮らしていく最低限の教育をしてくれた方です」
「はぁ。そういう存在がいるのか」
「なんでも、猫が人間になるのは300年ぶりと言っていましたね」
「え。過去に事例があるの!?」
「異類婚姻譚は、実際にあったことも混じっているみたいです。その子孫もいるみたいですよ」
「えぇ……にわかには信じられない……」
「私の猫耳、また撫でますか?」
「うっ。信じられないが、その耳は本物としか思えない」
「もちろん、本物です」
ゆかりが自慢げに胸を張る。
「えっと、その翁というのが、君……」
大地が君と言いかけたところで、ゆかりがキッと怖い顔で視線を飛ばしたので大地は言い直した。
「ゆかりに、白無垢と今着ている服を与えて、俺の住所を君……ゆかりに教えたということか?」
「そうですね。行く当てがないと私は好事家に売られてしまうんだそうです」
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