深淵から来る者たち

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16、不穏な火星周辺宙域(前編)

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 ニューヨーク
 二百年以上前からアメリカ合衆国最大の都市であったニューヨークは、現在では世界最大の都市となっていた。
 かつて国際連合の本部が置かれていた場所でもあり、今は自由同盟が本部を構えている。
 もちろんニューヨーク自体も自由同盟の中心であり、象徴でもあった。
 その大都市のほぼ中央に位置する巨大な複合ビルは直径約10Kmの層が幾層に重なり、バベルの塔の様相を呈する。
 中には多くの国際的大企業がテナントに入り、多くの裕福層の高級アパートメントになっていた。それに必要なサービス提供する会社や施設も入っており、それはまるでひとつの街がいつくにも重なってい様でもあった。

 20200年1月1日
 そしてその最上階のエリアに設けられたニューイヤーパーティーが開かれていた。
 ウェイターやバーテンたちもオートワーカーではなく生身の人間たちだ。整った顔立ちの者が集められ、客たちに感じの良い笑顔を振りまきながら仕事をこなしている。
 パーティー会場には実業家、政治家、銀行家、有名俳優、スポーツ選手など様々な富豪たちが集まっていた。
 その中にエンドマーク社のCEOであるハワード・クシュナーもいた。
 エンドマーク社は、自由同盟に加盟する国の殆どに事業を展開する巨大企業だ。軍事産業も傘下に収め、軍にも絶大な影響力を誇る。
 そのトップであるハワード・クシュナーは人間嫌いの変人と噂された人物だった。その彼が姿を見せているという事が客たちの間で密かな話題になっていた。
 クシュナーが笑顔で歓談をしていると秘書がそばに来て耳打ちする。
 その言葉に表情が一瞬強張ったがすぐに笑顔に戻る。
 相手をしていた客たちに軽く挨拶するとその場から立ち去った。
 目立たぬように会場を出ると側近がひとり待ち構えていた。
「メンバーの方が既にお待ちです」
「やっと呼ばれたか。ようやくあの地獄から開放されて清々する」
「それが、そうでもないようです」
 その言葉で何か問題が起きている事をクシュナーが察した。
「何を聞いてる?」
「何も。ただ雰囲気がそのようでしたので」
 クシュナーはネクタイを軽く治すと、会場のそばの秘密のラウンジに入っていった。
 中に入ると地味だが高価だインテリアと落ち着いた色柄の絨毯の中で数人の男たちが歓談している。
 クシュナーに気がつくと皆、会話を止め彼の方を見た。
 その中で葉巻を咥えていたひとりが切り出す。
「作戦が失敗した」
 クシュナーの予感が当たった。彼は、怪訝な顔では葉巻きの男を見る。
「成功の可能性は高かったのでは?」
「責任回避のように聞こえるかもしれないが、予想外の出来事は何事にも付きものだよ」
 葉巻きの男は負け惜しみのように言う。
「情報によると艦の姿は晒したが、所属不明扱いとなっている」
「朗報にも聞こえるが連邦統制軍には、しっかり疑われているとは思うがね」
 隣のソファーにふんぞり返っていた別の男が皮肉を言う。
「やはり正面切って攻撃させるべきだったのだ」
 抗議ともとれる言葉に葉巻きの男が言い返した。
「戦争を再開させるリスクは負えない。君にだってわかっているだろう」
 感情が高ぶる葉巻き男を嗜めるようにクシュナーが口を挟んだ。
「まあ待て、それよりも今後を考えよう。何か対策を講じなければならない」
「彼の言う通りだ。艦が無事なのならアビスゲートへの直接攻撃をさせるべきかも」
「報告では周辺宙域の警戒がより厳重になっている。いかに次元潜航艦でも接近は困難かもしれない」
「私に考えがある」
 クシュナーはそう言うと携帯電話を取り出し、何処か連絡を取り始めた。


 同年1月2日
 火星宙域を地球に向けて帰還中の自由同盟宇宙軍・第一航宙機動艦隊
 空母ヴァリャーグは、70機近い艦載機を搭載した大型の宇宙空母であり、艦隊の旗艦でもあった。その周囲は強固な防空装備を施した航宙巡洋艦と駆逐艦に囲まれている。対艦装備した艦載機をすべて発進させれば対艦隊戦において相当な戦力であった。自由同盟宇宙軍において最強の戦力のひとつである。

「艦隊司令部から極秘通信です」
 メッセージを受け取った艦長のレンナー大佐の表情が険しくなる。
 それを長年の付き合いである副長のサヴィン少佐が察した。
「新年早々、司令部からの無理難題ですか?」
「火星駐留艦隊との合同演習の命令だ」
「我々は火星から出航したばかりですよ。それをUターンしろとは、消費物資や食料も再計算しなくては」
「それなりの補給はしてくれるそうだ。だが、どうも気に入いらん命令だな」
「でしょうな。今の時期、火星宙域での演習をすれば連邦統制軍を大いに刺激することになる」
 昨日。アビスゲート用大型核融合炉を輸送していた船団が掌底不明艦に襲われたという情報は知っていた。そのような作戦は聞いていないが当然、連邦統制軍が神経過敏になっているのは容易に想像できる。そこで自由同盟の宇宙軍が軍事演習を行うといのだ。しかも最強の第一航宙艦隊がだ。
「確かにそのとおりだが、司令部からの命令であれば仕方がない。しかし……」
 レンナー大佐が口ごもる。
「他に何か気になる事でも?」
「もしかしたら、その“刺激”自体が司令部の目的かもしれんな」
 数分後、地球への帰還を目指していた自由同盟宇宙軍第一航宙機動艦隊は司令部の命令どおり、火星に航路を変更した。


 正体不明の戦闘艦からの攻撃を受けて一週間後……
 輸送船団は目的地である火星に近づきつつあった。
 肉眼でも火星が確認できるまでの距離になり、通信のタイムラグも大幅に減少していた。
 警戒態勢は長く続いていたが謎の遮蔽システムを持つ正体不明の敵の攻撃はその後ない。
 先の攻撃はすでに連邦統制軍艦隊司令部へ報告され、対応として火星駐留の艦隊の一部を増援に送るとのことだったがランデブーもまだ先だ。

 その日、フェルミナ・ハーカーは非番だった。
 与えられた32時間の休息の内、すでに18時間を無駄に過ごしている。睡眠時間は別にしてだ。
 する事も特になかったので食堂に来てコーヒーを飲んでいた。
 24時間、人が出入りするので食事に来る他の乗組員たちの邪魔にならないように隅の席に座る。
 そこへ、緊急発進の待機任務を終えたニック・ウォーカー大尉がフライトスーツのままやってきた。彼は飛行隊のチームリーダーだ。フェルミナを何かと気遣ってくれる人物でもある。
 立ち上がって敬礼をしようとするフェルミナに大尉は右手で気にするなと合図する。
「どうだ? 調子は」
「はあ……まあ……」
「しばらくシフトがきつかった。少佐の気遣いだ。遠慮せずに休め」
「でもする事がなくて、逆に調子が狂うというか……」
「寝坊もできるぞ」
 ウォーカーが冗談めいた感じで言う。
「私は寝るのが怖くて」
「悪い夢でも見る?」
 大尉の言葉にフェルミナが顔つきを変える。
「本当にそうなのか? 冗談で言ったんだが」
 フェルミナは頷いた。
「そうか……ここだけの話し、医務室から精神安定薬をもらっているという報告も受けてる。飛行に支障がない程度ならと黙認してきたが、最近、量が増えてるようだな」
「火星に近づくほど酷くなっている気がして……すみません」
「謝ることはない。戦闘機パイロットは強い精神的プレッシャーを受ける事は同じパイロットである俺が十分わかってる。それはもちろん隊長のクエーツ少佐も同じだ」
「もしかして、この休暇は?」
「そういう事だ。まあ、リラックスして過ごせ」
 ウォーカー大尉はそう言って立ち上がるとフェルミナの肩を叩いた。
「あの……少佐」
 フェルミナはウォーカーを呼び止めた。
「例の“マルス・ワン”というパイロットの事は?」
「ああ、あれか。調べてもらったが、どういうわけかそのコールサインを持つパイロットが見つからなかったそうだ」
「実在しない?」
「お前の幻覚というわけでもないぞ。受信履歴もあったしな。詳しい事は情報部扱いに切り替わっっちまったから知らされてないが、そのうち真相も分かるだろうさ」
 そう言い残すとウォーカー大尉は食堂から出ていった。
 残されたフェルミナは、コーヒーカップを両手で持ったままその中身を見つめる。
 三分の一まで減ったコーヒーの表面が僅かに揺れていた。
 眠りにつくのは嫌だ……
 フェルミナは残ったコーヒーを一気に飲み干した。
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