月とガーネット[上]

雨音 礼韻

文字の大きさ
上 下
32 / 38
■Ⅴ■ON INDIA■

[3]シドの正体 ● 見つめるワケ (C&S)

しおりを挟む
「彼女を血の海からすくい上げたのはこの私さ……」

 シドの眼差しは狂気に満ちていた。

「この世の物とは思えないくらい美しかったよ……つややかな赤毛が溶け込んで、まるで深紅の薔薇の絨毯に埋もれて眠るお姫様のようで……永遠に見ていたいくらいだった」

 メリルへ向けて語りかけるように、シドは再びクウヤに横顔を見せた。

「それから父は彼女を引き取り、自宅でメイドに面倒を看させた。私も毎朝毎晩彼女の部屋に通ったものだよ……ショックで喋らなくなった彼女の耳に沢山の物語を聴かせて、天井しか見ようとしないその眼に美しい絵画を見せようとした。彼女との時間は、彼女が隣に越してきてからの三年半よりも、彼女が動けなくなってからの三年半の方がずっと濃密だった。だから彼女のために私も努力したんだ。医師としても技師としても……全て父の背中を見て学んだ。なのに……父が造った「手足ヒメ」のせいで、彼女は私の元から離れた」

「マリーアのことが……好きだったのか?」

「好き……?」

 クウヤの質問に反応は示したが、シドの表情は違うものを語っていた。

「好きだなんて……そんな軽薄な感情じゃない。そう、そうだね……少なくとも父は彼女を愛していた。あの男の指先が治療のために彼女に触れる度、自分にも怖気おぞけが走ったものだよ。彼女の感情は既に死んでいたから何の反応も示さなかったけれど、私には嫌がっていることがまざまざと感じられた。だから私は父の技術を全て盗み終えた後、彼女を父から解放してあげたんだ。なのに何故彼女は私からも離れたのさ!? 私は父のように無暗に触れたりなんてしない……そう、私は彼女を見つめていたいだけなんだ」

「──おいっ!」

 シドが勢い良く立ち上がって、クウヤも吊られて身を起こしたが、その行動は止められなかった。

 シドの右手がメリルのおとがいの真下から、納体袋のジッパーを一気に下腹部まで引き下ろしたのだった。

「ちょっ、やめろって!!」

 幾らメリルがアンドロイドだとしても、そのモデルは生身の人間なのだ。袋から見える白い肌はなまめかしく、トップまでは見えなかったが、胸の膨らみはある程度露わになった。

「ずっと姫と旅してきたんだ……君だって本当は見たかったんだろう? 君はアンドロイドだからと彼女の完璧さを認めなかったが、頭部と胴体は彼女そのものさ……もちろん四肢はそれに見合う想像からの人工物でしかないけどね」

「メリルと約束したんだ……右腕以外はシドに触らせるなって!」

 クウヤはそう吠えて、ジッパーを下ろしたその右腕を捕まえた。逆側の手で殴りかかろうと振り上げたが、心の隅に残っていた理性が、ギリギリその動きを止めていた。

「そうだよ、だから私は約束を破っていない。私は見つめていたいだけなんだ……君もいつかきっと分かるよ、触れることには何の価値もないって。何故なら彼女は「芸術」だからさ。その存在だけで意義がある。これほど美しい造形を、君は今まで見たことがあるかい?」

「シドぉ……!!」

 握り締めた拳に力を込めると、シドの微笑みが次第に痛みに歪んだ。が、その細腕の何処にそんな力があったのか、クウヤの束縛は刹那に振りほどかれた。

「今のところ君は彼女のお客人だからね、まだ猶予を与えてるけど、君もこれ以上姫に触れようなんてしたら、私が赦さないと覚えておいて。でなければ……父のようになるよ」

「おまっ……実の父親に何したんだ!?」

「フフ……さあね」

 そう言って再びニンマリと嗤ったシドは、ゆっくり納体袋のジッパーを引き上げ戻した。

「父が発明した人工皮膚には『ムーン・システム』が多く使われている。姫の表層はほとんどそれさ……ウサギが君達に「着せ替え用ホログラム」を手渡しただろ? あれも元を辿れば『ムーン・シールド』の応用なんだ。でも、分かるかい? 姫の此処だけは隠せていない」

「え……?」

 シドはメリルに触れないよう気を付けながら、開口した右肩先を指で押し広げた。確かにそこには大きな「継ぎ目」が見えていた。

「此処と左肩先、そして両脚の付け根にもね。このホログラムの弱点だよ。投影の質には使用者のメンタルが酷く影響する。彼女の四肢を失ったというトラウマが、この四ヶ所にどうしても不具合を生じさせてしまうんだ」

「だから、あの時……」

 ジャングルの大河で沐浴するメリルの肩先には、遠目からでも分かる「境い目」があった。手首や肘のそれは見えないのに、肩部けんぶが消せずにいたのはそういう理由だったのだ。

「もちろんこの程度で彼女の美しさがマイナスになることはないけどね。でも……時々こんな『ムーン』などなければ、彼女はずっと傍にいてくれたのにと恨んだりもするよ」

「『ムーン・シールド』の上に住んでるのにか?」

「此処は元々彼女の家さ」

「え?」

 再び席に着き、寝台に左肘を突いて、少々切なそうにシドはわらった。

手足ヒメを得た彼女は私の元から逃げて、この邸宅に移り住んだ。ようやく見つけてお迎えに上がったけれど、彼女は隙を見て私の『ツール』を壊したんだ。もちろん下界に降りて君のように一時的な『ツール』を作るのは簡単だけど、自分自身の『ツール』を再発行するのは容易じゃない。だから私は此処に留まって、定期的に姫がメンテナンスに来るのを待ちわびているのさ……」

「……」

 傍にいてほしいシドと、自由になりたかったマリーア。いや……マリーア自身は自由なのだろうか? 動いているのはマリーアではなくてメリルだ。マリーアは今もベッドに横になって天井を見つめているだけなのだろうか? それとも天井に投影されたメリルの視界で外の世界を見ているということか?

「君はあの『エレメント』を発見した第一号なんだろ? あれのお陰で私の人生は大きく狂ったよ。そうでなくともこれほど姫に気に入られて、正直こちらの方が君を殴りたいくらいだ……が、今後君が『エレメント』や『ムーン・システム』をどうにかしてくれるというのなら、その時は協力してあげてもいい」

「どうにか? どういう意味だ?」

「フフ……さあね」



 最後にもう一度クウヤの方へ姿勢を戻して、シドは淡い哂いを浮かべ、ウサギと共に退出した。

 残されたクウヤはふとメリルの寝顔を真上から見下ろしてみた。以前『ムーン・アンバサダー』の中で垣間見た時と同じあどけない表情をしている。この瞼の裏側で、一緒にマリーアも眠っているのだろうか? それともメリルが覚醒するのを、何も映さない天井を見つめて待ちわびているのだろうか?

「何か……切ないな」

 シドを殴らずには済んだが、聞かされたのはどれも後味の悪い内容だった。

 ──……んん? あ……ところでこいつ、いつ起きるんだ!?

 何も言わずに出て行ってしまったシドを恨めしく思いながら、クウヤもメリルの目覚めを待ちわびることとなった──。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

What a Wonderful World

一兎風タウ
SF
紀元後3518年。 荒廃したこの地には、戦闘用アンドロイド軍『オリュンポス軍』のみが存在していた⋯。 ー⋯はずだった。 十数年前に壊滅させた戦闘用アンドロイド軍『高天原軍』が再侵攻を始めた。 膠着状態となり、オリュンポス軍最高司令官のゼウスは惑星からの離脱、および爆破を決定した。 それに反発したポー、ハデス、ヘスティアの3人は脱走し、この惑星上を放浪する旅に出る。 これは、彼らが何かを見つけるための物語。 SF(すこしふしぎ)漫画の小説版。

宇宙人へのレポート

廣瀬純一
SF
宇宙人に体を入れ替えられた大学生の男女の話

虚界生物図録

nekojita
SF
序論 1. 虚界生物 界は、生物学においてドメインに次いで2番目に高い分類階級である。古典的な生物学ではすべての生物が六界(動物界、植物界、菌界、原生生物界、古細菌界、細菌/真正細菌)に分類される。しかしこれらの「界」に当てはまらない生物も、我々の知覚の外縁でひそかに息づいている。彼らは既存の進化の法則や生態系に従わない。あるものは時間を歪め、あるものは空間を弄び、あるものは因果の流れすら変えてしまう。 こうした異質な生物群は、「界」による分類を受け付けない生物として「虚界生物」と名付けられた。 虚界生物の姿は、地球上の動植物に似ていることもあれば、夢の中の幻影のように変幻自在であることもある。彼らの生態は我々の理解を超越し、認識を変容させる。目撃者の証言には概して矛盾が多く、科学的手法による解析が困難な場合も少なくない。これらの生物は太古の伝承や神話、芸術作品、禁断の書物の中に断片的に記され、伝統的な科学的分析の対象とはされてこなかった。しかしながら各地での記録や報告を統合し、一定の体系に基づいて分析を行うことで、現代では虚界生物の特性をある程度明らかにすることが可能となってきた。 本図録は、こうした神秘的な存在に関する情報、観察、諸記録、諸仮説を可能な限り収集、整理することで、未知の領域へと踏み出すための道標となることを目的とする。 2. 研究の意義と目的 本図録は、初学者にも分かりやすく、虚界生物の不思議と謎をひも解くことを目的としている。それぞれの記録には、観察された異常現象や生態、目撃談、さらには学術的仮説までを網羅する。 各項は独立しており、前後の項目と直接の関連性はない。読者は必要な、あるいは興味のある項目だけを読むことができる。 いくつかの虚界生物は、人間社会に直接的、あるいは間接的に影響を及ぼしている。南極上空に黄金の巣を築いた帝天蜂は、巣の内部で異常に発達した知性と生産性を持つ群体を形成している。この巣の研究は人類の生産システムに革新をもたらす可能性がある。 カー・ゾン・コーに代表される、人間社会に密接に関与する虚界生物や、逆に復讐珊瑚のように、接触を避けるべき危険な存在も確認されている。 一方で、一部の虚界生物は時空や因果そのものを真っ向から撹乱する。逆行虫やテンノヒカリは、我々の時間概念に重大な示唆を与える。 これらの異常な生物を研究することは単にその生物への対処方法を確立するのみならず、諸々の根源的な問いに新たな視点を与える。本図録が、虚界生物の研究に携わる者、または未知の存在に興味を持つ者にとっての一助となることを願う。 ※※図や文章の一部はAIを用いて作成されている。 ※※すべての内容はフィクションであり、実在の生命、科学、人物、出来事、団体、書籍とは関係ありません。

宇宙打撃空母クリシュナ ――異次元星域の傭兵軍師――

黒鯛の刺身♪
SF
 半機械化生命体であるバイオロイド戦闘員のカーヴは、科学の進んだ未来にて作られる。  彼の乗る亜光速戦闘機は撃墜され、とある惑星に不時着。  救助を待つために深い眠りにつく。  しかし、カーヴが目覚めた世界は、地球がある宇宙とは整合性の取れない別次元の宇宙だった。  カーヴを助けた少女の名はセーラ。  戦い慣れたカーヴは日雇いの軍師として彼女に雇われる。  カーヴは少女を助け、侵略国家であるマーダ連邦との戦いに身を投じていく。 ――時に宇宙暦880年  銀河は再び熱い戦いの幕を開けた。 ◆DATE 艦名◇クリシュナ 兵装◇艦首固定式25cmビーム砲32門。    砲塔型36cm連装レールガン3基。    収納型兵装ハードポイント4基。    電磁カタパルト2基。 搭載◇亜光速戦闘機12機(内、補用4機)    高機動戦車4台他 全長◇300m 全幅◇76m (以上、10話時点) 表紙画像の原作はこたかん様です。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

火星

ニタマゴ
SF
2074年、人類は初めて火星という星に立つ。 全人類が喜ぶ中、火星人は現れた。 そして、やつはやってくる!地球へと・・・ 全人類VS一人の火星人の戦いが始まったのであった・・・

鉄錆の女王機兵

荻原数馬
SF
戦車と一体化した四肢無き女王と、荒野に生きる鉄騎士の物語。 荒廃した世界。 暴走したDNA、ミュータントの跳梁跋扈する荒野。 恐るべき異形の化け物の前に、命は無残に散る。 ミュータントに攫われた少女は 闇の中で、赤く光る無数の目に囲まれ 絶望の中で食われ死ぬ定めにあった。 奇跡か、あるいはさらなる絶望の罠か。 死に場所を求めた男によって助け出されたが 美しき四肢は無残に食いちぎられた後である。 慈悲無き世界で二人に迫る、甘美なる死の誘惑。 その先に求めた生、災厄の箱に残ったものは 戦車と一体化し、戦い続ける宿命。 愛だけが、か細い未来を照らし出す。

体内内蔵スマホ

廣瀬純一
SF
体に内蔵されたスマホのチップのバグで男女の体が入れ替わる話

処理中です...