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■Ⅴ■ON INDIA■
[3]シドの正体 ● 見つめるワケ (C&S)
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「彼女を血の海から掬い上げたのはこの私さ……」
シドの眼差しは狂気に満ちていた。
「この世の物とは思えないくらい美しかったよ……艶やかな赤毛が溶け込んで、まるで深紅の薔薇の絨毯に埋もれて眠るお姫様のようで……永遠に見ていたいくらいだった」
メリルへ向けて語りかけるように、シドは再びクウヤに横顔を見せた。
「それから父は彼女を引き取り、自宅でメイドに面倒を看させた。私も毎朝毎晩彼女の部屋に通ったものだよ……ショックで喋らなくなった彼女の耳に沢山の物語を聴かせて、天井しか見ようとしないその眼に美しい絵画を見せようとした。彼女との時間は、彼女が隣に越してきてからの三年半よりも、彼女が動けなくなってからの三年半の方がずっと濃密だった。だから彼女のために私も努力したんだ。医師としても技師としても……全て父の背中を見て学んだ。なのに……父が造った「手足」のせいで、彼女は私の元から離れた」
「マリーアのことが……好きだったのか?」
「好き……?」
クウヤの質問に反応は示したが、シドの表情は違うものを語っていた。
「好きだなんて……そんな軽薄な感情じゃない。そう、そうだね……少なくとも父は彼女を愛していた。あの男の指先が治療のために彼女に触れる度、自分にも怖気が走ったものだよ。彼女の感情は既に死んでいたから何の反応も示さなかったけれど、私には嫌がっていることがまざまざと感じられた。だから私は父の技術を全て盗み終えた後、彼女を父から解放してあげたんだ。なのに何故彼女は私からも離れたのさ!? 私は父のように無暗に触れたりなんてしない……そう、私は彼女を見つめていたいだけなんだ」
「──おいっ!」
シドが勢い良く立ち上がって、クウヤも吊られて身を起こしたが、その行動は止められなかった。
シドの右手がメリルの頤の真下から、納体袋のジッパーを一気に下腹部まで引き下ろしたのだった。
「ちょっ、やめろって!!」
幾らメリルがアンドロイドだとしても、そのモデルは生身の人間なのだ。袋から見える白い肌は艶めかしく、トップまでは見えなかったが、胸の膨らみはある程度露わになった。
「ずっと姫と旅してきたんだ……君だって本当は見たかったんだろう? 君はアンドロイドだからと彼女の完璧さを認めなかったが、頭部と胴体は彼女そのものさ……もちろん四肢はそれに見合う想像からの人工物でしかないけどね」
「メリルと約束したんだ……右腕以外はシドに触らせるなって!」
クウヤはそう吠えて、ジッパーを下ろしたその右腕を捕まえた。逆側の手で殴りかかろうと振り上げたが、心の隅に残っていた理性が、ギリギリその動きを止めていた。
「そうだよ、だから私は約束を破っていない。私は見つめていたいだけなんだ……君もいつかきっと分かるよ、触れることには何の価値もないって。何故なら彼女は「芸術」だからさ。その存在だけで意義がある。これほど美しい造形を、君は今まで見たことがあるかい?」
「シドぉ……!!」
握り締めた拳に力を込めると、シドの微笑みが次第に痛みに歪んだ。が、その細腕の何処にそんな力があったのか、クウヤの束縛は刹那に振りほどかれた。
「今のところ君は彼女のお客人だからね、まだ猶予を与えてるけど、君もこれ以上姫に触れようなんてしたら、私が赦さないと覚えておいて。でなければ……父のようになるよ」
「おまっ……実の父親に何したんだ!?」
「フフ……さあね」
そう言って再びニンマリと嗤ったシドは、ゆっくり納体袋のジッパーを引き上げ戻した。
「父が発明した人工皮膚には『ムーン・システム』が多く使われている。姫の表層はほとんどそれさ……ウサギが君達に「着せ替え用ホログラム」を手渡しただろ? あれも元を辿れば『ムーン・シールド』の応用なんだ。でも、分かるかい? 姫の此処だけは隠せていない」
「え……?」
シドはメリルに触れないよう気を付けながら、開口した右肩先を指で押し広げた。確かにそこには大きな「継ぎ目」が見えていた。
「此処と左肩先、そして両脚の付け根にもね。このホログラムの弱点だよ。投影の質には使用者のメンタルが酷く影響する。彼女の四肢を失ったというトラウマが、この四ヶ所にどうしても不具合を生じさせてしまうんだ」
「だから、あの時……」
ジャングルの大河で沐浴するメリルの肩先には、遠目からでも分かる「境い目」があった。手首や肘のそれは見えないのに、肩部が消せずにいたのはそういう理由だったのだ。
「もちろんこの程度で彼女の美しさがマイナスになることはないけどね。でも……時々こんな『ムーン』などなければ、彼女はずっと傍にいてくれたのにと恨んだりもするよ」
「『ムーン・シールド』の上に住んでるのにか?」
「此処は元々彼女の家さ」
「え?」
再び席に着き、寝台に左肘を突いて、少々切なそうにシドは哂った。
「手足を得た彼女は私の元から逃げて、この邸宅に移り住んだ。ようやく見つけてお迎えに上がったけれど、彼女は隙を見て私の『ツール』を壊したんだ。もちろん下界に降りて君のように一時的な『ツール』を作るのは簡単だけど、自分自身の『ツール』を再発行するのは容易じゃない。だから私は此処に留まって、定期的に姫がメンテナンスに来るのを待ちわびているのさ……」
「……」
傍にいてほしいシドと、自由になりたかったマリーア。いや……マリーア自身は自由なのだろうか? 動いているのはマリーアではなくてメリルだ。マリーアは今もベッドに横になって天井を見つめているだけなのだろうか? それとも天井に投影されたメリルの視界で外の世界を見ているということか?
「君はあの『エレメント』を発見した第一号なんだろ? あれのお陰で私の人生は大きく狂ったよ。そうでなくともこれほど姫に気に入られて、正直こちらの方が君を殴りたいくらいだ……が、今後君が『エレメント』や『ムーン・システム』をどうにかしてくれるというのなら、その時は協力してあげてもいい」
「どうにか? どういう意味だ?」
「フフ……さあね」
最後にもう一度クウヤの方へ姿勢を戻して、シドは淡い哂いを浮かべ、ウサギと共に退出した。
残されたクウヤはふとメリルの寝顔を真上から見下ろしてみた。以前『ムーン・アンバサダー』の中で垣間見た時と同じあどけない表情をしている。この瞼の裏側で、一緒にマリーアも眠っているのだろうか? それともメリルが覚醒するのを、何も映さない天井を見つめて待ちわびているのだろうか?
「何か……切ないな」
シドを殴らずには済んだが、聞かされたのはどれも後味の悪い内容だった。
──……んん? あ……ところでこいつ、いつ起きるんだ!?
何も言わずに出て行ってしまったシドを恨めしく思いながら、クウヤもメリルの目覚めを待ちわびることとなった──。
シドの眼差しは狂気に満ちていた。
「この世の物とは思えないくらい美しかったよ……艶やかな赤毛が溶け込んで、まるで深紅の薔薇の絨毯に埋もれて眠るお姫様のようで……永遠に見ていたいくらいだった」
メリルへ向けて語りかけるように、シドは再びクウヤに横顔を見せた。
「それから父は彼女を引き取り、自宅でメイドに面倒を看させた。私も毎朝毎晩彼女の部屋に通ったものだよ……ショックで喋らなくなった彼女の耳に沢山の物語を聴かせて、天井しか見ようとしないその眼に美しい絵画を見せようとした。彼女との時間は、彼女が隣に越してきてからの三年半よりも、彼女が動けなくなってからの三年半の方がずっと濃密だった。だから彼女のために私も努力したんだ。医師としても技師としても……全て父の背中を見て学んだ。なのに……父が造った「手足」のせいで、彼女は私の元から離れた」
「マリーアのことが……好きだったのか?」
「好き……?」
クウヤの質問に反応は示したが、シドの表情は違うものを語っていた。
「好きだなんて……そんな軽薄な感情じゃない。そう、そうだね……少なくとも父は彼女を愛していた。あの男の指先が治療のために彼女に触れる度、自分にも怖気が走ったものだよ。彼女の感情は既に死んでいたから何の反応も示さなかったけれど、私には嫌がっていることがまざまざと感じられた。だから私は父の技術を全て盗み終えた後、彼女を父から解放してあげたんだ。なのに何故彼女は私からも離れたのさ!? 私は父のように無暗に触れたりなんてしない……そう、私は彼女を見つめていたいだけなんだ」
「──おいっ!」
シドが勢い良く立ち上がって、クウヤも吊られて身を起こしたが、その行動は止められなかった。
シドの右手がメリルの頤の真下から、納体袋のジッパーを一気に下腹部まで引き下ろしたのだった。
「ちょっ、やめろって!!」
幾らメリルがアンドロイドだとしても、そのモデルは生身の人間なのだ。袋から見える白い肌は艶めかしく、トップまでは見えなかったが、胸の膨らみはある程度露わになった。
「ずっと姫と旅してきたんだ……君だって本当は見たかったんだろう? 君はアンドロイドだからと彼女の完璧さを認めなかったが、頭部と胴体は彼女そのものさ……もちろん四肢はそれに見合う想像からの人工物でしかないけどね」
「メリルと約束したんだ……右腕以外はシドに触らせるなって!」
クウヤはそう吠えて、ジッパーを下ろしたその右腕を捕まえた。逆側の手で殴りかかろうと振り上げたが、心の隅に残っていた理性が、ギリギリその動きを止めていた。
「そうだよ、だから私は約束を破っていない。私は見つめていたいだけなんだ……君もいつかきっと分かるよ、触れることには何の価値もないって。何故なら彼女は「芸術」だからさ。その存在だけで意義がある。これほど美しい造形を、君は今まで見たことがあるかい?」
「シドぉ……!!」
握り締めた拳に力を込めると、シドの微笑みが次第に痛みに歪んだ。が、その細腕の何処にそんな力があったのか、クウヤの束縛は刹那に振りほどかれた。
「今のところ君は彼女のお客人だからね、まだ猶予を与えてるけど、君もこれ以上姫に触れようなんてしたら、私が赦さないと覚えておいて。でなければ……父のようになるよ」
「おまっ……実の父親に何したんだ!?」
「フフ……さあね」
そう言って再びニンマリと嗤ったシドは、ゆっくり納体袋のジッパーを引き上げ戻した。
「父が発明した人工皮膚には『ムーン・システム』が多く使われている。姫の表層はほとんどそれさ……ウサギが君達に「着せ替え用ホログラム」を手渡しただろ? あれも元を辿れば『ムーン・シールド』の応用なんだ。でも、分かるかい? 姫の此処だけは隠せていない」
「え……?」
シドはメリルに触れないよう気を付けながら、開口した右肩先を指で押し広げた。確かにそこには大きな「継ぎ目」が見えていた。
「此処と左肩先、そして両脚の付け根にもね。このホログラムの弱点だよ。投影の質には使用者のメンタルが酷く影響する。彼女の四肢を失ったというトラウマが、この四ヶ所にどうしても不具合を生じさせてしまうんだ」
「だから、あの時……」
ジャングルの大河で沐浴するメリルの肩先には、遠目からでも分かる「境い目」があった。手首や肘のそれは見えないのに、肩部が消せずにいたのはそういう理由だったのだ。
「もちろんこの程度で彼女の美しさがマイナスになることはないけどね。でも……時々こんな『ムーン』などなければ、彼女はずっと傍にいてくれたのにと恨んだりもするよ」
「『ムーン・シールド』の上に住んでるのにか?」
「此処は元々彼女の家さ」
「え?」
再び席に着き、寝台に左肘を突いて、少々切なそうにシドは哂った。
「手足を得た彼女は私の元から逃げて、この邸宅に移り住んだ。ようやく見つけてお迎えに上がったけれど、彼女は隙を見て私の『ツール』を壊したんだ。もちろん下界に降りて君のように一時的な『ツール』を作るのは簡単だけど、自分自身の『ツール』を再発行するのは容易じゃない。だから私は此処に留まって、定期的に姫がメンテナンスに来るのを待ちわびているのさ……」
「……」
傍にいてほしいシドと、自由になりたかったマリーア。いや……マリーア自身は自由なのだろうか? 動いているのはマリーアではなくてメリルだ。マリーアは今もベッドに横になって天井を見つめているだけなのだろうか? それとも天井に投影されたメリルの視界で外の世界を見ているということか?
「君はあの『エレメント』を発見した第一号なんだろ? あれのお陰で私の人生は大きく狂ったよ。そうでなくともこれほど姫に気に入られて、正直こちらの方が君を殴りたいくらいだ……が、今後君が『エレメント』や『ムーン・システム』をどうにかしてくれるというのなら、その時は協力してあげてもいい」
「どうにか? どういう意味だ?」
「フフ……さあね」
最後にもう一度クウヤの方へ姿勢を戻して、シドは淡い哂いを浮かべ、ウサギと共に退出した。
残されたクウヤはふとメリルの寝顔を真上から見下ろしてみた。以前『ムーン・アンバサダー』の中で垣間見た時と同じあどけない表情をしている。この瞼の裏側で、一緒にマリーアも眠っているのだろうか? それともメリルが覚醒するのを、何も映さない天井を見つめて待ちわびているのだろうか?
「何か……切ないな」
シドを殴らずには済んだが、聞かされたのはどれも後味の悪い内容だった。
──……んん? あ……ところでこいつ、いつ起きるんだ!?
何も言わずに出て行ってしまったシドを恨めしく思いながら、クウヤもメリルの目覚めを待ちわびることとなった──。
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