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■Ⅳ■IN INDIA ■
[4]好きなのに? 裏切った!? *
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「……もちろん昔はこんな空の彼方じゃなくて、れっきとした大海原を闊歩してたっつうもんよ。そんときゃあ船員ももっと大勢で、活気があって~! あの頃が一番いい時代、だったいなぁ……」
海賊船『ムーン・バイキング』の船長ガブリエルは、縮れたアゴ髭を指に絡ませながら、古き良き時代を懐かしむように、遠くを望んで眼を細めた。
「昔」と言っても子供向けの物語に出てくるような「むかーし昔」の訳ではないのだから、少しばかり前にそんな時代錯誤な海賊業とは、もはや懐古趣味のコスプレ・イベントくらいでしかクウヤの想像は及ばなかった。
「『ムーン・ウォーカー』が出来てからというもの、海の上で略奪出来るような船舶は、あれよあれよと減っちまってねぇ……仕方なく膨大な借金作ってぇこの船を手に入れたって訳だが……ほとんどの船員は『ムーン・タクシー』のドライバーになんて鞍替えして、ついに残ったのはワンソックただ一人さ……寂しい世の中になったもんよ」
「……はぁ」
『ツール・ブローカー』の待つムンバイまでは二時間ほど。海賊二人は修繕費を請求されなかったこともあり、クウヤとメリルを手厚く歓待した。が、クウヤは既に朝食も済ませ、もちろんアンドロイド・メリルは食物を摂取しない。他にはインスタント・コーヒー程度しか持て成す術のない船長は、暇を持て余すクウヤのご機嫌取りに、今までの経緯を滔々と語るのだった。
「それならやっぱりこの船売って、まっとうな職に就けばいいのに」
何も考えずに発したが、では当の自分はどうなのか? 今までの研究に成果も出せず、その日暮らしの生活をしていると言ったら、クウヤも彼らとそう変わりはない。
「てやんで~い! 海は男の浪漫よぉっ!!」
船長は唾を飛ばす勢いで、クウヤのごもっともなご意見を吹き飛ばした。が、
──「海」は、って……結局漕いでるのは「空」じゃねぇかよ……。
そう反論したいのはヤマヤマだったが、言えばまた唾を飛ばされると、クウヤは喉元をグッと引き締める。
「クウヤ様、まもなく『ツール・ブローカー』様のお屋敷でございます。お支度をお願い致します」
一人盛り上がるガブリエルから振り向けば、既にメリルが傍らに侍っていた。気配を感じさせずに近付けたのは、やはり生命がないせいか?
「あ、ああ……了解。でも支度ったって、全部ジャングルに置いてきただろ?」
現在衣服はもちろん、生活雑貨は一切持たず、手元にあるのは明らかに拳銃二丁のみなのだ。しかしメリルはクウヤの視界の端から、
「シド様がご用意くださいました。冠婚葬祭用ホログラムでございます」
と、シルバーのペンライトを差し出した。クウヤにとって見覚えのあるこのフォルムは──
「あーこれっ! 啓太が持ってた……って「冠婚葬祭用」?」
今回旅路の出発点となった『グランド・ムーン』に入場するため、相応しい服装を提供してくれた未来の道具だ。けれど余計な「冠婚葬祭用」という言葉に、さすがのクウヤも引っ掛かった。
「残念ながら、いわゆる「礼服」のみ映し出せる機器だそうです」
「なんか……嫌な予感がするっ」
クウヤは横目にメリルを捉えたまま、『ムーン・ライナー』の客室で悪寒を感じた時のように、背筋から二の腕に伝わる震えを両手で擦って掻き消した。
案の定、一番に投影されたのは銀糸が煌びやかなタキシードだった! もちろんクウヤは溜息をつきながら即却下。お次は黒の燕尾服、その次はグレーベースストライプのスラックスが定番のモーニング……この三種の色違いが数周繰り返され、果ては日本の黒紋付羽織袴まで出てくる仕舞いだ。クウヤの顔面は明らかにどんよりと淀んでいき、もはや着せ替え人形と化したクウヤの「ブライダル・コレクション」を、メリルが愉しんでいるとしか思えない様相だった。
「メリル、もういい……俺はこの汚いTシャツとジーンズで行くっ!」
「も、申し訳ございませんっ……しばしお待ちくださいませ」
と、クウヤの機嫌を損なって、ようやくメリルも「切替えボタン」に気付いたらしかった。
「なんだよ~! 招待客用があるなら早く言ってくれ!!」
「大変失礼を致しました」
「主役」でなければ(日本ではネクタイが白い程度で)男性の衣装などほぼスーツだ。メリルはクウヤに似合いそうなダークグレーを選んで完了とした。
「クーさん……! あんた~なかなかの男前じゃないか! いやぁ~「馬子にも衣装」とは言ったもんだ!」
「ガブ……俺が日本人だからそのことわざ使ったのだろうけど、それ全然誉め言葉じゃあないからな」
「ほぇ?」
クウヤはもはや説明する気力もなく、疲れたようにネクタイを緩めようとしたが、実際には実体のないホログラムであることを思い出し、再び「はぁ~」と息を吐き出して諦めた。
ちなみにメリル自身も女性用の招待客衣装から、以前着ていたような黒いカクテルドレスを映写したのは言うまでもない。
ワンソックの操縦で徐々に降下する『ムーン・バイキング』の眼下に、インドの大都市らしい近代的なビル群と、英国統治下を懐かしむクラシカルなホテル群、そして目をそむけたくなるような高く積み上げられた廃棄物の隣に、吹けば飛びそうな木造バラックの集まりが見える。
ワンソックはメリルの案内で、ビジネス街のど真ん中、半球状のドームに針路を定めた。既にメリルはブローカーと通信済みで、近付くにつれ招き入れるように(まるで池の鯉が大きく口を開いて餌を頬張るように?)ドームの先端がパックリと割れる。『ムーン・バイキング』はその中の駐艇場らしき十字ラインの中心に、ピタリと静かに着陸した。
「今どき自動操縦がないなんて~って思ったけど、これだけの技術があるなら安心して任せられるな」
「お褒めいただき光栄です」
マザーシップ襲来時とは打って変わって、ワンソックは丁寧な口調で嬉しそうに一礼した。
「メリーさん」
操舵室より甲板へと向かい、降ろされた梯子の手前。クウヤとメリルをシドの元へ送るまでの間、船上で待機を命ぜられたガブリエルは、神妙な面持ちでメリルの背中に声を掛けた。
「はい、ガブリエル様」
「あんた、アンドロイドだと言ったが、こんなベッピンさんを拝んだのは、後にも先にも初めてに違いねぇ……オリゃああんたが気に入った! 今回は残念ながらウサギさんのお屋敷でお別れらしいが、何かの際には飛んでくるでよぉ、遠慮なく呼んでおくれよー」
──……は?
ガブリエルの突然の告白(?)に、クウヤは絶句したまま隣のメリルを見下ろす。
メリルもさすがに驚きを示すかと思われたが、その横顔はいつも通りのクール・ビューティだった。
「誠にありがとうございます、ガブリエル様。それでは早速お言葉に甘えまして、わたくし共の用が済みましたら、主人の待つヨーロッパまで、クウヤ様とわたくしをお運びいただけましたら幸いでございます」
──まさかガブの好意をココまで最大限利用しようとは……メリル、抜け目ない~っ!
「おぉ、お安い御用だ! そんなにメリーさんと一緒に長旅出来るってんなら、こちとらも有難き幸せよ~ぅ!!」
──ガブ……瞬殺、だな。
喜びはしゃぎ出すガブリエルとワンソックを正面に、動じる様子もないメリルを一瞥し、クウヤは乾いた笑いを手で覆った。
「それでは」
全員で順に梯子を降り、クウヤとメリルは駐艇場で待っていた執事らしき男性に招かれて、奥の室内へと消えていく。ガブリエルとワンソックが駐艇スタッフに何やら話しかけているのは……(未来版?)煙草でもねだっているのだろう。
「こちらでございます」
長い廊下は無機質な白一色であったが、突き当りの両開き扉は重厚で、暗めのウォルナット材に施された繊細な装飾彫刻が雰囲気を醸し出している。執事は二度のノックの後、僅かに応答が聞こえたので、その扉を両手で押し開いた。
「ようこそ、ムンバイへ」
そう一言、真正面の紳士がおもむろに立ち上がる。
深くお辞儀をしたメリルに続き、入室したクウヤも軽く会釈をして、キョロキョロと辺りを見回した。
此処はインドであるが、依然インドらしき片鱗は見当たらない。どちらかと言えば英国式の調度で、五十代半ばといった紳士自身も欧風な顔立ちをしていた。
「この度はお世話になります。こちらは依頼人の如月 空夜様でございます。わたくしはメリルとお呼びください。ブローカー様は……下界ではなんとお呼びすれば宜しいでしょうか?」
促された革のソファに腰を下ろし、にこやかな紳士の発言を待つ。「下界では……」──きっと本名は明かさないのだろう。となると「メリル」も偽名なのだろうか? クウヤはふとそんなことを思った。
「ふむ……仲介人が「メリル」さんとお聞きしたので、英国調の客室にご案内したのですが……やはり名前など当てにはなりませんな。とは言っても、人種に限れば、ドイツもさして変わりませんが」
「……」
「……ドイツ?」
紳士はようやく口を開いたが、その内容の意味をクウヤが汲み取ることは出来なかった。いや、一つ繋がることはある──バンコクでメリルに再会したネイが発したのも「ドイツ語」だ。メリルはドイツで開発されたアンドロイドなのだろうか? しかしこのブローカーがそれを知っているのは、少し不自然な感じもした。
「どなたかとお間違えになられていらっしゃると思います」
「そうでしょうか? こういう仕事柄、人の顔を憶えるのがとても得意でしてね。十年以上は前の筈ですが、とある技術者の邸宅で見かけた少女と良く似ていらっしゃる……ディアーク=クラウゼンハーレ=アルツトという人物をご存知ではありませんか?」
「いいえ、存じません。人違いでございます」
──メリル?
クウヤから見える横顔は普段通りであったが、否定を続ける言葉の最後が、ほんの僅か震えた気がした。
「分かりました。ではこの話はここまでに致しましょう。私は……そうですね、ラヴィと呼んでいただければと。ラヴィ・シャンカール──インドが誇る亡きシタール奏者です。シタールの音色が無性に心地良いのは、やはり我が内なる血が好むのでしょうね。今はこちらを全面に押し出していますが、……便利な世の中になりましたな」
「……」
「??」
メリルは声を発することはなかったが、同意を示すように微かに首肯したのがクウヤには感じられた。が、当のクウヤは相変わらずハテナマークだらけだ。「こちらを押し出す」とはどういう意味か? 全体をまとめる一文としては、かなり分かりかねる文章だった。
「前置きが長くなりまして申し訳ない。そろそろ『ツール』の話を始めましょう。まずご入金についてですが、既に確認は出来ております。誠にありがとうございました。『ツール』の使用期限は約三ヶ月です。正式には……十月十七日二十時頃までになると思われます。期限が過ぎますと、下界に戻られたのち、同じ認証ではシールド上に昇ることは出来なくなりますのでご了承ください。それまでの行動範囲はもちろん自由ですのでご安心を」
「ありがとうございます、シャンカール様」
「お、恐れ入ります……」
何を聞いても理解に苦しむが、これから渡される『ツール』には「期限」があるのだということだけは分かった。クウヤも戸惑いながらもお礼を言い、ラヴィが背後の書斎机から取り出した、小さなボックスを受け取った。
「男性とお聞きしましたので、取り急ぎ腕時計型に設えました……構いませんね?」
「問題ございません。お気遣いをありがとうございます」
確かに開いてみれば、ブラックメタルフレームのセンスの良い腕時計が収められている。取り出す時間も与えずメリルはラヴィにお礼を言い、クウヤを促して出口を目指した。
「申し訳ございません、クウヤ様。今は設定している余裕がございません。取り急ぎ出発致します」
「はぁ」
音もなく歩を進めるメリルの足取りは確かにいつもより忙しない。いつものようにクウヤも吊られて早々に駐艇場へ戻ったが、何故だか『ムーン・バイキング』の姿は忽然と消えていた。
「あいつら……っ! 早速裏切りやがった!?」
「いえ、それよりも……」
「──え?」
振り向けば隣のメリルの横顔は、船のあったであろう高さより上空を仰いでいた。再び吊られて見上げた半透明のドームの向こう、
「えっ? えええええ──っ!?」
数えきれないほどの『ムーン・ウォーカー』が自分達を見下ろしていた──。
海賊船『ムーン・バイキング』の船長ガブリエルは、縮れたアゴ髭を指に絡ませながら、古き良き時代を懐かしむように、遠くを望んで眼を細めた。
「昔」と言っても子供向けの物語に出てくるような「むかーし昔」の訳ではないのだから、少しばかり前にそんな時代錯誤な海賊業とは、もはや懐古趣味のコスプレ・イベントくらいでしかクウヤの想像は及ばなかった。
「『ムーン・ウォーカー』が出来てからというもの、海の上で略奪出来るような船舶は、あれよあれよと減っちまってねぇ……仕方なく膨大な借金作ってぇこの船を手に入れたって訳だが……ほとんどの船員は『ムーン・タクシー』のドライバーになんて鞍替えして、ついに残ったのはワンソックただ一人さ……寂しい世の中になったもんよ」
「……はぁ」
『ツール・ブローカー』の待つムンバイまでは二時間ほど。海賊二人は修繕費を請求されなかったこともあり、クウヤとメリルを手厚く歓待した。が、クウヤは既に朝食も済ませ、もちろんアンドロイド・メリルは食物を摂取しない。他にはインスタント・コーヒー程度しか持て成す術のない船長は、暇を持て余すクウヤのご機嫌取りに、今までの経緯を滔々と語るのだった。
「それならやっぱりこの船売って、まっとうな職に就けばいいのに」
何も考えずに発したが、では当の自分はどうなのか? 今までの研究に成果も出せず、その日暮らしの生活をしていると言ったら、クウヤも彼らとそう変わりはない。
「てやんで~い! 海は男の浪漫よぉっ!!」
船長は唾を飛ばす勢いで、クウヤのごもっともなご意見を吹き飛ばした。が、
──「海」は、って……結局漕いでるのは「空」じゃねぇかよ……。
そう反論したいのはヤマヤマだったが、言えばまた唾を飛ばされると、クウヤは喉元をグッと引き締める。
「クウヤ様、まもなく『ツール・ブローカー』様のお屋敷でございます。お支度をお願い致します」
一人盛り上がるガブリエルから振り向けば、既にメリルが傍らに侍っていた。気配を感じさせずに近付けたのは、やはり生命がないせいか?
「あ、ああ……了解。でも支度ったって、全部ジャングルに置いてきただろ?」
現在衣服はもちろん、生活雑貨は一切持たず、手元にあるのは明らかに拳銃二丁のみなのだ。しかしメリルはクウヤの視界の端から、
「シド様がご用意くださいました。冠婚葬祭用ホログラムでございます」
と、シルバーのペンライトを差し出した。クウヤにとって見覚えのあるこのフォルムは──
「あーこれっ! 啓太が持ってた……って「冠婚葬祭用」?」
今回旅路の出発点となった『グランド・ムーン』に入場するため、相応しい服装を提供してくれた未来の道具だ。けれど余計な「冠婚葬祭用」という言葉に、さすがのクウヤも引っ掛かった。
「残念ながら、いわゆる「礼服」のみ映し出せる機器だそうです」
「なんか……嫌な予感がするっ」
クウヤは横目にメリルを捉えたまま、『ムーン・ライナー』の客室で悪寒を感じた時のように、背筋から二の腕に伝わる震えを両手で擦って掻き消した。
案の定、一番に投影されたのは銀糸が煌びやかなタキシードだった! もちろんクウヤは溜息をつきながら即却下。お次は黒の燕尾服、その次はグレーベースストライプのスラックスが定番のモーニング……この三種の色違いが数周繰り返され、果ては日本の黒紋付羽織袴まで出てくる仕舞いだ。クウヤの顔面は明らかにどんよりと淀んでいき、もはや着せ替え人形と化したクウヤの「ブライダル・コレクション」を、メリルが愉しんでいるとしか思えない様相だった。
「メリル、もういい……俺はこの汚いTシャツとジーンズで行くっ!」
「も、申し訳ございませんっ……しばしお待ちくださいませ」
と、クウヤの機嫌を損なって、ようやくメリルも「切替えボタン」に気付いたらしかった。
「なんだよ~! 招待客用があるなら早く言ってくれ!!」
「大変失礼を致しました」
「主役」でなければ(日本ではネクタイが白い程度で)男性の衣装などほぼスーツだ。メリルはクウヤに似合いそうなダークグレーを選んで完了とした。
「クーさん……! あんた~なかなかの男前じゃないか! いやぁ~「馬子にも衣装」とは言ったもんだ!」
「ガブ……俺が日本人だからそのことわざ使ったのだろうけど、それ全然誉め言葉じゃあないからな」
「ほぇ?」
クウヤはもはや説明する気力もなく、疲れたようにネクタイを緩めようとしたが、実際には実体のないホログラムであることを思い出し、再び「はぁ~」と息を吐き出して諦めた。
ちなみにメリル自身も女性用の招待客衣装から、以前着ていたような黒いカクテルドレスを映写したのは言うまでもない。
ワンソックの操縦で徐々に降下する『ムーン・バイキング』の眼下に、インドの大都市らしい近代的なビル群と、英国統治下を懐かしむクラシカルなホテル群、そして目をそむけたくなるような高く積み上げられた廃棄物の隣に、吹けば飛びそうな木造バラックの集まりが見える。
ワンソックはメリルの案内で、ビジネス街のど真ん中、半球状のドームに針路を定めた。既にメリルはブローカーと通信済みで、近付くにつれ招き入れるように(まるで池の鯉が大きく口を開いて餌を頬張るように?)ドームの先端がパックリと割れる。『ムーン・バイキング』はその中の駐艇場らしき十字ラインの中心に、ピタリと静かに着陸した。
「今どき自動操縦がないなんて~って思ったけど、これだけの技術があるなら安心して任せられるな」
「お褒めいただき光栄です」
マザーシップ襲来時とは打って変わって、ワンソックは丁寧な口調で嬉しそうに一礼した。
「メリーさん」
操舵室より甲板へと向かい、降ろされた梯子の手前。クウヤとメリルをシドの元へ送るまでの間、船上で待機を命ぜられたガブリエルは、神妙な面持ちでメリルの背中に声を掛けた。
「はい、ガブリエル様」
「あんた、アンドロイドだと言ったが、こんなベッピンさんを拝んだのは、後にも先にも初めてに違いねぇ……オリゃああんたが気に入った! 今回は残念ながらウサギさんのお屋敷でお別れらしいが、何かの際には飛んでくるでよぉ、遠慮なく呼んでおくれよー」
──……は?
ガブリエルの突然の告白(?)に、クウヤは絶句したまま隣のメリルを見下ろす。
メリルもさすがに驚きを示すかと思われたが、その横顔はいつも通りのクール・ビューティだった。
「誠にありがとうございます、ガブリエル様。それでは早速お言葉に甘えまして、わたくし共の用が済みましたら、主人の待つヨーロッパまで、クウヤ様とわたくしをお運びいただけましたら幸いでございます」
──まさかガブの好意をココまで最大限利用しようとは……メリル、抜け目ない~っ!
「おぉ、お安い御用だ! そんなにメリーさんと一緒に長旅出来るってんなら、こちとらも有難き幸せよ~ぅ!!」
──ガブ……瞬殺、だな。
喜びはしゃぎ出すガブリエルとワンソックを正面に、動じる様子もないメリルを一瞥し、クウヤは乾いた笑いを手で覆った。
「それでは」
全員で順に梯子を降り、クウヤとメリルは駐艇場で待っていた執事らしき男性に招かれて、奥の室内へと消えていく。ガブリエルとワンソックが駐艇スタッフに何やら話しかけているのは……(未来版?)煙草でもねだっているのだろう。
「こちらでございます」
長い廊下は無機質な白一色であったが、突き当りの両開き扉は重厚で、暗めのウォルナット材に施された繊細な装飾彫刻が雰囲気を醸し出している。執事は二度のノックの後、僅かに応答が聞こえたので、その扉を両手で押し開いた。
「ようこそ、ムンバイへ」
そう一言、真正面の紳士がおもむろに立ち上がる。
深くお辞儀をしたメリルに続き、入室したクウヤも軽く会釈をして、キョロキョロと辺りを見回した。
此処はインドであるが、依然インドらしき片鱗は見当たらない。どちらかと言えば英国式の調度で、五十代半ばといった紳士自身も欧風な顔立ちをしていた。
「この度はお世話になります。こちらは依頼人の如月 空夜様でございます。わたくしはメリルとお呼びください。ブローカー様は……下界ではなんとお呼びすれば宜しいでしょうか?」
促された革のソファに腰を下ろし、にこやかな紳士の発言を待つ。「下界では……」──きっと本名は明かさないのだろう。となると「メリル」も偽名なのだろうか? クウヤはふとそんなことを思った。
「ふむ……仲介人が「メリル」さんとお聞きしたので、英国調の客室にご案内したのですが……やはり名前など当てにはなりませんな。とは言っても、人種に限れば、ドイツもさして変わりませんが」
「……」
「……ドイツ?」
紳士はようやく口を開いたが、その内容の意味をクウヤが汲み取ることは出来なかった。いや、一つ繋がることはある──バンコクでメリルに再会したネイが発したのも「ドイツ語」だ。メリルはドイツで開発されたアンドロイドなのだろうか? しかしこのブローカーがそれを知っているのは、少し不自然な感じもした。
「どなたかとお間違えになられていらっしゃると思います」
「そうでしょうか? こういう仕事柄、人の顔を憶えるのがとても得意でしてね。十年以上は前の筈ですが、とある技術者の邸宅で見かけた少女と良く似ていらっしゃる……ディアーク=クラウゼンハーレ=アルツトという人物をご存知ではありませんか?」
「いいえ、存じません。人違いでございます」
──メリル?
クウヤから見える横顔は普段通りであったが、否定を続ける言葉の最後が、ほんの僅か震えた気がした。
「分かりました。ではこの話はここまでに致しましょう。私は……そうですね、ラヴィと呼んでいただければと。ラヴィ・シャンカール──インドが誇る亡きシタール奏者です。シタールの音色が無性に心地良いのは、やはり我が内なる血が好むのでしょうね。今はこちらを全面に押し出していますが、……便利な世の中になりましたな」
「……」
「??」
メリルは声を発することはなかったが、同意を示すように微かに首肯したのがクウヤには感じられた。が、当のクウヤは相変わらずハテナマークだらけだ。「こちらを押し出す」とはどういう意味か? 全体をまとめる一文としては、かなり分かりかねる文章だった。
「前置きが長くなりまして申し訳ない。そろそろ『ツール』の話を始めましょう。まずご入金についてですが、既に確認は出来ております。誠にありがとうございました。『ツール』の使用期限は約三ヶ月です。正式には……十月十七日二十時頃までになると思われます。期限が過ぎますと、下界に戻られたのち、同じ認証ではシールド上に昇ることは出来なくなりますのでご了承ください。それまでの行動範囲はもちろん自由ですのでご安心を」
「ありがとうございます、シャンカール様」
「お、恐れ入ります……」
何を聞いても理解に苦しむが、これから渡される『ツール』には「期限」があるのだということだけは分かった。クウヤも戸惑いながらもお礼を言い、ラヴィが背後の書斎机から取り出した、小さなボックスを受け取った。
「男性とお聞きしましたので、取り急ぎ腕時計型に設えました……構いませんね?」
「問題ございません。お気遣いをありがとうございます」
確かに開いてみれば、ブラックメタルフレームのセンスの良い腕時計が収められている。取り出す時間も与えずメリルはラヴィにお礼を言い、クウヤを促して出口を目指した。
「申し訳ございません、クウヤ様。今は設定している余裕がございません。取り急ぎ出発致します」
「はぁ」
音もなく歩を進めるメリルの足取りは確かにいつもより忙しない。いつものようにクウヤも吊られて早々に駐艇場へ戻ったが、何故だか『ムーン・バイキング』の姿は忽然と消えていた。
「あいつら……っ! 早速裏切りやがった!?」
「いえ、それよりも……」
「──え?」
振り向けば隣のメリルの横顔は、船のあったであろう高さより上空を仰いでいた。再び吊られて見上げた半透明のドームの向こう、
「えっ? えええええ──っ!?」
数えきれないほどの『ムーン・ウォーカー』が自分達を見下ろしていた──。
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