月とガーネット[上]

雨音 礼韻

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■Ⅲ■TO INDIA■

[4]「冷えた」ビールと「燃える」右腕 *

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 ──のんびりしていたから狙われたのではないか? 何故航空機を選ばなかったのか?


 メリルの回答はこうだ。

 彼女としても最速で目的地に向かえる航空機は、第一候補にしたい移動手段であった。しかし万が一にも「希望」が外れた場合、機体諸共撃破されるのは必至──となれば乗客全員を巻き込みかねないため脚下したというのであった。

 上記の理由により列車を、それも極力他人を巻き込まないよう最後尾を選んだ訳だが、「敵」にとっては乗客はともかく、『ムーン・シールド』は巻き込みたくなかったらしい。今回の路線で最も高度を下げていたのが、この広大なジャングルの迫力を間近に感じられるあの地点であったため、コルカタ駅へ向かうべく上昇を始めるや否や攻撃を受けたのだった。


 ──こうなるのを予測していたと言うなら、これから先はどうするのか?


 まずはインド国境まで自走し、コルカタから再び何かしらの公共手段を使うつもりだという。

 メリルの持つ重量過多の荷物は、もちろんこの不時着後に必要な資材であった。ただそれらを事前に明かせばクウヤを不安にさせてしまうに違いないと、今回も詳細は内密にしたとのことだった。

「お宅の気遣いには、本当に頭が、下が……り、ます……です」

 しばらくはそうして質疑応答を重ねながら、ジャングルの向こうに陽が沈むまで歩みを進めた。目的地の方角が明確なせいか、あの車両爆破以来『敵』は何処に身を潜めているやら静かなものだ。

 メリルが背負っていた小さなザックは、「ボタンを押して、目の前に放り出す」というツーアクションのみで見事なテントとなった。相変わらず黙々と、更にテキパキと野営準備を進めるメリルの背中に、相変わらず手持ち無沙汰なクウヤの語尾は、さすがに敬語にならざるを得なかった。

「どうぞお気になさいませぬよう。全ては『エレメント』を無事主人の元へ届けるためにございます」

「まぁ……そうなんだけどさ」

 テントの手前に造られた平坦なスペースに促され、やや消沈気味に座り込むクウヤ。取り急ぎやるべきことは終えたのか、メリルも広げたシートに腰を落ち着け、クウヤのために夕食の用意を始めた。

 ステンレスの浅皿に盛られて出てきたのは、手のひら大にちぎられたキャベツの山と、サイクロークイサーンという名の丸みのあるソーセージである。名前の後半にある「イサーン」とは、タイ東北部のイサーン地方を表す。豚肉にもち米や唐辛子を混ぜ込んで発酵させた酸味のある加工肉だ。



「お、うまっ。これでビールでもあったらな~」

 ソーセージの濃い味に、箸休め用のキャベツの優しい甘みが良く合う。まだ三日ほど前にアルコールで失敗をやらかしたことなどスッカリ忘れたのか、クウヤはスパイシーな味わいに満たされた口腔を、冷たいビールが流れ落ちる快感に想いを馳せた。

「実は……一缶のみでしたら、ない訳ではございません」

「……へ?」

 意外な返答が聞こえてきたのは、目の前で姿勢正しく正座するメリルのつややかな唇からだった。クウヤは驚きと共に、他人から見られながらの食事に全くストレスがなくなっている自分に気付く。

「……ビール……ある、のか?」

 意外すぎて、そして大した役にも立たないままご馳走に預かっている自分としては、更なる贅沢を求めるのは気が引けたのだろう、つい途切れがちな質問となった。

「はい。こちらもフワランポーン駅のフードスタンドにて購入したのですが、その際「このソーセージにはビールが合いますよ」とお奨めいただきまして」

「んじゃあ何で出さないんだ?」

 メリルの「『声を掛けられると断れない』システムが、ここで幸いした!」と内心ほくそ笑んだものの、ならばどうして目の前に存在しないのかと、クウヤは頭をひねってしまった。それとも酒を呑んだらまた暴れるんじゃないかと危惧されたのだろうか?

「含有するアルコールが分解されるまでの間、万が一にも緊急事態が起こりました場合、責任問題にもなりかねません。そのように解析されましたため、念の為こちらから供給する行為は致しませんでした」

「まどろっこしい言い方だな……責任って誰から誰にだよ」

「クウヤ様からわたくしに対して、にございます」

 はなからビールを準備してしまえば、敵の襲来時に何かしらの支障を来たした場合、提供したメリル側に非があると追及されてしまいかねない、ということだろうか?

「缶ビール一本くらいで酔ったことなんてないんだ。何か遭っても俺はお宅に責任転嫁は絶対しない、って言ったら?」

「直ちにご案内致します」

「案内って、どこで冷やしてんだ?」

 早々の快諾と同時に立ち上がったメリルを見上げて、クウヤは再三尋ねた。身近に保管していたならば「案内する」などと言う筈もない。

「わたくしが購入しましたのは常温保存可能な食糧のみでございます。冷蔵設備は持参しておりませんので、先程水汲みに立ち寄りました川辺に」

「んな遠い所~!?」

 驚いたクウヤを尻目に、メリルは早速サンダルに足を通した。此処へ落ち着く前に見つけた川からは、既に十五分以上は離れてしまった筈だ。

「ビール一缶に、遠路はるばる、恐れ入ります……」

 もちろんクウヤを独り残して、取りに行くわけにもいかないわけで。

 自分から蒔いた種だしな~と、クウヤもその重い腰を上げてメリルに続く。闇夜のジャングルを二人のシルエットが東の方角へ戻っていった。


 ◆ ◆ ◆


 鬱蒼とした木々の間、暗がりなど気にせずスタスタと歩き出したメリルだが、ふと思い出したように立ち止まった。

「失礼致しました。夜間はこちらをご使用ください」

 振り向きざまメリルが掌に乗せて差し出した物は、極小の片眼用シングルアイ・スコープだった。

「?」

 促されるまま受け取り、目の前に掲げて首を傾げるクウヤ。

「わたくしの眼球モニターには既に搭載されているものですから、失念しておりまして申し訳ございません。そちらを右耳に装着ください。暗闇でも周囲が細部までご確認いただけます」

「へぇ~……わっ、すげ!」

 言われた通りフックを耳に掛けると、透明のプレートが視野を圧迫することなく右眼を覆い、途端そこから見える眺望はまるで昼間のように鮮明な視界を提供した。

「ふーん、熱源サーモセンサーもあるんだな」

 フックに小さなボタンがあり、指先が触れるやモニター右上に小さくサーモグラフィ画面が現れた。

「あれ……メリル、何か右腕おかしくないか?」

 一通りを見渡した後、前を歩き始めるメリルに焦点を合わせたクウヤは、背後からいぶかしげに問いかけた。メリルの後ろ姿は全身を廻るオイル・システムのせいなのか全体的に熱を示しているが、右肘の辺りだけが異様に赤みを帯びていたのだ。

「……いえ。只今自動アップロード中でございます。クウヤ様がご覧になられた部分が、ちょうどそのような状態であったのかと」

「そ、っか」

 メリルが振り返らずに答えたのは、やはり右腕のエラーが気取けどられることを怖れたからかもしれない。

 更に続けて、

「充電を消耗致しますので、サーモ・モニターは極力オフにされてお使いください」

「え……ああ」

 「これ以上の質問は受け付けません」というような威圧感を持って、メリルは早足で進んでしまった。

 ほんのり光る『ムーン・シールド』に覆われているため、過去に比べれば現代の宵闇は淡く仄かだ。それでも朧げながら月らしい光源が遠く上空に感じられる。今夜はきっと満月なのだろう。都会の眩しい夜空では全く気付かれることのない月も、こうした自然の残る地の上では、闇夜に隠れた動物達の記憶に刻み込まれているに違いなかった。

 メリルがそのまま速度を緩めなかったお陰で、十五分は掛からずにビールの冷えた河岸に到着した。南北に横たわる幅十メートル程のそこそこ大きな川ではあるが、二人が川を渡った際、一番水深のある中央でも腰程度の深さだった。以前のクウヤであったなら、珍しい鉱石でもないかとジッと眺め続けられるような透明度を誇っているが、今は夜空を映したかのように黒々としたうねりをひたすら南へ流している。

 本来ならばこの川べりなどにテントを張り、夜明けを待ちたいところであったが、大きな川は空が開けているため、敵からの攻撃を受けやすいだろうと避けたのだった。それにはクウヤも同意見であったが、こんな小さなアイ・スコープ如きですら森を丸裸にしてしまうのだ。何処に隠れようが実際自分達の位置など容易に把握されているのだろう。敵は何を思って遠巻きに見守っているのやら……クウヤは自分の姓に含まれる月のぼやけた光と、名前を意味する夜空を見上げて、一つ疲れたように嘆息を吐き出した。

「クウヤ様、無事確保致しました」

 そんな物思いに浸っている内に、メリルが岸辺で冷やしていたビールを見つけてきた。何本もあったらヤケ酒してしまいそうな心情であるから、一缶しかないのは逆にありがたいのだが、戻る頃には生ぬるくなっていそうだなと、今更ながらソーセージ持参で来れば良かったと後悔した。

「あぁそう言えば、メリルが確認出来てる敵って幾つあるんだ?」

 来た道を戻りながら、横を静かに歩くメリルに問う。クウヤは既に缶を開けて、久々の冷たい喉越しを堪能している。

「残念ながら分かりかねます。『グランド・ムーン』を出る際お手合わせしました人物と、チャトゥチャック市場にてクウヤ様を捕捉しようとしました人物は同一でございましたが」

「市場を出る時に遭遇した奴と、ネイのホテルに侵入した奴もおんなじだったな。んで、そいつは今メリルが言った奴と仲間だったから、その二人でワンチームだ」

「そのようですね」

 ソムチャーイを誘拐したのも彼らであり、ロシアが関与していることは既に割れている。しかし──

「ネイのホテルに侵入したもう一人──っていうか、もう一体はどんな組織か分からないか?」

「……もう一名、侵入者がいらしたのですか?」

 その言葉にはたとクウヤは足を止めた。確かにメリルにあの人物のことを話した記憶はなかったが、てっきりネイから聞いていると思い込んでいたのだ。

「わりぃ……話してなかったな。『グランド・ムーン』のトイレで会った大男が、同じようにホテルに侵入してきたんだ。そいつの見た目は人間そっくりだったが、実際はハリボテ機械野郎だった」

「そうで、ございましたか……」

 メリルもいつになく神妙な面持ちになったのは、『グランド・ムーン』から他にも追跡してきた人物がいたとは思ってもみなかったからだろうか。もしくはクウヤと同じように、『エレメント』を手にする前からクウヤがマークされていたことに疑問を持ったのかもしれない。

「メリルは『グランド・ムーン』でその大男には気付かなかったか? あいつおかしいんだよなぁ~、あの時まだ俺は『エレメント』を……えと……あれ、れ?」

 飲み干した空き缶が手からスルリと滑り落ちた。まるで眩暈めまいを起こしたかのようにクウヤの視界がグラリと揺らいで……

 ──俺、アイ・スコープに酔ったわけじゃないよな? まさか缶ビールたかが一本で……?

 目の前がぼやけると同時に全身の力が抜けていく。クウヤは毎度の如くメリルに抱きとめられ、次第に薄れゆく意識の中で微かに彼女のささやきを聞いた。

「しばらくごゆるりとお休みください、クウヤ様。わたくしは少々雑用を済ませてまいります」

 ──メリル、一体何しに何処へ……!?

 眠りにつこうとする肉体にあらがいながら最後にクウヤが見た物は、彼を見下ろす涼やかな微笑みと、その赤毛の先のずっと上空に霞む満月の淡い真円だった──。



※追記:今回の画像は、作者自身が以前タイ料理店で注文した際の写真です(#^.^#)
タイの露店でも度々購入しました大好物です♪


◆今年は大変お世話様になりました<(_ _)>
お陰様で無事初期部20話を連載することが出来ました☆
来年もお付き合いを何卒宜しくお願い申し上げます(^人^)
皆様もどうか良いお年をお迎えくださいませ♡

   雨音 礼韻 拝


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