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■Ⅲ■TO INDIA■
[2]「男子」の「面子(メンツ)」と「小芥子(こけし)」の「女子」 *
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カオサン通りは既に外国人観光客でごった返していた。
通りの一番端まで『ムーン・タクシー』を求めて歩いたが、大荷物の西洋風女性と日本人男性のカップルというのは、なかなかどうして目立ってしまうらしい。二人は途中何度も安宿やレストランの勧誘に遭遇する羽目になり、その都度メリルが律儀に立ち止まっては返答をしてしまうので、クウヤはいささか苛立ち始めていた。
「メリル、いちいち丁重に断ってたら日が暮れるぞ!? それにお宅の方が荷物多いと俺が情けなく見えるから、それ貸せって」
クウヤはもう二ケタを越えたに違いない道草に、ついにはメリルの大荷物へ手を掛けた。だがそれはメリルの肩から持ち上がりもせず、奪い取ることなど出来ないほど──
「お……重い……」
──らしかった。
「も、申し訳ございません、クウヤ様。プログラミング上、無視することが難しい状況にありまして」
「なんだそれ? 変な設定になってるんだな。それより何が入ってるんだよ、これ?」
やっと歩行を再開したメリルに並んで、この重量を支える彼女の華奢な肩へ、クウヤは不審と慄きの眼差しを向けた。
「いずれお分かりになられると思います。明かす時が訪れないことを祈りますが」
「また教えられないって言うのかよ? 秘密主義にも程があるって」
「あちらが『ムーン・タクシー』乗り場でございます、クウヤ様」
「……俺の質問は無視出来るんだな」
案内するように前を歩き出したメリルへ、つい嫌味を投げつけるクウヤ。しかしそれも完全無視されて、まったくどんなプログラミングなのかと、その細い背を睨みつけた。
「フワランポーン駅までお願い致します」
タクシーに乗り込んでメリルがドライバーに告げたのは、ウィークエンド・マーケット傍の国営パーキングではなく、バンコクのメイン・ステーションだった。
「駅に行ってどうするんだ? そこからパーキングまで列車で向かうのか?」
浮上を続ける車内の後部座席で、早速クウヤはメリルに問いかけた。
「いえ。インドには特急列車の『ムーン・ライナー』で参ります」
「どうして? 『ムーン・コミューター』はどうするんだ?」
あれを使わずに特急に切り替えるのは、何かしら理由があるとしても、あのままパーキングに置き去りにするなんてどうかしているとしか思えない。クウヤの質問にメリルは即座に答えたが、余りに唐突で突拍子もない返事に一瞬耳を疑った。
「コミューターは残念ながら昨夜遅くに爆発致しました」
「い、ま……何て言った?」
──ば、爆発、って……言わなかったか?
反芻してみても、明らかに「バクハツ」の四文字にしか聞こえなかったと思う。クウヤは何故メリルがそれを知ることが出来たのか、爆発してしまったのにこんなに落ち着いていられるのか、まったく理解が出来なかった。
「ご安心ください、クウヤ様。これは想定しておりました内のことでございます。爆破しましたのも、わたくしでございますし」
「ああぁ~!? 何でメリルが爆破するんだよ!?」
日本語で話しているため、おそらくドライバーには意味まで伝わらなかったと思われる。けれどさすがにクウヤの大声には、バックミラー越しに刹那驚きの眼が向けられた。
「あのコミューターには侵入者を知らせるセンサーがございまして」
「はぁ? それじゃ誰かが侵入したって言うのか?」
「その通りでございます。特にわたくしどもを特定する何かを残してきた覚えはございませんが、念のため「抹消」という選択を取らせていただきました」
相変わらず真っ直ぐな言葉と真っ直ぐな姿勢、そしてやることも真っ直ぐなのだから、もう本当にたまらない……クウヤは疲れたように顔を覆い、今までで一番大きな溜息を吐いた。
「パーキングはどうなっちまったんだよ!? 周りの『ムーン・ウォーカー』はっ!?」
──まさかパーキングごと吹っ飛ばした訳じゃないだろうな!?
それが最も「証拠」を残さない手かもしれないが、明らかに犯人はもとより、無関係な人間までも巻き込みかねないに違いない。
「爆発と申しましても、外壁は損傷しておりません。衝撃は内部のみに収まっております。もちろん内外両面にございます個人識別ナンバーは消滅させていただきましたので、若干の火災は発生したものと思われますが」
ナンバープレートを焼く程度の火災ならば、パーキングの消化システムが働き、特に被害はなかっただろう。確かにこれで自分達の正体は暴かれず、更に駐艇料金も払わずに済んで一石二鳥──いや、そんな悠長な話なのか? そんな大それたことをしでかして。
「いいのかよ~あんな高いもん壊して「ご主人様」には叱られないのか?」
クウヤの何度目か知れない慄きの視線の先には、やはり沈着冷静なメリルがいた。
「ご心配には及びません。主人も常日頃『エレメント』を最優先せよと申しております」
「そ、そっか……そう言えば、そうだよな~」
彼女の言葉にハッとさせられた。クウヤは「自分自身」が守られているとまたもや錯覚してしまっていた。
「俺は単なる運び屋か……」
つい『エレメント』にヤキモチでも焼いたようなボヤキを零す。相変わらず忌々しい奴だ。なのに自分は「こいつ」に好かれているのだとメリルは言う。
「どちらかと申し上げれば……運び屋はわたくしでございます」
「え? あ……まぁ、そうかもしれないな」
微かに苦笑を含んだ声に振り向けば、珍しく声色に近い表情がクウヤを見つめていた。こんなことでもなかったら、メリルはあのドレスを持ち帰っていたのだろうか? 例え警備用アンドロイドであったとしても。
◆ ◆ ◆
首都バンコクのメイン・ステーション──フワランポーン駅。
旧舎の外観は、ヨーロッパの駅舎を彷彿とさせるアーチ型トレイン・シェッドが美しい。ターミナルとしては主に長距離旅客を管轄する。施設の老朽化に伴い、かつて貨物輸送の機能を移転したバーンスー駅へ旅客部門も移管される予定であったが、あのアデレード隕石落下の混乱により計画が頓挫してしまった。そのため移設工事は中止され、古き良き舎屋は意外な形で遺されることとなる。真上を跨ぐように高層のビルを建て、その下層部は従来の旅客ターミナルに、上層部は『ムーン・ライナー』専用ゲートとして再構築されたのだ。最下部となった旧駅舎は当初の予定通り、博物館として人々に追慕の情を与えている。
二人はそんな歴史ある遺産を見下ろしながら、最上階から三階下のインド行きゲートへタクシーごと吸い込まれた。
「結局空を飛んでいくなら、旅客機の方が速いんじゃないか?」
運転手に支払いを済ませたメリルに連れられ、チケット売り場に並んだクウヤはふと疑問を呈した。前に並んだ赤毛がクルリと振り返り、同じく赤い唇がその理由を語る。
「先日持ち込み荷物の重量改訂がございまして、クウヤ様とわたくしの二人で合算しましても、航空機では重量オーバーとなってしまうのでございます」
「……確かにその重さじゃあ、な」
メリルは相変わらず軽々と肩にぶら下げているが、明らかに人間が片手で持てる重さではない。── 一体何が入っているのやら? けれどどうせはぐらかされるのだろうと思えば、もうこれ以上口を開く気さえも起こらなかった。
無事にチケットを購入し、簡易的なセキュリティ・チェックを通過してホームに向かう。
その際人体も所持品も自動スキャニングをされるのだが、ウルトラヘビーなボストンバッグも不思議とイチャモンすら付けられずに済んでしまった。クウヤは心の中で確信する。きっとこれもホログラムかなんかでごまかしたに違いないと!
「お、あれか? しっかしインド第二の都市だっていうのに直行便もないのかよ」
東ゲートから滑らかにやって来た列車は、懐古主義には喜ばれそうなクラシカルなフォルムをしていた。あたかも数多の富裕層を楽しませてきた、かつての(イースタン・)オリエント急行のように。クウヤがぼやいた通りムンバイへは直行せず、途中ミャンマーの大都市ヤンゴンや、インド東海岸の都市コルカタなどを経由する。つまりこの路線はあくまでも移動を楽しむための手段なのだ。そんな旅のノスタルジーに浸っている場合なのか? 多忙なビジネスマンであったなら、迷わず旅客機を選んだだろう。
「急いでるって言う割には、こんな呑気な乗り物使うなんてな」
クウヤは隣に立つメリルに聞こえるかどうかといった小声で呟いた。アンドロイドであるのだから、そんな微細な音声も受信し損なうことはないだろう。けれどメリルは気付いた風もなく、正面の乗車扉が開くのをただ静かに待っているだけだった。
二人が乗り込んだのは『ムーン・ライナー』の最後尾、丸々一車両をひと部屋とした豪奢な特別室──いわゆるデラックス・スウィートと呼ばれる客室であった。
「すげぇな……こんなのムンバイまで幾らするのかよ?」
マホガニーで統一されたアンティークな調度が上品さを醸し出している。荷物を革のソファに置き放したクウヤは、広い客室や化粧室をウロウロと見回った。
「あくまでも用心のためでございます。出発後こちらへの侵入経路は、隣の車両との出入り口のみに出来ますので」
「あ……あ、ああ」
淡々と説明をしたメリルはと言えば、その出入り口付近に佇んだままようやく重い荷を降ろした。「用心」とは昨夜のロシア・スパイに対することなのか? それともクウヤに手を引けと圧力を掛けてきたハリボテロボットのことか? いや実際には他にも自分が『エレメント』を呑み込んだ事実を知る集団がいるかもしれない……戻ってきたクウヤは荷物の隣に腰を下ろし、ゾクゾクと震える背筋を落ち着かせようとソファにその背を押しつけた。
「ご安心ください、クウヤ様。敵は『ムーン・シールド』も他の乗客や駅の利用者も傷つけるつもりはございません。ですからこの最後尾車両が狙われるとすれば、これから発車するまでの七分間と途中立ち寄る駅の停車中のみ、その手段も侵入を試みての攻撃に限られると分析しております。つまりこれから八分後には、まず初めの停車駅ヤンゴンまでの約四時間半、ゆっくりお寛ぎいただけるという算段でございます」
「それじゃあ今も危ないってことかよー! あ、だからメリルはそんな所に突っ立ってる訳か? ……しっかしそんなジョークみたいな安全保障、真顔で言われたってなぁ……なんか嫌な予感がするっ」
クウヤは横目にメリルを捉えたまま、今度は背筋から二の腕に伝わる震えを両手で擦って掻き消した。
「わたくしはジョークを作成出来るようにはプログラミングされておりません」
「んなコト言われなくったって分かってるー!」
──ジョークで済むなら済ませてほしいんだって!
緊張を押し殺すように、クウヤは脇に置かれたクッションをひっしと抱き締めた。それに顔を埋めて全てを遮断するが如く瞳を閉じる。そのままの体勢で残りの七分間、静寂に包まれてただひたすら発車の時を待つ。眠るでもなく意識を保ったままの音のない時間と見えない空間は、長いような短いような、広いような狭いような不思議な時空を感じさせた。が、やがて出発を知らせるアナウンスが流れ、地面は緩やかに動き出した。ひとまず安堵の溜息を吐いたクウヤは、無造作にクッションを放り投げ、出入り口の影に再び目を向ける。駅を出ても警備をやめることなくメリルが立ち尽くしているのは、自分を安心させるためだろうか? 警護用アンドロイドとは言え、彼女に頼ることしか出来ない自身の情けなさが腹立たしい。クウヤはクッションのようにソファに上半身を、同じ材質のオットマンに両脚を投げ出した。
──アホくさ……どうせビビったところで来る者なんて拒めやしないのに。覚悟を決めてメリルに命預けろって言うんだ、このボケクウヤ! 大体情けないったって、アンドロイドと自分を比べるところから間違ってるっつうの! あーそうそう! メリルを女だと思うからおかしな方向に思考がいってるんだ……こいつは女でもなければ人間でもない! アンドロイドで警護用で……突っ立ったこいつは~そう! まるで……──
依然棒立ちのおかっぱメリルを「まるで『こけし』みたいだな」と見上げながら、クウヤはふと或ることをひらめいた。
おもむろに身を起こし見渡す部屋の片隅、目に止まった窓辺のキャビネットへ移動する。引き出しの中を何やら物色し始めるクウヤに、メリルもさすがに声を掛けた。
「クウヤ様? 何かお探しですか?」
「うん……お! あったー」
お目当てを見つけて振り返ったクウヤは、ご機嫌宜しくメリルを手招きした。疑問符を頭に乗せたまま応じるメリルと共に、ローテーブルを挟んで向かい合わせにソファに着く。
「この四時間は問題ないって豪語したんだから、メリルもエネルギー温存しとけって。折角ゴージャスな部屋取ったんだ。成長型アンドロイドなんだから、人と同じように旅の楽しみ方も知っておいた方がイイだろ?」
「……は、い……お、それいります、クウヤ、様」
クウヤからアドバイスされたことが、アンドロイドとしても相当意外に感じられたということか? メリルは驚きに言葉を途切れさせながら、テーブルに置かれたお目当てを不思議そうに見下ろした。
「時間はたっぷりあるんだ。ちょっとは楽しもうぜ?」
「?」
不敵に微笑むクウヤの指先が、その「お目当て」達を軽快に並べ始めた──。
通りの一番端まで『ムーン・タクシー』を求めて歩いたが、大荷物の西洋風女性と日本人男性のカップルというのは、なかなかどうして目立ってしまうらしい。二人は途中何度も安宿やレストランの勧誘に遭遇する羽目になり、その都度メリルが律儀に立ち止まっては返答をしてしまうので、クウヤはいささか苛立ち始めていた。
「メリル、いちいち丁重に断ってたら日が暮れるぞ!? それにお宅の方が荷物多いと俺が情けなく見えるから、それ貸せって」
クウヤはもう二ケタを越えたに違いない道草に、ついにはメリルの大荷物へ手を掛けた。だがそれはメリルの肩から持ち上がりもせず、奪い取ることなど出来ないほど──
「お……重い……」
──らしかった。
「も、申し訳ございません、クウヤ様。プログラミング上、無視することが難しい状況にありまして」
「なんだそれ? 変な設定になってるんだな。それより何が入ってるんだよ、これ?」
やっと歩行を再開したメリルに並んで、この重量を支える彼女の華奢な肩へ、クウヤは不審と慄きの眼差しを向けた。
「いずれお分かりになられると思います。明かす時が訪れないことを祈りますが」
「また教えられないって言うのかよ? 秘密主義にも程があるって」
「あちらが『ムーン・タクシー』乗り場でございます、クウヤ様」
「……俺の質問は無視出来るんだな」
案内するように前を歩き出したメリルへ、つい嫌味を投げつけるクウヤ。しかしそれも完全無視されて、まったくどんなプログラミングなのかと、その細い背を睨みつけた。
「フワランポーン駅までお願い致します」
タクシーに乗り込んでメリルがドライバーに告げたのは、ウィークエンド・マーケット傍の国営パーキングではなく、バンコクのメイン・ステーションだった。
「駅に行ってどうするんだ? そこからパーキングまで列車で向かうのか?」
浮上を続ける車内の後部座席で、早速クウヤはメリルに問いかけた。
「いえ。インドには特急列車の『ムーン・ライナー』で参ります」
「どうして? 『ムーン・コミューター』はどうするんだ?」
あれを使わずに特急に切り替えるのは、何かしら理由があるとしても、あのままパーキングに置き去りにするなんてどうかしているとしか思えない。クウヤの質問にメリルは即座に答えたが、余りに唐突で突拍子もない返事に一瞬耳を疑った。
「コミューターは残念ながら昨夜遅くに爆発致しました」
「い、ま……何て言った?」
──ば、爆発、って……言わなかったか?
反芻してみても、明らかに「バクハツ」の四文字にしか聞こえなかったと思う。クウヤは何故メリルがそれを知ることが出来たのか、爆発してしまったのにこんなに落ち着いていられるのか、まったく理解が出来なかった。
「ご安心ください、クウヤ様。これは想定しておりました内のことでございます。爆破しましたのも、わたくしでございますし」
「ああぁ~!? 何でメリルが爆破するんだよ!?」
日本語で話しているため、おそらくドライバーには意味まで伝わらなかったと思われる。けれどさすがにクウヤの大声には、バックミラー越しに刹那驚きの眼が向けられた。
「あのコミューターには侵入者を知らせるセンサーがございまして」
「はぁ? それじゃ誰かが侵入したって言うのか?」
「その通りでございます。特にわたくしどもを特定する何かを残してきた覚えはございませんが、念のため「抹消」という選択を取らせていただきました」
相変わらず真っ直ぐな言葉と真っ直ぐな姿勢、そしてやることも真っ直ぐなのだから、もう本当にたまらない……クウヤは疲れたように顔を覆い、今までで一番大きな溜息を吐いた。
「パーキングはどうなっちまったんだよ!? 周りの『ムーン・ウォーカー』はっ!?」
──まさかパーキングごと吹っ飛ばした訳じゃないだろうな!?
それが最も「証拠」を残さない手かもしれないが、明らかに犯人はもとより、無関係な人間までも巻き込みかねないに違いない。
「爆発と申しましても、外壁は損傷しておりません。衝撃は内部のみに収まっております。もちろん内外両面にございます個人識別ナンバーは消滅させていただきましたので、若干の火災は発生したものと思われますが」
ナンバープレートを焼く程度の火災ならば、パーキングの消化システムが働き、特に被害はなかっただろう。確かにこれで自分達の正体は暴かれず、更に駐艇料金も払わずに済んで一石二鳥──いや、そんな悠長な話なのか? そんな大それたことをしでかして。
「いいのかよ~あんな高いもん壊して「ご主人様」には叱られないのか?」
クウヤの何度目か知れない慄きの視線の先には、やはり沈着冷静なメリルがいた。
「ご心配には及びません。主人も常日頃『エレメント』を最優先せよと申しております」
「そ、そっか……そう言えば、そうだよな~」
彼女の言葉にハッとさせられた。クウヤは「自分自身」が守られているとまたもや錯覚してしまっていた。
「俺は単なる運び屋か……」
つい『エレメント』にヤキモチでも焼いたようなボヤキを零す。相変わらず忌々しい奴だ。なのに自分は「こいつ」に好かれているのだとメリルは言う。
「どちらかと申し上げれば……運び屋はわたくしでございます」
「え? あ……まぁ、そうかもしれないな」
微かに苦笑を含んだ声に振り向けば、珍しく声色に近い表情がクウヤを見つめていた。こんなことでもなかったら、メリルはあのドレスを持ち帰っていたのだろうか? 例え警備用アンドロイドであったとしても。
◆ ◆ ◆
首都バンコクのメイン・ステーション──フワランポーン駅。
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二人はそんな歴史ある遺産を見下ろしながら、最上階から三階下のインド行きゲートへタクシーごと吸い込まれた。
「結局空を飛んでいくなら、旅客機の方が速いんじゃないか?」
運転手に支払いを済ませたメリルに連れられ、チケット売り場に並んだクウヤはふと疑問を呈した。前に並んだ赤毛がクルリと振り返り、同じく赤い唇がその理由を語る。
「先日持ち込み荷物の重量改訂がございまして、クウヤ様とわたくしの二人で合算しましても、航空機では重量オーバーとなってしまうのでございます」
「……確かにその重さじゃあ、な」
メリルは相変わらず軽々と肩にぶら下げているが、明らかに人間が片手で持てる重さではない。── 一体何が入っているのやら? けれどどうせはぐらかされるのだろうと思えば、もうこれ以上口を開く気さえも起こらなかった。
無事にチケットを購入し、簡易的なセキュリティ・チェックを通過してホームに向かう。
その際人体も所持品も自動スキャニングをされるのだが、ウルトラヘビーなボストンバッグも不思議とイチャモンすら付けられずに済んでしまった。クウヤは心の中で確信する。きっとこれもホログラムかなんかでごまかしたに違いないと!
「お、あれか? しっかしインド第二の都市だっていうのに直行便もないのかよ」
東ゲートから滑らかにやって来た列車は、懐古主義には喜ばれそうなクラシカルなフォルムをしていた。あたかも数多の富裕層を楽しませてきた、かつての(イースタン・)オリエント急行のように。クウヤがぼやいた通りムンバイへは直行せず、途中ミャンマーの大都市ヤンゴンや、インド東海岸の都市コルカタなどを経由する。つまりこの路線はあくまでも移動を楽しむための手段なのだ。そんな旅のノスタルジーに浸っている場合なのか? 多忙なビジネスマンであったなら、迷わず旅客機を選んだだろう。
「急いでるって言う割には、こんな呑気な乗り物使うなんてな」
クウヤは隣に立つメリルに聞こえるかどうかといった小声で呟いた。アンドロイドであるのだから、そんな微細な音声も受信し損なうことはないだろう。けれどメリルは気付いた風もなく、正面の乗車扉が開くのをただ静かに待っているだけだった。
二人が乗り込んだのは『ムーン・ライナー』の最後尾、丸々一車両をひと部屋とした豪奢な特別室──いわゆるデラックス・スウィートと呼ばれる客室であった。
「すげぇな……こんなのムンバイまで幾らするのかよ?」
マホガニーで統一されたアンティークな調度が上品さを醸し出している。荷物を革のソファに置き放したクウヤは、広い客室や化粧室をウロウロと見回った。
「あくまでも用心のためでございます。出発後こちらへの侵入経路は、隣の車両との出入り口のみに出来ますので」
「あ……あ、ああ」
淡々と説明をしたメリルはと言えば、その出入り口付近に佇んだままようやく重い荷を降ろした。「用心」とは昨夜のロシア・スパイに対することなのか? それともクウヤに手を引けと圧力を掛けてきたハリボテロボットのことか? いや実際には他にも自分が『エレメント』を呑み込んだ事実を知る集団がいるかもしれない……戻ってきたクウヤは荷物の隣に腰を下ろし、ゾクゾクと震える背筋を落ち着かせようとソファにその背を押しつけた。
「ご安心ください、クウヤ様。敵は『ムーン・シールド』も他の乗客や駅の利用者も傷つけるつもりはございません。ですからこの最後尾車両が狙われるとすれば、これから発車するまでの七分間と途中立ち寄る駅の停車中のみ、その手段も侵入を試みての攻撃に限られると分析しております。つまりこれから八分後には、まず初めの停車駅ヤンゴンまでの約四時間半、ゆっくりお寛ぎいただけるという算段でございます」
「それじゃあ今も危ないってことかよー! あ、だからメリルはそんな所に突っ立ってる訳か? ……しっかしそんなジョークみたいな安全保障、真顔で言われたってなぁ……なんか嫌な予感がするっ」
クウヤは横目にメリルを捉えたまま、今度は背筋から二の腕に伝わる震えを両手で擦って掻き消した。
「わたくしはジョークを作成出来るようにはプログラミングされておりません」
「んなコト言われなくったって分かってるー!」
──ジョークで済むなら済ませてほしいんだって!
緊張を押し殺すように、クウヤは脇に置かれたクッションをひっしと抱き締めた。それに顔を埋めて全てを遮断するが如く瞳を閉じる。そのままの体勢で残りの七分間、静寂に包まれてただひたすら発車の時を待つ。眠るでもなく意識を保ったままの音のない時間と見えない空間は、長いような短いような、広いような狭いような不思議な時空を感じさせた。が、やがて出発を知らせるアナウンスが流れ、地面は緩やかに動き出した。ひとまず安堵の溜息を吐いたクウヤは、無造作にクッションを放り投げ、出入り口の影に再び目を向ける。駅を出ても警備をやめることなくメリルが立ち尽くしているのは、自分を安心させるためだろうか? 警護用アンドロイドとは言え、彼女に頼ることしか出来ない自身の情けなさが腹立たしい。クウヤはクッションのようにソファに上半身を、同じ材質のオットマンに両脚を投げ出した。
──アホくさ……どうせビビったところで来る者なんて拒めやしないのに。覚悟を決めてメリルに命預けろって言うんだ、このボケクウヤ! 大体情けないったって、アンドロイドと自分を比べるところから間違ってるっつうの! あーそうそう! メリルを女だと思うからおかしな方向に思考がいってるんだ……こいつは女でもなければ人間でもない! アンドロイドで警護用で……突っ立ったこいつは~そう! まるで……──
依然棒立ちのおかっぱメリルを「まるで『こけし』みたいだな」と見上げながら、クウヤはふと或ることをひらめいた。
おもむろに身を起こし見渡す部屋の片隅、目に止まった窓辺のキャビネットへ移動する。引き出しの中を何やら物色し始めるクウヤに、メリルもさすがに声を掛けた。
「クウヤ様? 何かお探しですか?」
「うん……お! あったー」
お目当てを見つけて振り返ったクウヤは、ご機嫌宜しくメリルを手招きした。疑問符を頭に乗せたまま応じるメリルと共に、ローテーブルを挟んで向かい合わせにソファに着く。
「この四時間は問題ないって豪語したんだから、メリルもエネルギー温存しとけって。折角ゴージャスな部屋取ったんだ。成長型アンドロイドなんだから、人と同じように旅の楽しみ方も知っておいた方がイイだろ?」
「……は、い……お、それいります、クウヤ、様」
クウヤからアドバイスされたことが、アンドロイドとしても相当意外に感じられたということか? メリルは驚きに言葉を途切れさせながら、テーブルに置かれたお目当てを不思議そうに見下ろした。
「時間はたっぷりあるんだ。ちょっとは楽しもうぜ?」
「?」
不敵に微笑むクウヤの指先が、その「お目当て」達を軽快に並べ始めた──。
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