月とガーネット[下]

雨音 礼韻

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■Ⅷ■WITH GARNET■

[5]以心伝心の夢

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 しばらくクウヤの脳は状況を理解出来ず、その身も教授の襟を掴んだまま立ち尽くしてしまったが、

 ベッドの向こうでドサリと音がして、急遽視線を向けた先の光景に思わず大声で叫んでいた。

「……メリル!!」

 慌てて向こう側へと回り、床に倒れたメリルを抱き上げる。

「メリル! おいっ、メリル!!」

 それほどの衝撃であったということなのだろうか? メリルは気を失っているようだった。

 隣の寝室に運び、同じようにベッドに寝かせてやる。目尻にひとしずく涙が光っていた。クウヤは彼女を労わるように優しく指でぬぐってやった。

 再び教授の元へ戻り、鎖骨の下かなり心臓に近い部分を覗く。クウヤの『エレメント』は氷山の一角のように、露出しているのはその一部だ。が、教授の部位は現状窪んでいるが、内臓が見えるような穴までは開いていない。クウヤとは違って陥没した表皮の上に『エレメント』が居座っていただけなのか? もしくは人体の治癒能力が作用して、あっと言う間に穴が塞がったということなのか!?

「どういうことなんだ、一体……」

 だがもしこのクレーターに、まさしく『エレメント』が埋まっていたのだったとしたら?

 教授がクウヤの首元にそう驚かなかったことにも説明がつく。

 ──!?

 その時部屋の外から階段を勢い良く駆け上がってくる足音がした。

 クウヤは慌てて窓とベッドの間にしゃがみ込み、拳銃を出口に向けて構えた。靴音はピタリとこの部屋の向こうで止まり、警戒心もなくすぐさま扉が開かれた。

「ナオちゃんっ!?」

 音の正体が大声で叫びながら飛び込んできた。クウヤは危うく発砲しかけたが、正体は「ミスターK」こと啓太だ。が……彼が叫んだ「ナオちゃん」とは?

「何だよ……啓太か、驚かせるなって」

 ホッと深く息を吐いて、ベッドサイドから立ち上がりボヤくクウヤ。

「ご、ごめん……メリちゃんから緊急信号が来て、駆けつけたらナオちゃんの靴が格納庫に落ちてたから……」

 そう言えば教授の革靴を拾い忘れたことに、クウヤも苦笑いした。となれば「ナオちゃん」とは教授のこと、だが──

「何で教授が「ナオちゃん」なんだよ?」

 教授の本名は「高科タカシナ 音哉オトヤ」であるのだから、「オトちゃん」ならば納得がいかなくもないが?

「えーと……タカシナの「ナ」とオトヤの「オ」を取って「ナオちゃん」」

「……へえぇ」

 「ちゃん」付けで呼べるほど親しい間柄なのか? が、誰にでも「ちゃん」付けの啓太なので、その親密度は分からなかった。

「あの……ナオちゃん、眠ってるの?」

 枕元のスツールに座りながら問いかけた啓太の表情はいつになく神妙だった。

「いや……残念ながら意識はない。格納庫に侵入した誰かに襲われたのだと思う。一昨日啓太が話したクライアントって教授のことなんだろ? 昨日ようやく居場所を見つけて会えたんだが、全ては今日話すって約束だったのに……そんな矢先にこんなことになっちまった」

「……」

 啓太は経緯を話すクウヤを見上げていたが、次第にその視線は教授の寝顔を見下ろし、その横顔は明らかに衝撃の重さを物語っていた。

「なぁ、啓太。お前はどこまで知ってるんだ? 教授は誰に襲われた? 教授の胸元には俺とおんなじ『エレメント』が埋め込まれていたみたいな跡があった……この上空で一体何が起こってるんだ!?」

「エっ『エレメント』!! なくなってるのっ!?」

「え……? あ、あぁ……」

 啓太の余りの驚愕振りに、クウヤの方が驚いてしまった。

 啓太は震える両手を伸ばし、ブランケットをめくって確認した。小声で何かを呟きながらおもむろに立ち上がる。「ごめん、クウちゃん。ちょっと行ってくる」とクウヤに言い残し立ち去ろうとしたので、クウヤは急ぎその腕を掴んで引き止めた。

「おいっ、どうしたんだよ! メリルも啓太もショック受けてるのは分かるけど……説明してくれなきゃ、俺も何をどうしたらいいのか──」

 混乱するクウヤの吐露に、啓太も我に返ったように動きを止めた。出口の方を向いたまま俯いていた啓太は、まるで自身を落ち着かせるように一つ小さく息を吐いた。

「ご、ごめん……そうだよね。えぇと、メリちゃんはどうしてるの?」

「あいつも教授の首の陥没を見た後、気を失ったんだ。今は隣室で眠ってる」

「そう……」

 口元に手をやりながら何かを考えているように沈黙する。やがて腰を据えたようにクウヤを正面に戻して口を開いた。

「ナオちゃんが自分の口から話したいって言ってたから……今まで隠しててごめんね、クウちゃん。メリちゃんが大丈夫だったら、一緒に下へ降りてきてくれる? リビングでボクの知る限りを話すよ」

「ああ……分かった」

 いつになく穏やかな口調の啓太に少々戸惑いながらも、クウヤは了承した。啓太は教授のために要請済の救護班を待つからと、先に部屋を出て階段を下りていった。今一度教授の様子を診たのち、クウヤは隣室の扉をノックする。しばらく待ったが反応はない。いつものクウヤならまだ寝ているのだろうとそっとしておくのだが、何となく気になって起こさないように静かに扉を開いてみた。

「……けて……たす、けて……」

「メリル?」

 ベッドから小さくメリルの声が零れてきたので声を掛けるが、どうやらうわごとのようだ。

「パパ……ママ……助けて……空夜くん!」

「え……?」

 思いがけず自分の名を呼ばれたので、慌ててメリルの元へ向かう。ブランケットを握り締めたメリルは悪夢にうなされていた。額に滲んだ汗をぬぐってやったが、目覚める気配はなかった。

「助けて……助けて……空夜くんっ……」

「メリル……」

 その時、一つの疑問に連動した。毎晩脳裏に流れてきたあの夢。あの少女がメリルであったことは判明したが、あのシチュエーションはどんなに記憶をさかのぼっても見つからなかったのだ。おそらく実際に起きたことではなかったのだとクウヤは結論付けていたが、起因はきっと「メリルココ」に在った。まさに今メリルの見ている悪夢──両親が殺害されたあの事件に対して、メリルはクウヤに助けを求めている──そう、



「ねぇ、空夜くん。大人になったら必ず地質学者になって。博士になって。空夜くんがなってくれたら──」



「──なったら?」

「……──てほしいの」

「え? 何て言った?」



 あれはきっと「(両親を)助け、、てほしいの」──だった!!



「メリル! メリル!!」

 もしこの推理が正解であったなら──メリルの両親を殺したのは強盗なんかではないということだ。でなければメリルが自分に「地質学者になって」などと頼む筈がない!

「あっ、ふ……」

「メリル!」

 クウヤに優しく抱き起こされてメリルはようやく覚醒したが、心はまだ少女のまま、悪夢の中を漂っていた。

「空夜くん、助けて……ママと、パパを……空夜、くん……!」

「メリル……」

 クウヤのシャツにひっしとしがみつき、胸元に顔をうずめるメリル。

 それからしばらくクウヤの胸の中で、「鞠亞」の切ない嗚咽は続いた──。


 ◆ ◆ ◆


「あっ……!」

「……大丈夫か?」

「すっ、すみません!」

 やがて落ち着きを取り戻したメリルは、自分の視界のクウヤのシャツと、自分の頬を流れる大量の涙に驚き謝罪した。

「無理矢理起こして悪かったな……うなされてたみたいだったから」

「え? い、いえ……」

 取り急ぎ手の甲で涙をぬぐい、気まずそうに俯くメリル。クウヤの腕の中に包まれていることに気付き、急いで下がろうとしたが、クウヤはそれを引き止めメリルを強く抱きしめた。

 感情を表に出したメリルは、こんなにもろはかない存在であったのかと、クウヤは改めて思い知らされていた。表面は冷たく硬いのに、ひとたび力を込めれば砕けてしまう──まるで繊細な硝子ガラス細工のように。

 もしかしたら……メリルが喜びや悲しみを表情に表さなかったのは、辛い過去が足枷となって出せなかったということと同時に、自分を強く見せるためでもあったのかもしれない。

 アンドロイドに成りすますというのは、他人に弱さを見透かされないための画期的な虚像であった。

「メリル、見つけよう」

「……え?」

 クウヤは懐の中のメリルにそう告げた。

「教授を……伯父上を襲った犯人を。メリルの父さんと母さんを、あんな目に遭わせた悪い奴を」

「クウヤ、くん……」

 彼女の両親の死と、教授がこんなことになった今回の事件は、きっと繋がっている。

 クウヤは心の中で誓っていた。この胸の中の柔らかく温かな存在を、もう二度と悲しませはしないと。

「ありがとう、ござ──」

「もう「ございます」は必要ない」

 一呼吸して、メリルはクウヤのおもてを確かめるように顔を上げた。

「ありがとう、クウヤくん……」

「うん」

 泣き顔の微笑みは、明日への希望に満ち溢れていた──。


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