月とガーネット[下]

雨音 礼韻

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■Ⅶ■WITHOUT GARNET■

[2]首謀者の部屋 ≠ マリーアの声 *

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「それじゃあ、メリちゃんのそれ、ちょっと貸してね」

 クウヤが気持ちを前向きに改めたのを感じ取って、啓太も少々真面目に仕事をする気になったらしい。

 啓太は渡されたメリルの右手、人差し指の腹に彼女の『ツール』であるピアスを触れさせて、肩掛けしていた鞄から取り出した小さな機器に接続した。

「実際個人識別には右手人差し指の指紋・左手薬指の指紋・両目の虹彩・両耳の耳介の照合が必要なのだけどね、ボクの機関に保存されている情報を使えば、とりあえず『ツール』と何処か一つでも識別出来る証紋で、全ての照合が可能なんだ」

「ふーん?」

 クウヤは分かったような分からないような生返事をした。一応「博士」という地位にいたこともある彼だが、地学以外の分野はほぼ努力の賜物たまものである。

「これで良しっと! じゃあ入巣エントリーボックスで手続きしようね」

 クウヤを連れ立って、以前シド邸でも見たことのあるボックスへと導く。上部のモニターで何やら操作し、クウヤに返したメリルのピアスと右手をモニターにかざすよう指示をした。

「これでイイのか?」

「うん、OK。クウちゃんは一時的にメリちゃんの情報で入巣することになるけど、情報の入替えはボクの方でやっておくから心配しないで」

「ふーん?」

 相変わらずボンヤリとした理解だが、厳密に説明してもらったところでそれが嘘かまことかなど、どうせ判別も出来ないので諦めることにした。

「じゃあね、クウちゃん。次はSOS以外での再会を願ってるよ」

「ああ? もう行くのかよ」

「まぁね、一応勤務中だから」

 これも仕事の内ではないのか? と独り取り残される寂しさも手伝ってぼやきたくもなるが、今はそんな場合ではないと何とか自分を鼓舞した。

「んじゃ仕事の合間でいいから……調べてほしいことがあるんだが」

「クウちゃんにはイタズラのお詫びをしないとだからね。大丈夫だよ、どんなこと?」

 クウヤは『ファオカー』について分かること全て、どうして『ファオ・カー』がシドの父親や自分を狙ったのかを調べてほしいと依頼した。

「分かった。結果は追々メリちゃんの通信端末メディアに送っておくね」

「ん? 何で直接俺に送らないんだよ?」

 クウヤはジーパンのポケットからカードメディアを出して啓太に提示した。今でも充電は十分で、しっかり電源表示もされている、が。

「さすがにココまで電波届かないからねー。その点メリちゃんのは『上』仕様だから」

「え!? あ……確かに圏外……」

 この旅路、特に使い道のないメディアではあったが、こうも使い物にならないのかと思い知らされるとなかなかのショックだった──それはあたかも自分自身のようだと、ようやくもたげていた頭もガックリと下がってしまう。

「金もない、甲斐性もない、果ては研究すらも出来てない上に、使える物は『エレメント』とメリルのピストルだけって……まったく俺は一体なんなんだよ……」

 更に下着から何から全身を覆う衣類まで、全てシドやメリルから貰い受けたのだから、大の大人が自力で得た物を一つも持たない現状に、さすがのクウヤも立ち直れる気がしなかった。

「えぇぇ……いやいやクウちゃん、気持ちは分からなくもないけどさ……クウちゃんの本領発揮はこれからだから!」

「本領発揮ぃ~!?」

「そうそう! クウちゃんの大活躍、楽しみに待ってるからね!!」

「お、おいっ!」

 啓太はいつもの無邪気な童顔でニッと笑んで、庫口へ走り寄り飛び降りてしまった! 一瞬クウヤは唖然としたが、もちろん真下に何かしらの『ムーン・ウォーカー』が待機していたのであろう、すぐに頭をひょっこり出して「またね~!」と左手を一振り去っていった。

「まったく……驚かすなよ」

 やれやれと少々くたびれた嘆息を吐き、既に何者も見えなくなった「穴」を見つめていると、自動なのか『上』の誰かの操作なのか、庫口がすぼまり完全に塞がれた。

 ──メリル……無事に戻ってきてくれよな。

 メリルのピアスは綿シャツの胸ポケットに収め、彼女の華奢な右手はそのまま優しく握り締めた。

「さて、メリルのご主人様とやらに、お目通し願おうか」

 入巣エントリーボックスの遠く向こう、『上』へと続く階段を踏みしめ、クウヤは一歩一歩確実に「真相」へと近付いていった。


 ◆ ◆ ◆


 シド邸と同じく、長い階段を上った先には大きな扉があり、押し開くとしばし外灯のまばゆい光に目を突かれた。格納庫が明るかったため全く気付かずにいたが、既に夜が訪れていた。次第に馴染んでいく視界に、ドイツ南部のミュンヘンでも良く見られるカントリーな建造物がそそり立っている。シド邸の場合はコロニアルな邸宅の床下へと続いていたが、此処では一旦庭園に抜けるように造られていた。

 クウヤは詳しくは知らないが、目の前の住居は急勾配の三角屋根がドイツらしいハーフ・ティンバー様式の三階建てであった。地域によってはカラフルに塗り上げられていることもある可愛らしい見た目だが、こちらでは木軸の焦げ茶と漆喰の白壁が素朴な雰囲気を醸し出している。



 元々地上ではマリーアの生家だったのかもしれないな──そんなことを思いながらエントランスの前に立つ。ナチュラルな木組みの扉にしつらえられた真鍮のドアノッカーを数回鳴らしたが、幾ら待ってみても内からの反応は返ってこなかった。

「……お邪魔しますよ~」

 ドアノブに手を掛けると施錠されていなかったので、クウヤは一応といった感じで声を掛けながら扉を開いた。照明の点けられた室内は案外近代的で、最新の電化製品が一揃いしている。入ってすぐが広々としたリビングとダイニング・キッチンであったが、見渡す限り人の気配はない。奥に水回りと二階へ向かう階段があり、クウヤはもう一度「お邪魔しますよ~」と一声上っていった。

 上階にはベッドルームが三つ。一つは客室のようで最低限の調度しかない。もう一室はそれなりに生活感があったが、やはり誰もいなかった。クウヤは残るメインらしき寝室を、祈りを込めてノックした。そしてついに──ようやく聞き取れるほどの微かな声が「どうぞ」と入室を促した。

「し、失礼します……」

 突然時が流れ出したように静寂が打ち破られて、クウヤの鼓動も緊張したように速くなった。壁の向こうには寝たきりのマリーアが待っているのか? それとも啓太を動かした他の誰かが潜んでいるのか? 意を決して扉を開く……が、見える景色は何の情報も与えてはくれなかった。足元から二メートルほど先には、奥を見通すことを拒むように天井から床面まで、両側の壁面と壁面まで、全てを覆い尽くすように厚手のカーテンが引かれていたのだ。

「キサラギ……クウヤさん、ですね?」

 その向こうからくぐもった女性の声が尋ねた。カーテンの所為でクリアではないが、メリルの声には似ている。ただ、もう少し若い感じがした。

「は、い」

 声の主がマリーアであるならば、やはり両腕両脚のない身体を見られたくないからだろうか? クウヤはこの隔てられた空間をそう考察したが、こんな状況で詰めた話をしようだなんて、どう考えても相当難儀に感じられた。

「お疲れになられたことでしょう。一番端の客室でどうぞお休みください。メリルが戻るまでは自由にしてくださって結構です。キッチンのセレクトボタンでお好きな料理を召し上がってください」

「いやっ、あの……」

 一方的に話を進めていく少女の声に、クウヤは一瞬戸惑った。このままでは全てはぐらかされて何も聞けそうにない。

「悪いがメリル抜きでも聞かせてくれないか? 君は……マリーアなのか?」

 クウヤはカーテンへ一歩近付き問いかけた。その途端、

「全てはメリルが戻ってからお話致します。どうかそれ以上わたしに近付かないでください」

 やや声色が低く変わり、まるで牽制するかのように最低限を述べた。

「……っ」

 クウヤは抑揚のない──感情を見せないその声に少々苛立った。もしも自分が『エレメント』を呑み込むようにハメた当事者ハンニンであるのなら── 一刻も早く理由を知りたいというのが自然な衝動だ。

「教えてくれ……君は一体誰なんだ? マリーアなのか? マリーアじゃないのか!? どちらにしても、俺が此処に来るよう仕向けたのはどうしてなんだっ!?」

 更に一歩を近付く。背後の扉から目の前のカーテンまでちょうど同じ距離に迫り、あと一歩も進めばカーテンに手を掛けられる状態となった、が。

「いけません、クウヤさん。それ以上近付けば、貴方に危害を加えねばなりません」

「危害……?」

 依然低めの声のまま、今度は警告の言葉が投げつけられた。向こうの相手にはどうしても「今は話したくない」事情がある模様だった。

「俺は一週間待ったんだ……いい加減真実が知りたい。危害なんて……既に俺は『エレメント』が定着するなんていう「危害」を加えられてる……正直もう怖いもんナシなんだよっ!」

 頭に血が上ったクウヤの、再び蹴り出す左足の一歩。ついにカーテンに右手を掛けた瞬間、

「いけません、いけません、クウヤさん」

 繰り返される警告と共にいつぞやの如く電流がビリリと襲いかかってきたが、クウヤはその衝撃に耐えながら勢い良くカーテンを引き寄せた!

「……え……?」

 舞い上がった布地の隙間から見えたのは……殺風景な何もない、いや、広い室内のど真ん中、ポツンと置かれた小さなデスクの上に、タブレットが一台とスピーカーが無機質にこちらを見つめていた。

「……音声……AI、か……?」

 チリチリと音を立てながら落ち着いたカーテンの手前、クウヤは一言呟いて愕然とした。マリーアらしき少女は存在せず、その声は機械によって生み出されていたという真実。

 これを設置したのはメリルなのか? それとも啓太に指示した別の誰かなのか──?


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