答えの出口

藤原雅倫

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【第25章】念書の在処

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 谷中にあるこの家を訪れるのは今回で二回目となる。
前回は『R・S・D』の実行犯である『国仲』を引き連れ留守中に鍵を開けさせ『時田美樹子』の帰宅前に侵入した。我々にとってそんな事はいとも簡単な事であり、例え法を犯しているとしても何ら問題も無い。
 前回、初めて会った彼女は、その聡明な出立ちからは考えられない程、強い芯を持った女性であった。
恐らく何らかの情報を『達三』または誰かから知らされている事は間違い無い。
既に『牛嶋』らは静岡にある律事務所の『田崎』を締め上げ『達三』が彼女へ遺言を残していた事実も確認した。
しかしそれが実物そのものか、在処を示した何かかは結局、その「田崎」ですら知る故も無かった。
そしてその男はこの家を訪れている。

 今回再びこうして私が直接訪れた事には理由がある。

最後の切札だ。

恐らくこれで彼女は間違い無く白状するに違いない。
しかし同時にそれは、私が大切に育て上げてきた才能溢れるミュージシャンを失う事にもなりかねない。そうならない為にも、今夜もう一度彼女としっかりと向き合い、通達しなくてはいけない。
正直、まさかここにきて『澤村英司』が浮上してくるとは夢にも考えていなかった。
私は『達三』の問題、いや、忌わしい『念書』によって渦巻いて行く出来事と関わりを持つ人々らについて考えてみた。
やがて車は家の手前に到着した。
『牛嶋』はエンジンを切りサングラスを外してスマートに後部座席のドアを開けた。


 玄関のベルを鳴らすと凛々しい姿で『時田美樹子』は扉を開けた。
話はほぼこちらの一方的な通達だったが、彼女の芯の強さと信念は以前よりも増すばかりだった。
これはまさにギャンブルだ。
彼女がカードを捨て『澤村』を失ったとしても我々に軍配が上がる訳ではない。
帰りの車内で『牛嶋』が運転しながら静かに質問した。

「もし彼女が最後まで譲らなかったとしたら、社長は『澤村』にどうお話するおつもりなのでしょうか?。」
私はそれについて長い間考えた。

「約束どおり通達するしかないわね、、。」
彼はしっかりと顔を前に向き運転しながら言った。

「辛い決断ですね、、。それに『澤村』は何も知らないただの被害者だ。恐ろしい世界です。」
私は首都高速を走る車窓からオレンジ色に光り輝く東京タワーを静かに見つめ続けた。


 約束の期限を一ヶ月前としたある日、『時田美樹子』は逃亡した。
私は想定内の彼女の行動に怯む事なく直ちに『牛嶋』へ指令し早速、夜に新宿で集結する旨を伝えた。

 全メンバーが次の段階へ移行し始めている事を理解していた。
情報収集班の『坂田』によれば彼女は『澤村』と別れ、とある男と共に北海道帯広市へ越したとの報告だった。

「現状、男の存在と情報は未だ明らかではありませんが、電話の履歴と彼女が空港から二人で帯広へ向かったところまでは確認出来ております。」
すると『宮下』が即座に提案した。

「男性の情報は『坂田』に任せ、私は早急に帯広警察署へ移動いたします。」
『牛嶋』はしっかり頷いた。

「了解した。それではこちらで本庁に指令し移動手続きの処理を行う。念の為、社宅ではなくアパートを借りた方が都合も良さそうなので明日、契約を済ませ連絡する。それと車も。必要な物は都度報告してくれたまえ。」
『宮下』は了解し実行班の『高田』へ目を配り追術した。

「恐らく『国仲』を都内周辺と静岡へ対応させた方がよろしいかと思いますので『高田』をこちらに回して頂きたい。今まで以上に固いガードとなると思います。それと、相手の男性の出方によってはステップを上げる事も必要かと。」
私と『牛嶋』は彼の提案を許諾すると、
情報処理の『手塚』が大方をまとめた。

「今まで通り、関東圏でのネットワークを基準に、現在、国からの支援による特殊法人として新たなネットワーク『TISN』を極秘に導入完了しております。それに伴いより幅広いネットワークの確立が出来、システムの向上とデータのやり取りが迅速かつ確実に出来る様に構築済みです。」
速やかな彼女の対応に納得し私はホワイトボードの前でメンバーに指示した。

「どんなに些細な情報も見逃さず共有する事。引き続き、都内、静岡、及び新たな帯広を徹底マークします。特に『時田美樹子』、そして共にする男性、母親の『幸子』それと『澤村英司』及び周辺の情報収集と確認も徹底するように!。」
メンバー全員が同意した時、『牛嶋』が口を割った。

「実は、私が個人的に調査した中で一つ重要視したい事項がございます。それは静岡の『深谷達三』氏の近くにある『ホテル・ニュー・ホライズン』です。未だ調査中ではありますが、何かその場所と家族に関係が在るのではないかと思います。直感の様なモノですが、、。」
私は彼の感を疑わず示唆した。

「なるほど。では、そちらも重点的に調査を進行する様に。以上。」


 一九八九年十一月一〇日。
私は『有限会社マーズ・ミュージック・プロダクション』に連絡を入れ社長兼プロデューサーの『柳沢』を呼び出し『澤村英司』の解雇を告げた。
目を見開き喰い入る様に迫る彼の形相は凄まじい勢いがあったが、所詮、私の命令を翻す程の力を持っていない事は本人には百も承知だった。
既に次の全ツアーは打ち切り、全国のライブハウス、イベンターへの圧力、ディストリビューターによる今後の流通も全て終了をさせた。
『澤村英司』は公なミュージシャンとしての仕事を全て失い二度とこの業界に戻る事は無い。
すると絶妙なタイミングで内線が鳴った。

 憔悴し切った『柳沢』と共に彼の事務所へ向かうと、社内は大混乱となっていた。
彼が『英司』と会議室へ入った少し後を見計らい部屋へ入るとすぐに彼は驚いた顔で私を見つめた。

 私にとって辛い決断だった事は言うまでもない。二人を後に事務所を退出すると出口で『牛嶋』がタバコを吸いながら待ち構えていた。私は大きな溜息を吐きカバンからタバコを取り出し口に咥えると彼が即座にライターで火を点けた。

「珍しいですね。社長が肩を落として溜息を吐くなんて。」
私はどんよりとした暗く重い空へ煙を吐き出した。
『牛嶋』は黒く分厚いスケジュール帳を取り出し伝えた。

「谷中の家を徹底的に捜索いたしましたが何も見つからなかったとの事です。それと、新しい男の情報と、住居が判明いたしました。」
私は『時田美樹子』の執念の強さを苛立つ程に憎んだ。

「よろしい。」
道にタバコを投げ捨て思い切り揉み消した。

 カーラジオでは『ベルリンの壁』が崩壊した事をキャスターが興奮気味で報道していた。
また一つ、時代は大きく変わった。
そしてまたこの瞬間に、
私自身も大きな決断にて一つの辛い決別をした。


   ***


 年が明けたこの数ヶ月間、我々は『時田美樹子』から何も得る物は無かった。
しかし執拗な脅迫を続け確実に彼女を追い詰めている事には違いない。
その苛立ちは次第にメンバーも感じ始めていた。

実行班の『高田』は遂に同居する『石塚庸介』を襲撃し搬送された病院内に潜り込んで病室に盗聴器を手際良く仕掛けた。
一方の『宮下』は何事もなかった様にその事件を揉み消した。
そして退院後に於ける全ての会話が録音されたカセットテープが私の元へ届いた。
それらの会話によれば『石塚庸介』が『念書』の在処を知った形跡は無かった。
しかし、大凡の秘密を知った事は間違いない。
徹底した彼女の行動と言動のガードは恐ろしく強靭なモノだった。
そして今回の襲撃を機に『時田美樹子』は再び逃亡を図った。


 予想通り彼女は東京へ移動をしたが、驚いた事に谷中の実家には戻らず大塚のアパートを借り一人暮らしを始めた。一体何の意図があるのだろうか?。
私は帯広の『宮下』と『高田』には引き続き現地でのマークを徹底するように指示した。
やがて彼女は新宿にある都内私立高校で臨時音楽教師として働き出した。
『牛嶋』と『国仲』は即座に行動し、その高校周辺へのマークも徹底し、
大塚の室内の捜索と盗聴も入念に怠る事は無かった。


 ある日『牛嶋』が一人の女子高生を連れてやって来た。

「以前、話していた子です。恐らく何かと都合よく使えるかと思います。」
私はその今風なギャルを見つめ脅さない程度に挨拶をした。

「浅葱です。よろしく。」
彼女は怯みもせずに軽い口調で答えた。

「モモ子よ。」
そう言ってヒラヒラと室内のあちこちを見て回った。

「あなた、おじさん達と援助交際してお金貰ってるでしょう?。知ってるのよ?。」
しかしそんな事はお構い無しといった彼女はヘラヘラと笑いながら答えた。

「だってお金も貰えるし美味しい物も食べられるし最高だよ!。バイトするよりよっぽど楽。」
私は彼女のはち切れそうな制服の胸を眺めた。

「きちんとコンドームはするのよ。」
すると彼女はしかめっ面をしながら戯けて言った。

「ゴム、嫌い。」
私と『牛嶋』は顔を見合わせて少し驚いた。

 『牛嶋』は余程、手懐けたようで彼に対する『モモ子』は従順だった。
きっと金と軽い脅しやらによる事だろうと推測は出来るが、それ以外の方法は私には無関係な事だった。
最新の携帯電話とお金を渡すと彼女は喜んで歌舞伎町の街へ消えて行った。


 私達が部屋を出ようとした時、怪訝そうな表情で『手塚』が言い始めた。

「先程、彼女のポケベルを確認したんですが、通信記録に見覚えのある人物のデータがありました。」
私達は咄嗟に反応した。
彼女はパソコンのアドレス帳を照合しながらしっかりと答えた。

「『有限会社マーズ・ミュージック・プロダクション』の代表取締役『柳沢幸彦』氏に間違いありません。」
私はその名前を聞いて驚きと共に呆れた。

「ま、いいわ。一応、関係があるという事で残しておくように。」
彼女は直ぐに関連データに打ち始めた。


 『時田美樹子』への包囲網は完璧だった。自宅アパート、校内に通勤ルート。彼女が家に居る時も外出する時も全て徹底的にマークし、ジワジワと追い詰めた。
 ある日『モモ子』が、彼女に校内で暴力を振われた事を明かした。
余程、精神的に滅入っているに違いない。
それでも尚、彼女の強靭な執念は揺るぎが無かった。
一方、『杉田』の苛立ちは最高潮にまで達し、
時折私を呼び付けては執拗な暴言と脅しを繰り返した。


 夏も終わりかけたある日、社長室を訪れた『牛嶋』から新たな報告が入った。

「『時田美樹子』が退職し、谷中の実家へ戻りました。」
私はかつて訪れたあの部屋を思い出した。

「それと余談ではありますが、どうやらここ最近、頻繁に睡眠薬を処方している様です。」
私が頷くと彼は冷酷な声で続けた。

「締め上げますか?。」
私はそれについて考えた。
同じ女性として性的な暴力だけは行使したく無かったからだ。
そんな事をしたらあの『杉田』と同じ人間に陥ってしまう。
私は目を細めて正面の壁をうっすらと見つめながら答えた。

「遅かれ早かれもう一度、逃亡するでしょう。必ず何かを確認しに向かう筈よ。」
彼は小さな溜息をついた。

「どうしました? 社長らしくありませんね? 冷酷非道な『浅葱瑠璃子』とは思えませんが。」
彼の視線に目を合わせると『牛嶋』は踵を正し
「失礼いたしました。」と会釈をして部屋を出た。


冷酷非道な『浅葱瑠璃子』


そう、この業界で私はそう呼ばれている。
我々が必要なモノは全て権力と支配に於いて手に入れ、必要の無いモノは問答無用で排除して来た。
それが法を犯す事であろうとも、権力によって遂行して来たのだ。
『杉田富治郎』が先代の力によって築き上げたこの絶対的な支配力こそが、我社を日本トップの音楽業界へと君臨させた。
そして今、そのトップの座に私が居る。
しかし『牛嶋』が「らしくない」と言った様に、私自身も、そう気づき始めていた。
私の中で何かが変わり始めようとしている。
それが何なのかは分からないが、間違いなく『時田美樹子』の存在が多かれ少なかれ拘っている事には違いなかった。
それともう一人、『深谷達三』の存在も同様に深く関係している事も。

 『時田美樹子』を締め上げる事は簡単な事だった。何処かに監禁して拷問すればいい。
しかし、今の彼女が絶対に口を割ることは無いだろう。
私には分かる。
以前、彼女がこう言っていた。

「愛する人達を守ろうとする気持ちは全く変わらない」と。
そして泣き崩れながら叫んだ。
「絶対に守ってみせる!」と。

 現在の状況を考えるに、既に力を行使するだけでは解決しないだろう。

頭脳戦か?。

私は改めて『時田美樹子』と言う人物像を考える必要があると感じた。
直ぐに『牛嶋』へ連絡し彼女のプロフィール、略歴、人間関係などをまとめたデータを収集させ新宿で落ち合う事とした。

 事務所に到着すると既に『牛嶋』と『手塚』はホワイトボードの裏側に『時田美樹子』の相関図を作成しあらゆる事項を記入していた。

「どう? 何か目新しい情報は見つかったかしら?。」
すると『牛嶋』は大きく頷いた。

「なかなか興味深い事が幾つかございました。」
私はハンカチーフで汗を拭いながらソファに腰掛けホワイトボードを見つめた。
するとまず目に飛び込んできた見覚えのない女性の写真があった。

「彼女は何者かしら?。」
『牛嶋』は『澤村』の写真を指差しながら丁寧に伝えた。

「木下エリ子。三十五歳、目黒在住、アパレル業に従事している『澤村英司』のもう一人の彼女です。つまり『澤村』には二人の彼女が居たという事です。正式には彼女との交際が先で『時田美樹子』とはその後に交際を始めたという順番になります。彼女とは現在も交際中です。一九八九年一〇月頃、分かりやすく言えば『時田美樹子』が北海道へ越した少し前に二人はその事実を知った様です。『美樹子』が以前から好意を寄せられていた『石塚庸介』と越した事も納得は出来ます。それとこの二人、『国仲』の情報によりますと、一度二人だけで接触しております。」
私は新たな人物の登場に頭を整理させた。

「しかしながら『木下エリ子』に特別な関わりは見当たりません。それと余談ですが彼女は有限会社マーズ・ミュージック・プロダクションの『柳沢』とも一時交際をしていた様です。こちらも二股という事になります。」
彼は首を傾げながら呆れ顔で少し戯け続けた。

「恐らく『柳沢』も間違いなく白でしょう。『木下エリ子』に関しては暫くの間マーク致しますが、それ程重要視する事は必要ないかと思われます。」
私が両腕を組みながら考えていると彼は氷の入ったロックグラスにスコッチを注ぎ手渡した。
熱いアルコールが喉へと流れ胃へ達した時、彼は再び続けた。

「今回こうした新たな人物が発覚致しましたが、私が社長へお知らせしたい事は全く別の報告となります。」
私達はほぼ同時にタバコを吸い込み大きく天井へ向けて吐き出し彼へ質問した。

「全く違う事? 一体何かしら?。」
彼は大きく深呼吸した。

「以前から私が個人的に調べていた静岡、『深谷達三』氏の近所にあるビジネス・ホテル『ホテル・ニュー・ホライズン』です。まず気になったのは、そのホテルの家族と『達三』氏には親密なお付き合いがあった様で、彼が描いた絵を何枚かホテル内に飾っております。しかし私が調べた所、どうもある絵が一枚、何処にも存在しない? それと一〇年程前にそのホテルで殺人事件が起きています。被害者は『佐山美智子』当時、四十五歳で地元高等学校の古典文学の教師でした。不倫相手だった同職員の男性教師が加害者として逮捕されていますが、その男の供述による殺害現場の部屋が存在しない為、現在も起訴保留となっております。」
私はその不可解な事件を聞き眉間に皺を寄せながら質問した。

「殺害現場を偽っていると言う事かしら?。部屋が見つからないと言うことは偽証に過ぎないわね。」
すると『牛嶋』は首を大きく振りながら続けた。

「男は間違いなくホテルの一室だと言い張っており殺害も認めております。それについて支配人に確認したところ、うる覚えではあるが、気になる記憶をお持ちの様でした。それは幼い頃に妹と一緒に在る筈のない部屋を見つけたと言う記憶です。どうもそのご姉妹には未知で不思議な能力があったとの事でした。」
まるでミステリー小説の様なその話題は幾分私を興醒めさせた。

「話題の先が全く分かりかねます、、。それと『念書』に何の関係があるのかしら?。」

「そう思われるのも仕方がありません。あくまで私の直感の様なモノです。ところが、一九八九年の夏頃、このホテルに『時田美樹子』と『澤村英司』が数日間、宿泊した履歴がございました。支配人に写真を確認して頂いた所しっかりと覚えがあるとの事です。最も『澤村』に関してはアーティストとして人気もありましたから容易な事でした。すると驚いた事に支配人が私にこう告げました。あの二人は間違いなくその部屋を訪れた、と。」
私はそれらの不可解な出来事を整理し理屈に叶うように順序良く考えみた。
しかし余りに世離れし過ぎた世界の話を理解する手立てが無かった。

「世の中には存在しない別の世界があるって事なのかしら、、? 私には理解し難い話ね。」

「勿論、社長のお考えも理解できます。私だって理解しかねます。しかし調査した内容を精査すると、明らかな共通点が確認出来るのです。それが、一つの『部屋』になります。そしてもう一つ繋がったのが殺害の被害者である女の出身が帯広でした。調べた所その家族が経営しているのもビジネス・ホテルでした。現在既に『宮下』に調査をさせております。」
私は大分混乱していたが彼の直感を信じる事とした。


 報告が終え我々は各々に考えを巡らせながら無言でスコッチを飲んだ。
すると『手塚』が静かに口を破った。

「私は、牛嶋さんが仰った様な世界やそれらに属する人らが存在すると思います。オカルトやSFの様ですが、きっとシャーマンと呼ばれる人達ってそうなんじゃないかな? 同級生にも霊やオーラが見れる子とかいましたし。」
私はちょっと可笑しくなった。

「じゃ、次はイタコにでも調査依頼するしかないかしら。」
口を閉じていた『牛嶋』が軽く吹き出した。

「新メンバーですね。」
溢れそうな程の灰皿に『手塚』は水を注いだ。

「でも間違いなく何かが繋がっていますね。きっと、もっと深い繋がりがあるんじゃないでしょうか? 存在しない部屋と二つのビジネス・ホテル。静岡と帯広。二人の姉妹、、。調査する価値はありそうですね。」
私は次第に彼女の言葉に信憑性を抱いていた。
存在しない部屋。
きっと何処かで『念書』に辿り着く道筋が繋がるのだろうか?。


 あの不可解な報告があって以来、私は四六時中と言って良い程にそれらの考えを巡らせた。
まず自覚しておくに、私自身は現実的な人間だ。
逆に言うならば、非現実的で整合性の無い事柄への興味など全く無いに等しい。
それは宗教性やスピリチャルなもの全てに対してであり、関わる人々に於いても自然とそうであった。
しかし、誰よりも現実的な解決を施してきた『牛嶋』によるその不可解な話は、まるでミステリー小説へ誘うかの様に私の感覚と視点を違う方向へと導き出していた。
一体、そんな事が現実にあり得るのだろうか? 
『時田美樹子』にしても『澤村英司』や『深谷達三』らにしても、私が知り得る限り特殊な能力を持った人間とは思い難い。
どちらかと言えば普通の生活をしてきた人々の部類であり『英司』に関しても一生懸命に音楽活動を行いメジャーデビューした努力家である事は間違いない。



存在しない部屋。



『牛嶋』の報告によれば恐らく『美樹子』と『英司』は静岡のその部屋で過ごしている。
そして不可解な殺人事件の現場となった場所もその部屋だったと言う事だ。
その殺害された女の地元・帯広がもう一つの『ホテル・ニュー・カリフォルニア』。
どれも不可解な空想的な出来事ではあるが、唯一、現実的に私はその名称を聞き即座に反応した事がある。
それは、「イーグルス」が歌った『ホテル・カリフォルニア』の歌詞だった。
それは確か、
迷い込んだ男がそのホテルに幽閉され出口を見つけられない、と言った内容だった事を記憶している。
簡単に入ることは出来るが、帰る事が出来ないホテル。
私はいつしか自身でも考えられない程にそんな空想的なスピリチャル世界で起こり得る可能性を考え見出していた。
しかし何故、
この事案に関係している人々がどうやってその存在しない部屋を訪れ、特殊な時間を過ごす事が出来たのだろうか? 
『達三』が描いた見つからないもう一枚の絵?
それはもしかして、その部屋にあるのだろうか?
『美樹子』が隠し通す『達三』が伝えた『念書』の在処?
もしそうだとしたら、
一体どの様な手段でその部屋を見つけ暴き出す事ができるのだろう?

先の見えない事案の中で私はただ氷を入れたグラスにスコッチを注ぎ、
窓から輝くオレンジ色の夕焼けを沈むまで眺めた。
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