答えの出口

藤原雅倫

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【第20章】R・S・D

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 夜の十時を過ぎた新宿・歌舞伎町は平日にも関わらず今夜も沢山の人々で通りが埋め尽くされていた。
私は途中、老若男女問わず何人ともぶつかりそうになりながら
人々の欲望と犯罪で溢れたこの街を軽蔑しながら歩き続けた。
それは若かりし日の自分と嫌が上でも重なり合わせてしまう要因が多々あったからであろう事は言うまでもない。
ただ、何かしら事情がある時は(特に不都合な事情)、
非常に有効な街である事も否めない。

 花園神社からゴールデン街を抜け少し先にある雑居ビルに入りエレベーターに乗る。
その中の鏡に映し出された自分の顔を無表情で見つめていると、
いつしか私も犯罪と言える行為に加担している事に落胆した。
私は一体、何の為に今までこの仕事を一生懸命続けてきたのだろうか、、。
取り戻さなければいけない。
何としてもやり遂げなければいけないと言う使命感で身体中が武者震いした。

 扉を開けると、室内からエアコンの涼しい空気が流れ出した。
私はバッグからハンカチを取り出し汗を拭いながら奥の部屋を訪れた。

「お疲れさまです。間も無く終わりますので少しお待ちいただけますか。」
吉田真利江は軽く会釈をしてパソコンのキーボードを打ち続けた。
私は冷蔵庫からしっかりと冷えたクアーズとグラスを取り出して注ぎソファに腰を掛け、
その作業を眺めた。
2LDKの室内はリヴィングを仕事部屋として利用し、
一つは寝室、もう一つはほぼ手つかずのまま使用していない。
もっとも、この部屋の存在を知り訪れる人は私と吉田、数人の部下以外は居ない。
それと、ある特定な人間を別にして、、。

やがて吉田は両手を上に上げ背筋を伸ばしながら大きく深呼吸をした。

「お待たせしました。」
私は立ち上がり彼女の分のビールを冷蔵庫から取り出した。

「そんな、大丈夫です! 浅葱さんはどうぞそちらに!。」
そう言って私の手から缶ビールを取った。
吉田がデスクに戻ろうとしたので、
私は向かいのソファに呼び寄せ向き合いながら冷たいビールを飲み、
作業の進捗を確認した。

「予想通りの運びとなっています。敏感に反応していますし、恐らく、メールのやりとりにも気を揉んでいるんじゃないかと思われます。」
私は足を組み直して頷いた。

「なるほど。それは素晴らしいわ。ところで『杉森舞』のレコーディングやプロモーション・ビデオの制作は年内一杯で終わるのかしら?」
吉田は少し驚いた様子で答えた。

「はい。CDは間もなくマスタリング作業に入りますし、撮影も編集段階となっておりますので年内中には終了する運びです。」
私は滞りない進捗に納得した。

「流石ですね。澤村と柳沢のコンビネーションは健在。非の打ち所がない無いわ。」
吉田は無言で次の言葉を待っていたが、
立ち上がり冷蔵庫からビールを持ってくると二人のグラスに勢いよく注いだ。

「あなたならどうする?。」
吉田は注いだ手を硬直させ私から視線を外し考え込み立ったまま答えた。

「次の手をでしょうか、、。」

「そうよ。あなただったら次、どう展開するのかしら?。」
すると吉田はビールを喉に流し込みながら私を見つめた。

「この件に関して、私はその詳細も意図も知らされておりませんし、この先の展開がどうなるかも全く分かり兼ねます。ただ、、。」
私は立ち上がりウィスキーグラスに氷を入れ書棚のスコッチをグラスに注ぎ、
吉田の脇に腰を下ろし彼女の耳元へ囁いた。

「あの時、あなたは何を感じたのかしら?。」
吉田は目を見開いたまま硬直し長い時間をかけて口を開いた。

「私が、、私が感じたのは、、絶望の様なものでした、、。何か分からない、、恐ろしい感覚でした、、。」
私は優しく彼女の髪を撫で述べた。

「あとは、澤村を導くのよ。」
吉田は振り返り眉間に皺を寄せた。

「何処にですか、、?。」
スコッチの氷が溶けカランっと鳴った。

「それを考えるのが、あなたの仕事よ。」
私はゆっくりと彼女のスカートに手を忍ばせ
パンティの上から湿ったヴァギナに触れた。

「どうして、、澤村さんなんですか、、?。」
吉田は次第に息を荒げ顔を赤らめて私に聞いた。

「あなたは何も知らなくていいのよ。」
私の指は潤いを増した愛液の中でやがて子宮に到達し、
やがて彼女は天井に目を見開き激しく痙攣しながら私をしっかりと見つめ震えた声で呟いた。

「コ、タ、エ、ノ、デ、グ、チ 。」

私はその言葉の意味を考えながら、
吉田が導き出した道標を探る様に、
溢れ出した体液を優しく愛撫し続けた。


   ***


 一九八九年、夏も終わりに近づいたある日、
汗ばむ自室で書類に目を通していると内線が鳴った。

「会長からご連絡があり、お手隙で良いのでご自宅の方へ来て欲しいとの事でした。」
私は受付の子に「ありがとう。」とお礼を伝え受話器を置いた。

 杉田がわざわざ会社にまで連絡をよこしたのは数年ぶりだった。
年に数回は顔を合わせる機会もあるが、
引退してからは余程の事がなければ顔を出す事も連絡をする事もなかった。

何か嫌な予感がする、、。

私は書類を引き出しにしまい上着を纏って直ぐに彼の自宅へ向かう事とした。


 青山の本社から社用車で約三十分。
久しぶりに訪れた高輪にある豪邸は昔と全く変わらない外観だった。
私は若い頃にも何度かこの厳かな門扉まで訪れた事がある。
そう、先代と共に。
その秘密は恐らく未だに息子であり現会長の『杉田富治郎』にも気づかれてはおるまい。

 入り口のドアホンを鳴らし訪問を伝えると
間もなく門扉が開き使用人の女が出迎えてくれた。
三十代前半くらいであろうか。
細っそりとしたいでたちだが、
不釣り合いなほど胸がでかい。
いかにも杉田が好みそうなタイプだ。
彼女の後ろから付いて行き玄関を上がると
壁には先代が若い頃に社員らと共に撮影したらしい写真がいくつも飾られていた。
私はそのどっしりとした風貌の男の顔をまじまじと眺め少しだけ懐かしい気持ちになった。

「会長は書斎におられます。」
そう言うと使用人は軽くお辞儀をして奥へと立ち去って行った。
 書斎の扉をノックすると奥から杉田のしゃがれた声がした。

「どうぞ。」
扉を開くと真正面の巨大な机に座る杉田がこちらを見つめた。

「急にすまんな。」
杉田はゆっくりと立ち上がると私をソファへ誘い書棚からオールドパーを手に取り、
グラスへ氷を入れ注いだ。

「ま、リラックスしたまえ。」
そう言うとグラスを私の前に置き向かいのソファに深々と座った。

「浅葱君はうちの会社に就職してから何年経ったかのう?。」
杉田はグラスの氷を指でかき混ぜながら聞いた。

「かれこれ二十四年程になります。初めの五年間はマネージメント業務に携わり、その後、社長秘書として十五年間従事し、一九八六年に社長へ就任させて頂きました。長年に渡る杉田様のご配慮、心から感謝しております。」
すると杉田は一瞬、
眉間に皺を寄せ細めた目で私を睨みつけた。

「浅葱君の出世はわしとは無関係じゃよ。とうの昔から決まっていた。違うか?。」
杉田はいやらしい声で大笑いした。

「まぁ、そんな事はどうでもいい。」
私は金縛りにあったかのように身動き一つ出来ないでいた。

「達三が死んだらしいんじゃよ。」
杉田は真っ直ぐ私を見つめた。

「そうでしたか、、。」
私は驚きと共にかつての出来事を思い出した。

「まぁ、いい年じゃしな。わしだっていつ死ぬか分からん。」
そう言って小さく咳き込んだ。

「私にどうしろと、、?」
杉田はゆっくりとスコッチを口に含ませてからソファを掌で勢いよく叩きつけた。

「決まっているじゃろう! 取り返して欲しいのだよ! あれを、な。」
私は生唾をゴクリと音を出し飲み込んだ。

「しかし、ご本人は亡くなられておりますし、この四年間でも何の収穫もありませんでした。」
すると杉田は首を傾げ声を荒げた。

「それを考えるのが君の仕事じゃないのかね!? 達三は必ず何処かに隠しておるに違いない! もう一度、親戚やら周辺の人間をかたっぱしに捩じ伏せてやればいいのじゃ! 誰かが傷つこうが、死のうが、わしには関係ないことじゃ。手段なんかいくらでもあるじゃろう? とにかく取り返しさえすればいいんじゃ!。君は頭が良いしよく切れる。自分の立場を危惧する事もなかろう。」
私は落ち着きを取り戻し冷静に事の重大さを確認するようにスコッチを勢いよく飲み干し立ち上がった。

「かしこまりました。直ちに『念書』奪回に伴う作戦会議を再開いたします。」
杉田は私の腰をいやらしく撫でながら顔を近づけ、
酒臭い息と共に静かに冷たい口調で呟いた。

「浅葱君は強くて良い子じゃ。流石わしの親父が認めた女じゃよ。」
私は踵を返し扉へ向かった。

「それでは失礼いたします。」


 帰りの車中で、私は再び与えられたこれからの任務についてあれこれと考えてみた。
既に亡くなった人間の所有物を果たしてどう取り返せるだろうか?
しかし思いつくのはただ一つしかなかった。
それはやはり法を犯す以外の手立てはないと言う事だ。

この任務を初めて言い渡されたのは四年前。
「達三」が妻であり、元杉田の愛人だった「三岐子」が亡くなる前に里子に出された義理の娘、
すなわち杉田と三岐子の子供に会わせてやって欲しいとの事だった。
今思っても、彼は相当な覚悟の上で杉田に対して連絡をしてきたに違いない。
そしてかつて、鴫野から語られた驚愕なこの事件に携わる事となってしまい、
金と権力で隠蔽された数々の犯罪に手を染める事となった。
達三の死をきっかけに今再び、
あの忌まわしい「念書」を巡り多くの人々が傷付くであろう事は間違いない。
それはきっと以前にも増して。
私はその指揮官として必ずやり遂げなければならない任務の覚悟を腹に据え決心した。
必ず探し出して見せると。

 会社に戻った私は、思い切って鴫野に連絡をしてみようかとも考えたが、
既に引退した彼女に今更再びこの任務に関わらせるのは酷であろう事は言うまでもなかった。
彼女は女性団体の代表として日々奮闘しているのだ。
思うに彼女がそのような団体を立ち上げ代表として戦っているのは、
間違いなくこの会社で現実に起こった事への反感からに違いない。
私は秘書の「牛嶋」へ内線を繋ぐとすぐに彼は応答し、
一〇分後には扉からノックの音が鳴った。

 品の良い皺一つない黒のスーツ姿の牛嶋は、
いつ見てもスマートで、そして完璧な動きで私の前に現れ、
濁りのない口調で「お疲れ様です。」と軽く会釈し私が座るデスクの前に起立した。

「R・S・Dを再び発動します。」
私が迷わず簡潔に伝えると、彼はコクリと頷いた。

「承知いたしました。準備は整っております。」
私は首を傾げて彼を見上げた。

「あれ以降も、私は個人的に情報を収集し続けいくつか検証に値する事例もございます。既に社長もご存知かと思われますが、深谷達三様の葬儀が来週、静岡の自宅にて行われます。親戚ご一同が集まる機会でもありますし、こちらとしても手間が省けます。何より直接、顔を確認出来る事だけでも絶好の機会かと。」
私は彼の手際の良さに感心しタバコに火をつけた。

「なるほど。流石ね。葬儀には私も出席するつもりです。義娘の『時田幸子』も今回は必ず出席するでしょうし、確認したい事もあるわ。前回のメンバーも直ぐに召集出来るかしら?。」
牛嶋は少し前のめりで答えた。

「勿論。新宿のビルの一室も借り上げ、既に例のメンバーとはギャランティを含めた交渉も終え召集済みです。それと、あちら側も手配が済んでおります。」
私は灰皿にタバコを押し付けた。

「よろしい。それでは葬儀の後に改めて作戦会議を行いましょう。」


   ***


 静岡にあるこの「達三」の家を直接訪れたのは四年振りとなる。
空は雲ひとつなく真っ青に広がり、線香の香りが漂った。
私は受付で本名と会社名を記帳しお香典を渡しお悔やみの言葉を伝え、
生前に付き合いがあった弊社の元社長代行で出席した旨を伝えた。
もっとも、この娘、息子一家に於いて私や杉田との関係を知る者は誰一人として居ない。
私は玄関を上がり達三の遺影をしっかりと見つめ焼香と共に手を合わせた。

 外に出ると喪服姿の牛嶋が静かに寄り耳元で囁いた。

「いらっしゃいました。」
私達は人混みに紛れ、若い女性に抱き抱えられながら歩く「時田幸子」を遠くから監視した。
あの一緒にいる女性は誰だろうか?
幸子の娘だろうか?
牛嶋はカバンから写真を取り出し私に渡した。

「幸子の一人娘、美樹子、二十九歳。現在は都内企業のOLですが、元々は私立高校の音楽教師だったようです。現在は東京の実家にて一人で暮らしています。」
私はそのほっそりと聡明で美しい顔の写真を見つめた。
達三の妻「三岐子」と同じ名前。
それに驚くほどそっくりなもう一人のミキコの血筋を考えると、
この女にも杉田の遺伝子が存在する事にいささか背筋がゾッとする感覚を感じた。
 私はゆっくりと静かに二人の後ろについて行こうとした時、
不意にこちらを向いた「幸子」と目を合わせてしまった。
すると彼女は目を見開き即座に逸らし娘の腕を引っ張り門外のタクシーへ乗り込んだ。
私が走り去るタクシーを見つめると
バックウィンドウから娘の「美樹子」が不思議そうな顔でこちらを見つめるのが伺えた。
さて、やはり「幸子」から問い詰めるしかないだろうか?。

 静岡駅に到着すると牛嶋は今日一日、調査したい事があるらしく
明日の夜、新宿で落ち合う事とした。

「あなた何処に泊まるの?。」
彼は真っ白なネクタイを緩めた。

「深谷様の近くにひとつ小さなビジネスホテルがございますので、そちらに宿泊いたします。既にチェックインを済ませていますが、少し興味深い話もございます。何せ小さな町ですから。」
私はサングラスをかけ彼を残し新幹線のホームに向かった。


 花園神社からゴールデン街の人混みを抜け少し先にある雑居ビルの一室は
既に『R・S・D』の拠点として全ての機材や資料が揃えられていた。
ホワイトボードには「達三」の家系図と全ての写真が貼られ
氏名、年齢の他、職業や略歴などあらゆる情報が書き記されていた。
同時に二台の最新のパソコンには、
より詳細な情報が打ち込まれインターネットにも接続されていた。
その脇には八台の携帯電話が綺麗に並べられていた。

「今回のメンバーも前回同様の七名。内、情報収集班が坂田、宮下の二名、実行班が国仲、高田の二名、情報処理は手塚、一名、それに、私と社長となります。」
牛嶋は簡潔に伝えると私に一台の携帯電話を渡しながら続けた。

「達三様の義娘である幸子に関しましては、現在までも何度となく調べ上げていますが、念の為しっかりマーク致します。遺言が気になるところではありますが、こちらで調べた限り、土地と家以外に取り立てて分配する遺産も無さそうです。しかし地元の法律事務所と何らかの連絡を取り合っていたとの情報もあります。恐らく残された家と土地に関わる事だと想像できますが、実の息子、娘共は都内での仕事や家庭もありますので、まず戻る事は無さそうです。そうなると、幸子への譲渡、もしくは売りに出すか、としか考えられません。それと既に念書を使って法的な根回しをしているとも考えられなくはありません。」
私は腕を組み直し牛嶋を椅子へ座るよう促し反対側の椅子に腰掛けた。

「幸子に念書を渡したところで達三には何のメリットも考えられないわね。思うに隠し場所を伝える事は出来たとしてもあの念書を使って彼女が何らかの行動を起こすとは人間的にも性格的にも考えづらい。勿論、今知る限りですが。もし達三が弁護士にあれを渡して、杉田に対して法的な措置を取ろうとしたところで私らや杉田に簡単に事を葬られる事も分かっている筈。」
私はタバコを肺の奥まで吸い込みゆっくりと吐いた。

「いずれにしても法律事務所とその担当弁護士のマークを強化し数日中には何らかの情報を絞り上げます。」
私は一つ質問した。

「あの幸子の娘は何らかの繋がりがあるのかしら?。」
牛嶋はホワイトボードの写真に目をやり即座に答えた。

「美樹子に関しては今のところ問題視はしておりません。実際に顔を合わせたのは深谷達三様の死後、先日の葬儀が初めてだったようですし、恐らく幸子も義祖父の存在は隠しておいたのでしょう。葬儀前日の電話でのやり取りからして確認が取れております。しかし念の為、幸子とのやり取りは一番多い存在でもありますので盗聴は引き続き継続を致します。」
私は納得し先日、牛嶋が言っていた言葉を思い出した。

「そう言えばあなた昨日、興味深い話があるって言ってたわね?」
彼は笑みを浮かべた。

「いえ、大した事では無いのですが、私が宿泊したビジネスホテルの女支配人が、達三様とのお付き合いがあったようで、生前に頂いたらしい公園やらを描いた絵を拝見させて頂きました。小さな町の近所付き合いといったところでしょうが、些細な情報もあって損はしませんから。」
牛嶋は少し考えてから続けた。

「これは私個人的な見解なのですが、、。達三様は果たして身内や第三者にこれ以上危険を及ばせてまで念書を引き継がせたりするでしょうか? 正直、私には考えづらい事であります。恐らく何処かに隠し、息を引き取られたとしか思えません、、。」
私はその見解を理解した。

「今はとにかく法律事務所を徹底的に調べるのが先決でしょう。何かが渡ってからでは遅すぎます。直ぐに調査を開始するようお願いします。」
牛嶋は立ち上がり一礼し部屋を後にした。

 私は達三の写真をマジマジと見つめ、彼の中に潜む芯の強さを感じられずにはいられなかった。
この男はきっと何かを企んでいたに違いない。
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