答えの出口

藤原雅倫

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【第18章】遺言

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 仕事から帰宅すると留守電に母の伝言が入っていたので、
私はすぐに電話をかけた。

「もしもし、ごめんね。今丁度仕事から帰ってきたところ。何かあった?」
母はしばし沈黙した。

「あのね、どうも空巣に入られたみたいなのよ。」え! 
私は驚いた。

「そうなの! で、大丈夫なの?」

「うん、、昨日仕事から戻ったら玄関の鍵が開いてたからおかしいな? って思って家に入ったらちょっと荒らされた様な感じだったのよ。」

「警察に連絡した?」

「うん、勿論すぐにしたわよ。でもね、何も盗まれたものはなかったの。開けられた引き出しの中のお金も通帳もカードも全部残ってたのよ。」
私はホッと胸を撫で下ろした。

「まぁ、無事で良かったじゃない。でも十分に気をつけてね。」

「そうね。でもちょっと気持ち悪いわね、、。それと、、。」
母は少し間を空けてから続けた。

「先日、法律事務所の人が来て、達三さんが私に少しだけ遺産を残してくれたみたいなのよ。」
私はうちにも訪れた事を話そうかと思ったが、
やめる事にした。

「遺産? 何だったの?」

「家よ。あの達三さんの家と土地。」
私は驚いた。

「だって息子さんとかいるんでしょ?」
私は葬儀の時に会ったほっそりした男性を思い出した。

「二人とも東京で家族と生活しているらしくて、達三さんが亡くなったら処分するって話になっていたみたいでね。むしろ住んで貰った方がありがたいって話みたい。」
私は「ふ~ん」と相槌した。

「でも、登記申請とか名義変更とか色々面倒臭いんじゃないの? すぐには住めないでしょう?」

「それがね、その法律事務所の人が達三さんからお願いされていたらしく、無償での贈与になるから必要な書類は揃えてすぐにやってくれるみたい。もし私が了承した時にかかる費用も渡してあるみたいなのよ。」
なるほど。そりゃ法律事務所の人に任せれば何の問題もなさそうだ。
私は達三の手際の良さに感心した。

その後に軽く世間話をして母は電話を切った。
恐らく近いうちに母は引っ越す事になるだろう。
私としてもアパートに一人暮らしの生活よりは様々な面で安心も出来る。
私は田崎の名刺を見ながら考えた。
お金も通帳もクレジットカードも、
何も盗まない空巣を、、。

そして引き出しに閉まっておいた
「達三」からの封筒を取り出しもう一度、読み返した。
きっとこれは残しておかない方がいいものなのかもしれない。
そう思い、
台所のシンクに持っていき、マッチを擦って火をつけた。
みるみる燃えて焼かれてゆくその炎を私はずっと見つめていた。
やがてそれは真っ黒な灰となり
あっという間に水に流され配管の奥へと消えていった。


 ある日、久しぶりに「英司」が車で家へと送ってくれた。
彼は夜からのレコーディングの為そのままスタジオに向かって走り去った。
私が降りる際に優しくキスをしてくれたので
「頑張ってね。」と伝えると「うん。」と笑顔で答えた。
カバンから鍵を取り出し玄関でそれを差し込んで回した時、
いつもと違う手応えを感じた。

あれ、、?
もしかして開いてる?

私は瞬間的に、
母の家に空巣が入った事を思い出し慄いた。

やばい、、誰かいるかも、、。

近くの公衆電話から警察に電話しようかと思ったが、
念の為、扉を開けて中の様子を確認する事にした。
玄関には以前、
英司が護身用にと置いていったゴルフクラブもある。
私はゆっくりとドアノブを回し少しだけ押してみると、
思った通り扉が開いた。
入口前の通りにある街路灯の明かりを確認し、
いざとなったら走って大声を上げればいい。
音を出さないようにゆっくりと開けて真っ暗な中を確認したが、
物音ひとつせず、しんと静まり返っていた。
私は少し安心して玄関にそっと入り
とにかく明かりをつけようとスイッチに恐る恐る手を伸ばした時、
つま先に当たる何かを感じた。
心臓の鼓動が高鳴り、
静かに目だけで足元を確認すると、
そこには黒い靴が一束、綺麗に揃えられていた。

ハイヒール?

 ゴルフクラブを掴み結局明かりをつけずに真っ暗な家へ靴を履いたまま上がった。
静けさは変わらない。
私はゆっくりとリビングに入ってみると、
窓から入り込んだ街路灯の明かりで浮かび上がった人影を見つけ
その場で金縛りにあったように硬直した。
声を上げようと思っても全く喉が痙攣して出す事ができない。
身体中から汗が吹き出すのをただ感じるだけだった。

どうしよう!

「あら、怖い事。あなた結構勇敢なのね。」
女はクスッと笑った。

「誰! どうやって入ったの!」
私はやっと振り絞った声で言った。

「私は、浅葱と申します。」
女はキッパリと答えた。アサギ?

「黙って侵入した事はお詫びいたします。でもこれがお互いにとって一番良い方法だと思いまして。」
一体、この女は何を言っているんだろう?
私は冷静になってその女に伝えた。

「警察を呼びますよ。」
女はしばらく黙ってから続けた。

「どうぞ、そうなさりたいのなら仕方がありません。しかし、先程も申しました通りお互いにとってあまり宜しくない事ではあるかと思います。特にあなた様にとっては。」
私はその意味を考えてみたが思い当たる事は何一つなかった。
そしてスイッチを入れて明かりをつけた。
真っ白いタイトなスーツを着た清楚な女性がこちらを向いて立っている。
五〇歳くらいだろうか?。
惚れ惚れするような完璧な化粧をし
真っ黒な髪にはふわりとウェーブがかけられており
見たところとても犯罪者とは思えないその美貌をまじまじと確認した。
それでも十分に住居不法侵入だ。

一体何なのだろうか、、。

この一ヶ月ほどの間で私の周りでは
次から次に意味不明で理解出来ない事が起こり始めた。
私は掴んでいたゴルフクラブを下げわざと大きな溜息をついてから言った。

「ビールを飲んでもいいかしら。」
女は笑顔でにこりと微笑んだ。

「勿論です。ここはあなたの家ですから。」
私は睨みつけた。
何があなたの家だ!
勝手に鍵を開けて上がり込んだくせに!。
どうせまたややこしい話でもされるのだろう。
私は冷蔵庫からハイネケンを出して力強くプルタブを引きちぎり缶のまま喉に流し込んだ。
私は缶ビールを持ったままリビングへ戻った。

 女は立ったまま腕を組んで窓の外を眺めていたが、
私が戻るとこちらを振り返って言った。

「こんな風にお邪魔してしまった事は申し訳ないと思っています。ただ、私があなたを訪ねた事は、好むと好まざる事とは無関係な事なの。分かっていただけるかしら。」
私はただ女を見つめ聞いていた。

「ひとつ確認させて頂いてもよろしいかしら?」
私は頷いた。

「あなたは、時田美樹子さん。間違いないかしら。」
私は再び大きな溜息をついた。
どうしてこう知らない人達が私を訪れてはいちいち確認するのだろうか、、。
私が私で何か都合が悪い事でもあると言うのだろうか。
ビールを一口飲んで女を見つめたまま答えた。

「そうです! 私は時田美樹子です! 一体、何の御用なんでしょうか?」
女は怯む事なく続けた。

「わかりました。それではお話させていただきます。私があなたを訪ねたのは、ある大切なモノをお渡し頂きたく伺った次第です。もしくは、あなたが知っている全ての情報を。私共では、あなたがそれをお持ちか、何らかの情報を知っていると思っております。」
私はすぐにその言葉の意味を理解した。
私が知っている事、、。

「あるモノとは何なんですか? それにあなたが言っている事も意味も私にはサッパリ分かりません。」
女は腕を組み直して少し頭を傾けた。

「あなたは何も知らないという事かしら?」
私はその視線からそらす事なく頷いた。

「そうでしたか。それでは仕方がありません。勿論、あなたを信用致します。ただ、、。」
私は生唾を飲み込んだ。

「私共と致しましては、決してあなたに危害を加える事は望んでおりません。それをお決めになられるのも、あなた次第という事です。それと私共がお渡し頂きたいモノは本来、返還されるべきモノなのです。こちらと致しましては正当な要求をさせて頂いている行為となります。もっとも、あなたが何も知らないという事であれば仕方がありませんし、このような形でお邪魔させて頂いた事も大変ご無礼だと理解しております。」
私はすっかりその女に怯む事もなく冷静に言った。

「先程も申した通り、私は何も知りません。あなたが探しに来たものはここには何もありません。どうか、お引き取りください。」
そうキッパリと伝えた。
女は私をしばらく見つめてから玄関に向かった。
スマートにハイヒールを履き立ち上がってから最後にもう一度私を見つめた。

「何か思い出すような事があればいつでもご連絡して頂きたいものね。」
女は名刺を渡し去って行った。

苛立ちが爆発し、
手に持っていたビールの缶を玄関のドアに投げつけると、
勢いよくぶつかった金属音が家の中で木霊した。

一体何なんだ!

私が知ってしまった秘密とは一体何なのだろうか!?
いつしか私は「達三」すら憎んだ。
そして、もしかして母の家に侵入したのもあの女の仕業に間違いないと思った。
もしかして母も私と同じ秘密を知っているのだろうか、、。
暫くの間、頭を抱えて座り込んだ。
確か「アサギ」と言う女だった。
私は名刺を拾い、それを見て再び驚愕した!

『株式会社 ジミー・ミュージック・エンタテイメント
代表取締役 浅葱瑠璃子』

え、、!?
「達三」の事じゃないの、、!?
もしかして、、「英司」の事だったの、、!?

私はあの女が
「英司」の所属しているレコード会社の社長と知り言葉を失った、、。


   ***


 季節は十月となりすっかり秋めいて来た。私はこの季節が一番好きだ。
木々の葉も黄色から燃えるような赤色へと変わり始め
少しずつ冬への到来を静かに待つ穏やかな季節。
我家の窓から見える小さな庭の木々も大分、鮮やかに色づいて来た。
「英司」はクローゼットにしまってある冬用のパジャマを探していた。

「あれ~、どこにしまったっけ?」
彼はお風呂から上がりTシャツとトランクスのまま四つん這いになってあちこちを探していた。
そんな姿を見ていると私はとても幸せな気持ちになれた。

「英司くん、ちゃんとあるから心配しないでちょうだい。」
と、私はあらかじめ出しておいた赤いタータンチェックのパジャマを見せると、
彼は私に覆い被さりふざけながらキスをした。
私の伸ばした手は、
彼の熱いペニスが次第に固くなっていく脈を感じた。
そして無防備な姿で四つん這いになった私の後ろから、
彼はその固くなったモノを挿入し、
激しく腰を何度も押し当てやがて勢いよく射精した。

 彼が冷蔵庫から持って来てくれたハイネケンを、
一緒にベッドにもたれながら飲んだ。
私は「英司」とのセックスの後で飲むビールが世界一美味くて大好きだ。

「そろそろツアー始まるんでしょ?」
彼は私に顔を向けた。

「あぁ、二週間くらいかな。でも何だか不思議だよ。今でもさ、ずっと。」
私は彼の言葉を理解した。

「英司が信じて続けて来たからなんじゃない? 今までだって、誰よりも信念を持って頑張って来たからよ。何も恐れることは無いし、あなたがあなたらしく貫けばいいと思う。」
私はそう言ってビールを飲んだ。
彼の手は蛇のように私のヴァギナに触れ、
クリトリスを刺激しゆっくりと潤いを与えた。
私はその潤いの中で何度もオルガズムに達し、
再び挿入された固いペニスから放出された熱い精液を身体中の快楽と共に飲み込んだ。
するとその瞬間、
あの女が言った言葉を思い出した。


「好むと好まざる事とは無関係な事なの。」


   ***


 「浅葱」が再び訪れたのは丁度「英司」がツアーに出発した日の夜だった。
私はこの女にプライヴェートな時間やタイミングを全て見透かされているような気持ちになりウンザリした。
ただ今回の訪問は、玄関のベルを鳴らしてやって来た。
誰だって普通に考えればそれが常識であり、
他人の鍵を勝手に開けて上がり込んだりはしない。
私としても訪ねたい事もあったので家へ招く事とした。

「突然のご訪問で申し訳ありませんが、私共といたしましては早急な解決を望んでおります。」
浅葱はそう言って以前の様に窓辺に立ったまま語った。

「あなたはどうやら、私が思っていた以上に強い志しをお持ちの様ですし、頭も切れる。一見、お綺麗でしなやかそうに見て取れた感じとはお違いな様でいらっしゃいますね。そう思うと流石、『達三』さんと『三岐子』さんのお孫さんだと思わずにはいられません。」
私はしばらくその言葉の意味を考えてから返した。

「愛する人や家族を守る事は、当たり前のことじゃないんでしょうか? それの何が悪いんですか? 
以前もお伝えしましたが、あなたが探しているモノはここにはありません。」
女はしばらく考え込んでから言った。

「よかったら何かウィスキーとかいただけるかしら?」
丁度、私もお酒を飲みたかったので、
キッチンに行き「英司」のボウモワをロックで二つ注ぎ女に渡した。

「あら、私、スコッチが大好きなのよ。」
浅葱はそう言ってゆっくりと一口飲んだ。

「あなたの言う、愛する人を守る為の常識は良く分かりますし理解できます。勿論、私だってあなたと同じ人間であり女ですから。ただ、私があなたにお伝えしたいのは、あなたが守ろうとして判断した事が必ずしもそうではなく、時として傷つけてしまう事もある、と言う事なのです。」
私はボウモワを飲みながらその言葉をゆっくりと時間をかけて飲み込んだ。

「何度も申しますが、あなたの探しているモノや、あなたの言う秘密のモノを私は分かりません。それに今、私の周りで何が起こっていているか分かりませんが、愛する人達を守ろうとする気持ちは全く変わりません。それだけは言えます。」
私は動じる事なく答えた。
浅葱は下を向きゆっくりと首を振りながら呆れた様に話し始めた。

「私には理解できかねます。本当は、何もかも分かっておられる筈です。それがあなたの言う愛する人達を守る事になるのでしょうか? 今更、亡人らが残した過去を守って一体何のメリットがあるのでしょうか? 私共にはそれを終息出来る力と組織があります。世界は今まで通りのままでいられます。」
スコッチのアルコールが私の喉から胃袋へと流れ込んだ。

「もしそれが、世界を変えられるモノであるならば、私は守ります。例え、今私が理解出来ない事だとしても、きっと何らかの意味があるのだろうと信じます。」
浅葱は私を真っ直ぐ見つめた。
その瞳には爆弾投下の指令を出す軍人の様な光が宿った。
私は投下される原子爆弾を前に逃げも隠れも出来ない哀れな無力さを感じずにはいられなかった。

「かしこまりました。それでは、条件を出す事と致します。」
女はまるで第二次世界大戦の上官兵士の様な言い方をして続けた。

「あなた、『澤村英司』とお付き合いされてますね? アーティストの。」
私は目を見開いた。

「つまり『澤村』を国内に於ける音楽業界から追放致します。それが条件となります。」
私の頭は錯乱し今までの話の断片を繋ぎ合わせようと更に混乱した。

「英司をですか、、? どうして彼が関わるんですか! 関係ないじゃないですか!」
私は混乱と驚愕が入り混じりグラグラと揺れる地面に倒れる様に座り込んだ。

私は泣き叫んだ。

「そんなの脅迫でしょ! 脅迫じゃないの! どうして英司が巻き込まれるの!」
浅葱は私の前に立ち寄り上から私を見て言い放った。

「あなた如きが相手に出来る世界じゃないのです。残念ですが。それでもあなたは愛する人達を守れるのかしら?」
私はリビングの床にうつ伏せた顔を女に向けた。

「私は絶対に守る! 守ってみせるわ! でもどうして英司なの!」
私は精神も体力も限界で涙だけが溢れた。
その時「浅葱」は私の髪を優しく撫でながら肩を摩った。

「好むと好まざる事とは無関係な事なのよ。でも、あなたが『澤村』の事を愛し大切にしている事は良く分かっているの。だから期限までに、あなたが知っている事を伝えてくれればいいのよ。」
私はその言葉に反応し咄嗟に浅葱の顔を見つめた。

期限!?

浅葱は私の涙を指で拭って額に優しくキスをした。

「十一月十日までに連絡してちょうだい。それでおしまい。丁度、ベルリンの壁が崩壊される日ね。歴史が変わる日よ。それにその日、日本では満月になるらしいわ。私、あのまん丸いお月様が好きよ。」
私は「浅葱」の優しい腕の中で、
ベルリンに聳え立つ強大な東西を分断した壁を思い起こした。
その夜空には巨大な満月が浮かんでいた。
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