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【第17章】エンタテイメントの未来
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入社して五年目が経ったある日、
私は担当する男性歌手のスケジュール調整に追われ
朝から鳴りっぱなしの電話対応で缶詰状態となっていた。
音楽番組の出演依頼に各種雑誌の取材、
地方公演の日程調整やら、
それはまさに分刻みのタイトな調整であった。
しかしそんな毎日の多忙な仕事でさえ、
私にとっては生き甲斐のある仕事である事は言うまでもない。
ただ、西暦は一九七〇年になり
既に三十歳にも関わらず未だ独身である事を除けばだ、、。
戦時中の貧しい疎開先に於いて
幼い頃から音楽に興味を持ち始めた私は
空襲警報に怯えながらも真空管ラジオから流れる音楽に魅了された。
戦後のある日、
東京に戻った私は町に駐在していた米兵から
チョコレートと一枚のレコードをもらった。
その「フランシス・クレイグ」の『ニア・ユー』が
私の人生を一瞬にして変えた事は間違いのない事だった。
以来、私は復興していく東京の模様と同時に
様々な音楽を聴き漁るようになり、
五十年代に入ると
「ビル・ヘイリー」や「エルヴィス・プレスリー」
「チャック・ベリー」などのロックンロールサウンドに衝撃を受け、
いつしか将来はそのような音楽に携わる仕事を夢見るようになった。
しかし現実は厳しく、
思い描いた仕事に就ける術もなかった。
高等学校を卒業し結局就いたエンターテイメントの仕事はキャバレーだったが、
当時にしてはそこそこな美貌と長身だった私は
訪れる男達の注目を浴びる事となり
次第に頭角を現し、
時折ステージで歌も歌わせてもらえるようになった。
裸同然の下着の上から黒と赤のファーの着いたレースの衣装を纏い
洋楽のブルースなどを歌ってはいたが、
そんなものには誰も興味を持つ者は一人もおらず、
ただ男達は私の肉体だけを求め舐め回すように見つめるだけだった。
時折、仕事の後に会う男達から得た金銭は
チップよりもはるかに高額で私の生活は幾分潤いのある毎日でもあり、
いつしか私は女として稼ぐ術を身につけていた。
そんな下衆な男達を相手にただ毎日を繰り返し数年が過ぎたある日、
銀座の某有名なクラブのママからオファーを頂き、
それまでのやさぐれた生活から脱出をする事ができた。
しかしながら益々エンタテイメントとは無縁の世界での仕事である事は言うまでもなかったが、
富裕層を相手の仕事という事もあり、
ある時、そのチャンスはやってきた。
店を訪れた男は六〇代ほどのどっしりとした体格の男だったが、
身に付けている物は何もかもが見るからに高級品だった。
ビロードのソファーに座った男に
ボトルキープされていたブランデーを運ぶようにママに言われ私は
すぐに棚から男の名前の札がぶら下がったボトルを手にした。
そこに記されていた『杉田様』と言う札を今でもハッキリと覚えている。
私はママと反対側のソファに座ると
男はブランデーのロックを美味そうに飲み干した。
二杯目のロックをお作りしている途中、
ママは機嫌が良さそうな男に私を紹介してくれた。
すると男は私の爪先から顔をまじまじと眺めてから言った。
「ほぉ~。あんたはなかなか綺麗な顔をしているな。背も高いしまるで海外の女優さんのようだ!」
私は男にお礼を言うと続いてママがその男の事を紹介し始めた。
「こちらの杉田様は一代で築いた大手電機メーカーの社長様なのよ。」
私は納得して頷くと男が饒舌に語り出した。
「いえいえ、大した会社ではありませんが戦後の復興も相まって急成長している次第です。まさにエンタテイメント需要が増えた事による恩恵を受けている事にほかなりません。」
私は咄嗟に反応した。
「エンタテイメントですか?」
すると男は興味を持った私に気付き得意そうに続けた。
「そうです。エンタテイメントです。今の日本、いやこれからの日本はまさにエンタテイメント産業が重要である事は間違いありません。それを見据えて現在当社では主にシステマチックされた音響のステレオや関連する機器を考案し製作、販売しているところです。音楽は勿論、テレビ放送なども今後もっと重要視され人々の生活に欠かす事の出来ない世界になっていくと思っております。」
私はすっかり感心して男の話を聞き続けた。
気がつくとママは他のお客様のテーブルに移動し
楽しそうに一緒に日本酒を飲んでいた。
次第に酔いが回り始め
顔を赤らめながら私の腰に手を回し撫で回すようにお尻に手を伸ばす男の側で私は決心した。
この男こそモノにしなければならない、と。
帰り際、タクシーまで見送った私に
酒臭い息で唇を重ねてきた男は私に名刺を渡し
「いつでも連絡してくれ。」と言い立ち去って行った。
以来、私と男の関係は始まり月に二、三度は密会するようになった。
大抵は浅草界隈の隠れた料亭で食事を共にし、
その後にひっそりとした連れ込み旅館でセックスを繰り返した。
男にはその巨大な地位と同時に家族もあった事を承知し、
私は何一つ文句も言わずただチャンスだけを伺っていた。
回を重ねる毎に次第に男は会社や家族の話をするようになり
同時に男のプライベートや悩みを知る事となった。
ところがその息子こそが、
後の私にもたらしたチャンスそのものであった。
男はベッドから出ると
萎えたペニスを手拭いで拭きながらビールを飲んだ。
「実は、うちのレコード会社の方が色々と面倒な事が起こっているようでな、、。」
私は後ろから抱きついて乳房を押し当てながら答えた。
「何が厄介なのかしら? 杉田様ならきっと上手くやっていけるのではありませんか?」
男は眉間に皺を寄せながら私の方を振り向いた。
「それがな、そっちは息子が代表をしているんだが、、どうしたもんかと、、。」
私は首を傾げた。
「単なる道楽でな。息子がやりたいってきかないもんだから始めたようなもんで、私の仕事は勿論、経営や音楽にすらからっきし知識も興味もないバカ息子だ。育て方が悪かったせいでただの酒と女好きなボンボン息子になってしまった、、。あいつの尻拭いにも疲れてきたもんだ、、。」
私は可笑しくなってクスクスと笑い出した。
「あら、でもあなたの息子さんならきっと何かお持ちなんじゃないかしら。私はそう思いますわよ。実際、日本でも代表的な歌手が沢山おられるじゃないですか。素晴らしい仕事ですし、何よりも自慢の息子さんですわ!」
男は私をマジマジと見つめると
嬉しそうにビールを飲み干し
「そうであって欲しいもんだ。」と大声で笑った。
私は男の耳元に熱い息を吹きかけながら静かに囁いた。
「私のお願いもお忘れにならないでくださいね。」
男は振り返り私の乳房にむしゃぶりつきながら息をあげて何度も言った。
「分かってる。約束は必ず果たす。」と。
***
時計の針は既に夜の九時を過ぎていた。
あれこれとスケジュールの調整もやっと終え
デスクを整えながらタバコに火をつけて帰り支度をし始めた時、
突然背後から女の声がした。
「お疲れ様。浅葱さん、ちょっとよろしいかしら。」
私は咄嗟に振り向きその女の姿を見て急いでタバコの火を灰皿にもみ消した。
「鴫野さん!?」
社長秘書の彼女がどうしてここに!?
私は困惑しながら答えた。
「はい、大丈夫です!」
彼女は優しい眼差しで私を見つめた。
「こんな時間にごめんなさいね。タバコ吸ってもよろしくてよ。」
私は緊張でただ彼女の前に立ちつくした。
すると彼女は見た事もない細長いタバコに火をつけ一口吐いてから話した。
「実はあなたに大切な相談があるの。」
私は混乱しながら彼女が吐くハッカの香りのするタバコの煙を僅かに吸った。
すると彼女は驚く事を告げた。
「来月から私の下で一緒に働いていただけるかしら? 勿論、あなた次第でもあるけど、社長には伝えてあるのよ。あなたが相応しいと。」
私は身体中の震えを抑えながらやっと声に出した。
「私が社長の下で働くという事でしょうか?」
彼女は腕を組んで頷いた。
「そうよ。ただ当面は私の直属の部下って事になるけど、どうかしら?」
私はそれまでの緊張と混乱が吹き飛び高揚し迷う事なく答えた。。
「是非やらせて下さい!」
私が踵を返し返答すると彼女は私の肩に手を乗せた。
「それじゃ決まりね。あなたならやれるわ。明日から引き継ぎをしっかり終えてちょうだい。」
鴫野はそう告げるとタバコを灰皿に揉み消し
真っ赤なハイヒールをカツカツとリズムよく刻みながら部屋を出て行った。
その完璧なスタイルに張り付いたような真っ白なタイトなスーツの後ろ姿を惚れ惚れと眺めた私は
急に疲れが押し寄せ椅子に勢いよく座り込みタバコに火をつけて肺の奥深くまで吸い込んだ。
翌月、全ての引き継ぎを無事に終え
私は早速「鴫野」の元にて仕事を開始した。
流石、一流レコード会社の敏腕な社長秘書だけあり、
彼女は何に於いても完璧な女性だった。
その美しい容姿に身なり、言葉使いに振る舞い、
そして何よりも頭の回転がずば抜けていたが、
どこまでも優しさを持った人物であった。
私は初めて理想の上司にめぐり合い、それが女性である事に特に興味を抱いた。
同時に彼女の全てを吸収し、
このような仕事の出来る女性になりたいと心から思った。
私はとにかく必死に仕事を覚え、
彼女のサポートに徹底し何一つ落ち度の無いように心がけ
常に完璧な仕事をこなすようにした。
時折、彼女は
「無理は禁物よ。」と優しくアドバイスをくれたりもしたが、
だからこそ私はどんな事でも一生懸命頑張る事が出来た。
ただ、社長の「杉田富治郎」に於いては以前、
愛人だった父親が言っていた通りのどうしようもないグウタラな男だという事をまざまざと知る事となった。
ある夜、
時計の針は既に十時を回っていた。
すると珍しくほろ酔いの「鴫野」が現れ
「あなた未だ仕事してるの?」と呆れたように言った。
「鴫野さん、とっくにお帰りになられたと思ってましたよ。」
私が振り向いて言うと、
彼女は棚から社長のオールド・パーを取り出し二つのグラスに氷を入れて注いだ。
「はい、どうぞ。もう終わりにして少し話でもしましょう。」
そう言って彼女はグラスの氷をカランっと鳴らし来客用のソファーに腰掛けた。
軽くデスクを片ずけ彼女の向かいのソファーに腰掛けた私は
向かいで足を組んでスコッチを飲む完璧な姿を惚れ惚れしながら眺めた。
「もう三十七年よ、この会社に入社してね。自分でも驚きね。」
私は間もなく定年を迎え退社する彼女に少し悲しさと残念さを感じた。
すると彼女は少し考え込んでから話し始めた。
「あなたに話しておきたい事があるの。」
私は静かに頷き続きを待った。
「杉田の事よ。あのどうしようもないバカ息子の事。」
私は驚いた。
社長に対してそんな言いようをする彼女を初めて垣間見たのだ。
鴫野はタバコに火をつけてゆっくりと吸い込んだ。
「杉田がどういう男かって事は既にあなたも分かってると思うけど、社長だなんてただの肩書きだけでクズみたいな男よ。あんな最低な男は見た事もないわ!」
彼女は珍しく捲し立てるとスコッチを飲んで大きく息を吐いた。
「特に女性に対しては、ただの道具か自分の欲求を満たすだけのモノとしか考えていないし、実際に今までも沢山の尻拭いをさせられてきたわ。一流企業を盾にお金と権力だけで何でもやりたい放題。どれだけの会社や女性が泣き寝入りしてきたと思う? でもね、そんな杉田に対して昔、一人だけ真正面から怒鳴り込んで来た男性がいたの。」
私は驚いてポケットからタバコを取り出し火をつけた。
「三十五年前、会社が出来て二年目くらいに愛人を妊娠させたのよ。ところが杉田は認知どころかその女性を見切り捨てた挙句に生まれた子供を奪って里子に出したのよ! なんて最低な男! 杉田はそれでおしまいと思っていたみたいだけど、ある日その件に対して男が怒鳴り込んで来たわ。わざわざ東京にまで訪れて。」
私はその男を感心し相当な思いであった事を感じた。
「今でも彼がこの会社を訪れた時の事をハッキリと覚えてるわ。私が一階のソファーに迎えに行った時、彼の全身は緊張で震え顔がこわばっていた。何処にでもいるような本当に普通な男性だったの。でも杉田を目の前にした瞬間、彼は鬼のような形相に変わって詰め寄った。その勢いに流石の杉田も怯んで後ずさっていたわね。もぅ一切関わるな! と何度も詰め寄って彼は杉田に念書まで書かせた。」
私はその話に完全に前のめりになって聞き
タバコを吸うことすら忘れていた。
「念書ですか? その女性との関わりを断つという約束の、、。」
鴫野は私を真っ直ぐと見つめた。
その瞳からはいつもより強い眼光を感じた。
「そうね。確かに。でも杉田も自分の立場を考えると厄介な問題だと悟った様で結局、子供だけは渡さなかった。それを条件に念書に刻印したのよ。紙の証拠は残さざるをなかったけど、実体である証拠の子供はサッサと里子に出して消滅させたかったってわけ。何処までも最低な男よ!」
「鴫野さんはその模様をずっと見ていらしたんですか?」
彼女は大きく溜息をついた。
「そうよ。私もその念書に立会人として署名をして刻印をしたわ。」
私は話の重大さを少しずつ感じ始めた。
「つまり、それは今も残っていると言う事なのでしょうか、、?」
私が生唾をゴクリと音を立てて飲むと、
彼女は少し笑みを浮かべて落ち着いた様子で語り出した。
「そうよ。恐らく杉田自身はとっくに燃やしたかなんかで隠滅してるでしょうけど、彼はきっと持ち続けているでしょうね。杉田の事だからいつまた恐喝なんかされてもおかしくないでしょうから。でもね、それだけじゃないのよ。」
私は瞬きすら忘れ彼女の言葉を待った。
「時代は変わるわ。いえ、誰かが変えなければならないの。私かもしれないし、もしかしたらあなたかもしれないわね。」
私はその言葉の意味を長い時間考え彼女に聞いた。
「それはもしかして、、。」
私は彼女が考えているだろう事を思い全身が硬直した。
すると鴫野は立ち上がり部屋の窓を開け夜空を見上げながらスコッチを口にした。
「好むと好まざるとは無関係な事。あなたは何も知らなくていいのよ。」
私は月明かりで逆行に映し出された
彼女の美しいラインの影を見つめた。
私は担当する男性歌手のスケジュール調整に追われ
朝から鳴りっぱなしの電話対応で缶詰状態となっていた。
音楽番組の出演依頼に各種雑誌の取材、
地方公演の日程調整やら、
それはまさに分刻みのタイトな調整であった。
しかしそんな毎日の多忙な仕事でさえ、
私にとっては生き甲斐のある仕事である事は言うまでもない。
ただ、西暦は一九七〇年になり
既に三十歳にも関わらず未だ独身である事を除けばだ、、。
戦時中の貧しい疎開先に於いて
幼い頃から音楽に興味を持ち始めた私は
空襲警報に怯えながらも真空管ラジオから流れる音楽に魅了された。
戦後のある日、
東京に戻った私は町に駐在していた米兵から
チョコレートと一枚のレコードをもらった。
その「フランシス・クレイグ」の『ニア・ユー』が
私の人生を一瞬にして変えた事は間違いのない事だった。
以来、私は復興していく東京の模様と同時に
様々な音楽を聴き漁るようになり、
五十年代に入ると
「ビル・ヘイリー」や「エルヴィス・プレスリー」
「チャック・ベリー」などのロックンロールサウンドに衝撃を受け、
いつしか将来はそのような音楽に携わる仕事を夢見るようになった。
しかし現実は厳しく、
思い描いた仕事に就ける術もなかった。
高等学校を卒業し結局就いたエンターテイメントの仕事はキャバレーだったが、
当時にしてはそこそこな美貌と長身だった私は
訪れる男達の注目を浴びる事となり
次第に頭角を現し、
時折ステージで歌も歌わせてもらえるようになった。
裸同然の下着の上から黒と赤のファーの着いたレースの衣装を纏い
洋楽のブルースなどを歌ってはいたが、
そんなものには誰も興味を持つ者は一人もおらず、
ただ男達は私の肉体だけを求め舐め回すように見つめるだけだった。
時折、仕事の後に会う男達から得た金銭は
チップよりもはるかに高額で私の生活は幾分潤いのある毎日でもあり、
いつしか私は女として稼ぐ術を身につけていた。
そんな下衆な男達を相手にただ毎日を繰り返し数年が過ぎたある日、
銀座の某有名なクラブのママからオファーを頂き、
それまでのやさぐれた生活から脱出をする事ができた。
しかしながら益々エンタテイメントとは無縁の世界での仕事である事は言うまでもなかったが、
富裕層を相手の仕事という事もあり、
ある時、そのチャンスはやってきた。
店を訪れた男は六〇代ほどのどっしりとした体格の男だったが、
身に付けている物は何もかもが見るからに高級品だった。
ビロードのソファーに座った男に
ボトルキープされていたブランデーを運ぶようにママに言われ私は
すぐに棚から男の名前の札がぶら下がったボトルを手にした。
そこに記されていた『杉田様』と言う札を今でもハッキリと覚えている。
私はママと反対側のソファに座ると
男はブランデーのロックを美味そうに飲み干した。
二杯目のロックをお作りしている途中、
ママは機嫌が良さそうな男に私を紹介してくれた。
すると男は私の爪先から顔をまじまじと眺めてから言った。
「ほぉ~。あんたはなかなか綺麗な顔をしているな。背も高いしまるで海外の女優さんのようだ!」
私は男にお礼を言うと続いてママがその男の事を紹介し始めた。
「こちらの杉田様は一代で築いた大手電機メーカーの社長様なのよ。」
私は納得して頷くと男が饒舌に語り出した。
「いえいえ、大した会社ではありませんが戦後の復興も相まって急成長している次第です。まさにエンタテイメント需要が増えた事による恩恵を受けている事にほかなりません。」
私は咄嗟に反応した。
「エンタテイメントですか?」
すると男は興味を持った私に気付き得意そうに続けた。
「そうです。エンタテイメントです。今の日本、いやこれからの日本はまさにエンタテイメント産業が重要である事は間違いありません。それを見据えて現在当社では主にシステマチックされた音響のステレオや関連する機器を考案し製作、販売しているところです。音楽は勿論、テレビ放送なども今後もっと重要視され人々の生活に欠かす事の出来ない世界になっていくと思っております。」
私はすっかり感心して男の話を聞き続けた。
気がつくとママは他のお客様のテーブルに移動し
楽しそうに一緒に日本酒を飲んでいた。
次第に酔いが回り始め
顔を赤らめながら私の腰に手を回し撫で回すようにお尻に手を伸ばす男の側で私は決心した。
この男こそモノにしなければならない、と。
帰り際、タクシーまで見送った私に
酒臭い息で唇を重ねてきた男は私に名刺を渡し
「いつでも連絡してくれ。」と言い立ち去って行った。
以来、私と男の関係は始まり月に二、三度は密会するようになった。
大抵は浅草界隈の隠れた料亭で食事を共にし、
その後にひっそりとした連れ込み旅館でセックスを繰り返した。
男にはその巨大な地位と同時に家族もあった事を承知し、
私は何一つ文句も言わずただチャンスだけを伺っていた。
回を重ねる毎に次第に男は会社や家族の話をするようになり
同時に男のプライベートや悩みを知る事となった。
ところがその息子こそが、
後の私にもたらしたチャンスそのものであった。
男はベッドから出ると
萎えたペニスを手拭いで拭きながらビールを飲んだ。
「実は、うちのレコード会社の方が色々と面倒な事が起こっているようでな、、。」
私は後ろから抱きついて乳房を押し当てながら答えた。
「何が厄介なのかしら? 杉田様ならきっと上手くやっていけるのではありませんか?」
男は眉間に皺を寄せながら私の方を振り向いた。
「それがな、そっちは息子が代表をしているんだが、、どうしたもんかと、、。」
私は首を傾げた。
「単なる道楽でな。息子がやりたいってきかないもんだから始めたようなもんで、私の仕事は勿論、経営や音楽にすらからっきし知識も興味もないバカ息子だ。育て方が悪かったせいでただの酒と女好きなボンボン息子になってしまった、、。あいつの尻拭いにも疲れてきたもんだ、、。」
私は可笑しくなってクスクスと笑い出した。
「あら、でもあなたの息子さんならきっと何かお持ちなんじゃないかしら。私はそう思いますわよ。実際、日本でも代表的な歌手が沢山おられるじゃないですか。素晴らしい仕事ですし、何よりも自慢の息子さんですわ!」
男は私をマジマジと見つめると
嬉しそうにビールを飲み干し
「そうであって欲しいもんだ。」と大声で笑った。
私は男の耳元に熱い息を吹きかけながら静かに囁いた。
「私のお願いもお忘れにならないでくださいね。」
男は振り返り私の乳房にむしゃぶりつきながら息をあげて何度も言った。
「分かってる。約束は必ず果たす。」と。
***
時計の針は既に夜の九時を過ぎていた。
あれこれとスケジュールの調整もやっと終え
デスクを整えながらタバコに火をつけて帰り支度をし始めた時、
突然背後から女の声がした。
「お疲れ様。浅葱さん、ちょっとよろしいかしら。」
私は咄嗟に振り向きその女の姿を見て急いでタバコの火を灰皿にもみ消した。
「鴫野さん!?」
社長秘書の彼女がどうしてここに!?
私は困惑しながら答えた。
「はい、大丈夫です!」
彼女は優しい眼差しで私を見つめた。
「こんな時間にごめんなさいね。タバコ吸ってもよろしくてよ。」
私は緊張でただ彼女の前に立ちつくした。
すると彼女は見た事もない細長いタバコに火をつけ一口吐いてから話した。
「実はあなたに大切な相談があるの。」
私は混乱しながら彼女が吐くハッカの香りのするタバコの煙を僅かに吸った。
すると彼女は驚く事を告げた。
「来月から私の下で一緒に働いていただけるかしら? 勿論、あなた次第でもあるけど、社長には伝えてあるのよ。あなたが相応しいと。」
私は身体中の震えを抑えながらやっと声に出した。
「私が社長の下で働くという事でしょうか?」
彼女は腕を組んで頷いた。
「そうよ。ただ当面は私の直属の部下って事になるけど、どうかしら?」
私はそれまでの緊張と混乱が吹き飛び高揚し迷う事なく答えた。。
「是非やらせて下さい!」
私が踵を返し返答すると彼女は私の肩に手を乗せた。
「それじゃ決まりね。あなたならやれるわ。明日から引き継ぎをしっかり終えてちょうだい。」
鴫野はそう告げるとタバコを灰皿に揉み消し
真っ赤なハイヒールをカツカツとリズムよく刻みながら部屋を出て行った。
その完璧なスタイルに張り付いたような真っ白なタイトなスーツの後ろ姿を惚れ惚れと眺めた私は
急に疲れが押し寄せ椅子に勢いよく座り込みタバコに火をつけて肺の奥深くまで吸い込んだ。
翌月、全ての引き継ぎを無事に終え
私は早速「鴫野」の元にて仕事を開始した。
流石、一流レコード会社の敏腕な社長秘書だけあり、
彼女は何に於いても完璧な女性だった。
その美しい容姿に身なり、言葉使いに振る舞い、
そして何よりも頭の回転がずば抜けていたが、
どこまでも優しさを持った人物であった。
私は初めて理想の上司にめぐり合い、それが女性である事に特に興味を抱いた。
同時に彼女の全てを吸収し、
このような仕事の出来る女性になりたいと心から思った。
私はとにかく必死に仕事を覚え、
彼女のサポートに徹底し何一つ落ち度の無いように心がけ
常に完璧な仕事をこなすようにした。
時折、彼女は
「無理は禁物よ。」と優しくアドバイスをくれたりもしたが、
だからこそ私はどんな事でも一生懸命頑張る事が出来た。
ただ、社長の「杉田富治郎」に於いては以前、
愛人だった父親が言っていた通りのどうしようもないグウタラな男だという事をまざまざと知る事となった。
ある夜、
時計の針は既に十時を回っていた。
すると珍しくほろ酔いの「鴫野」が現れ
「あなた未だ仕事してるの?」と呆れたように言った。
「鴫野さん、とっくにお帰りになられたと思ってましたよ。」
私が振り向いて言うと、
彼女は棚から社長のオールド・パーを取り出し二つのグラスに氷を入れて注いだ。
「はい、どうぞ。もう終わりにして少し話でもしましょう。」
そう言って彼女はグラスの氷をカランっと鳴らし来客用のソファーに腰掛けた。
軽くデスクを片ずけ彼女の向かいのソファーに腰掛けた私は
向かいで足を組んでスコッチを飲む完璧な姿を惚れ惚れしながら眺めた。
「もう三十七年よ、この会社に入社してね。自分でも驚きね。」
私は間もなく定年を迎え退社する彼女に少し悲しさと残念さを感じた。
すると彼女は少し考え込んでから話し始めた。
「あなたに話しておきたい事があるの。」
私は静かに頷き続きを待った。
「杉田の事よ。あのどうしようもないバカ息子の事。」
私は驚いた。
社長に対してそんな言いようをする彼女を初めて垣間見たのだ。
鴫野はタバコに火をつけてゆっくりと吸い込んだ。
「杉田がどういう男かって事は既にあなたも分かってると思うけど、社長だなんてただの肩書きだけでクズみたいな男よ。あんな最低な男は見た事もないわ!」
彼女は珍しく捲し立てるとスコッチを飲んで大きく息を吐いた。
「特に女性に対しては、ただの道具か自分の欲求を満たすだけのモノとしか考えていないし、実際に今までも沢山の尻拭いをさせられてきたわ。一流企業を盾にお金と権力だけで何でもやりたい放題。どれだけの会社や女性が泣き寝入りしてきたと思う? でもね、そんな杉田に対して昔、一人だけ真正面から怒鳴り込んで来た男性がいたの。」
私は驚いてポケットからタバコを取り出し火をつけた。
「三十五年前、会社が出来て二年目くらいに愛人を妊娠させたのよ。ところが杉田は認知どころかその女性を見切り捨てた挙句に生まれた子供を奪って里子に出したのよ! なんて最低な男! 杉田はそれでおしまいと思っていたみたいだけど、ある日その件に対して男が怒鳴り込んで来たわ。わざわざ東京にまで訪れて。」
私はその男を感心し相当な思いであった事を感じた。
「今でも彼がこの会社を訪れた時の事をハッキリと覚えてるわ。私が一階のソファーに迎えに行った時、彼の全身は緊張で震え顔がこわばっていた。何処にでもいるような本当に普通な男性だったの。でも杉田を目の前にした瞬間、彼は鬼のような形相に変わって詰め寄った。その勢いに流石の杉田も怯んで後ずさっていたわね。もぅ一切関わるな! と何度も詰め寄って彼は杉田に念書まで書かせた。」
私はその話に完全に前のめりになって聞き
タバコを吸うことすら忘れていた。
「念書ですか? その女性との関わりを断つという約束の、、。」
鴫野は私を真っ直ぐと見つめた。
その瞳からはいつもより強い眼光を感じた。
「そうね。確かに。でも杉田も自分の立場を考えると厄介な問題だと悟った様で結局、子供だけは渡さなかった。それを条件に念書に刻印したのよ。紙の証拠は残さざるをなかったけど、実体である証拠の子供はサッサと里子に出して消滅させたかったってわけ。何処までも最低な男よ!」
「鴫野さんはその模様をずっと見ていらしたんですか?」
彼女は大きく溜息をついた。
「そうよ。私もその念書に立会人として署名をして刻印をしたわ。」
私は話の重大さを少しずつ感じ始めた。
「つまり、それは今も残っていると言う事なのでしょうか、、?」
私が生唾をゴクリと音を立てて飲むと、
彼女は少し笑みを浮かべて落ち着いた様子で語り出した。
「そうよ。恐らく杉田自身はとっくに燃やしたかなんかで隠滅してるでしょうけど、彼はきっと持ち続けているでしょうね。杉田の事だからいつまた恐喝なんかされてもおかしくないでしょうから。でもね、それだけじゃないのよ。」
私は瞬きすら忘れ彼女の言葉を待った。
「時代は変わるわ。いえ、誰かが変えなければならないの。私かもしれないし、もしかしたらあなたかもしれないわね。」
私はその言葉の意味を長い時間考え彼女に聞いた。
「それはもしかして、、。」
私は彼女が考えているだろう事を思い全身が硬直した。
すると鴫野は立ち上がり部屋の窓を開け夜空を見上げながらスコッチを口にした。
「好むと好まざるとは無関係な事。あなたは何も知らなくていいのよ。」
私は月明かりで逆行に映し出された
彼女の美しいラインの影を見つめた。
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では、お楽しみください。

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