答えの出口

藤原雅倫

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【第10章】僕しか知らない場所

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 僕が三杯目のラムを注文すると
向かいに座る柳沢も同じものをバーテンに頼んだ。

杉森舞のレコーディングも無事に終わり、
デビューリリースの前祝いも兼ねて久しぶりに二人で飲んでいる。

「オマエは相変わらず酒に強いな。」
彼は赤い顔で言った。

僕たちは昔のように何軒かハシゴして朝まで飲み続けた。
二人とも足はふらふらだったが
僕の飲む気だけは満々だったので
お互い肩に手を回して支え合うように次の店に転がり込んだ。

僕はビールを
彼はもうダメだと言うお決まりの合図でもあるジンライムを注文した。

「もう酔っぱらったよ。でもオマエのお陰でいい曲が出来た。感謝!」
柳沢は上半身を左右に降りながら手にした酒に口もつけずに言った。

「そう言ってもらえて俺も嬉しいよ。オマエとは長い付き合いだからなぁ。」
そう言いながら僕はケラケラと笑った。

「だってさ、まさかあの子が美樹子の教え子だったなんて驚いたよ! オマエも知ってたんだろう。なんで早く教えてくれなかったんだよ。やっとあの子に目をつけた意味が分かったしさ。」
すると柳沢は一瞬蒼白し僕を見つめた。

「知ってたのか、、?」
急に真面目くさった顔を見て僕は笑いながら答えた。

「あの子が俺のCDを見せて教えてくれたよ。ま、お母さんがファンだったってのには少し複雑な気分だったけど、考えてみればもうそういう年だしな。」
彼は苦笑いをしながらジンライムを一口飲みゆっくりとした口調で言った。

「でも彼女な、、。確か、、。」
そこまで言い、
言葉を詰まらせた姿を見て僕は声を出して笑った。

「美樹子が死んだって話か? そりゃ俺もその噂話を聞いて驚いたよ!」
柳沢はそう楽天的に言った僕を不思議そうに眺め
やがて首を傾げながら言った。

「オマエ、何とも思わないのかよ。死んだんだろぅ? 昔の彼女が、、。」
そう言うとグラスをテーブルに置いた。

「バカだなぁ。それって学校の噂だろ? 彼女は生きてるよ。」
柳沢は驚いた様子で顔を上げた。

「生きてる? でも舞ちゃんは死んだって言ってたぜ。確かに噂っては言ってたけど、、。でもなんで生きてるって言えるんだよ?」
僕はビールを飲み干して彼の顔を覗き込んだ。

「美樹子からメールがきたんだ。」
柳沢は信じられないという表情で僕を見つめた。

「驚いたよ。オマエ今も連絡とってたんだ!」
二杯目のビールを飲みながら
僕は幾分酔いが覚めはじめた状態で説明した。

「この二ヶ月くらいかな。急にメールをくれたんだよ。最初は誰だか分からなかったんだけど、最近それが彼女だって分かったんだ。俺だって驚いたよ。」

「そっかぁ。で、やり直したのか?」
僕はしばらく店の狭い空間を眺めた。

「いや、そういう訳ではないよ。ただメールのやりとりをしてるだけさ。」
すっかり酔いが覚めた柳沢は興味津々でその話に食いついた。

「彼女、結婚してるのか? 確か男と帯広に行ったよな。」
僕はおどけながら答えた。

「そうだな。確かに男と行ったねぇ。」
柳沢は推理探偵のように目を輝かせて言った。

「でもメールをよこした。それも五年、いや六年か? とにかく今になって連絡したって事だろう?」

「そういうことだな。六年振りに彼女はメールをくれた。それは確かだ。」

「でも何で今になって連絡してきたんだと思う?」

「そんなの分かんねぇよ。たまたま気がむいたのかもしれないし、懐かしくなったのかもしれないし。誰だってそういう事あるだろ。勝手な俺の想像だけど、もしかして離婚したとかね。」
柳沢は腕を組んで何度も頷いた。

「そうだよ、きっと別れたんだよ。女の心理なんてそういうもんさ。だからメールしたんじゃないか? あの泥沼の日々が懐かしくなったんじゃないか?」
僕は複雑な気持ちで彼をみやった。

「泥沼ってなんだよ、もう昔の話だぜ。お互いに懐かしいって思ってればいいけどな、勿論、、。」
そう言葉を詰まらせた俺にすかさず彼は言った。

「エリも含めて、、か?」
僕はしばらく言葉を失った。

「とにかく彼女は生きてるって事だよ。間違いない。」
テーブルに運ばれて来た酒を流し込み
僕らはしばし店内に流れる音楽に耳を傾けた。
冷たいハイネケンの緑色のビンを眺めながら
僕は正直に言った。

「実は先日、彼女に会いたいって返信したんだ。」
柳沢はグラスに搾ったライムをゆっくりとテーブルに置いた。

「そうかぁ。でもその気持ち分かるよ。」
薄暗いバーの店内は既に数席ばかりの客しか残っていない。

「でもな、たまたまかもしれないだろ? 俺たちの推理なんて無意味だし、今更会ってどうにかなるのか? それにもう終わった話じゃないか。きっとエリとだって会ってるんだろう? ただの友達でいればいいんじゃないか。」
僕は先日再会したエリの事を思い出していた。

「今のままでいいじゃないか。のんびり仕事してまた新しい女でも見つければいい。昔にしがみつく事なんて必要ないと思う。無意味だよ、そんなの。」
テーブルにアタマをひれ伏して彼は言った。

確かにそうだ。

柳沢の言う通り今の生活や仕事に不満なんてひとつも無い。
でも今の俺はどうしても
あの署名の無い彼女からのメールが届いて以来何かが変わったのだ。
いや実際、
あの頃に引き戻されたかのようだ。

気がつくと向かいの柳沢は僕の顔を見つめていた。
その目を見返して僕は口を開いた。


「答えが知りたいんだよ。」

彼は珍しく俺のタバコに火をつけ眉間に皺をよせてそれを一口吸った。


「答え?」


僕は彼から煙草を取り上げてゆっくりと吸い天井に煙の輪を飛ばした。


「そう、俺自身の答えの出口みたいなもんをさ。」


 朝方五時を回った薄暗い店内で
僕たちは静かに向かい合い互いのグラスを合わせ一気に飲み干した。


   ***


 十一月に入り、
すっかり寒さも増した。
そろそろガスヒーターでも出したいくらいだ。
美樹子からのメールも途絶え既に二週間が経った。
僕は今更ながら「会いたい。」と返信した軽卒なメールを悔やみ嫌悪を抱いていた。
そもそもこんな話が上手く進む訳がないのだ。
僕は再び自分の生活を取り戻す為にカーテンを開き窓を開けた。
震えるほどの冷たい風が部屋中に吹き込んだ。


 日比谷線の入谷駅までのんびり歩き僅か一駅の上野で降りた。
特に行きたい所があった訳ではなかったが近場でリラックスしたかった。
普段利用している銀座線とは違うホームに戸惑いながら
やっと改札を出た僕は自然と上野公園を目指していた。
マルイの地下入り口を周り中央口に出てしまった僕は
浅草口を出てエスカレーターで上に昇った。
その上にそびえ立つジャイアントパンダの前に辿り着いた僕は
囲われた透明板に顔を押し付けてしばらくそれを眺めた。

一体、
誰がこれを作りどうやって構内から此処へ運んだのだろう?

そんな自分の中の七不思議のひとつを考えながら携帯で写真を撮った。


 パンダ橋を渡り公園を歩く。
両端の木々はすっかり葉も枯れ落ち寒々しく立ち並んでいた。
噴水の手前に集まる人だかりを見つけ僕もそこへ向かった。
見れば小さいイスを十数段も重ねた上で
中国人の女の子がパフォーマンスを繰り広げている。
ピタリとした真っ白いレオタードを身にまとった少女は
営業スマイルをしながら十メートルはあるであろう高さのイスに片手で逆立ちをして
両足をヴイの字に広げて見せた。
周囲の観客が一斉に拍手する中、
彼女は重ねられたイスをバランスよくひとつずつ取払い
ゆっくりと地上へ降り立った。
僕はそこまで見ると急に思い立ったように来た道を引き返し
『国立科学博物館』へ向かった。

リニューアルされたその素晴らしい建造物をしばらく眺め、
変わらないディーゼル機関車の横を通り地下の受付へ向かった。

 地球館のエスカレーターを昇り三階奥にあるフロアを目指す。
辿り着いたそこにある神秘的な世界中の動物たちの剥製。
僕は時折ここを訪れる。
既に生命を失った生き物たちが整然と並べられたここの空間、
そしてまるで死の世界に訪れたかのような感覚。
微動だにしない巨大な動物達は息をする事も無くそれでいて生々しく一斉に僕を見つめる。
その中央でひと際大きくそびえ立つトナカイ。
空に向かって勇ましく掲げたかのような角をまとった巨体は
まるですぐにでも僕に向かって走り出しそうな威圧を感じた。

彼らの身体は今もこうして残っている。

それはまるで全てを受け入れたかのような義眼をもって僕を見つめる。
まるで彼らが生きてきた記憶を垣間見るかのように。

 僕は今、
何処に向かっているのだろうか?


トナカイ君、
君の背中に乗って何処かえ行ってみたいよ。
そこにはサンタクロースでもいるのかな?


 家に戻り缶ビールを飲みながらメールボックスを開いた。
すると美樹子からのメッセージが届いていた。
しばらくソファで酒を流し込み数時間過ごしてからやっとそれをクリックした。


>ありがとう
 あなたの言葉、とても嬉しかった。
 私も会いたいのよ。
 でも、
 私から会いに行けないの。
 ごめんなさい。


 そのメールを何度も読み返した僕は意を決してすぐに返信をした。


>こちらこそありがとう
 先日送ったメールをずっと悔やんでいたんだ。
 でも同じ気持ちだった事がとても嬉しいよ。
 君が会いに来れないのなら、俺の方からでも会いに行きたいと思っている。
 まだ帯広にいるのかい。
 それと、あの彼とは別れたのかい。


すぐに送信しメールボックスをそのままの状態でしばらく待つ事にした。
部屋の明かりを間接照明に切り替え
CD棚からピンク・フロイド『アニマルズ』を取り出し
ステレオで流し三本目の缶ビールをソファで飲んだ。
それを飲みながらずっとトナカイの剥製の事を考えていた。


 しばらくすると彼女からのメールが着信した。

>件名なし
 彼とは結婚もしたけど今は独り。
 本当に、会いに来てくれるの?


僕はすぐにメールを返信した。


>勿論さ。
 何処にでも会いに行くよ。
 俺も今は独りだから、
 君と別れてから今まで一度も忘れた事はない。
 今、何処に住んでいるんだい。
 教えてくれないか。
 君さえよければ、もう一度やり直したいと思っている。


僕は気持ちを押さえきれずに素直な言葉を綴りそれを送った。
すると間もなくメールが届いた。


>件名なし
 私だってあなたの事を一度も忘れた事はないのよ。
 でもね、私たちが再会するのはとても難しい事なの。
 それでもあなたが会いに来てくれるのなら、
 私は待っているわ。


>会いに行くよ。
 難しい事なんて何もない。
 何処に行けば会えるのだろう?
 北海道かい? それなら飛行機で訪れるよ。


>件名なし
 私たちが会える場所。
 私たちが会える場所?
 それは、、。
 私には分からないの。
 それは、あなたしか知らない場所。


僕はそのメールの意味をしばらく考えた。


あなたしか知らない場所?


とはどういう意味だろうか。


>僕しか知らない場所?
 それは一体何処なんだ?
 君のいる所へ会いに行くよ。
 何処にいるんだ? 教えてくれよ。

>件名なし
 私には分からないのよ。
 それは、あなたにしか分からない場所。

>僕にしか?
 僕にそれを探せって言う意味かい?
 君は僕を試しているのかい。
 まるでゲームみたいじゃないか(笑)。
 もしそうであっても僕は必ず会いに行くよ。

彼女からのメールはしばらく待っても再び返信される事が無かった。
それでも今夜のやりとりは
今まで以上に僕らの関係を前進させた事は言うまでもない。

 ソファで煙草を吸いながら彼女が言った

『僕しか知らない場所』を考えた。

まるでミステリー小説みたいだな。
そんな彼女の筋書きを思い描きながら遠い昔の記憶を探ってみる。
僕らが過ごした僅かな時間と場所。
彼女がしかけたゲームのスタートを今やっと進み出したのだ。
しかしその進め方を僕は知らない。
サイコロを手にしたままただ立っている事しか出来ないゲーム。
僕らが再会出来る場所は僕しか知らないと言った彼女のメッセージを考えながら
ただメールの返信を朝まで待ち続けた。


 気がつくと僕はソファで眠っていた。
すぐにパソコンを見ると彼女からのメールが届いていた。


>件名なし
 それは、あなたにしか分からない場所。
 私はそこで待っています。



僕しか知らない場所?



朝方六時を回った部屋で
僕は冷蔵庫から再び缶ビールを取り出しそれを一気に流し込んだ、


   ***


 ベッドから出てシャワーを浴びながら
丁寧に身体を洗い流した。
リビングに戻ると彼はテレビのリモコンを片手にあれこれとチャンネルを変えていた。
冷蔵庫から缶ビールを取り出しタオルを巻いたままでそれを飲んでいると、
柳沢は静かに私の方を向いて言った。

「どうして急にそんな気分になったんだよ? もう来ないと思ってたから正直、驚いたよ。」
私はひと呼吸してから彼の横へ座った。

「別に。ただ来ただけよ。誰でもよかったけど、この年になるとセックスの相手も考えるわよ。知らない人より、知っている人の方が安心できるって言うか、後腐れもないでしょう?」
私は彼の目も見ずに下着を身につけた。
間もなく振り向くとこっちを見ながら嬉しそうにビールを一口飲んだ彼が話しだした。

「英司がさ、最近またあの子と連絡とってるらしいよ。」
その無神経な言葉に溜息をついた私は興味なさそうな振りをして聞いた。

「あの子? あの子って誰よ。それにどうしてあなたはいつもいちいち私にそういう事を言う訳?」
彼はいつになく真剣な表情で私の目を見つめた。

「英司と会ってるんだろ? 分かってるよ。」
私は俯いて言葉を失った。

「なぁ、英司にも言ったけど、今更どうなるって言うんだよ。昔に戻るだけじゃないか? またみんな寂しい思いをするだけだぞ。」
そう言って彼は私の太ももに手をのせ深呼吸をした後に続けた。

「俺はエリ子の事が好きだよ。だから君さえよければ結婚したいと思っている。」
彼はそう言って強い眼差しで私を見つめた。
私はその手を振り払って立ち上がった。

「そうじゃないの! そうじゃないのよ。あなたの気持ちは凄く嬉しいけど、そうじゃないのよ!」
柳沢は私を見つめながら立ち上がり両肩を揺さぶり声をあげた。

「どうしようもないじゃないか! 英司は今も美樹子ちゃんの事を愛しているんだよ!」
私はその言葉を聞いて蒼白した。

「美樹子さん? だって、だって彼女は死んだって言ってたじゃない!」
私は彼にしがみついて叫んだ。

「生きてるんだよ。彼女は生きてる! 噂だったんだよ! 学校の噂だったんだ!」
私はその言葉を聞いて泣き崩れた。
柳沢は覆いかぶさる様に私を抱きしめたが、
すぐにそれを振り払い服を着て玄関へ向かった。

「エリ!」
呆然と立ちすくんだ彼を見つめ、
私は心拍数が落ち着くのを待ってからゆっくりと言った。

「終わっていないのよ。何も終わっていない。だから知りたいの、、。」
彼は瞬きもせずに静かに言った。

「終わっていない? また三人とも昔の関係に戻るだけじゃないか。それに何を今更何を知る必要があるんだよ?」
私は彼に背を向けドアのノブに手をかけてゆっくりとをそれを回しながら言った。


「出口よ。私たちの答えの出口。」


 小雨の降る中を傘もささずにしばらく歩いた。
いつもならムシャクシャした気分の勢いで飲み歩くところだが、
今は冷静でいる事が必要だと思った。

英司は彼女とやりなおしたのだろうか。

今更そんな事に嫉妬している訳ではないがどうしても理解出来ない。
バッグから携帯を取り出ししばらくそれを見つめた。

英司の言った

『答えの出口』とは何だろうか、、?
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