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3章

王都の市場・3

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 お忍び貴族の子息と思しき少年の命令に、平服姿だけど、たぶん護衛騎士の男性は、とても困った顔をした。マーチナーさん、僕たち、振り返って、少年、と視線を彷徨わせ、助けを求めるように、仲間と思われる他の男性たちを見る。

「おい! 早くしろ!」

 なかなか動かない男性に、少年がイライラと声を掛けると、ここでようやく、他の男性たちの中から、一人がおずおずと少年に話し掛けた。

「でん……あ、いや、あの、彼らは何も持っていないようです」
「分からんだろう! 外套の下に隠しているかもしれん!」

 男性は、僕たちの方を見て、それから店の方を見た。
 お店の人は、首をぶんぶんと振って、僕たちが買った塩漬け牛肉麺麭と骨付き鶏肉の包みを掲げた。
 そうだよ、包んでもらって、受け取るのを待っていたんだから、パイ包み焼きどころか、お店の食べ物を手にもしてない。
 少年は、また、早くしろ、と催促した。

「包んでもらっているところだったんですがね」

 マーチナーさんが、やれやれと肩を竦めてそう言って、屋台へ近寄り、包みを受け取った。お店の人は、身を竦めて、脅えたような顔で俯き、ちらちらと少年たちの方を見ている。周りの人たちも、息を潜めてやり取りを眺めているみたい。あんなに活気に満ちた市場の雰囲気が、今はピリピリと鋭く、重く沈んで、嫌な感じだった。諦めているような、重くまとわりつくような感じ。それなのに少年は、周囲の様子には全く構わず、ずっと僕たちを睨んでいる。
 マーチナーさんは、最初に命令されてマーチナーさんに近付いた護衛騎士さんに、包みを渡した。

「これが、我々の買ったものですよ。パイ包み焼きはありません。もう、売り切れていましたからね」

 護衛騎士さんは、ごそごそと包みを開いて中を見て、少年へ近付いてそれを見せた。

「この者たちの言う通り、パイ包み焼きはありません。またの機会に致しましょう」
「またとはいつだ! 俺はもうすぐスーリアへ行くんだぞ!」

 えっ!
 僕は、レオリムの方を見た。
 レオリムは、ものすごーく、嫌そうな顔をしていたけど、僕の視線に気が付いて、小さく笑って、僕の背中を撫でた。
 耳元へ顔を寄せて、きっと違う学園だよ、と囁く。
 そうだよね、スーリアには学園がいくつもあるもんね。

「で、では、明日! ご自邸へ、こちらのパイ包み焼きを届けさせます!」

 そばにいた別の男性が、お店の方へ目配せをして、お店の人は、びくりと震えて慌てて深く頭を下げ、その状態で頭を縦に振って頷いた。
 ……届けさせる?

「それでは、焼き立てが食べられんだろう! 俺は、温かいのが食べたいんだ!!」

 えぇー……。
 エイプハラフさんの影で、僕とレオリムはまた、顔を見合わせて、こっそりと溜息を吐いた。
 ワガママ過ぎない?

「しょ、少々お待ちください」

 男性の一人が、少年へそう言って頭を下げ、お店の人へ近付いて、小声で話し掛けた。お店の人は、はい、はい、かしこまりましたと、また深く頭を下げた。
 ぼそぼそと聞こえた話によると、お店の人がこれから自宅へ戻って、パイ包み焼きの材料を用意して、屋台の釜で焼いて、焼き立てを用意する、ということになったらしい。
 男性が、少年に近付き、敬礼しながら告げた。

「焼き立てを用意させます。焼き上がりましたら、お持ち致しますので、それまで市場の視察をお続けください」
「ふん! まったく手間の掛かる! 行くぞ!」

 少年は、お店を一瞥して、向きを変えて歩き出した。
 お店の人と話していた男性は、急ぎで頼むぞ、と言って少年に続いた。他の数名の男性たちは、少し距離を取ってから歩き出した。なんだろお忍びだから、離れて歩け、とか言われてるとか?
 マーチナーさんが包みを渡した男性は、まだその場に立っていた。

「返してもらっても構いませんかね?」
「あ! あぁ」

 マーチナーさんが近付いて手を差し出すと、男性はその手に包みを戻した。

「ご苦労されているようですね」
「え! は……いえ、そのようなことは……」

 男性は、もごもごと口の中でしゃべって、続きを飲み込むと、深い溜息を吐いて、ぺこりと頭を下げた。
 それから、踵を返すと、少年たちの方を見て、屋台を見て、屋台が見える位置にある街路樹のそばへ行き、そのまま直立不動になった。パイ包み焼きが出来上がるのをそこで待つんだね……。
 見ると、少年は、さっきの出来事など、何もなかったかのように数軒先の店を覗いていて、それを遠巻きに、男性たちが見守っている。
 市場の人たちは、少年をまだ窺っていたけど、ひそひそ、ぼそぼそと囁き合った後、やっぱり、何もなかったような顔をして、店先を覗いたり、お客さんの呼び込みの声が上がり始めた。

「妙なのに絡まれましたね」

 マーチナーさんが、僕たちを振り返って、はーっと息を吐いた。

「すみません、もっと早く離れたら良かったんですが」
「いえ、マーチナーさんたちのせいじゃないですよ」

 身体の大きなエイプハラフさんの影に、二人で小さくなって隠れてたし。騒いでいたのは、あの少年だけだし。

 マーチナーさんは、お店の人に、すまなかったね、と声を掛けた

「我々が大量に買い込んだせいで、迷惑を掛けたね」
「いえ! とんでもありません!! そんな、買い占めってほど、たくさん買われたわけじゃありませんよ!」

 お店の人が、慌てて言う。

「元々、このくらいの時間にはよく売り切れますんで……」
「そうか。あー……ああいうのは、よくあるのかい?」
「はは……まぁ、お貴族様の気まぐれってやつです。そう滅多に、貴族街からお出になりませんから、たまにです、えぇ、ごくたまに」

 お店の人は苦笑して、お詫びです、と腸詰肉を何本か包んでくれた。
 ちょくちょく来て、まぁまぁワガママ言う感じ……?

「良かったら、またいらしてください!」

 そう言うと、隣の肉屋へ入って行った。すまんが、店番を頼めるかい、と言っている。任せとけ、と肉屋のお店の人が答えて、屋台の人は、市場の奥の方へ駆けて行った。ひき肉のパイ包み焼きを準備に行ったんだろう。肉屋から、奥にいたお店の人が出てきて、屋台に入り、慣れた手つきで、お客さんに応対を始めた。

 それらを見届けて、マーチナーさんとエイプハラフさんは、行きましょう、と僕たちに笑顔を向けた。
 それで、僕もほっとして、レオリムと一緒に歩き出した。

「どうも品位に欠ける王族がいるようだな」

 行きましょう、と声を掛ける前、マーチナーさんが、笑顔でエイプハラフさんに呟いた声は、聞こえなかった。聞こえてないから! でんかって呼ばれてた気がするけど、それもきっと気のせいだから!

 馬車に乗り込んで、フードを下ろしたら、レオリムが僕を横から、ぎゅっと抱き締めた。
 マーチナーさんたちの前だけど、僕もレオリムの肩に頭を乗せた。
 僕たちがずっと育ってきたマウリは、田舎ののんびりした港街で。漁師のおじさんたちの声はやたらと大きいし、奥さんたちはいつも明るく賑やかだし、時には酔っぱらい同士のケンカで騒々しいこともあるけど、穏やかな街だ。
 マウリの街を出て、新しいことを知ることを、わくわくと楽しみに感じていたけど、楽しいことばかりではあるはずもない、よね。外の世界は、見たくないものや怖いものもたくさんあるんだろう。

「大丈夫だよ。ずっと一緒にいるから」

 うん。
 レオと一緒なら、怖くても平気。
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