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ベルフォール帝国編
明鏡止水
しおりを挟む普段はウキウキワクワク。落ち込んでシュンとなる事もある。無意味に焦ってしまう時もある。とかくボクの感情は起伏が大きい。
仕方ないじゃん。
だけど・・危機が迫って来ると何故か気持ちが落ちついてくる。
開き直りなのだろうか?
前世でも類似した状況とシンクロしている気がする。所謂スイッチが入る感じだ。
お陰で余計な事は考えず目の前の危機に対して集中できるようになってきた。
今もそう。
僕はボク自身を俯瞰して眺めている。幽体離脱じゃない。周囲に対する視野のようなものが広がる感覚だ。万能感と呼ぶのだろうか。言語化がムズイ。
目前に迫ってきているレッドエイプ。この距離じゃ逃げようがない。そんな状況でも全く感情が波立たない。不安や高揚感も全く無い。
クレアですらある程度焦っているのを感じるのに。
不思議な感覚だ。
本当に他人事のように現状を眺めている感じ。
クラウディア様は猛りと焦りが半分半分かな。でも恐怖にかられていない。本当に勇ましい方だ。
ライラは非常に焦っているようだ。顔は無表情のままだ。器用だ。表に出ている感情と内面の感情は違うようだ。意外と感情は豊かなんだろうか。
冷静に相手を観察する。
レッドエイプは・・・。まだ距離はある・・。でも感情が全く感じられない。過去にもボクは相当数の魔物を討伐してきたけど。これは初めての体験だ。
どういう事だろう。
魔力は徐々に減っているのに負の感情が全く感じられない。見つけた時より魔力は半減している。今のボクの魔力ならレッドエイプを凌駕できている位に減っている。
単純な身体能力しかアドバンテージが無いのにだ。力押しをするつもりか。と、いうか手段はそれしかないだろう。
あとは効率の良い魔力の運用だ。
でも魔力だけでは勝負は決まらない。
既に魔法の準備は整っている。冷静にタイミングよく使えるかだ。
戦い方の手順は何パターンか準備ができている。
その前に・・場を整える必要がある。申し訳ないけど二人には離れて貰おう。
「クラウディア様。ボク達から距離を取ってください。レッドエイプと戦いを始めます。ライラ、クラウディア様を頼んだよ」
クラウディア様が何か言おうとしていたようだ。でもライラが遮って連れて行ってくれた。いつもはボクの言う事聞いてくれないんだけど。素直に応じてくれて良かった。
「分かっていると思うけどクレアは当然側にいるわよ。クレアの補助は必要でしょう?」
どこからか取り出した二本の短剣を構えながら言ってくれる。
嫌だといっても側に居て貰わないと。ボク一人じゃ勝てない。
既に使う魔法と攻撃プランは説明済み。
本当はボクを戦わせたくないんだろう。クレアの今の感情は多分心配で占められている。と、思う。
色々と葛藤しているようだけど覚悟を決めてくれたようだ。ほんと感謝しかない。
一緒に戦おう。
「初太刀は一緒だよ。ボクが左手、クレアは右手だ。最低限弾いて攻撃をずらすだけでいいから。そっからは魔法を使うから。止めは任せたよ」
「任せて。必ず倒しましょうね」
ボクは無言で頷く。
ライラは討伐は無理だと言っていた。でもボクはそう思わない。
この場の空間はボクの掌中にある。余程の失敗をしない限りは大丈夫だと思う。
既にレッドエイプとの距離は五メートル。速度を緩めず突っ込んでくる。もう絶対に逃げられない。
こんなに近づいているのに殺気が感じられない。殺す気がないのか?
ボク達を塵芥と思っているのかもしれない。ライオンは小さい蟻を潰すのに殺気は漏らさないか。ボク達は蟻という事だ。
舐めていた事を後悔させてやろう。
レッドエイプは腕を振り上げてくる。未だに殺気は感じられない。
力任せのハエたたきかよ。
させないよ。
ボクとクレアが動いたのは殆ど同時だ。二人で踏み込んでレッドエイプの腕を狙う。
鈍い音が響く。
クレアは上手く弾いてくれたようだ。
けど、ボクはダメだった。思い切り大剣を弾かれてしまう。・・馬鹿力め。
ボクが力負けするのは想定内。どう考えても力で敵うはずがない。
それでも攻撃の速度は遅らせる事はできた・・か。
大剣は飛ばされたけどボクの体勢は崩れていない。
次の一手を使いたいが、魔法を叩き込みたい部位が直ぐに見つからない。
瞬間。目の前をクレアが通り過ぎるのを感じる。
同時にレッドエイプの左腕に短剣を無雑作に差し込んだようだ。
グチャリ。
何かを穿つ音が聞こえる。
これは貫通したか。
チャンス!
「今よ!」
合図を送ってくれたクレアが短剣を離す。やっぱり準備を整えてくれた。サンキュー、クレア。
ボクはその短剣を震える腕で掴む。
間に合った。
これ以上は魔力を溜め込めるのは危なかった。実はかなりギリギリ。威力を出すために魔力を籠め過ぎたかも。
「スイッチ」
これ以上振動は抑えられない。魔力集積。
掌中で既に形成されている魔法陣を発動。
両手が眩く光る。夜だったらかなり眩しい程の光量だ。
発現のキーワードを唱える。
「飛電(ライトニング)」
瞬間に無数の電撃が広がる。瞬間だけどボクの周囲はお日様に匹敵する程光ったと思う。本人は分からないのだけど。
この電撃は雷に匹敵する電圧がある。推測だけど。
暴れる電撃を集中。握っている短剣へ注ぐ。
瞬間に電撃が吸い込まれていく。振動が物凄い。視界がブレる程だ。
電撃の到達先は当然レッドエイプの体内だ。
電撃を喰らいな。
レッドエイプが妙な動きを始める。
雷の直撃だ。どんな生物でも耐えられない。
ほぼ全ての魔力を使った飛電の威力は未知数。
そもそも滅多に使わない。しかも生物に使ったのは初めて。物差しがある筈が無い。
レッドエイプは電撃を耐えているようだ。暴れてはいるが絶命はしていない。
耐性があるのか。魔物の位階が高いのか。
一撃とはいかないようだ。
魔法はまだ発現中。電撃は未だにレッドエイプに注ぎ込まれている。
使っているボクも全くの無傷では無い。
威力がある分魔力の消費も半端ない。指先の感覚がおかしい。動いているから神経は大丈夫だと思うけど。痛みや痺れが激しい。
やっぱりキツイ。
ボクの魔力が尽きるか、レッドエイプが耐えきるか。
根比べだ。
魔力がどんどん喪失するのを感じながらも電撃を送り込む。
・・まだか。
レッドエイプが痙攣が激しくなり、焦げ臭さを感じた所でボクの限界がやって来る。
電撃を継続する魔力が無くなった感覚だ。これ以上はマズイ。失神してしまう。
やはりこの魔法は燃費が悪い。数秒だけなのに相当の魔力を消費してしまった。
気持ち悪くなるのを堪え魔法発現を止める。
ぎもちわるい。
「シャット」
魔力消費が止まる。心拍が激しいのが分かる。体の感触も大丈夫そうだ。
相当危険区域だったかも。
さて、魔法はどの程度は効いただろうか?
レッドエイプを見る。
思わずオイオイと突っ込みたくなった。
信じられない事にレッドエイプの目に怯みは無い。と、いうか変わらず感情が読み取れない。
どういう事だ?
分からない。
でも体は正直なようだ。
小刻みどころか派手に痙攣している。体の動きが相当にぎこちない。体を動かす命令がパニックになっている感じか。
体の自由は奪えたから成功か。
当初予定から魔法は牽制だった。魔法で倒せなかった精神的なダメージは無い。けど、倒せるのがベストだった。ボクの力ではまだ無理って事だな。
こればかりは仕方ない。相手の能力が上だったのだ。魔法がボクの必殺手段では無い。
本命は物理攻撃だ。
気力を振り絞って刀を抜刀する。抜刀する事も大変な位に全身疲労が半端ない。
頑張れ、ボクの体。
大剣はさっきの攻撃で弾き飛ばされている。拾っている体力は無い。相変わらずボクは大剣を扱うのが下手だ。そして体力が無い。
でもボクは一人で戦っている訳じゃない。
「クレア。目の奥を突いて脳を破壊して」
既に短剣を取り戻しているクレアに次の動きを指示する。
事前に何パターンかの手順は確認済み。この手順は必殺パターン。これで決着をつけたい。
言いながらもボクも刀をレッドエイプに向ける。目標はの口の中だ。
既にクレアは軽やかに跳躍して短剣をレッドエイプの両目に突きこんでいる。相変わらず速い。
ボクは重い体を叱咤する。気合を込め刀を突き込む。
ガックリと膝を折っているレッドエイプを踏み台にしないと届かない。動作が多い分どうしても遅くなってしまう。
色々しんどいけど急げ。
クレアの短剣が脳に届いていない場合だとノーガードのクレアが危ない。
この数秒で盤面がひっくり返る事だってある。
間に合え!
刀の速度は思った以上に遅かった。でもレッドエイプの口中に正確に突き刺させた。
骨を砕き、脳幹であろう組織を破壊した感触が伝わる。相も変わらず楽しくない手ごたえだ。
この手ごたえなら行動停止になるだろう。
どうやらクレアも急所に命中したようだ。
レッドエイプから先程とは違った痙攣が確認できる。
想定以上に攻撃が上手くハマったみたいだ。
これもゾーンに入った恩恵か。
ボク達はお互いの武器を引き抜きレッドエイプから距離を取る。
少しの間を置いた後にレッドエイプが行動不能になっている事を確認する。
これなら大丈夫だろう。
「クレア。ヤツの核は胸骨周辺だよ。そこを破壊して」
「分かったわ。レイ様の大剣で砕くけどいいかしら。最悪剣が壊れるかもだけど」
「構わないさ。本当は核が欲しいけどね。そんな余裕は無いし。討伐が優先さ」
脳の大部分は破壊したんだ。なのに痙攣が収まっている。それに完全停止はしていないように見える。
核が残り魔力を使って修復を始めているように感じだ。
やっぱり復活する系か。
放置すれば復活して活動を再開する可能性がかなり高い。マジで化け物じゃん。レッドエイプを討伐できたという記録あるのかな?
復活は許してはいけない。
でも素材は欲しい。魔法研究に必要だ。だけど完全停止が最優先事項だ。
惜しいけど。惜しいけど。素材は諦める。
欲をかいて判断を誤ってはいけない。
クレアは無造作に大剣を振り回す。
速度の乗った必殺の一撃を何度も繰り返す。相変わらずのとんでもなさだ。
クレアの攻撃に何度か耐えていたからレッドエイプの毛皮の防御力はかなりのものだった。最後はクレアの手数で押し切った。
不可視の魔力が大量に漏れ出す。
胸骨にある核が破壊されたようだ。
放出された魔力は全て今の状態のボクの糧となる。これは美味しい。枯渇しかけた魔力があっと言う間に戻る。頭がチクチク痛むけど問題無し。
ボクの力じゃ核の破壊は無理だったろう。
やっぱりクレアの武器を使った攻撃は多彩だ。剣技の総合力なら同行している騎士や兵士よりも確実に強いと思う。
これはクラウディア様やライラにもいえる。
この国の男達の剣技は筋力に任せた力の剣だ。周辺国もそうらしい。
力では負けるけど。速度や正確さに長けた女性の剣技が上回っている場合が多い。
と、いうか。この世界・・女性が強い。
最近やっとボクは学んだ。
「これで討伐完了かしら?」
さっきまでの秒刻みでの命のやり取りがなかったような爽やかな笑みでクレアは言う。ほんと強いよ。
結果だけみれば完勝かもしれない。実際は結構ギリギリだった。
初撃を躱せなかったら殺されていたのはボク達だったかもしれない。
初撃を躱すのを失敗しても、次の策が準備できていたから問題なかったと思うのは強がりかな。
レッドエイプとの戦闘時間は体感だと三十秒もかかっていないだろう。すごい濃厚な三十秒だった。
本当は戦うべきじゃなかったんだろうけど。周辺の村への被害を考えると仕方なかった。師匠は褒めてくれるだろうか?
ともかく生きている事ができた。深く息を吐き集中を解く。
遠目からでもキラキラとしているクラウディア様の表情と珍しいライラの驚いている表情が印象的だった。
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