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一巻
ミュール
しおりを挟むシイカは驚きで目も口も塞がらなかった。上位クエストにも指定されるドラゴンを、たったの二人で討伐してしまったレオとノエル。だが、シイカはさらに驚愕することになる。
「お二人のお名前とランクをお聞きしてもよろしいですか?」
眠るノエルに配慮しながら、シイカはレオに聞く。
「俺はレオ。Dランク。で、ノエルがCランクだ」
「なっ!? 冗談でしょう!」
レオは正直に答えたつもりだったが、シイカは信じられないという表情をする。
「本当だ。別に信じなくてもいいがな」
「たしかに、嘘をつく理由はないですけど……」
一人で納得したシイカはどうしたものかと思い悩む。
「おい、早く行かないと日が暮れるぞ」
「そ、そうですね。出発致します」
レオの声に、シイカは動揺しつつも馬車を先導し始めた。乗客全員が、無事に生き残れたのは奇跡だと安堵した。
「おいあんた。めちゃくちゃ強いな」
レオの正面、立派な髭を生やした爺さんが笑いながらレオに話しかけた。
「ここら辺は比較的安全だから高ランク冒険者を雇わなくてもいいんだが、今回は命拾いしたよ。まさかドラゴンが出るなんてな」
「そうか」
ガハハと笑う爺さんだが、他の乗客たちは冗談ごとではないと、爺さんを白い目で見ている。
「ミュールで店を出してる。暇があったら寄ってくれ。安くしとくよ」
「ああ」
今のところレオたちの予定は決まっていない。ミュールでは少なくなった路銀を補充しなければいけない。数日は滞在することになる。
レオが乗客たちと途切れ途切れの他愛ない話をしていると街の影が見えてきた。途中でトラブルに見舞われたが、夕方には着くことができる。
馬車は街までの一本道を走っていく。馬車が街に着く頃には太陽もほとんど沈みかけ、東の空は夜と言っていい暗い青色になっている。
「到着致しました」
馬車が止まると御者が全員に向け声をかける。門の前で停まった馬車から、乗客たちがぞろぞろと降りだす。街に入るには検問があるため馬車に乗ったままでは通れない。
「レオ、まずは今日の宿」
「そうだな」
検問を難なく抜けた二人は今日の宿を探す。
ミュール帝国まで手配書が届いているのではないかと考えていたレオだったがそれは杞憂だった。
ほんの少し前まで眠っていたノエルだったが、完全に回復した様子でレオの隣を歩く。
「ノエル様、レオ様。少々お時間よろしいでしょうか」
と、二人が門を抜けた所でシイカが声をかけた。
「少しだけなら」
「ありがとうございます。今回のドラゴンの件についてギルドに報告する必要があります。ドラゴンを討伐したお二方にはそれに付き合っていただきたいのです」
「いいけど、宿が……」
承諾するノエルがったが、今夜泊まる場所の心配をする。しかし、
「それと、今回の件は私どもの不手際で皆様の命を危険に晒しました。私どもとお客様の命を救っていただいたお礼ということで、こちらで宿を用意させていただきたいのですが」
「いいの?」
「もちろんです。好きなだけお使いください!」
ノエルの心配のタネはシイカによってすぐに潰された。
シイカが宿を用意してくれるということで、二人は心置きなくギルドに向かう。
ミュールに初めて来た二人だが、良くも悪くも冒険者の街という印象を受けた。
国の皇帝が実力至上主義者ということで、街の住人にもその気がある。周囲の酒場を覗けば、店員が冒険者たちを軽くあしらっているのが目に入る。
「ここでございます」
「大きい……」
門から少し歩いたところにある、四階構造の建物に大きな入り口。三メートル強の扉は、常に開けているために、下に留め具が付いている。
「扉は閉めないんだな」
「この大きさですからね。普通の人では重くて開けられません。それですと緊急時に困るので。たしか、設計ミスで大きな扉をつけてしまった、というのがこの扉がここまで大きい理由ですね」
ギルド内部は、外からでも分かるほど広々としている。人は多いが息苦しさを感じることもなくスペースがかなりある。
ギルドの中はどの街も同じような造りで、配置は違えど概ねの設備が用意されている。
「エドモンドはいますか?」
「シイカさん。エドモンドでしたらあそこに」
シイカは見知った顔の受付に話しかけた。受付はすぐにシイカの用件に答える。
シイカの呼び出したエドモンドという男は、ここのギルドのギルドマスターだ。
「全く、ギルドの重要人物が夕方から酒なんて飲んでいるなよ」
「よおシイカ! お前も飲むか!」
既にかなりの酒を飲んでいるのが、テーブルの上に置かれた空き瓶の数から分かる。だが意識はしっかりと持ち、赤茶色の瞳には力があり、爛々と輝いて見える。
エドモンドは濁った銀色の髪を逆立て顎には伸びかけたヒゲが生えている。
呆れるシイカを余所にエドモンドは呑み仲間たちと談笑しながら酒を呷る。
「飲まない。この後お客様を宿まで案内するんだ。それよりも大事な話がある。奥の部屋を借りるから五分以内に来い。遅れたらカリオット様に言いつけて減給するように働きかけてもらうぞ」
「……それは勘弁」
カリオットの名前が出ると、エドモンドは嫌そうな顔をして机から離れる。いかにギルドマスターと言えど、男爵には頭が上がらない。
レオたちはそのままシイカの案内に従い奥の部屋へと通される。
「すみません。昔からああいう性格の人間でして」
「ん、気にしてない」
案内された部屋は応接間だ。ムーアで入った部屋と大差ない構造をしている。
革張りの柔らかなソファや額縁に入り飾られている人物画。ムーアとの違いと言えば棚にしまわれているコップぐらいのものだ。細かい模様のコップはガラス製のものだ。
「気になりますか?」
透明度の高いコップを興味有り気に見ている二人にシイカが聞く。二人が返事をするよりも早くシイカは語り出す。
「それはカリオット様が趣味で購入されたコップです。腕のいいガラス細工職人を見つけたと言って、試しに作っていただいたものらしいです。ここに飾れと言われたので飾っております」
まるで自分のことのように自慢するシイカにレオは素朴な疑問を投げかける。
「あのエドモンドとかいうやつが間違って使って壊さないか?」
「ははは。あいつもそこまでバカじゃないですよ。バカであることに変わりはないですがね。あのグラスを置いておくことで、いつでもカリオット様のことを忘れず、仕事に緊張感を持ってもらう。というのがカリオット様の考えです」
「そうなのか」
シイカはエドモンドが来るまでの間ほとんど喋り通した。レオもノエルも退屈しないように配慮してか、ほぼ均等に話を振っていた。場の空気、会話の主導権を握るのは商人としての必須スキルだ。それを身につけているシイカは腕の立つ商人だと分かる。
商人としての癖か、エドモンドが入ってくるまでシイカが会話を途切れさせることはなかった。
「待たせたな」
「ふむ。五分には間に合ったか。それより酒臭いな」
「それは申し訳ない。五分じゃ限界があるだろう」
「まあ今回は緊急の用事だったから仕方がない。それじゃあ早速本題に入るぞ」
「おう」
エドモンドが席に着くのも待たずにシイカは話し出す。
何も知らないエドモンドに、事の顛末を一から説明するシイカ。当事者のレオたちは適当に相槌を打つ。
シイカの話が終盤に差し掛かるにつれて、エドモンドの表情が苦々しいものへと変わっていく。
「それは本当なのか?」
「嘘だとしたら相当タチが悪い」
話を最後まで聞き終えたエドモンドはシイカの冗談を疑った。しかし、証人まで用意して嘘をつく理由がシイカにはない。
「まあそうだな。それで魔石やドロップアイテムは?」
「ドロップアイテムはなし。魔石も粉々に砕け散った」
「そうか」
「こればかりは仕方ない。あの街道にドラゴンなんて出たことがないんだ。普段だって念のためにBランク冒険者に依頼を出しているが、実際はDランク冒険者にも務まるような仕事だぞ」
今回ドラゴンが出た街道は、本来、魔物の出現数が少ない比較的安全な道だ。魔物よりも野盗の類の方が警戒される。
そんな街道にAランクに指定されるドラゴンが現れるなど誰が予想できるか。そんな人間がいれば、預言者として大国に囲われること間違いなしだ。
「うむ……」
エドモンドは少し考えるような素振りを見せ、事件の扱いについて話し出す。
エドモンドは今回の乗客たちに対し出来る範囲で箝口令を敷き、情報を外部に漏らさないようにする案を出した。
カリオットに相談し領主代理として事の処理に動いてもらうつもりだ。シイカも特に反対する様子もなく話に耳を傾けていた。
箝口令は、この街の住人が怯えて暮らさなければいけないという状況を避けるためだ。既にドラゴンは倒され、街道にはドラゴンの気配はカケラもない。戦闘の跡が道に残されているが、それもすぐに修復される。
またドラゴンが出ないとも限らないが、ドラゴンの出現が頻繁に起こるようになれば、周辺諸国にも多大な影響を及ぼす。冒険者たちも迂闊には動けなくなる。
ドラゴンの発生が確定していない今、無意味に不安を煽る必要はない。その点を考えればエドモンドの判断は間違っていないと言える。
「話は終わり?」
特に口を出す場面がなかったノエルは、二人の話がひと段落したところでそう切り出した。
「はい。もしミュールに留まるのであれば……いえ是非とも留まっていて欲しいのですが、お二人の今後のご予定をお聞きしてもよろしいですか?」
「私たちは当分はこの国に留まって旅の資金を稼ぐ。少なくとも一週間は確実にこの国にいる」
「そうでしたか。なら良かったです。もしまたドラゴンが出た場合に討伐の依頼をお願いするかもしれませんので、その時はよろしくお願いします」
シイカは二人のランクに関わらず、その実力を認めた上で話を持ちかけた。ノエルも初めての戦いで勝ったことで、自信に満ちた表情で答えた。
「分かった」
「それではエドモンド、後は任せたぞ。私はこのお二人を宿までお連れする」
「了解」
エドモンドに別れを告げた二人は宿に案内される。
カイリオン商会が持つ多くの店の一つ。その中でもかなり上位に入る宿に連れていかれる。シイカが用意していたのは大きめの二人部屋だった。
「ノエリア様のご要望で二人部屋とのことでしたので、私どもの運営している宿でも大き
な部屋を用意させていただきました」
「ん、満足」
ギルドまでの道すがら、ノエルはシイカに宿の要望を伝えていた。その抜け目のなさにレオはつい感心してしまった。
「こちらの部屋はいつまでお使いいただいても結構ですので、何かご用があれば宿の者にお申し付けください」
シイカは部屋を出て一階のロビーへと降りていく。
この宿はレストランも経営しており、外からの客もやってくる。
シイカと別れた二人は、レストランの中が見える位置まで来て足を止めた。躊躇っていたのは主にレオだが。
「なあノエル」
「何?」
「俺は場違いだと思うぞ。あんなに行儀よくできない」
レオは店内の客たちを見ながらそう言った。レストランの中には、貴族のような綺麗な服装を着た紳士や、艶やかだが動きの軽いドレスに身を包んだ淑女が、綺麗な所作で料理を食していた。
「レストランは酒場と同じ。それと、作法なら私が知ってる」
「俺は今まで底辺の人間だった。急にこんな上流階級御用達みたいなところに連れてこられても困る」
「ここはそんなにお堅いところじゃないと思う。ほらあそこ」
そう言ってノエルが指をさしたのは、壁際近くに座る二人組の冒険者の少女たち。片方はエルフでもう片方は獣人の少女。
「あの二人がどうした?」
「冒険者。だからレオも大丈夫」
「いや、あそこの二人は確実に礼儀作法とか知っているだろう……」
レオはノエルの暴論に呆れることも忘れ困惑する。
「大丈夫。魔物を捌くのと変わりない。決まった動きでバラして口に運ぶだけ。それに私が教える」
「そ、そうか?」
ノエルの説得を諦めたレオは、渋々レストランの中へ足を踏み入れた。礼儀作法など知らないレオだが、偶然にもノエルをエスコートするように先を歩く。
足元には金糸の刺繍が施された綺麗な赤色の絨毯が敷かれている。
「いらっしゃいませ。ノエル様とレオ様でいらっしゃいますね。お席の方にご案内いたします」
礼装に身を包んだ紳士は美麗な姿勢でお辞儀をすると、そのまま二人を先導するように歩いていく。
レオたちが席に着くと、二人の手元にメニューが置かれる。
「それではごゆっくりどうぞ」
最後にもう一度礼をしたウエイターはそのままフェイドアウトしていく。
「メニューって手元に用意されるものか? それに……おい、ノエル」
「大丈夫」
メニューを見て固まるノエルにレオは声をかける。
「いや、金額が書いてないんだが……」
「……それは、知らない」
内心で焦っていたノエルは正直に答える。ここでいらぬ見栄を張っても、待っているのは破滅の未来だ。
支払いができない可能性を言及したレオだったが、ノエルの自信のない返事に恟々する。値段が書いていないというだけのことが、レオはドラゴンよりも恐ろしく感じた。
「ノエル、出よう。街に出て情報を集めよう。次にここに来る時はしっかりシイカに話を聞いてからだ」
「んー、しかし入った手前、何も注文をしないのは失礼な気がする」
ノエルの言い分が分からないレオではない。だが、本当にお金が払えなかった時にどうするのか。今の手持ちの金額で足りなければ無銭飲食だ。そして明日以降の生活がその日凌ぎのものになる。
この街で冒険者としてどれだけ稼げるのか目安も把握できていない今、ここで散財するのは避けなければならない。
「レオ、大丈夫。明日から頑張ろう。今日はドラゴン倒したからそのお祝い」
「大丈夫か?」
レオの心配もよそにノエルはメニューを眺め始めた。
ドラゴンの討伐は本来起こるべきものではなかった。それに討伐を証明するものも何一つ残っていないため、報酬は一切支払われていない。だからこそシイカはこうしてレオたちに破格の待遇をしているわけだが。
レオはノエルの切り替えの速さと腹を決める男気に感嘆する。
「この値段の書いていないメニューから、一番安そうなのを選ぶ」
「ああ」
二人は緊張した面持ちでメニューを見つめる。
ノエルと共に数分悩み、選んだのは野菜主体の肉料理。肉はもちろん魚も高い。だがメニューには必ず肉か魚が入っている。そのため野菜が主体のものを選ぶ。
この国は海に面しておらず、魚は仕入れるだけでも大変だ。肉は何肉かによって値段が変わるがリスクは冒せない。
そう推理した二人は選択した。
「お待たせ致しました」
そうして運ばれてきた料理に恐る恐る手をつける。エルフの宿で食べた料理とはまた違うものが出てくる。
レオは、値段が分からない不安と場の雰囲気によって、味もよく理解できずに完食した。味が分からないという体験は、三百年間生きている中で初めてのことだった。
「ごちそうさまでした」
「よし。行くか」
「うん」
レオの気合いのこもった声に、ノエルも緊張気味で頷く。
料理を食べる時もだが、店から出る時もまた覚悟をする必要がある。
出口が着々と近づくが、店員らしき人物は見当たらない。レオたちを案内した男もおらず、二人はお互いに顔を見合わせる。
「どういうこと?」
「さ、さあ?」
「ノエル様、レオ様。ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「うわっ」
突然後ろから声をかけられ、ノエルが小さく驚く。二人が振り返ると、案内をした男が「失礼いたしました」と、綺麗な姿勢で腰を曲げ謝った。
「会計は?」
「シイカ様から預かっておりますので、そのままお帰りになって大丈夫ですよ」
「わ、分かった。ごちそうさま」
ノエルはその言葉の意味を瞬時に理解しスタスタと歩いていく。
「はい。またどうぞ」
混乱するレオだったが、ノエルが迷わずに行くのを見て、ついていくしかない。
恭しく頭を下げた男は二人の姿が見えなくなるまでそこに立っていた。
「部屋に戻るのもいいが少し街を見ないか? ギルドで依頼の状況も確認がてら」
「うん、いいよ」
レストランを出たレオはそう提案し、二人でギルドに向かう。宿からギルドまではかなり近く、迷うことなくあの大きな扉が見えてくる。中からは溢れんばかりの喧騒と明かりが漏れ出ている。
夕方に来た時よりも賑わい、より多く感じる人の熱にレオは興味を引かれる。
「こっちの雰囲気の方が性に合ってるな」
「そうだね」
冒険者気質の強い二人はレストランでの緊張から解放され、暮らしなれた故郷のような居心地の良さを感じていた。
夕方も人は多いが、夜になればその密度はさらに増す。仕事を終え酒を嗜む者たちでギルドはいっぱいになる。
「レオ、掲示板はあっち」
扉を潜ったノエルはレオの腕を引いていく。一度目に来た時に既に目をつけていたノエルに迷いはない。
掲示板には多種多様な依頼があるが、今のレオたちに受けられない仕事は数枚しかない。
ノエルのランクはC。パーティのランクも同じくCのため、Bランクの依頼までは受けられる。Aランク以上の依頼はあまり出回っておらず、いくつかの紙に目を通していく。
「明日から探索に行くから、情報を集めよう」
「そうだな」
二人は明日以降のために、話を聞こうと受付の方を振り返る。すると、何人かの冒険者たちが行く手を塞ぐように立っていた。
「何だ?」
「嬢ちゃんえらい上玉だなぁ。それでそこの男が騎士様ってか? 傑作だぜ、こんなヒョロ男があんたの仲間か?」
赤ら顔の酔っ払い冒険者はいたく上機嫌で話しかける。
「騎士?」
「そうだな。姫様ってのは攫われるもんだろう? だからそいつが騎士でお前が姫ってわけだ」
疑問を浮かべるノエルに男が答える。
男は下品な笑い方をし、それに同調するように周りの冒険者たちが囃し立てる。
「騎士……。悪くないかも」
「ああ?」
「何を言っているんだ?」
ノエルの訳の分からない独り言に、レオと男は似たような反応をする。
「それで、何の用?」
「そうだな。どっちでもいいぜ。俺たちと勝負しろ。俺たちが勝ったら今夜は、この嬢ちゃんは俺たちに輪姦(まわ)される。あんたらが勝てたらここで飯でも奢ってやるよ。ちなみにお前たちに拒否権はない」
明らかにレオたちが不利な条件を叩きつける男。言葉通り二人に拒否権はない。拒否したところで襲われるのは目に見えている。
「ふーん。レオ、やっていいよ」
ならば衆目があるところで、本人たちが示してきた条件の中で正面から叩き伏せる。ノエルは興味なさげにレオに話を振る。
「いいのか?」
「どうせ付き纏われるなら初めから潰した方が早い。私たちはまだこの街に来たばかりだから、この後に同じような奴らが出てこないように徹底的にやっていいよ」
「分かった」
ノエルの男に対するヘイトはかなり高い。ノエルから許可を得たレオは返事だけをして正面の男を見据える。
男はレオよりも身長が高く、その体もレオより一回り大きい。
「話はついたか?」
男は完全に酔っ払っている。焦点が合っておらず、思考も正常に働いていない。これが素面だとしたら、ミュールの人間はかなり治安が悪い。
男と共にレオたちを取り囲んでいるのは三人。パーティメンバーの三人は似たような装備に身を包んでいる。
そしてギルドには他のパーティがいくつか。こちらの反応は様々だ。
観戦する者。加勢しようと立ち上がる者。野次を飛ばし盛り上げる者。冷ややかな視線を向ける者。さらには賭けを取り纏める者まで現れた。
ミュールのギルドではこれが日常茶飯事のため、対応がかなり早い。ギルドの受付は止める様子もなく、ただ傍観している。
「おい、俺も参加すっから勝ったら混ぜてくれよ。パーティーに!」
「いいぜぇ、へっへっへ」
レオは男たちが何故こんなにも楽しげなのか疑問に思う。これから倒される予定の男たちに、レオは冷たい視線を向ける。
「そうだな、ハンデをやろう。俺はこの鎌を使わない」
レオは背中から鎌を抜きノエルに預ける。
「言うじゃねえか」
周りの者たちがお祭りのように騒いでいるため、外から数人の冒険者がまたぞろやってくる。
「一発目は俺からぁ!」
一人目の酔っ払い。細身の男がレオに殴りかかる。
冒険者の揉め事に開始のゴングなどあるはずもなく、誰かが突発的に始め、後は雪崩のように連鎖的に広がっていく。
「遅いな」
右利き。左足に完全に重心が乗っている。大振りの一撃の後に数度よろめき振り返る。
足元の覚束ない酔っ払いの動きを完全に見切ったレオは、男の拳を右手で払い、受け流しつつその勢いを利用して、膝で男の腹を蹴り上げた。
「うっぷ、オエッ」
内臓まで届く衝撃に、男はゲロを吐き白目を剥いて倒れた。
「さあ、次だ。俺がお前たちを回してやろう。全員だ」
男をゴミか何かのように投げ捨てたレオは冒険者たちを挑発する。
「いいねぇ。それなら望み通り全員でいってやるよ!」
最初に声をかけた男は、レオの気勢に面白がるように同調する。
「おい。それじゃあ賭けになんねえじゃねえかよ!」
賭けを取り纏めていた男から文句が出るが、それでも面白がるようにしている。
「加勢してきた奴には、この後のパーティーに参加する権利をやろう!」
男の発言で参加者がさらに増える。賭けが成立しなくなった今、男たちは立ち上がり参戦の意思を示す。
「いいぞ。一人も百人も大して変わらん」
「かっこいいじゃねえか騎士様! 死んでも恨むなよ」
「全員、今日飲んだ分の酒全て吐かせてやる」
レオが言い終わるのが早いか、手加減などする気のない冒険者たちは全方位からの襲いかかる。
その全ての攻撃を躱し、あるいは受け流していくレオ。ノエルはギルド内の一席で、座りながらレオたちの戦いを観戦している。
「どうしたぁ。回避だけか!」
「まずは状況の把握。それから作戦の立案。そして実行。冒険の基本じゃないか?」
見るまでもなく、作戦を立てる必要もなく、レオが負けることなどありはしないのだが。
レオは宣言通りに腹を重点的に攻めていく。吐かせると言った以上は吐かせるつもりだ。
レオからの嫌がらせではないが、この後の処理を考えればギルド職員にも同情してしまう。冒険者たちを止めなかった自業自得ではあるが。
背後からの攻撃を往なしつつ回し蹴りを腹に叩き込む。ゲロ二。
さらに振り返って正面。顔を殴ると見せかけ腹に一撃。ゲロ三。
足元が覚束ない者の背後に回り込み、掌底突きを放つ。ゲロ四。
レオに向かっていった者全員が例外なくゲロを吐くため、足の踏み場が無くなっていく。避けるスペースが少なくなり、レオは上半身だけの最小限の動きで攻撃を躱していく。
気絶した冒険者をゲロの上に投げ、即席の足場を作る。そしてまたその上に誰かがゲロを吐く。そんなことを繰り返していると、多勢に無勢だった冒険者の数も少なくなっていた。
「後はお前だけか?」
最初から最後まで、一度も戦闘に参加してこなかった男。初めに声をかけたくせに、今まで仲間がやられていく様を見届けていた男。
味方が誰一人として残っていない状況に困惑しているだろうかと、レオは男の表情を見る。
「ボスは最後に登場するもんだからな!」
「そうか」
こんな状況でも男は自信満々な意地の悪い笑顔を浮かべ、酒瓶を投げ捨てレオの正面に立った。
レオの後ろは惨状だ。ゲロゲロゲロゲロゲロ……たまに人。
汚い。
「いくぜ!」
男は実に単調な動きでレオを猛襲する。
レオはそれを難なく躱し男の体を投げる。自分の攻撃の勢いを利用された男は、地面に強く打ち付けられた。レオはそのまま男の両足を両脇に挟みつむじ風のようにぐるぐると回り出した。
「おおおおおおおおっ!」
ぐるぐると動く視界に、男は目が回り始める。
「ああ……」
レオは男を静かに地面に下ろす。すると、立ち上がった男はゲロの塊に向かってフラフラと歩いていき、
「おおえええええっっ!!!!」
そして盛大に吐いた。倒れた冒険者たちの中で一番多い量を吐いた。酒だけでなく昼食も出たのではないかというほどのゲロだ。
レオはその隙を逃さず、男の後頭部に踵を叩き込んだ。
「ぐ……」
男は前のめりに倒れ、ゲロの山に顔を突っ込んだ。
「ノエル、早く帰ろう」
「うん。帰りたい」
この惨状にギルド職員は唖然とし、ゲロの臭いで現実に引き戻された。
余談だが、あそこにゲロを吐いて倒れていた冒険者たちは、一週間の活動禁止と奉仕活動を強制させられた。
レオがギルドで暴れた翌日。依頼を受けた二人は街の東に向かっていた。あの後冒険者たちがどうなったのか、レオたちは知らない。
ノエルが昨日のうちに依頼を受注していたため、二人は宿からギルドに向かわず、そのまま街の外に出る。
「レオ。ミュールでは街の外では無法地帯らしい」
「そうか」
「仇討ちとか、逆恨みとかで襲われることがあるって」
「そうなのか」
「燃やされた人がいるらしい」
「過激だな」
「うん。だからレオも気をつけてね」
ノエルは昨夜得た情報をレオに伝える。この国の内情と街の外の情報。同情した女冒険者が、ノエルに教えたのだ。
「今日はグリーンモスの羽の回収」
グリーンモスの羽から出る鱗粉には毒がある。その毒を食らうと体が痺れて動けなくなる。冒険者たちからは解毒のコストもかかる厄介者として嫌われている。
「グリーンモスか。薬は持ったのか?」
「解毒剤はちゃんと持った。でも使わないに越したことはない。森に入ったら口元を布で覆う」
そう言ってノエルは口を覆うための布でできたマスクを取り出した。密閉とまではいかないが、虫の鱗粉程度ならば通さない機密性を持っている。
呼吸の邪魔になるため、ノエルはそれをギリギリまで付けずに持っておく。
「レオの分もある」
「俺は大丈夫だ。毒には耐性がある」
「着けないのはいいけど、レオが麻痺した時は運べないから」
「ああ」
ノエルはそう忠告して、レオの分のマスクを渡す。
ノエルとレオは体格にかなりの差がある。仮にレオがグリーンモスの麻痺毒にやられた場合、ノエルがレオを運ばなければいけない状況になる。そうなれば機動力が落ちて共倒れだ。
レオは自分がノエルに担がれる姿を想像して笑った。
「レオは暴れてくれて構わない。私は援護するから」
「そのつもりだ」
レオたちに作戦はない。冒険者に二人組のパーティはほとんどいない。五人一組が基本と言われている。探索する場合においての鉄則だ。
五人にはそれぞれ、前衛、中衛、後衛と大まかな役割があるが、二人の場合はそれが完全に二分する。はっきりとしてる分、立てる作戦は決まっている。というよりも、できることが限られそれをやるしかない。
レオたちは城を攻め落とすわけじゃない。相手は魔物。ただひたすら向かってくる敵を倒すだけの仕事だ。作戦など元より不要。
「ミュールの魔物は少し変わってるらしい」
「ほう」
ミュール周辺の森にはグリーンモスを代表とした、所謂虫系の魔物が出る。
森の魔物はグリーンモスと行動を共にすることも多いため、どの魔物も毒に強い耐性を持っている。グリーンモス以外にも毒を持っている魔物も存在するため、警戒すべきはグリーンモスだけではない。
特にキラービーという蜂型の魔物は毒針から強い神経毒を出す。大きな針から毒を注入され、それが体内に巡ると、体が動かなくなり捕食される。キラービーの体長は小さいものでも三十センチを超え、大きいものでは一メートル弱にもなる。
そして虫系の魔物の特徴に硬い甲殻がある。並みの冒険者ではまずそこに苦労する。素早く動く魔物の関節を狙わなければならない。戦いの中でそれをやらなければいかず、虫系の魔物は冒険者の関門とも言われている。
知識のない者や戦闘技術の未熟な者が、虫系の魔物相手に命を落としていく。
「グリーンモスはこの森の中ならどこにでもいるらしいから、奥に向かいながら倒していく。遭遇できなかった時は逃げ道を確保してから音でおびき寄せる」
「そうか。もう誘い出してもいいんじゃないか?」
「ここならまだ森の外だから、足場も悪くないし逃げられると思う。私はいいけど、大変だと思うよ? レオが」
「俺は大丈夫だ。一匹たりともノエルの方に魔物は通さない」
「分かった。じゃあやる。魔物をおびき寄せるとっておきの魔法で」
そう言うとノエルは詠唱を始める。今度はどんな魔法が出るのかとレオは楽しみに待つ。だが、レオの予想に反してノエルの魔法は地味なものだった。
「亜共鳴」
ノエルが魔法を使うと、ホルンを吹いたような低音が響き渡る。空気を震わせながらその音は森の奥へと飛んでいく。
それと同時。レオは頭が割れるような痛みに襲われた。
「うっ……」
「レオ?」
「大丈夫だ」
レオの異変を感じ取ったノエルは魔法を止めようとする。だが、レオがそれを制したためノエルは魔法を継続する。
原因が分からない二人だが、ノエルの魔法によって出た音がレオにも影響を与えていることは確かだ。
これはたしかに怒りたくもなるな。
頭痛の原因がノエルの魔法だと分かったレオは、魔物に軽い共感を覚えた。
“ブゥゥゥン“
徐々に大量の虫の羽音が聞こえ始めた。音の原因を排除しようと躍起になった魔物たちが森の中から次々に現れる。
キラービーの羽音に混じり、異種混成の群れを成した魔物が森から飛び出した。
「レオ、来たから止める」
「ああ」
ノエルが魔法の発動をやめると、レオは頭痛が収まるのを確認した。
一体どんな魔法なのか後で確認する必要があると思うレオ。だが今は正面、この森の半分が集まっているんじゃないかというほどの魔物が押し寄せ、二人の視界を覆い隠す。
「ん? 先頭を走ってるの、人間じゃないか?」
「ほんとだ」
ノエルが誘い出した魔物の大群。その先頭には何故か人間が一緒に走っていた。
「そこの奴ら、逃げろぉ!」
絶叫と共に現れた男は、勢いそのままにレオたちの横を抜けていく。だがレオたちの狙いは魔物。そもそも魔物の群れは二人がおびき寄せたのだ。逃げるはずがない。
「おい、逃げないのか!?」
「あれは俺たちの獲物だ」
「死んでも知らないからな!」
男はそう言うと街の方に向かって走っていった。
「飛べ」
レオは魔物の群れに向けて斬撃を放つ。鎌鼬は寸分違わず魔物の首を跳ね飛ばした。
虫系の魔物の厄介なところは首を切断しても数分は動き続けるところだ。感覚器官を失っているため出鱈目に動くしかないが、それでも大きな体躯を考えれば十分な脅威だ。
魔石を破壊するのもありだが、稼ぎが減ってしまう。ドロップアイテムは出ることが稀で、冒険者の本来の稼ぎ口は魔石なのだ。その魔石を破壊すれば当然収入は減ることになる。
「首以外も斬り刻むか」
足、胴、腹。レオは魔物の大群を次々に捌いていく。「キチキチ」という断末魔と共に青緑色の体液が飛び散る。
体を細切れにされてもなお動こうとする魔物の執念深さに、レオは感心する。生に対する執着心を、少しはレオも見習った方がいい。
「ノエル、後どれくらいだ!」
「まだまだ来る」
ノエルはレオの後方で森の入り口を見ている。レオの視界は魔物で埋め尽くされているため、先の状況が見えない。
「魔法を使ってみるか」
鎌鼬と接近戦を織り交ぜているが、魔物の数は一向に減らない。教わった魔法を試す良い機会だと、レオは短文詠唱の魔法を使う。
「ファイアボール」
合計五つの火球を出現させ、それを魔物の群れに向けて放つ。レオの魔法は、狙わなくとも密集した魔物に命中する。しかし、虫系特有の甲殻にはあまり効いていない様子で、それを見たレオは次弾の準備をやめた。
魔物の数が多く、炎が森に届くことはない。燃え残った火種は後続の魔物に踏み潰され消えていく。
五つの火球で倒せた魔物は二体。焼け石に水だった。戦闘はまだまだ終わらない。
「やっぱり鎌鼬が一番楽だな」
「レオ、避けて。ファイアランス!」
レオが自分の魔法の弱さを確認していると、背後からノエルの援護が入る。槍状の炎が計八本。ノエルが放った魔法は、進路上にいる多くの魔物を絶命に追いやった。
ファイアボールの上位互換、ファイアランス。ファイアボールにはない貫通力で魔物の急所を的確に突いた。炎の槍が通った後には、体を穿たれた魔物の死骸が転がっている。
ノエルが出した炎の槍は八本だけだが、それ以上の数を討ち取っている。
「レオ、あとは見えてる範囲だけ」
「了解」
ノエルの援護のお陰でレオの視界はかなりひらけた。レオが見えている限りでは、両手の指の数しか魔物は残っていない。
二人によってかなりの数の魔物が殲滅されたにも関わらず、他の魔物たちは動揺することなく向かってくる。魔物の恐ろしさは、この心理的な影響を全く受けない精神にもある。
中には、人型で駆け引きを行うような魔物もいるが、虫系の魔物は知性に近いものを備えていない。ただ本能に従い、視界の敵を屠らんと突撃する。
「――終わったぞ」
最後の一匹を倒したレオは後ろを振り向きながら呟いた。
「お疲れ様。魔石を集めよう」
レオが手早く魔物の解体を始めと、ノエルも短刀を取り出し死骸の山に近づいていく。
散乱する魔物から魔石を取り出す。魔石を取り除かれた魔物の死骸は、魔力の粒子となって四散していく。この時に消えることのない部位がドロップアイテムとして拾われる。そのためドロップアイテムが発生するかは魔石を取り除いてみなければ分からない。
「あんたら!? 生きてたのか……って、なんだこの死骸の山は!?」
二人が短刀と魔物の死骸片手に作業していると、後ろから驚きの声がかけられた。
そこには無精髭を生やした髪がボサボサの男が立っていた。
「なんだ、戻ってきたのか」
「いや、魔物がいつになっても追ってこないから、様子を見に来たんだが、まさか全滅させるとはな」
「お前が勝手に逃げただけだからな」
レオはすぐにその男が誰なのか気づいた。ノエルがおびき寄せた魔物の群れに追われていた男だ。
長い間森に潜っていたのか、衛生的な様子ではないのが一目で分かる。
「俺たちは依頼がある。用がないならさっさと去れ」
街の外で別パーティの冒険者と出くわした場合、獲物の横取りや無駄な対立を避けるために、特殊な状況を除いて不干渉というのが冒険者の暗黙の了解だ。
「あんたらの強さを見込んで、頼みがある」
だが、男は気にしていない様子でレオに話しかける。しかし、
「何?」
パーティに関することの決定権はノエルにあるため、すかさずノエルが口を挟む。
会話をノエルに引き継いだレオはノエルが持っていた分の魔物も捌いていく。魔物は全部で八十を超え、その数を一人で捌き魔石を回収する。
終わってしまえば呆気ないもので、魔物の数も大したことはなかった。森にはまだまだ魔物がいるだろうと、レオはふっと息を吐いた。
レオの背嚢がいっぱいになった頃、ちょうどノエルたちの話も決着がついた。
「ノエル、次の戦闘後はアイテムを回収できない。袋がいっぱいだ」
「了解。こいつにも手伝わせる」
「よろしくな!」
ノエルが後ろの男を指差すと、男はニカッと笑いながら親指を立てる。
「……誰だお前は?」
「いやさっき話してただろ!?」
「冗談だ」
「さっき話が纏まったんだけど、あんたらのパーティに入れてもらうことになった」
「……」
レオが目線で問うとノエルは無言で頷く。
「俺が受けたクエストがもう少しで終わりそうなんだ。達成したら報酬は分けるっていう約束でなんだけど」
「そうか。ノエルが決めたのならそれでいいだろう」
荷物持ちくらいには役立つだろうとレオは納得し、男がパーティに加わることを了承した。
「足を引っ張るなよ」
「ああ、任せてくれ!」
「レオだ」
「俺はロンだ」
軽い自己紹介をするレオに、ロンも気さくに返す。
ロンは握手をしようと手を出したが、レオは予備の袋をロンに渡した。
「あんた……」
「なんだ?」
「いや、なんでもねえ」
手渡された袋に視線を落とすロンは言いかけた言葉を引っ込める。
レオたちの依頼はまだ終わっていないが、既に一つの袋はいっぱいになっている。
「行くか」
「今ので付近の魔物はかなり減ったと思う。次からはなるべくグリーンモスだけを狙おう」
ロンが合流しても二人は平常通りに依頼をこなしていく。
三人は森の中へと入っていき、その最中、ロンは二人に問いかける。
「あんたらはグリーンモスの羽だったよな」
「ああ」
「あとどれくらいで依頼量を達成できそうなんだ?」
レオたちが先ほどの群れから拾えた羽は全部で三枚。依頼に出されていたのが五枚。後二枚拾えば依頼達成だ。
ロンに残りの枚数を伝えたところで、ちょうどよくグリーンモスが姿を現した。単体のグリーンモスはまだ三人に気づいていない。レオはすぐに鎌鼬を飛ばしその体を両断する。羽を傷つけないように放たれた鎌鼬は寸分違わずグリーンモスの胴だけを斬り裂いた。
「おお、兄ちゃんすげえな。綺麗に真っ二つじゃねえか」
「グリーンモスの弱点は身の柔らかさだからな」
キラーアントのような甲殻に覆われた魔物には、大槌や戦斧などの大得物が効果的だが、グリーンモスは硬い甲殻を持っていない。そのため斬撃武器との相性がとても良い。
「それよりも魔石の回収はお前の仕事だ。パーティを組んだ以上はしっかりと働いてもらうぞ」
「おうよ、任せろ!」
ロンはグリーンモスの死骸から魔石を取り出す。レオが魔石を避けるように攻撃したため、魔石身から少しだけはみ出ている。
ロンは慣れた手つきでグリーンモスから魔石を回収する。
「さっきの群れといい、あんたら強いな。ランクは何なんだ?」
「俺はDランク。ノエルがCランクだ」
「そのランクで二人組か。よほど腕に自信があるんだな」
「ランク制度がそのまま強さに比例するわけじゃない。あれはただの目安だろう?」
「まあそうだな。あんたらはもっと上のランクを目指すんだろ?」
「分からんな。だが依頼をこなしていれば勝手に上がる」
「そうだけど、目標とかあるだろ」
目標と聞いてレオはふと考える。人生の最終目標は死ぬことだが、今のところその方法は分かっていない。
「特には――」
「レオは私と一緒に最強を目指す」
「最強?」
レオが答えようとするとノエルが横から口を挟んだ。
「それは初耳だ」
ノエルの突然の最強宣言と、最強宣言がノエルの中で決定事項になっていることにレオは驚いた。
「あんたらならすぐにでもAランクにいけるだろうな。頑張れよ!」
ノエルの突飛な発言に、ロンは馬鹿にすることなく激励の言葉を口にした。
「話は変わるがロン。何故こんなところに一人でいたんだ?」
「仲間とはぐれちまってな。それで魔物に追われていたところをあんたらに助けてもらったんだ。あの量の魔物の群れには、もうダメかと思ったぜ」
「そうか」
「本当は街に戻って合流した方がいいんだが、違約金もかなり痛いからな」
ロンとの情報交換をしていないレオは、それからありきたりな質問を道中で聞いていった。
ロンが戦闘に参加することはなく、二人が倒した魔物からせっせと魔石を取り出していく。
「羽は落ちねぇなぁ」
「次だ」
「こればかりは運次第。レオに頑張ってもらうしかない」
「俺の運は悪い方だぞ?」
グリーンモスに限らず、魔物がドロップアイテムを残すのは稀だ。五回に一回落ちればいいくらいだ。だからこそドロップアイテムは需要があり、高値で売れる。
それにレオたちが集めるのは後二つだけ。確率で言えば残り十体狩れば終わる計算だ。
「兄ちゃん。ありゃ何だ?」
「ん?」
ロンが指をさした先に黒い何かがいた。立っているのか座っているのか。後ろ姿からではそれが何の魔物なのかすらも判別がつかない。
「攻撃してみるか?」
「うーん、やってみる?」
「逃げた方が良くねえか?」
唯一弱気なロンは未確認のそれに怯える。
「これだけ距離があれば逃げられるだろ」
レオは黒い何かに向かって鎌鼬を飛ばす。木の隙間を縫うように放たれた斬撃は目標の体表を斬り裂いた。
「ギィィィィッ!」
黒い魔物は攻撃を食らうと、その巨体を捩り、向きを変えようとする。
「魔物のようだな」
「いや、自然物にしては不自然すぎるだろ!?」
なんの躊躇いもなく攻撃をしかけたレオに、ロンは不満を混じえながらツッコむ。
魔物はゆっくりとした動きだが、確実な敵意を持って振り返る。巨体が狭い森の中で暴れ、周囲の木々を破壊していく。
「逃げた方が良くないか?」
ロンの提案に賛成する二人。だが既に手遅れだった。見ている場合ではない状況ほど、見入ってしまう。逃げなければと頭では理解していても体が思うように動かない。
「ギィィィィ!!」
「死ぬぅぅう!?」
最初に動いたのはロンだった。魔物の気味の悪い鳴き声で我に帰ったロンは、魔物に背を向け一目散に逃げていく。
巨大な魔物とロンの絶叫が森中に木霊する。魔物が破壊した木々が三人のすぐ後ろまで飛来する。
「ノエル。ロンとそのまま走り抜けろ! こいつは俺が止める」
「……分かった!」
レオを信じているノエルは逡巡の後に、レオの考えを尊重した。
「鱗の感じはあまり硬くなかった。刃が通るなら倒せる!」
「レオ、無理はしないで。牽制しながら後退する」
「ああ」
初めて見る魔物を前に、二人は臆することなく生き残るための算段を立てる。未知の魔物相手には逃げに徹するのが定石だ。
「ノエル、あいつは何だ?」
「分からない。でもこの情報は持ち帰らないと、犠牲者が出るかも……」
「嘘だろ……あいつが、何で、あいつが、ここに……」
「何か知ってるのか、ロン」
ノエルも知らない魔物に、しかし、
ロンだけは何かを思い出したように呟いた。
「嘘だ。嘘だぁぁぁぁ!」
「おい!」
ロンは半狂乱になりながらレオたちを置いて先に逃げていく。明らかに何かを知っている様子だったが、今のレオにロンを捕まえて問いただす余裕はない。
「ちっ、思ったよりも速いな」
黒い魔物はよく見れば爬虫類のような体をしている。だが、蛇とも蜥蜴とも少し違う。
二本の前足で地面を掘り返しながら進んでいく。後ろがどうなっているのか気になるレオだが、体が大きすぎて魔物の背後が確認できない。
「ノエル、ロンを追え! 俺はこいつを引きつける!」
「レオは!?」
「このままだと街までついてくる。俺は頃合いを見て離脱する」
「うぅ……分かった。絶対逃げ切って!」
「任せろ」
レオの実力を知っているノエルは瞬時に決断した。
レオは二人が逃げた方向に魔物が行かないように注意を引きつける。鎌鼬で攻撃を与えると、魔物の体から漆黒の血液が流れ出る。魔物は攻撃の元を辿るように、目のない顔でレオを捉える。
「こっちだ!」
「キシィィイィ!」
虫なのか爬虫類なのか、判別のつかない鳴き声に鳥肌が立つ。生物であることをやめてしまったかのような魔物の存在に、レオは寒気を覚えた。言葉にするならば同族嫌悪。この世に生まれてはいけない禍々しい気配を、レオは魔物から感じ取った。
「近くで見るとさらに大きいな」
森の奥に向かってズンズン進んでいく。草木が鬱蒼と生い茂り視界が悪くなる。周りに他の冒険者の姿は見えない。それどころか、森の生き物全ての気配を感じない。
黒い魔物に怯えて森の生き物たちは身を隠している。
レオの鎌から鎌鼬が放たれ黒い魔物に傷をつけていく。致命傷まではいかないが、確実に傷が増えていく。
「鎌鼬じゃ浅いか」
魔物との距離は縮まっていない。徐々に苛立つ魔物は走る速度を上げるが、一向に追いつける気配がない。
「後ろの方はどうなってるんだ?」
レオは後ろを振り返り足を止める。猛スピードで突っ込んでくる魔物はレオが立ち止まったのを好機と感じ更に速度を上げる。だが、
「やはり遅いな」
レオは魔物の突進を躱し背後に回り込んだ。今まで見えていなかった背面を見てレオは呟く。
「後ろはもっと気持ち悪いな」
魔物の後ろには三対六本の足がついていた。それが波打つように動き大きな体を運んでいる。
「愚鈍だな」
「キシシシシヂヂヂヂ」
左右の牙を噛み合わせ口から唾液を垂らす魔物は、不快な音を鳴らす。顔と呼べる部位に目と鼻はない。あるのは凶悪な見た目の口と短い触角だけ。触角は口の下辺りから二本だけ、鯰のようなものを生やしている。
「鱗、というよりもこれは虫の甲殻に近いか?」
虫は関節が少なく可動域が狭いため動き方に制限がある。しかし、この魔物は節を多く持ちダンゴムシのようだ。されど、蛇のように柔軟で素早い動きをする。
「鱗はそこまで硬くない。動きも速くない。あまり脅威ではないな」
魔物の体当たりを躱しながら生態や攻撃方法を観察していくが、特に脅威に感じることはない。攻撃の手段も体当たりが基本で遠距離からの攻撃方法は持っていない。
レオは魔物の情報を持ち帰るために慎重に観察していく。
冒険者にとって情報は命だ。知らない魔物といきなり戦闘に陥るのを防ぐためにも、新種の魔物が発生した場合、冒険者は可能な限り情報を持ち帰る。また情報は高く売れるため利益にもなる。
今回の魔物は見た目の凶悪さに臆さず巨体に不釣り合な素早さに気をつけていれば、並みの冒険者でも負けることはない。
この魔物がCランクの冒険者が束になっても勝てないような存在なら、森の生態系や冒険者の仕事に大きな影響を与える。下位ランクの冒険者が無茶をして命を落とす可能性もある。金を稼げなくなった冒険者が賊に身を落とすというのもよくある話だ。
それを避けるためにも、情報を多く持ち帰る必要がある。
「もういいだろう」
かなり時間をかけて情報を集めたレオだが、引き出せるものもないだろうと判断し、トドメを刺す。レオが懸念していることと言えば、ロンのあの怯えようだ。
現状で怯えるほどの力を魔物が見せた様子はない。ロンも冒険者としてそれなりに動くことができていた。そのロンが怯える状況とはなんなのか。
「なるようになるしかないか」
レオは分からないことを考えても仕方がないと思考を放棄する。
鎌を振り魔物の体を斬り裂いていく。関節部分にするりと刃が通り内部組織を破壊していく。肉の感触は動物に近く、筋肉質な手応えを感じる。
「ギチチチチチイッ!」
体の後ろ側がなくなっていき、堪らず悲鳴を上げる魔物。魔石の位置が分からないレオは、手当たり次第に、しかし魔石には配慮しながら細切りにしていく。
「魔石の位置は首二つ目の節の中か」
戻った時にノエルに報告する内容を整理しながら魔石を回収する。体をバラバラにされた魔物は、身体中から黒黒とした血を流し絶命していった。
レオが魔石を体内から取り出すと、他の魔物と同じように、粒子となって分解された。
「しかし、気持ち悪かったな」
レオは既に消滅した魔物の死骸を思い出しながら呟く。魔物はあの未知のもの以外にはおらず、周囲に湧く様子もない。黒い魔物からドロップアイテムは出ず、レオは来た道を引き返す。
魔物との追走劇で森はすっかり姿を変えている。木が倒れたことで森の中に光が差し込み、見通しやすさが格段に違う。
「静かだな」
天から刺す光のベールが幻想的な風景。レオが見渡す限り生き物の姿はなく、レオの足が鳴らす音以外には何も聞こえない。森は神秘的な空間となっていた。
「あの魔物が食い荒らしていたか?」
森の神聖な空気に似合わない物騒な発想をするレオ。
だが森がここまで静かなのは異常だ。アングィスの化成種の時と同じ状況だ。黒い魔物がこの辺り一体の魔物を喰らっていたとすれば、この静けさにも納得がいく。
「化成種だとしたらあの大きさも納得だな」
黒い魔物の全長は五メートルを軽く超えていた。あれが本来の大きさでないのなら、というよりも、レオは本来の大きさであって欲しくないと思っていた。化成種でもないのに体長があれだけだとすれば、化成種になった姿はもっとおぞましい。
爬虫類とも虫とも似つかない足の形状に、レオは思い出すだけで鳥肌が立った。腕をさするレオは見た目の気持ち悪さを忘れるために、別のことを考える。
「ノエルは無事に森の抜けられただろうか」
先に街に戻ったノエルとロン。ノエルがロンに負けるとは微塵も思っていないレオだが、命を脅かす存在はロンに限った話ではない。
「急ぐか」
ノエルの身を案じたレオは、捨てきれない可能性を胸に駆け出した。
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