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7.記憶
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7.記憶
夕暮れが近づき、昼間ほどの暖かさはないものの、地面に蓄積されたソルアの熱が風に混じり優しく体を撫でる。
この時間特有の草の匂いがする。懐かしくほっとする香りに体の痛みが癒されるようだ。
抱えていた人形をもう一度見ると、それは泥だらけになってしまい、左足は無くなっていた。
「随分汚れてしまったな……」
そう呟きながら短い赤毛を掻く。
冷静になると、我を失うほどに感情を高ぶらせた自分に戸惑ってしまう。
それはソルアになりたいという無意識の本能とはまた別のものだった。
星がソルアになりたいと思うこと以上に大事なものが存在しうるのだろうか。頭を振りながら、その疑念を振り払おうとするも、どうしようもなく感じてしまう。
「どうしてソルアになりたいのか」と。
胸がちくちくと痛んだ。せり上がってくる吐き出してしまいたい感情をどうしていいのかわからない。
こんな風に怒ったのは初めてだ。
とにかく……スピカには謝らないとな。
俯きながらそればかりを頭の中で繰り返していると、知らないうちに老星の家の近くまで来ていた。
「ノエル?」
鈴の鳴るような声は少し掠れていて、顔を上げると道の脇にある木の側にスピカが立っていた。近づくと彼女の足が小刻みに震えている。僕の顔が腫れているからだろう、少し青ざめているようにも見えた。
手に持っていた人形を差し出すと僕はスピカに誤った。
「ごめん。人形、ぼろぼろになちゃった」
スピカは人形を受け取るとそのまま泣きだしてしまった。瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。服の袖で、拭っても拭っても涙は止まらなかった。
嗚咽に言葉を飲まれながら、スピカは言った。
「ちがう、ちがうの……ノエルが怪我……してるから」
「こんな怪我、心配ないよ」
「でも」
少しずつ日が暮れていく。スピカと会うときはいつも夕暮れ時だ。
ソルアの光が陰り、まるでこの世界に残されたのは僕ら二人だけの様な気がする。
泣きじゃくるスピカをどうすることも出来ずに空を見上げると、はらはらと白い花びらの様なものが降ってきた。
「古白星の灰だ」と僕はこぼした。
それは星が寿命を終えると降る灰。
白く淡い光を帯びた欠片は空気のように軽く、触れると暖かい。星の命の熱。
僕ら二人は一様に空を見上げた。
そして、これと同じ様な景色を見たことがあることを、僕は思い出すのだ。
目の前で泣いていた銀色の髪の女の子と、古白星の灰の舞う景色。
小さかった頃、僕は母さんと父さんに連れられて下級星街と中級星街を結ぶ「通商街道開通祭」へと出かけた事がある。そこで僕は出店に売ってあった人形を買ってもらった。
古白星の灰が、今と同じ様に降っていた。
父さんと母さんはエドワードさんと話し込んでいて、凄く退屈だったのを覚えている。
そして退屈した僕がシャウラを探して一人で歩き回っていると、泣いている女の子を見つけたのだ。
同じ歳くらいの銀色の髪の女の子だった。
「スピカ……僕は昔、君に会った事がある?」
それを聞いてスピカはまた泣き出してしまった。
「弱ったな」
僕は頭をかきながら所在なさげに立ち尽くしてしまっていた。
時折灰が鼻の頭に乗ってははらりと溶ける。
しばらくして助け舟を出してくれたのはペテルギウス老星だった。
森の道から出てきた老星は僕らを見て「ふむ」と顎髭を撫でつつしばし考える。
「スピカ、こんな所で何をしている」
そういうと老星は大きな手でスピカの頭をぽんぽんと撫でる。
「さあ、ノエルくんも来なさい。疲れただろう」
思ってもない老星からの申し出に戸惑いつつも、僕は首肯してついて行く。
老星の後ろを歩きながら進む森はいつもと違う感じがした。まるで木の葉の揺れる音や小川の流れる音が森の囁きの様に聞こえる。
老星の足がたっぷりと水分を含んだ苔の生えた地面に少し沈むと水が溢れる。
その上に足跡は残らず、苔は再び元の形へと戻っていった。まるで森が、老星を守っている様な気がした。
森の中には一部拓けた場所があり、老星とスピカが暮らす家はそこにあった。
落ち着いた色のレンガで組まれた家の煙突からは、煙が白い線を燻らせている。日も暮れ始めたため、橙色の光がぼんやりと窓から溢れている。
「さあ、中に入りなさい」
招かれ、中に入ると暖かな空気とともに。甘く豊かな香りがした。
「紅茶でもいかがかな?」
僕のことを気遣ってか、落ち着いた低音の優しい声音は少しユーモアを匂わせていた。
「はい」
出された紅茶杯には飴色の液体が揺れていて、そっと口をつけると茶葉の香りが鼻に広がった。隣では目元を赤くしたスピカが手際よく角砂糖を三つほどひょいひょいとカップに放り込みスプーンでかき混ぜている。
「落ち着いたかね?」
しばらく経ってから老星は聞いた。
「はい。ありがとうございます」
「心というものは不思議なものだな。自分を自分たらしめるものなのに、時折手に余る。その顔もきっとそのせいなのだろう」
腫れた頰に手を当てながら僕は聞いた。
「ノエルは私を助けてくれたの」
「分かってる。分かってるとも」
スピカの言葉にうんうんと頷く老星にずっと気になっていることを僕は聞いた
「ペテルギウスさん。星はソルアになるために生まれてきたと思いますか?」
「……どうしてそう思うね」
老星は髭を撫でる。
「わかりません」
暖炉の中で薪のはぜる音がきこえた。
「ノエルくん。それは恐らく自分の中に生まれた激しい感情のせいだろう」
「はい」
僕はそれに戸惑っている。
「何も恐れることはない。それは自然な事なのだよ」
納得ができなかった。
「本当に自然なのでしょうか」
紅茶に口をつけると少し温度が落ちていたが、豊かな香りはそのままだった。
「次は明るいうちに来なさい。シャウラという少年は君の知り合いなのだろう?彼と一緒に来るといい。私の秘密を見せてあげよう」
俯く僕に老星は少しおどけた調子で言った。
「はい」と僕は答える。
「さて、途中まで送っていこう。スピカ、悪いが留守番を頼めるかな?」
「うん、わかった」
スピカは人形を抱えながらそう答えた。
外は日が落ちて暗くなっていたが、淡い光を帯びた古白星の灰が大地に積もり、道を照らしていた。
「今日はどこかで星が寿命を終えた様だな」
灰の明かりに照らされ老星は呟いた。地面に積もった灰は何も語らない。
「星はその後どうなるのでしょうか」
「それは誰にもわからない事だ」
「なんだか、考えると胸のあたりがざわつきます」
それは言いようの無い不安だった。こんな事、今まで感じたことがなかったのに。
「ノエルくん。その感情が私達を私達たらしめるのだよ。でなければその辺に転がっている石となんら変わらんだろうて」
「僕にはこの感情が余計な物に思えます」
「……石や木にも命がある。気がつきにくいが全ての命ある物は自然とその存在を全うしているのだよ。私たちがソルアになりたい気持ちも同じだと思うが。それ以外の事がノエルくんが今囚われている事なのだろう」
「はい、ええ。きっとそうだと思います」
そうだ、この感情に囚われていて、ひどく苦しい。
「心配せずとも答えは必ず見つかる。間違っても構わない。その答えはきっとノエル君の未来を切り開く光になりうるだろう」
老星の言ったことは分かった様な、分からない様な感じだった。
だが、話したことで幾分か楽になった気がした。
老星と別れた後家に帰ると父さんに怒鳴られたが、ドナルドとの口論の末に喧嘩をしたと言った。
食事の後、自分の部屋に行き、結局今日はスピカとの約束を果たせなかったなと、布団にくるまり微睡みながら思う。
またいつか他の日にでも誘ってみようと呟きながら僕は眠りについた。
7.5スピカ・レイ
もし、パパとママの顔を知らなかったなら。こんなに苦しむ事は無かったのかもしれない。
最後にパパとママは私を抱きしめてくれた。私と同じ銀色の髪の二人。
ペテルギウスさんに引き取られてからも、たまに夢を見ては泣いていた。
知らない場所で、まるでこの世に自分独りぼっちみたいで辛かった。
小さな私は、「なぜパパとママから離れて下級星街に移り住まなければならなかったのだろうか」という疑問を持たず、ただ離れ離れになった二人に会いたいという思いを抱え込んだ。
それでも時が経てば、ある程度は感情の整理がついてくる。というよりは慣れていくのだと思う。
一年程経った頃、ペテルギウスさんと一緒に「通商街道開通祭」へ出かけた。
楽しげな音楽が鳴り、沢山の屋台が軒を連ねている様子は、小さな私の好奇心を十分に満たした。「今この瞬間だけは間違いなく存在し、目を離してはならないよ」と、ペテルギウスさんは言った。
それに頷きつつも私は知りたかった。
「いつになったらパパとママは帰ってくるの?」と私はペテルギウスさんに訪ねた。
断片的な記憶は破り取られた紙の様に切断面がささくれて滲んでいる。私の記憶はその後のペテルギウスさんの言葉を覚えていない。
私はその場所から走り去った。途方に暮れるほどの胸の痛みは言葉で言い表せない苦しみを伴った。
遠くで祭りの音が空気の膜に包まれて朧げに聞こえている。私は知らない間に「ナハスの森」に迷い込み、その先にある荒野へとたどり着いていた。小さな足は泥だらけで、知らない土地の知らない荒野の地平線には光が瞬いていていた。ベンチの様な倒木に座りながら、その明かりを見つめる。
真珠を散りばめたみたいに滲んで見えるのは、パパとママと暮らしていた中級星街の明かりだった。
そしてその時、私はこの世界のどこかで、二人の命が消える瞬間を感じてしまった。
この感覚は血の繋がる星と星を結ぶ魔法の様なものなのだと、後にペテルギウスさんが教えてくれた。
永遠のお別れの印。
本当に私は独りぼっちになってしまったのだ。
「いつかパパとママに会えるって……思っていたのに」
はらはらと空から光を纏った灰が降ってきた。
私は立ち上がり、必死で両手を空に伸ばして、パパとママの温もりのする灰を受け止めようとした。しかし灰は指をすり抜け、手のひらに乗っては消え、地面に残ったものをかき集めても、腕の中で静かに溶けて無くなってしまう。
そのやるせなさに瞳が熱くなる。
私は声もなく涙を流す。
そして、このまま私も消えて無くなりたいとそう思っていた時、私の後ろから男の子の声がしたの。
「道に迷ったの?」
振り向くとそこには赤い髪の毛の男の子が立っていた。私と同い年か、少し下に見える男の子は、私に近づくと側に座った。
手に人形を抱えている。きっとお祭りで屋台に並んでいたものだ。
「この森は危ないから気をつけなさいってみんな言ってた」
「……」
私は会話をする気になれなかった。一人にしてほしいと思った。
しばらくしても何も話さない私を見て「まいったな」という具合に男の子は赤毛の頭をくしくしと掻いた。
そして思い立った様に「よし!」と言うと、立ち上がり手を差し出したのだ。
「……?」
「一緒に行こう!森の出口まで連れて行ってあげる」
「私は……」
戸惑っていると焦れたように男の子は私の手を取って走り出した。
赤毛の男の子に手を引かれて走り抜ける森は、迷い込んだ時とは別世界の様だった。
ぐんぐんと景色が流れて過ぎ去っていく。
きらめく森の中で光は線を引き、まるで流れ星の様だった。
男の子は器用に獣道を駆け抜ける。
気を抜くと転んでしまうかもしれない。私は必死で、走ること以外のことなど考える余裕などなかった。
森の出口へたどり着く頃には二人とも息が上がっていた。
「いちばんの近道なんだ。君もいつか走れるようになるよ」
肩で息をしながら男の子は言った。
「君が泣きながら森に入っていくのが見えた」
そう言うと抱えていた人形を私に差し出した。
「はい!これあげる」
女の子がモチーフになっていて、毛糸の髪に目が大きなぼたんで作られている人形。
私が困惑していると遠くからペテルギウスさんの声がした。
「おーい!スピカー!」
「ペテルギウスさ……」
その隙に赤髪の男の子は人形を私の手に掴ませる。
振り向くと男の子は悪戯っぽく笑い「またね」と言って走り去って行った。
それからあの赤髪の男の子には会っていない。私がその後もずっと家に閉じこもっていたからだ。
深く残った悲しみは簡単に癒えるものではない。今はあの子にもらった人形だけが心をうちあ開ける事ができる話し相手だけど……。
「ねぇ……私も走れるようになれるかな」
八年ぶりに外に出ようとする私を見て、ペテルギウスさんが目をしばたたかせている。
でも、すぐに優しい目になって「いってらっしゃい。スピカ」と言ってくれた。
「いってきます」と、私は答えた。
夕暮れが近づき、昼間ほどの暖かさはないものの、地面に蓄積されたソルアの熱が風に混じり優しく体を撫でる。
この時間特有の草の匂いがする。懐かしくほっとする香りに体の痛みが癒されるようだ。
抱えていた人形をもう一度見ると、それは泥だらけになってしまい、左足は無くなっていた。
「随分汚れてしまったな……」
そう呟きながら短い赤毛を掻く。
冷静になると、我を失うほどに感情を高ぶらせた自分に戸惑ってしまう。
それはソルアになりたいという無意識の本能とはまた別のものだった。
星がソルアになりたいと思うこと以上に大事なものが存在しうるのだろうか。頭を振りながら、その疑念を振り払おうとするも、どうしようもなく感じてしまう。
「どうしてソルアになりたいのか」と。
胸がちくちくと痛んだ。せり上がってくる吐き出してしまいたい感情をどうしていいのかわからない。
こんな風に怒ったのは初めてだ。
とにかく……スピカには謝らないとな。
俯きながらそればかりを頭の中で繰り返していると、知らないうちに老星の家の近くまで来ていた。
「ノエル?」
鈴の鳴るような声は少し掠れていて、顔を上げると道の脇にある木の側にスピカが立っていた。近づくと彼女の足が小刻みに震えている。僕の顔が腫れているからだろう、少し青ざめているようにも見えた。
手に持っていた人形を差し出すと僕はスピカに誤った。
「ごめん。人形、ぼろぼろになちゃった」
スピカは人形を受け取るとそのまま泣きだしてしまった。瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。服の袖で、拭っても拭っても涙は止まらなかった。
嗚咽に言葉を飲まれながら、スピカは言った。
「ちがう、ちがうの……ノエルが怪我……してるから」
「こんな怪我、心配ないよ」
「でも」
少しずつ日が暮れていく。スピカと会うときはいつも夕暮れ時だ。
ソルアの光が陰り、まるでこの世界に残されたのは僕ら二人だけの様な気がする。
泣きじゃくるスピカをどうすることも出来ずに空を見上げると、はらはらと白い花びらの様なものが降ってきた。
「古白星の灰だ」と僕はこぼした。
それは星が寿命を終えると降る灰。
白く淡い光を帯びた欠片は空気のように軽く、触れると暖かい。星の命の熱。
僕ら二人は一様に空を見上げた。
そして、これと同じ様な景色を見たことがあることを、僕は思い出すのだ。
目の前で泣いていた銀色の髪の女の子と、古白星の灰の舞う景色。
小さかった頃、僕は母さんと父さんに連れられて下級星街と中級星街を結ぶ「通商街道開通祭」へと出かけた事がある。そこで僕は出店に売ってあった人形を買ってもらった。
古白星の灰が、今と同じ様に降っていた。
父さんと母さんはエドワードさんと話し込んでいて、凄く退屈だったのを覚えている。
そして退屈した僕がシャウラを探して一人で歩き回っていると、泣いている女の子を見つけたのだ。
同じ歳くらいの銀色の髪の女の子だった。
「スピカ……僕は昔、君に会った事がある?」
それを聞いてスピカはまた泣き出してしまった。
「弱ったな」
僕は頭をかきながら所在なさげに立ち尽くしてしまっていた。
時折灰が鼻の頭に乗ってははらりと溶ける。
しばらくして助け舟を出してくれたのはペテルギウス老星だった。
森の道から出てきた老星は僕らを見て「ふむ」と顎髭を撫でつつしばし考える。
「スピカ、こんな所で何をしている」
そういうと老星は大きな手でスピカの頭をぽんぽんと撫でる。
「さあ、ノエルくんも来なさい。疲れただろう」
思ってもない老星からの申し出に戸惑いつつも、僕は首肯してついて行く。
老星の後ろを歩きながら進む森はいつもと違う感じがした。まるで木の葉の揺れる音や小川の流れる音が森の囁きの様に聞こえる。
老星の足がたっぷりと水分を含んだ苔の生えた地面に少し沈むと水が溢れる。
その上に足跡は残らず、苔は再び元の形へと戻っていった。まるで森が、老星を守っている様な気がした。
森の中には一部拓けた場所があり、老星とスピカが暮らす家はそこにあった。
落ち着いた色のレンガで組まれた家の煙突からは、煙が白い線を燻らせている。日も暮れ始めたため、橙色の光がぼんやりと窓から溢れている。
「さあ、中に入りなさい」
招かれ、中に入ると暖かな空気とともに。甘く豊かな香りがした。
「紅茶でもいかがかな?」
僕のことを気遣ってか、落ち着いた低音の優しい声音は少しユーモアを匂わせていた。
「はい」
出された紅茶杯には飴色の液体が揺れていて、そっと口をつけると茶葉の香りが鼻に広がった。隣では目元を赤くしたスピカが手際よく角砂糖を三つほどひょいひょいとカップに放り込みスプーンでかき混ぜている。
「落ち着いたかね?」
しばらく経ってから老星は聞いた。
「はい。ありがとうございます」
「心というものは不思議なものだな。自分を自分たらしめるものなのに、時折手に余る。その顔もきっとそのせいなのだろう」
腫れた頰に手を当てながら僕は聞いた。
「ノエルは私を助けてくれたの」
「分かってる。分かってるとも」
スピカの言葉にうんうんと頷く老星にずっと気になっていることを僕は聞いた
「ペテルギウスさん。星はソルアになるために生まれてきたと思いますか?」
「……どうしてそう思うね」
老星は髭を撫でる。
「わかりません」
暖炉の中で薪のはぜる音がきこえた。
「ノエルくん。それは恐らく自分の中に生まれた激しい感情のせいだろう」
「はい」
僕はそれに戸惑っている。
「何も恐れることはない。それは自然な事なのだよ」
納得ができなかった。
「本当に自然なのでしょうか」
紅茶に口をつけると少し温度が落ちていたが、豊かな香りはそのままだった。
「次は明るいうちに来なさい。シャウラという少年は君の知り合いなのだろう?彼と一緒に来るといい。私の秘密を見せてあげよう」
俯く僕に老星は少しおどけた調子で言った。
「はい」と僕は答える。
「さて、途中まで送っていこう。スピカ、悪いが留守番を頼めるかな?」
「うん、わかった」
スピカは人形を抱えながらそう答えた。
外は日が落ちて暗くなっていたが、淡い光を帯びた古白星の灰が大地に積もり、道を照らしていた。
「今日はどこかで星が寿命を終えた様だな」
灰の明かりに照らされ老星は呟いた。地面に積もった灰は何も語らない。
「星はその後どうなるのでしょうか」
「それは誰にもわからない事だ」
「なんだか、考えると胸のあたりがざわつきます」
それは言いようの無い不安だった。こんな事、今まで感じたことがなかったのに。
「ノエルくん。その感情が私達を私達たらしめるのだよ。でなければその辺に転がっている石となんら変わらんだろうて」
「僕にはこの感情が余計な物に思えます」
「……石や木にも命がある。気がつきにくいが全ての命ある物は自然とその存在を全うしているのだよ。私たちがソルアになりたい気持ちも同じだと思うが。それ以外の事がノエルくんが今囚われている事なのだろう」
「はい、ええ。きっとそうだと思います」
そうだ、この感情に囚われていて、ひどく苦しい。
「心配せずとも答えは必ず見つかる。間違っても構わない。その答えはきっとノエル君の未来を切り開く光になりうるだろう」
老星の言ったことは分かった様な、分からない様な感じだった。
だが、話したことで幾分か楽になった気がした。
老星と別れた後家に帰ると父さんに怒鳴られたが、ドナルドとの口論の末に喧嘩をしたと言った。
食事の後、自分の部屋に行き、結局今日はスピカとの約束を果たせなかったなと、布団にくるまり微睡みながら思う。
またいつか他の日にでも誘ってみようと呟きながら僕は眠りについた。
7.5スピカ・レイ
もし、パパとママの顔を知らなかったなら。こんなに苦しむ事は無かったのかもしれない。
最後にパパとママは私を抱きしめてくれた。私と同じ銀色の髪の二人。
ペテルギウスさんに引き取られてからも、たまに夢を見ては泣いていた。
知らない場所で、まるでこの世に自分独りぼっちみたいで辛かった。
小さな私は、「なぜパパとママから離れて下級星街に移り住まなければならなかったのだろうか」という疑問を持たず、ただ離れ離れになった二人に会いたいという思いを抱え込んだ。
それでも時が経てば、ある程度は感情の整理がついてくる。というよりは慣れていくのだと思う。
一年程経った頃、ペテルギウスさんと一緒に「通商街道開通祭」へ出かけた。
楽しげな音楽が鳴り、沢山の屋台が軒を連ねている様子は、小さな私の好奇心を十分に満たした。「今この瞬間だけは間違いなく存在し、目を離してはならないよ」と、ペテルギウスさんは言った。
それに頷きつつも私は知りたかった。
「いつになったらパパとママは帰ってくるの?」と私はペテルギウスさんに訪ねた。
断片的な記憶は破り取られた紙の様に切断面がささくれて滲んでいる。私の記憶はその後のペテルギウスさんの言葉を覚えていない。
私はその場所から走り去った。途方に暮れるほどの胸の痛みは言葉で言い表せない苦しみを伴った。
遠くで祭りの音が空気の膜に包まれて朧げに聞こえている。私は知らない間に「ナハスの森」に迷い込み、その先にある荒野へとたどり着いていた。小さな足は泥だらけで、知らない土地の知らない荒野の地平線には光が瞬いていていた。ベンチの様な倒木に座りながら、その明かりを見つめる。
真珠を散りばめたみたいに滲んで見えるのは、パパとママと暮らしていた中級星街の明かりだった。
そしてその時、私はこの世界のどこかで、二人の命が消える瞬間を感じてしまった。
この感覚は血の繋がる星と星を結ぶ魔法の様なものなのだと、後にペテルギウスさんが教えてくれた。
永遠のお別れの印。
本当に私は独りぼっちになってしまったのだ。
「いつかパパとママに会えるって……思っていたのに」
はらはらと空から光を纏った灰が降ってきた。
私は立ち上がり、必死で両手を空に伸ばして、パパとママの温もりのする灰を受け止めようとした。しかし灰は指をすり抜け、手のひらに乗っては消え、地面に残ったものをかき集めても、腕の中で静かに溶けて無くなってしまう。
そのやるせなさに瞳が熱くなる。
私は声もなく涙を流す。
そして、このまま私も消えて無くなりたいとそう思っていた時、私の後ろから男の子の声がしたの。
「道に迷ったの?」
振り向くとそこには赤い髪の毛の男の子が立っていた。私と同い年か、少し下に見える男の子は、私に近づくと側に座った。
手に人形を抱えている。きっとお祭りで屋台に並んでいたものだ。
「この森は危ないから気をつけなさいってみんな言ってた」
「……」
私は会話をする気になれなかった。一人にしてほしいと思った。
しばらくしても何も話さない私を見て「まいったな」という具合に男の子は赤毛の頭をくしくしと掻いた。
そして思い立った様に「よし!」と言うと、立ち上がり手を差し出したのだ。
「……?」
「一緒に行こう!森の出口まで連れて行ってあげる」
「私は……」
戸惑っていると焦れたように男の子は私の手を取って走り出した。
赤毛の男の子に手を引かれて走り抜ける森は、迷い込んだ時とは別世界の様だった。
ぐんぐんと景色が流れて過ぎ去っていく。
きらめく森の中で光は線を引き、まるで流れ星の様だった。
男の子は器用に獣道を駆け抜ける。
気を抜くと転んでしまうかもしれない。私は必死で、走ること以外のことなど考える余裕などなかった。
森の出口へたどり着く頃には二人とも息が上がっていた。
「いちばんの近道なんだ。君もいつか走れるようになるよ」
肩で息をしながら男の子は言った。
「君が泣きながら森に入っていくのが見えた」
そう言うと抱えていた人形を私に差し出した。
「はい!これあげる」
女の子がモチーフになっていて、毛糸の髪に目が大きなぼたんで作られている人形。
私が困惑していると遠くからペテルギウスさんの声がした。
「おーい!スピカー!」
「ペテルギウスさ……」
その隙に赤髪の男の子は人形を私の手に掴ませる。
振り向くと男の子は悪戯っぽく笑い「またね」と言って走り去って行った。
それからあの赤髪の男の子には会っていない。私がその後もずっと家に閉じこもっていたからだ。
深く残った悲しみは簡単に癒えるものではない。今はあの子にもらった人形だけが心をうちあ開ける事ができる話し相手だけど……。
「ねぇ……私も走れるようになれるかな」
八年ぶりに外に出ようとする私を見て、ペテルギウスさんが目をしばたたかせている。
でも、すぐに優しい目になって「いってらっしゃい。スピカ」と言ってくれた。
「いってきます」と、私は答えた。
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