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プロローグ
しおりを挟む眩いばかりの黄金色の髪に、透き通るような白い肌。血よりも深い朱色の瞳……。
己が手の中で少女の細い首が脈打っている。
もう幾度となく私は、震え怯える同胞の瞳に写されてきた。
自分のはらわたを食らうが如き狂気の中で、それでも自我を保ち得るのは、これが我が主により課せられた使命であったからに違いない。
「アーロン、部屋を汚さないでくださいね」
「は。間違いなく」
数年前に亡くなられた国王、ヴァルヘルム様の寝室を汚さぬよう、細心の注意を払う。
手に力を込めると、少女の拘束具がかちゃかちゃと音をたてた。
口を塞がれているため、くぐもった呻き声しか聞こえないが、おそらく懇願か悲鳴であろう。
「んぐぅ!……むうっ!」
人間性をかなぐり捨て、彼女は恐怖に歪んだ顔で生にしがみ付く。整った顔立ちからは想像もつかぬような形相。
血走った瞳は、首を圧迫することで更に充血し、瞼を痙攣させながら涙を零す。私は目を逸さずに少女を見据え、静かに歌を口ずさんだ。
子供の頃によく聞かされた子守唄を、唇だけ微かに動かし誰にも聞こえないように歌う。
しだいに、緑色の光が私の顔を下から照らし始めた。
肌で熱を感じるわけでもない不思議な炎が、少女の手をすっぽりと覆う拘束具から漏れ出ている。
「それ、もう一息の辛抱だ」
私は両の腕に一気に体重を乗せ、少女の命を奪った。
弛緩してしまった体からは緑炎がほとばしり、部屋を埋め尽くしていく。
炎は水分をたっぷりと含んだ布を絞るように溢れ出て空間を満たす。
地鳴りに似た風切り音が響き、部屋の家具がカタカタと揺れた。
椅子に座り背を向けていた陛下が待ちわびたように立ち上がる。
「ああ、ようやく会えるのですね」
「は。少し手間取ってしまいました。なかなか辛抱強いもので……」
「不粋な話を聞かせないでいただけるかしら」
怒気をはらんだ陛下の声がぴしゃりと言葉尻を遮る。
「失礼いたしました。外でお待ちしております」
まだ暖かい亡骸を横たえ、私は部屋を後にした。
緑炎に包まれる部屋の中央には少女の骸と嬉々とした様子の陛下が残される。
扉を閉めると私は眉間を親指と人差し指で摘んだ。少しずつ冷静さが戻ってくる。
この癖が染み付いてしまったのはいつからだろうか。
喉の奥から、笛の鳴るようなため息が漏れ出た。
ふと、私しか居ないはずの廊下に何者かの足音が響く。迷いなく床を打つ踵の音は、真っ直ぐにこちらへ向かって来た。
「やあ、騎士団長殿」
「……バルハラーム卿!」
「黒髪に赤い瞳。君の見た目は本当に興味深い」
足音の主は一人の老いた男。
「どうしてここへ?誰も通れないようになっているはずですが」
「つれないことを言ってくれるな。グレンダ・ウェンドルト女王陛下に用があってな」
相変わらず、老いているのに良く響く声である。声量を抑えていても心にずしりと響く音だ。何食わぬ顔で扉の前へ進もうとする彼の前へ私は立ちはだかる。
「陛下は今、取り込み中です。お引き取り願いたい」
「ほう……グレンダ様は一体誰とお話で?」
「お答え致しかねます」
バルハラーム卿はこの国の財務官僚。下手に扱えば制裁を受ける……か。追い返すのも一苦労の相手だ。彼は胸ポケットから煙草を取り出し紫煙を燻らせる。
「隠さずともよい」
「一体何のことで?」
「命と引き換えに死者を移す緑炎。イシュマの火であろう。呼び出したるは亡き夫か……」
「……ご存知だったのですか」
「当たりかね?」
「なっ……!」
なんたる迂闊!己から口を滑らすなど!
目の前の老紳士はニヤリと笑うと肩を竦めてみせた。
「ははは!冗談だよ、冗談!秘密を知っているのは君だけではないということだ」
冗談!?とんでもない冗談だ!
「悪い冗談です。ご遠慮願いたい」
「陛下に忠誠を誓うのが自分だけだという君の思い上がりだよ」
彼の老いてなお鋭い眼光が私を射抜く。
「……」
「今日の贄はどこからだね」
「囚人の一人です」
「ほう、何の罪で牢獄へ?」
「盗みです」
「盗みか……」
「何か問題でも?」
バルハラーム卿は顎に手を当てながら値踏みするように私を一瞥した。
「いや、結構だとも。全く、騎士団長殿には頭が下がる。結構、結構」
「バルハラーム卿!私は……」
「そろそろ時間ではないかね?」
彼の言う通り、イシュマの火が尽きる頃だった。なるほど、全てお見通しというわけか。
「……今日はお引き取り願います」
「ああ、そうさせていただこう」
余裕たっぷりにバルハラーム卿は答えた。
おそらく、陛下に会いにきたのではなく、私を試しに来たのだろう。本当にふざけた老人だ。
「そうそう、騎士団長殿。一つ聞かせてくれないか?」
「なんでしょうか?」
バルハラーム卿は人差し指を立て、何かを思い出すような仕草をとる。そして、「ああ」と言いながら放たれた言葉は、不意打ちとなって私に突き刺さった。
「自分と同じイシュマを殺すというのは、どんな気分だね?」
一瞬で身体中の毛が逆立つのを抑え込む。
「……私はタレニア王国の騎士団長として、使命を果たす身です。特別な感情は持ち合わせておりません」
満足気に吐き出される煙が妖しく宙に漂う。それを眺めながら、バルハラーム卿は皺を幾重にも刻んだ目を見開き、口の端を耳まで持ち上げた。
「結構!結構!」
笑いながら踵を返し、彼は廊下の暗闇へ溶けるように消えていく。気がつけば、汗が背中をじっとりと濡らしていた。
私はあの老人の挑発に、冷静な顔を保てていたただろうか。
いや、いかに鉄仮面を被ったとて、欺けてなどいないだろう。私は自嘲しながら、かぶりを振った。
「呪われた血のイシュマか……」
クソったれめ!
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