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13.好きなものを好きだと思うのは悪いことなの?
一箇所穴が余っているのは何故かしら?
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「かなり少ないって……実際には何本くらい作っていらっしゃるのですか?」
純米吟醸波澄の出荷数が年間六千本。それでも市場に潤沢には卸せないのだと善蔵がこぼしていたのを思い出した日織だ。
それより少ない本数とは何本ぐらいなんだろう?と純粋に思ってしまった。
「年間二百いきません」
六千本でも限られた場所にしか卸せないらしいのに、二百本では流通自体無理だと言われても納得だ。
「あの、でも……どうしてそんな……」
「少ない数しか作れないのか?って思ったんでしょう? それはね、大吟醸の波澄が、〝雫取り〟にこだわった〝雫酒〟だからだよ」
雫取りは醪を酒袋に入れて吊るし、一切の力を加えずに長時間かけて一滴一滴重力で自然に落ちる雫酒を集めた希少なお酒のことだ。
日織はそれを以前懇意にしている酒屋さんで聞いたことがある。
雫取りをした雫酒は、香りの華やかさを追求した大吟醸の〝極み〟と言われているのだ、とも。
「いつか私も飲んでみたいのですっ」
フルーティーで華やかな吟醸香を想像して、日織は我知らずゴクリと喉を鳴らしてしまっていた。
「日織ちゃんは本当に日本酒が好きなんだね」
その音を聞きつけられたとは思いたくないけれど、そんなタイミングで一斗に眼鏡の奥の目を細めてニコッと微笑みかけられて、日織は愛する修太郎をふと思い出してドキドキしてしまう。
そのせいで脳がバグを起こしたみたいに
「好きですっ! 大好きなのですっ!」
そう思わず勢い込んで答えてしまってから、それが日本酒に対してなのか、修太郎を想ってのことなのか自分でも分からなくなって、日織はほわりと照れてしまった。
「僕のことじゃないって分かってても、こんな間近でこんな可愛い子から真っ直ぐに『好き』って言われちゃったらドキドキしちゃうね」
クスクス笑われて、日織は余計に頬が熱くなってしまった。
***
「で、ようやくこれの話が出来ます」
一通り波澄の大吟醸についてレクチャーを受けた日織に、一斗が小さなガラス製のお猪口が二つ並んだ木製トレイを持って出てくる。
お猪口の底には紺色の蛇の目模様が描かれていて、それが利き酒セットなのだと日織はすぐに分かった。
お猪口は丸い穴の空いた横長の木箱に一つずつキチッとはめられていて、木箱の方には「吟醸」「大吟醸」の札が付いていた。
(一箇所穴が余っているのは何故かしら?)
そんなことを思ってキョトンとする日織に、
「普段羽住酒造の利き酒は二種だけなんだけどね、秋の間だけ〝ひやおろし〟が入って三種になる。そこの穴はそのときに埋まるんだ」
そこまで言ってから「あ、ひやおろしは知ってる?」と問いかけてきた一斗に、日織は「もちろんなのですっ」とうなずいた。
「秋あがり」などとも呼ばれる「ひやおろし」は、冬から春に造った新酒に火入れして蔵内に寝かせておいたものを、秋頃に二度目の火入れをせず「冷や」のまま卸す日本酒のことだ。
時間を置くことで熟成されたひやおろしは、新酒に比べると角のとれた穏やかな香りとまろやかな味わいが特徴だと言われている。
波澄のひやおろしは毎年九月の下旬頃に出回り始め、十月の半ばには売り切れて市場から姿を消すらしい。
今はまだ肌寒い三月。
二月の終わりに出た新酒が店頭に少しだけ残っているけれど、さすがにひやおろしはもうないのだとか。
純米吟醸波澄の出荷数が年間六千本。それでも市場に潤沢には卸せないのだと善蔵がこぼしていたのを思い出した日織だ。
それより少ない本数とは何本ぐらいなんだろう?と純粋に思ってしまった。
「年間二百いきません」
六千本でも限られた場所にしか卸せないらしいのに、二百本では流通自体無理だと言われても納得だ。
「あの、でも……どうしてそんな……」
「少ない数しか作れないのか?って思ったんでしょう? それはね、大吟醸の波澄が、〝雫取り〟にこだわった〝雫酒〟だからだよ」
雫取りは醪を酒袋に入れて吊るし、一切の力を加えずに長時間かけて一滴一滴重力で自然に落ちる雫酒を集めた希少なお酒のことだ。
日織はそれを以前懇意にしている酒屋さんで聞いたことがある。
雫取りをした雫酒は、香りの華やかさを追求した大吟醸の〝極み〟と言われているのだ、とも。
「いつか私も飲んでみたいのですっ」
フルーティーで華やかな吟醸香を想像して、日織は我知らずゴクリと喉を鳴らしてしまっていた。
「日織ちゃんは本当に日本酒が好きなんだね」
その音を聞きつけられたとは思いたくないけれど、そんなタイミングで一斗に眼鏡の奥の目を細めてニコッと微笑みかけられて、日織は愛する修太郎をふと思い出してドキドキしてしまう。
そのせいで脳がバグを起こしたみたいに
「好きですっ! 大好きなのですっ!」
そう思わず勢い込んで答えてしまってから、それが日本酒に対してなのか、修太郎を想ってのことなのか自分でも分からなくなって、日織はほわりと照れてしまった。
「僕のことじゃないって分かってても、こんな間近でこんな可愛い子から真っ直ぐに『好き』って言われちゃったらドキドキしちゃうね」
クスクス笑われて、日織は余計に頬が熱くなってしまった。
***
「で、ようやくこれの話が出来ます」
一通り波澄の大吟醸についてレクチャーを受けた日織に、一斗が小さなガラス製のお猪口が二つ並んだ木製トレイを持って出てくる。
お猪口の底には紺色の蛇の目模様が描かれていて、それが利き酒セットなのだと日織はすぐに分かった。
お猪口は丸い穴の空いた横長の木箱に一つずつキチッとはめられていて、木箱の方には「吟醸」「大吟醸」の札が付いていた。
(一箇所穴が余っているのは何故かしら?)
そんなことを思ってキョトンとする日織に、
「普段羽住酒造の利き酒は二種だけなんだけどね、秋の間だけ〝ひやおろし〟が入って三種になる。そこの穴はそのときに埋まるんだ」
そこまで言ってから「あ、ひやおろしは知ってる?」と問いかけてきた一斗に、日織は「もちろんなのですっ」とうなずいた。
「秋あがり」などとも呼ばれる「ひやおろし」は、冬から春に造った新酒に火入れして蔵内に寝かせておいたものを、秋頃に二度目の火入れをせず「冷や」のまま卸す日本酒のことだ。
時間を置くことで熟成されたひやおろしは、新酒に比べると角のとれた穏やかな香りとまろやかな味わいが特徴だと言われている。
波澄のひやおろしは毎年九月の下旬頃に出回り始め、十月の半ばには売り切れて市場から姿を消すらしい。
今はまだ肌寒い三月。
二月の終わりに出た新酒が店頭に少しだけ残っているけれど、さすがにひやおろしはもうないのだとか。
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