上 下
91 / 120
梅雨の長雨―忘却―

タツ兄に会いたい

しおりを挟む
「なのちゃん。そのお花、何て名前?」

 真顔でそう問い掛けられて、私はギュウッと胸の奥をえぐられたような切なさにさいなまれた。


 実はちょっと前に、お母さんが「お父さんがお見舞いに来てくれてね。先生とお母さんの手術のことについてお話をしてくれたの」と話しくれたことがある。

 私はその支離滅裂な内容に頭をひねって。


 余りに不可解な言動が心配で、後日主治医の先生に相談したら、「お母さんは病気の進行に伴い脳がダメージを受け始めています。今後少しずつそういうことを言う頻度が上がって来ると思います」と説明されてしまった。

 その際、「認知症のような症状が出たり、今まで分かっていたものが分からなくなったり、常識では考えられないような妄想に取り憑かれたりすることがあります」とも言われていたから。


 だから、今の〝大好きだった花の名前が思い出せない〟のも、その症状だとすぐに分かったのだけれど、頭で理解出来ているのと、心がそれを受け入れられるかどうかは全然別の話なんだと、嫌というほど思い知らされた。

 結果、私はお母さんに何て答えたらいいのか分からなくなって――。

 言葉をつむぐまでに不自然な間があいてしまった。

「……えっとね、これはトルコ桔梗って言うんだって。花屋さんが教えてくれたよ? お母さんが、買ってきてみたの」

 心の中では『何言ってるの? お母さん。これ、お母さんが大好きなトルコ桔梗じゃない』。
 そんな言葉がグルグルと渦巻いている。

 でも、私は現実それをお母さんに突きつけることが出来なかったの。


 泣きそうになるのを必死に我慢して、お母さんにくるりと背を向けて。

 花瓶をベッド枕元に置かれた台――床頭台しょうとうだいの上に載せてから、触れなくてもいいのに花のバランスを整えるふりをして泣きそうな自分を懸命に誤魔化した。

 お母さんはそんな私の背後から、「うん、そうね。お母さん、その青紫色のお花、綺麗で大好きよ。なのちゃん、買って来てくれて有難う」と屈託のない様子で教えてくれた。

 最後まで〝トルコ桔梗〟の名前が言えなかったお母さんに、私は花を買って来たことをほんのちょっとだけ後悔して――。

 そのせいかな。
 無性にタツ兄に会いたい、って思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の彼

詩織
恋愛
部長の愛人がバレてた。 彼の言うとおりに従ってるうちに私の中で気持ちが揺れ動く

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

同期の御曹司様は浮気がお嫌い

秋葉なな
恋愛
付き合っている恋人が他の女と結婚して、相手がまさかの妊娠!? 不倫扱いされて会社に居場所がなくなり、ボロボロになった私を助けてくれたのは同期入社の御曹司様。 「君が辛そうなのは見ていられない。俺が守るから、そばで笑ってほしい」 強引に同居が始まって甘やかされています。 人生ボロボロOL × 財閥御曹司 甘い生活に突然元カレ不倫男が現れて心が乱される生活に逆戻り。 「俺と浮気して。二番目の男でもいいから君が欲しい」 表紙イラスト ノーコピーライトガール様 @nocopyrightgirl

婚約者

詩織
恋愛
婚約して1ヶ月、彼は行方不明になった。

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

政略結婚かと思ったら溺愛婚でした。

如月 そら
恋愛
父のお葬式の日、雪の降る中、園村浅緋と母の元へ片倉慎也が訪ねてきた。 父からの遺言書を持って。 そこに書かれてあったのは、 『会社は片倉に託すこと』 そして、『浅緋も片倉に託す』ということだった。 政略結婚、そう思っていたけれど……。 浅緋は片倉の優しさに惹かれていく。 けれど、片倉は……? 宝島社様の『この文庫がすごい!』大賞にて優秀作品に選出して頂きました(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) ※表紙イラストはGiovanni様に許可を頂き、使用させて頂いているものです。 素敵なイラストをありがとうございます。

処理中です...