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お母さんの言葉

領収証

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『なのちゃん、仕事が終わったらうちに来なさい。いいわね?』

 お母さんから有無を言わせぬ口調でそんな留守電が入っていた今日。

 私はなおちゃんとの電話を切ったあと、なかなか踏ん切りがつかなくて、車の中に一人ぼんやり座っていた。

 日頃はのほほんとしているお母さんの聞き慣れない声音に、私はソワソワしてずっと心がざわついている。

 何か悪いことが起こったとしか思えない。


 一人暮らしで家を出ている私と違い、未だ実家住まいをしている姉のことをふと思い出した私は、姉に聞いてみることにした。


『あんた、悪いことするときはバレないようにやらなきゃダメじゃない。お母さん、相当悩んでたよ?』

 開口一番溜め息混じりに姉がそう言って。
 私はなおちゃんとのことが母にバレたことを知った。

「な、んで……」
 ――分かったのかな?

 そう続けたかったけど、喉がカラカラに乾いて紡げなかった。

 だけどお姉ちゃんはちゃんと察してくれたみたい。

菜乃香なのか、昨日うちにお土産持ってきたでしょ? あん中にホテルの領収証が入ってたのよ。相手の名前入りの……』

 私が市役所で臨時職員(今は会計年度任用職員というらしいけれど私が働いていた時は臨職と呼ばれていた)をしていたことは、もちろん母も知っている。
 というより、懇意にしている市議さんを通して私の仕事の世話くちをきいてくれたのは、小さな運送会社社長を営む母方の祖父だったから。

 私が市役所で働けるように頼んでくれたのはきっと母に他ならない。


 私は基本的に隠し事が苦手なタイプで、市役所で働いている間も、自分の周りにいる職員さんたちの名前などを交えてその日あったことなど家でよく話していた。

 当然、かつて一緒に働いていた公園緑地係のおじさんたちの名前もしょっちゅう出していて……その中にはなおちゃん――緒川おがわさん――の名前も含まれていたはずだ。

 お母さんはコンビニでパートタイマーをしているんだけど、常連のお客さんに関してはその人が頻繁に買うものの趣味嗜好をしっかり把握していて、「コーヒー、今日はいらない?」とか「煙草は○番ですよね?」とか、さり気なく言えちゃえるような人。

 要するに、とっても記憶力がいい。

 なおちゃんの名前を覚えていたって不思議じゃないの。


『今日はお母さんに呼び出されたんでしょ? 覚悟して行きなよ?』

 電話の切り際、姉に苦笑まじりの声音でそう言われたけれど、言われなくてもそんなの分かってる。

 でも……どうしたらいいんだろう。

 人の道に外れたことをしているんだもん。
 きっと物凄く怒られちゃうよね。

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