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38.杏子の受難
証拠ならあります!
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「ここには私と美住さんの二人きりだ。何の証拠もないよ?」
杏子の勤め先会議室では、社内の重要な機密事項を話し合うこともあるため防犯カメラの類いは設置されていない。発表前の新製品などの画像流出を防ぐための措置らしく、議事録に必要な場合はボイスレコーダーを持ち込んだりして音声を録音する形を取っている。会議室は普段施錠されているということもあり、それ以外で録画などは行われていないのだ。
そのことを示唆してきた中村課長に、杏子はポケットの中のスマートフォンをギュッと握り締めた。
笹尾に酷いことをされて懲りたばかりだ。(失礼かも?)と思いはしたが、中村課長から個室へ呼び出された時点で、大事を取って対策は講じている。
「しょ、証拠ならあります!」
杏子は録音中になっているスマートフォンを中村課長に見せつけて、腕を放してくれるよう希った。
だが、「バカだな、わざわざそんなのものを私に見せるなんて……」という言葉とともにスマートフォンを取り上げられそうになって、杏子は本気で慌てたのだ。
正直、録ったデータをどうこうするつもりなんてさらさらなかったのに、追い詰められた結果、『録音されたデータを転送する』ボタンをタップしてしまい、メッセンジャーアプリで一番最後にメッセージをやり取りしていた相手――倍相岳斗――に転送してしまった。
不測の事態ではあったけれど、ここで慌てる素振りを見せては不利になる。そう思った杏子は、『送信完了』の文字を見せながら、「たったいま、ここでのやり取りを録音したデータを信頼の出来る人へ送りました」と強がったのだが、どうやらそれが功を奏したらしい。
「じょ、冗談だよ、美住さん。真に受けないで?」
慌てたように課長の手が離れて、杏子はその場に座り込んでしまいそうになった。でも、ここで弱っているところを見せるわけにはいかないと、痛くない方の足に力を入れてグッとこらえた。
それと同時――。
手にしていたスマートフォンが着信を知らせて震えるから、杏子はビクッと肩を跳ねさせて画面を見やる。
「で、電話だね? 私は先に仕事へ戻るから……その、相手の方には上手く言っておいてもらえるかな? あ、足も痛そうだし……そうだ。必要なら早退しても構わないからね? わ、私がうまく取り計らっておくから」
これ幸いと、そそくさと小会議室をあとにしていく中村課長の背中を呆然と見遣りながら、杏子は手にしたままのスマートフォンを見詰めた。
(岳斗……さん?)
そこでさっき、変なデータを岳斗宛に送信してしまったことを思い出して、慌てて通話ボタンを押した。
「もしも……」
杏子が「もしもし」という間を惜しむみたいに、電話先の相手――倍相岳斗の『杏子ちゃん、大丈夫!?』と言う声が被さってくる。
「あ、あの……すみません、私……岳斗さんに変なデータ……」
『うん。聴いた。で、今どこ? まだ会社の中? 〝課長〟とやらはまだそこにいるの?』
「え? あ、……はい。……いえ! もう一人です……」
『分かった、すぐ行く』
「あ、あの……岳斗さんっ!?」
杏子が、『すぐ行くってどういうことですか?』と問い掛ける前に、通話は切れてしまっていた。
以後、どんなに掛けてもコールするばかりで繋がらなくて。
杏子は小会議室の中、一人呆然と立ち尽くした。
杏子の勤め先会議室では、社内の重要な機密事項を話し合うこともあるため防犯カメラの類いは設置されていない。発表前の新製品などの画像流出を防ぐための措置らしく、議事録に必要な場合はボイスレコーダーを持ち込んだりして音声を録音する形を取っている。会議室は普段施錠されているということもあり、それ以外で録画などは行われていないのだ。
そのことを示唆してきた中村課長に、杏子はポケットの中のスマートフォンをギュッと握り締めた。
笹尾に酷いことをされて懲りたばかりだ。(失礼かも?)と思いはしたが、中村課長から個室へ呼び出された時点で、大事を取って対策は講じている。
「しょ、証拠ならあります!」
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だが、「バカだな、わざわざそんなのものを私に見せるなんて……」という言葉とともにスマートフォンを取り上げられそうになって、杏子は本気で慌てたのだ。
正直、録ったデータをどうこうするつもりなんてさらさらなかったのに、追い詰められた結果、『録音されたデータを転送する』ボタンをタップしてしまい、メッセンジャーアプリで一番最後にメッセージをやり取りしていた相手――倍相岳斗――に転送してしまった。
不測の事態ではあったけれど、ここで慌てる素振りを見せては不利になる。そう思った杏子は、『送信完了』の文字を見せながら、「たったいま、ここでのやり取りを録音したデータを信頼の出来る人へ送りました」と強がったのだが、どうやらそれが功を奏したらしい。
「じょ、冗談だよ、美住さん。真に受けないで?」
慌てたように課長の手が離れて、杏子はその場に座り込んでしまいそうになった。でも、ここで弱っているところを見せるわけにはいかないと、痛くない方の足に力を入れてグッとこらえた。
それと同時――。
手にしていたスマートフォンが着信を知らせて震えるから、杏子はビクッと肩を跳ねさせて画面を見やる。
「で、電話だね? 私は先に仕事へ戻るから……その、相手の方には上手く言っておいてもらえるかな? あ、足も痛そうだし……そうだ。必要なら早退しても構わないからね? わ、私がうまく取り計らっておくから」
これ幸いと、そそくさと小会議室をあとにしていく中村課長の背中を呆然と見遣りながら、杏子は手にしたままのスマートフォンを見詰めた。
(岳斗……さん?)
そこでさっき、変なデータを岳斗宛に送信してしまったことを思い出して、慌てて通話ボタンを押した。
「もしも……」
杏子が「もしもし」という間を惜しむみたいに、電話先の相手――倍相岳斗の『杏子ちゃん、大丈夫!?』と言う声が被さってくる。
「あ、あの……すみません、私……岳斗さんに変なデータ……」
『うん。聴いた。で、今どこ? まだ会社の中? 〝課長〟とやらはまだそこにいるの?』
「え? あ、……はい。……いえ! もう一人です……」
『分かった、すぐ行く』
「あ、あの……岳斗さんっ!?」
杏子が、『すぐ行くってどういうことですか?』と問い掛ける前に、通話は切れてしまっていた。
以後、どんなに掛けてもコールするばかりで繋がらなくて。
杏子は小会議室の中、一人呆然と立ち尽くした。
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