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29.心配しなくていいと伝えたいだけなのに

好みのタイプ

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『うん、大丈夫だよ。――久しぶりだね』

「はい、えっと……お久しぶりです。その、ご無沙汰しております」

 数年前までは父と二人で実家住まいだった杏子あんずだけれど、二十五を過ぎたあたりから段々、父親からの〝見合い圧〟に耐えられなくなってきて、逃げるように会社近くの一〇階建て女性向けアパートに一室を借りた。近くにコンビニや神社があって、これと言った住民トラブルなどもなく、割と気に入っている。

 実家にいる時は、土井恵介とも月に一度くらいの頻度で顔を見かけては挨拶することがあったのだけれど、アパートへ移り住んでからはもう何年も見かけていない。

『ホント久しぶりだね。元気にしてるかい?』

 杏子は当たり障りのない社交辞令に「はい、元気にしています」と答えながら、次に続く言葉はきっと長いこと待たせたことへのお詫びと、お見合いの日取りについての連絡に違いないと思っていた。

 それのなのに――。

『お父様から釣書を預かったままずっと連絡できていなくてごめんね。たいちゃ――、ああ、えっと……僕のおいっ子の屋久蓑やくみの大葉たいようとのお見合いのことなんだけど』

「はい!」
 ――私はいつでも大丈夫です! と勢い込んで告げようとした杏子の耳に、『……ごめんね、大葉たいようがどうしても受けられないって言うんだ』などという信じられない言葉が飛び込んできた。

「えっ? あのっ、……それって……」

『お見合いのセッティングは無理になっちゃったんだよ、アンちゃん。長いこと待たせたのに本当申し訳ない。僕もアンちゃんなら知らない仲じゃないし、何よりだと思って、だったんだけど』

 そのあと散々土井恵介から謝られた杏子だったけれど、ほとんど頭に入ってこなかった。


***


 外から小型犬特有のけたたましい吠え声が聞こえてきて、「何ごとかしらね?」と窓の外を見た果恵かえが、「ここからじゃよく見えないわね」と小首をかしげた。
 それを聞いた羽理うりは、『あの声はきっとキュウリちゃんだ』と思って。大葉たいようと顔を合わせるのが何だか気まずくて、どうにかしてこの場を立ち去りたいとソワソワしたのだけれど、逃げ出すより先に柚子ゆずにギュッと手を握られた。

「きっとたいちゃんが来たのよ。羽理ちゃん、逃げたい気持ちも分かるけど……ちゃんと話さなきゃダメ」

 手を掴まれたまま柚子からそんなことを言われた羽理は、助けを求めるみたいに果恵を見つめた。でも、期待とは裏腹。果恵からも「大丈夫よ。私たちがついてるから! ちゃんと大葉たいようと向き合いましょう?」と言われて、空いていたもう一方の手を取られてしまった。

 そうしてそのまま二人に挟まれて、半ば連行されるみたいに玄関外へと連れ出された羽理は、数奇屋門すきやもんのところに、大葉たいようらしき人影が、背中を向けてたたずんでいるのを見た。
 西の空へ傾いた夕陽を受け、こちらからは逆光になっていてシルエットしか見えないけれど、その人影の周りをダックスキュウリちゃんおぼしき犬の影がクルクル回りながら吠えているから間違いないだろう。

 いつもはおとなしく大葉たいようをじっと見上げるのが常のキュウリちゃんが、騒がしく吠えているのは何故だろう?
 それも気になって。

「たい、……よう」

 会いたくないと思っていたくせに大葉たいようの姿を見たら、ほとんど無意識。
 気がつけば、羽理は柚子と果恵の手をすり抜けるように離れて、大葉たいようの方へ歩き出していた。
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